白銀の城の俺と僕

片海 鏡

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五章

58話

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 シャングアは身構えつつ、振り返る。

「! あなたは!」

 豊かな髭を生やす痩せ気味の男は驚く。

「随分と大きくなられて……!」

 目を潤ませ喜ぶ男に、シャングアは戸惑う。

「あぁ! 失礼しました。この顔では、シャングア様も気付きませんね」

 再会を喜ぼうとした男だが、シャングアの反応を見て、すぐに理解を示す。
 男の全身が一瞬で黒くなったかと思うと、液体のように下へと流れ落ちて行く。現れた素顔は、年齢は差して変わらないが、堀が深く左頬に傷跡のある男性だった。眉間の上には顔には1㎝ほど小さな宝玉があり、βである事が分かる。使い古した白い服を着ているが、鍛えられている身体は姿勢が正しく、どこか不釣り合いに見える。

「あ、あの……僕を知っているようですが、あなたは誰ですか?」

 親戚達を思わせる様な親しさに、益々分からなくなりシャングアは問う。

「わたしをお忘れですか? メルエディナ様の従属を務めておりましたガンザでございます」

 怒鳴る様な太さは無く、落ち着いた声音でガンザは言う。

「ガンザ……?」
「そんな…………いえ、あんな事があっては、余りの衝撃で記憶を失っても仕方がありません」

 一瞬悲しげにしたが、すぐに神妙な表情をしたガンザは、シャングアの様子に納得をする。

「御婆様の従属ならば、なんでこんな所にいるのですか? まるで、ここの整備担当者のようです」

 使い古された皮のブーツ。腰に備え付けられた縄や補修道具の入った鞄。どこをどう見ても、皇族の従属には見えない風貌だ。

「メルエディナ様の命令を受け、私は一族秘伝の変身の奇蹟を使い、地下の整備担当者として息を潜めておりました。先程の顔は、私を匿ってくださった亡き先代担当者のもの……地上ばかり目を向けた者達は入れ替わったとは気づいておりません」

 一族秘伝。聖皇の皇権のように、貴族達には特出した奇蹟の式を持っている。門外不出であり、それを受け継いだ者が一族の当主となる。姿形、声、存在を変身させるとなれば、かなり歴史を積んだ一族が持つ式だ。

「御婆様の命令……? もしかして、今回の洗脳の事件に関する事ですか?」
「洗脳? いえ、私は……」

 否定しかけたガンザだが、何かに気づいて口を手で覆う。

「…………まさか」

 そう呟き、シャングアへと何を言うべきかガンザは迷い、苦悩する。
 しかし、それは遅いか早いかの違いであり、シャングアにとって避けられないものだ。

「シャングア様。心して聞いてください。辛くとも、どうか……どうか、受け止めてください。私は罰せられても構いません。しかし、あなた様に伝えなくてはならない」

 ガンザはシャングアの両手に手を置き、強く、強く訴える。

「わかった。聞かせて」

 覚悟を決めた様子のガンザに、シャングアは頷く。



「6年前。あなたのお母様の手によって、メルエディナ様は殺されました」


「え……?」

 突拍子もない話に、シャングアは頭が真っ白になった。
 センテルシュアーデの誓約者リルの妊娠が判明し、祖母のメルエディナが傍にいる。
 そう聞いていた。聞いたはずだ。
 いつ? どこで? 誰から? なぜそう思った?
 いや、待て。母親。母親? 母様?
 そうだ。エンティーの誓約の儀の時に、母様の姿は無かった。
 いつから? どうして?
 警鐘を鳴らすように、頭が痛い。

「あの日、シャングア様の第二の性が判明しました。バルガディン様の番で在らせられるアリアナ様は、息子であるあなたと一緒にメルエディナ様へ報告に向かわれたのです」

 シャングアは無言のまま、徐々に泣き声が混じるガンザの言葉を聞く。

「メルエディナ様の元へ辿り着こうとした時、アリアナ様が懐に忍ばせていた短刀を貴方様へと向けました」

 シャングアは思い出せなかった。記憶の蓋はびくとも動かないが、身体は小さく震え、頭痛が現実に会った事だと語り掛けてくる。

「咄嗟に貴方様を庇ったメルエディナ様には、深く刃が突き刺さり…………何とかして命を取り留めようと医師達が努力しましたが、メルエディナ様は息を引き取られました」

 そんな惨状があったなんて、父も兄も言ってはいなかった。思い出した事で精神病を患うと懸念されるだけでなく、シャングアはそれと思われる様な洗脳状態によって意識が朧気であった為に、この6年間誰も伝える事は無かった。

「……アリアナ様は即座に拘束され、殺人の動機を探ろうしましたが、廃人となりそのまま衰弱死されました」

 心に響き、壊れる程に苦痛を味わうはずが、シャングアは何も感じなかった。全てを受け止めては心が壊れると、防御壁を張っているようだった。
 母アリアナは、洗脳されていたのだろう。ガンザも先程気づいた。奇蹟によるものではなく、かつてのエンティーの様に長年の積み重ねによって本来の思考が壊れてしまった。だが、いつから母が洗脳を受けていたのかシャングアには分からない。記憶に残っている母の姿は、いつも穏やかだった。

「申し訳ありません。わたしは命令を守る為に、主を、貴方様を助けるために、動けなかった」

 ガンザは床に手を突き、平伏する。
 祖母は、この為にガンザへ生きるよう命じたのだろう。シャングアは悟った。
 先代聖皇メルエディナには、予知夢を見る力があった。しかし正確さに欠ける部分があり、具体的な事柄は分かってもいつか分からないと言った、偏りが存在した。彼女は近い将来、自身が死ぬこと、孫が奇蹟によって洗脳を受けること、多くを見たのだろう。
 そして従属の中で最も信頼するガンザを生き証人として、地下の案内役として遺した。

「顔を上げてくれ、ガンザさん」

 シャングアは膝を着き、ガンザを見る。

「教えてくれて、ありがとう。あなたがいなかったら、僕は何も知ることが出来なかった」

 ずっと、何も知らない。ずっと周囲に守られ続けている。

「シャングア様……」
「もし、御婆様を助けられず無念だと思うなら、今、僕を助けて欲しい」
「はい。勿論です。きっと、メルエディナ様もそれをお望みの筈です」

 顔を起こしたガンザは涙を拭い、大きく頷く。

「僕は、誘拐された番を助けるために地下までやって来たんだ」

 蜂達のほとんどは移動し、シャングアの案内として残っている3匹が右肩に止まっている。

「移動しながらで良い。地下の構造、そして事件があった6年前の神殿の様子を教えて欲しい」

 犯人の犯してきた罪が徐々に明らかになりながらも、広がりを見せている。
 エンティーは、母の様に何らかの目的で利用する為に誘拐された。
 もう同じことを繰り返してはならないと、シャングアは強く思う。
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