黒い姉妹

ゆめゆき

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歩かなきゃ(終)

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 体を拭いてもらい、スープを飲んで、冷え切っていた心も体もだんだん温もりを取り戻してきた。

「エッタ、ありがとう…」

「ウチは…奥様の味方です。奥様が好きです」

「本当にありがとう…一つ、心配なことがあるのだけど…」

「なんでしょう」

「ラ……ライリーは…それから、彼の…父親はどうなったの…?」

 使用人が失態を犯したからといって、非人道的な罰を与えたり、まして命を奪うなんてことは許されない。それは表向きのことで、実際は、富裕層はいくらでも彼らを罰し、命を奪ったとしても、それを隠して知らん顔をしているものなのだ。

「庭師の親子は放逐されました」

「ああ、そう…」

 わたしは少しほっとした。

「あんなことがあったのに…奥様は優しすぎます…」

「…違うのよ…違う…」

 庭師の息子はリナに弄ばれた、世間知らずなだけの男だ。怖ろしかったことには違いないが、わたしの怒りはリナに向かっていた。

 エッタが下がると、わたしは勇気を振り絞ってベッドから這い出て、ドアに向かった。

 大丈夫よ。大丈夫…。

 ゆっくり、ゆっくりと足を進め、ドアにたどり着く。

 さあ、ドアを開けて…大丈夫なんだから…。だが、手に力が入らず、ドアが途方もなく重く感じられる。

 ドアを開けるだけよ…。ほら、試してみて!かんたんよ!ゆっくりでいい。まだ、時間はある…!

 深呼吸をして、もう一度…!手が震える。怖くないわ!もっと恐ろしいことがあるでしょう!さあ、勇気を出して!

 ずいぶんと時間をかけて、わたしはドアを開けることに成功する。

 たった、これだけのことで、呼吸が乱れている。

 さあ、廊下に出て、進むのよ…。怖い…こんなに広い廊下だったろうか…!それに、いやに冷える…。

 足を一歩踏み出して、また戻すのを、何度繰り返したろうか。ようやく、わたしは廊下に出ることに成功した。

 怖い…怖い…後ろから誰か襲ってこないだろうか?!嫌だ!!あんな思いは二度としたくない!!

 進むのよ。進むの。ここは安全なはず。歩いて!わたしの足…!

 客間が並ぶ区画まで、いつもならすぐに着くのに…!

 気がつくとわたしは涙を流している。ごしごしと目元を寝間着の袖で拭う。

 怖い?もっと、怖ろしいことがある。それを思い出して。

 また、奪われてもいいの?それも、彼を…!フロード、イドアス、サリュート先生…今、思えばどうでもいい人たちだったわ…。でも、彼は?彼がいなくて生きていける?また、笑える?他の人で代わりになる?

 ほら!歩いて!!エル!!

 足が進んでいく。歩けるじゃない!頑張って、歩いて…歩いて…!

 わたしはそうやって、客間の並ぶ廊下までたどり着く。

 グレイはどの部屋にいるの…?端からノックして…。え…話し声が聞こえる。リナが彼と部屋にいる…!

「グレイ!グレイ…!」

 中に呼びかけると、ほとんど待たずにドアは開いた。

「エル…!」

「グレイ!」

 わたしは自分から彼に抱きついた。彼の腕がおずおずとわたしの背中にまわされ、優しく抱きしめてくれる。

 リナの視線を感じた。胸の大きく開いた、藤色のドレスを着ている。信じられないほど鋭い、憎しみさえこめられた目がわたしを射る。

「大丈夫かい?エル…僕に触られるのが嫌じゃないの?」

「嫌なわけない!グレイ…怖かったわ…お願い…一緒にいて…!」

「そうか…うん…うん…大丈夫…一緒にいるよ…」

 彼の手が、わたしの乱れた髪を撫でつけ、指先で目元をそっと拭った。

「エル…泣いている…」

「あなたも泣いてるわ…」

「ん?あ…」

 グレイは自分の指先で涙を拭うと、照れたように言った。

「あは…ほんとだ…」

 リナがわたしたちに向かって、叫ぶように言う。

「グレイ…!!騙されないで!!お姉様は…その女は自分から庭師の男を誘惑したのよ…!!あなたに嫁ぐ前からずっとあの男と寝ていて…気に入らないことがあったから、無理矢理されたようにふるまって…!!」

「違う…!!やめて!リナ…!!グレイ…違うわ…!」

 リナに惑わされないで…!わたしは必死に訴える。

「うん…エル、大丈夫…」

 グレイはわたしを抱きしめたまま、赤子をあやすように、体を揺らした。

「リナ…出ていってくれないか…今日は二人でここに寝るよ。少し、狭いけど…それから、朝一で、ここを立つ。エル、明日帰ろう…」

 リナはそれでも食い下がった。

「ねえ、グレイ…そんな女…お姉様よりわたしがいいでしょう?娶った責任なんて考えなくていいのよ…!姉より妹の方がよくなったって、妻を取り替えるのは、世間にないことじゃないわ」

「僕はエルがいいんだ…」

「あなたは見る目がないのよ…わたしの方がよかったと、後でわかっても遅いのよ…!」

「エルがいい…」

 リナがあきらめて部屋を出ていくまで、長く時間がかかった。

 何を言っても、リナは引き下がらなかったのだ。

 ようやく、彼女が部屋を出て行った後、わたしはグレイと唇を重ね、「好きよ」と、言うことが出来た。

「グレイ…愛しているわ…」

「僕も」

「夫なんて誰でもいいと、思っていたの…男の人はみんな同じだと…でも、今はグレイでなければいやよ…」

「…うれしいよ…」

 そのまま、わたしたちはベッドに倒れ込んで、何度も口づけを交わし、睦み合いの途中で、どちらも睡魔に襲われて、眠ってしまった。

 あんまりにも幸せな眠りだった。
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