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第一章 称号編
勇者の代償
しおりを挟む第六十四話 勇者の代償
セルバースト、称号、それらの力と同等の力を持つ衝光。
その威力は――――絶大だった。
振り下ろされた一撃一撃が標的だけでなく、その周囲まで破壊の規模を示す。
美野里たちが死闘を繰り広げた地上の傷痕が、まさにそれだった。数十時間という時間が経つにも関わらず、その場に残る抉られた土痕。
魔王と名乗る少女を仕留める為、最後に繰り出した『ダング・オーバーアーツ』の連撃が地中深くまで地を削り取ったのだ。
災厄の剣姫という名に相応しいほどの傷痕……。
そんな中、抉りとられた痕の前に一つの陰は立っていた。
その者は、男だった。口元が隠れるほどのマフラーのような布。すす切れ黒ずんだ紅のコートを纏い、長く伸びた手入れのされていない髪も特徴的だった。
「……………」
男はその場に片膝をつけ、地面の傷痕に手を当てる。
そして、ゆっくりと指でなぞりながら、ボソリと一つの言葉を残す。
「美野里…」
静寂に包まれた中で、微かに口にされた言葉。
男は静かに立ち上がり、用が済んだかのようにその場を後にするのだった。
ポチャ、ポチャ、と。
水の落ちる音が聞こえてくる。
「……ぅう」
瞼の重さを感じながら、ゆっくりと眼を開けるセリア。
視界には黒岩で出来た天井が広がっていた。視線を横に向けるもそこには天井と同じ岩があり、どうやら岩で作られた個室のような場所に自身が寝かされているようだ。
とはいえ、状況が状況なだけに完全な理解が追いつかない。茫然とした感覚で再び天井を見上げるセリア。
だが、そんな視界に突如、
「お、起きたか?」
彼女を覗くように、眼前にファルトは顔が現れた。
それも鼻先と鼻先とが接触する、一桁単位ほどの数センチといった至近距離。
一瞬、突然のことで固まるセリア。だが、数秒して彼女の顔は一瞬で赤く染め上がり、その結果、
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
ドゴムッ!! と強烈なブローがファルトの腹部に炸裂する。
盛大な音と強烈な衝撃。全く身構えていなかった少年の体はくの字に折れ、彼女との覚めの開口を交わすことなく撃沈することとなった。
「ッ!? ッ!」
地に倒れるファルトに警戒しながら、荒い息を吐き壁際に体を退きつけ身構えるセリア。そんなことをしなくとも、すでに少年は気を失っているのだが……、
「もう、だから言ったのに」
と、そんな状況の中、不意に第三の声が現れる。
声が聞こえた方向に視線を向けると、そこには黒一色の衣服を着た一人の女性が立っていた。
その女性は災厄の剣姫。二年の消息を絶っていた町早美野里だ。
眼を見開きながら固まるセリア。そんな彼女の直ぐ近くには一発KOされた一番弟子。
しばしこの状況に覚えがある。
頭痛を感じながら、美野里は苦笑いを浮かべるのだった。
美野里たちが住処としている場所は、誰にも知られることのない隔離された世界。別名、アンダーワールと呼ばれている。
光のない、地中に存在する大規模の洞窟がその正体なのだが、未だ地中にそれほどの場所が存在していることを知られていない。
地上をしめる四つの都市にも、だ。
とはいえ、地中での生活は身を隠せるのだから安全、というものではない。何故なら、地中に住むモンスターたちは地上に比べて明らかに強い。
その強さはSランククラスのハンターでさえも手を焼くほどに、だ。
そして、増殖とともに今も増え続ける黒狼――アンダーワールドでは、ガウラーオと呼ばれているそのモンスターもまた警戒すべきモンスターとして皆からも認識されていた。
「だから、あの黒いのには一人で挑むのは得策じゃないってわけ。って、言っても一匹や二匹ならそう、てこずることはないんだけどね」
と、黒狼について尋ねてきたセリアにウンチクを話す美野里。
今、彼女たちは静かに話せる場所へと移動する為、そこまでの道中を歩いている。ちなみに自業自得のファルトはあのまま放置しているわけだが…。
全体的なアンダーワールドについての説明を聞き終えたセリアだったが、彼女にとって見る物全てが新鮮なものばかりだった。その一つは、上空に展開された青光を発した巨大な魔方陣。太陽の代わりをして陣からの光が地上を照らしているということ。
そして、もう一つがそんな中で都市のようなしっかりとした作りではないにしろ、ゴツゴツとした岩で出来た宿に少なからず人々が住んでいるということだ。
大人から子供、お年寄りの姿もあり、その誰もが、苦もなく笑いながら暮らしていた。
「…あの、ここの人たちは」
「えーっと、集落っていえば簡単なんだけど、……言うなら私たちの隠れ家、って言えばいいのかな? まぁ、私もそう長くいるわけじゃないから家とまでは言えないんだけど」
と、そこまで話していた時だった。
美野里さん! と住人の一人が声を上げる。
それは一種の挨拶だった。しかし、その声に他の住人たちも彼女の存在に気づき、続くように声が飛び交う。
セリアの視界に、まるで神に祈りを贈る信者のような光景が広がる。
美野里は苦笑いを浮かべながらも手を上げ、返事を返し宥める仕草を見せていた。
「………」
隣でそんな美野里を見つめるセリアは――薄々と、わかっていた。
確証はなかった。でも、今ので、やっと確証が持てた。……小さく、唾を飲み込むセリアは、意を決し、尋ねる。
「あ、あの!」
「?」
「み、美野里……さん。っであってるんですよね?」
「…………うん、そうだよ」
そう言って、笑う美野里。
災厄の剣姫、そんな名前など…似合わない。そう思ってしまうほどに彼女の顔は優しい顔をしていた。
ただ、だからこそ、……胸にズキッとくる痛みを感じながら、セリアは小さく唇を紡ぐしかできなかった。
集落から少し離れた場所に、美野里の家はあった。
周りには他の宿もなく、ポツンと置かれたような一つの岩で出来た家。
室内には日常に必要な器具がそろっており、ここまで来る際に見た上空の魔方陣と同じ淡い青光を発した魔方陣が家の天井に刻まれている。明かりの換わりが魔方陣となっているのは外だけでないらしい。
空いた椅子に腰掛ける美野里。
セリアも頭を小さく下げながら椅子に腰を下ろした。
「それじゃあ、自己紹介から始めましょうか」
「は、はい」
「そう身構えなくていいから。えーと、じゃあ私からね」
そう言いながら若干恥ずかしい表情を見せる。
美野里は小さく咳払いを加えながら、胸の前に手を当て、
「初めまして、私の名前は町早美野里。災厄の剣姫のほうが分かりやすいかな?」
そう笑いながら躊躇いもなくその名を口にした。
ズキっと、再び胸の内で痛みが走る。
(また、だ……)
セリアは小さく眉間を寄せる。だが、こちらを見る美野里に気づき、慌てて今度は自身の紹介を口にした。
「わ、私はセリア、です。それで、称号は…ッ」
だが、そこまで口にした直後で脳裏にあの時の光景が浮かぶ。
勇者として、目の前の少女を助けることが出来なかった自身。無様に負けて、地に倒れることしかできなかた、あの時。
そんな自身が、勇者を名乗って良いのか?
金縛りにあったかのように上手くその先を口に出せないセリア。
そして、……ついに…。
「いえ、……以上です」
唇をつぐみ、そこで切ってしまった。
美野里はセリアの動きに首を傾げている。だが、セリアにとって、今そんなことはどうでもよかった。
何故なら、この旅の目的。
それが目の前にいる。
ッと、セリアは声を震わせながら声を出し、
「あ、あの、…ま、ちばや、さ」
「あ、美野里でいいわよ」
「ぅぅ、はい………あの、美野里さん」
セリアは心を一度落ち着かせる。
そして、この旅の目的、伝えなければいけないことを彼女は話し始めた。
「私たちは、貴方を探していました。私は災厄の剣姫について、そして……アチルさんは大切な友として美野里さん、貴方を探し続けています」
「………………」
「私のことは……後でいいです。でも、そんなことよりも、どうかアチルさんに逢ってあげてください。アチルさんは、貴方との再開をずっと待ち続けているんです!! だからッ」
セリアの言葉。アチルの思い。
それをわかってもらおう。そう思い、セリアは次の言葉を口にしようとした。
だが、対して美野里は言う。
「うん、わかってる」
「………え?」
その次の言葉を斬った。
わからないではなく、わかってると、理解した上で、
「アチルは昔から何も変わってないから、私のことでどれだけ自分自身を責めてるかも、想像は出来てる」
「……な、なら」
「でも、私は会えない。ううん、会っちゃいけないの」
「ッ、何んでッ!」
あんまりの言葉。
大きな声を出すセリア。だが、そんな言葉さえ塗り替えるように、笑いながら美野里は言った。
「だって、私は化け物だもん」
その時、セリアは思った。
一体、何を言ってるんだ、この人は……、と。
インデールに住む人たちは、あの時から何もかもが崩れたように都市の評判とともに落ちてしまい、都市自体が基能しなくなった。二年前にはたくさんの人が亡くなった。
全部が、災厄の剣姫のせいで壊れたのだ。
だが、そんな中で唯一そんな彼女を悪くないと言って、今も探し続けているアチル。
それなのに、目の前に座る女性は…そんな事を口にする。
化け物と、ふざけたことを言う。
侮辱だ……。
「何ですか…それ……」
侮辱だ!!
胸の内が熱く、そして、怒りがこみ上げた。
ドン!!! と倒れる椅子。勢いよく立ち上がったセリアは怒りの形相で叫ぶ。
「ふざけないで、くださいッ!!!」
「……………」
「そんな、どこが化け物なんですかっ! 貴方はどこも変わりのない、ただの人間じゃないですか!! 確かに災厄の剣姫なんて名前を付けられることは普通ならあり得ないことです。それについては同情します。でも、それでどうしてそんなふざけた理由をつけてまでアチルさんに会いに行かないんですか! どうして、そんなにまでアチルさんの努力を踏みにじるんですか!! こんなんじゃ、アチルさんが惨めじゃないですか!!!」
脳内に浮かぶ、アチルの顔。
後悔し、怒り、悲痛な思いを叫ぶ、あの姿。
思い出すからこそ、そんなふざけた言葉で彼女の思いを踏みにじった事が許せない!!
「貴方が、どうしても会えないっていうなら、私が無理矢理にでも連れて帰ります。そして、アチルさんの前で頭を下げて謝らせてやる!」
どれだけ叫ぼうと、何の返答も返さない美野里。
歯ぎしりと共に怒りが突き上がる。セリアは我を忘れる程にまかせて、手を伸ばし、その肩に掴みかかろうとした。
もし、抵抗するようであれば、叩き切る思いで…。
だが、その……直後。
「!?」
カチッ、と。
セリアの髪を纏めていた、髪留めが二つ落ちた。
五つある内の二つ。称号の力が覚醒した時と同じ……。
「ッ!」
美野里の表情が一変し、険しいものへと変わる。今まで何も表情を変えなかった彼女が突如と表情を一変させた。
そんな彼女の威圧に押されたセリア。今まで動かしていた手の動きが、止まった。
「っ」
「セリアちゃん、早くそれを拾って!」
美野里は直ぐさま、落ちた髪留めに手を伸ばそうする。
だが、それと同時に全身に衝撃が走った。それは痛みではない、まるで何かに無理矢理記憶を覗かれ、見透かされるような感覚。
まさか……、と眼を見開く美野里。
視線を髪留めから、セリアに向けた。だが、既に…………そこには、
「な、……なに……これッ」
眼を紅に変色し、止めていた髪の間から漏れる炎が慌ただしく揺らさせた、セリアが立っていた。
そして、その瞳には光がない。
それは以前の暴走とは違う。本当の意味での力が今まさに発揮されているのだ。
美野里がどれだけ声を掛けようとも、意味がない。
何故なら、セリアの精神はここではない………一人の少女の記憶へと誘導されたのだから…。
一人の少女には妹がいた。
親たちは単身赴任で家にはあまり帰ってこない。小遣いや家に住むためのお金は送ってくれる。しかし、それだけで妹や自身の生活が楽しいものになるとは、到底思わなかった。
だから、高校という場所を卒業した少女は大学に行くことも目標にはせず、働いた。
日々働いて、お金を稼ぎ、妹と笑いながら暮らしていく。
そう、あの時がくるまでは………思っていた。
月光の光を見た、……その次に視界に広がったのは、何もない、草原という光景だった。
『え、……ここ、どこ?』
一人、孤独にその場に座り込む少女。誰も助けのない、知らない世界へと呼び出された。
……………ブツン!! とそこで光景は入れ替わる。
『ライザムさん、ありがとうございます!!』
一人は、鎧のような防具を着た男に教えをこう少女の姿。
『ルーサー、なんで!!』
少女の身を守るため、一人立ち去ろうとする鍛治師の少年の姿。
『アチル、行くわよ!』
共に協力し、強敵のモンスターを倒そうとする。互いに笑い合うアチルと少女。
『何、フミカ?』
頭にバンダナを巻き、お姉さんのような立ち位置で声を掛ける女性。
この世界に来て、辛いことから始まった。
でも、数々の出会いが少女の心を癒やし、いつしかそこが少女の居場所となっていた。笑いながら、恋をしながら、時に頑張りながら、生きていた。
いつか、元の世界に戻れる。そう、心の奥で……信じて…。
そう、あの時がくるまでは…。
ポツ、ポツ、と雨が降り出す。
崩壊したインデールの都市。そこに住む人々からの殺意が向けられる中、少女は恋した少年の元にたどり着き、言葉を残す。
『私は、ルーサーのこと………大好きだよ』
身をボロボロにして、都市を救った。
それなのに、皆はこの地獄を少女のせいだと思い、怒り、恨み、殺意を向ける。
そんな中で、地に倒れる少年に告白する少女。
それが、終わった瞬間。
ザン!!! と三つの剣が胸を貫かれが、痛みと衝撃が少女を追い詰める。しかし、それだけで、終わりではなかった。
都市から、どこかわからない場所へと転移された少女。
暗い、洞窟。
剣が消え、地に落ちる体。傷口から血が流れ、視界がゆがむ。
イタい、イタい……。
血を吐きながら、少女が前を見た、……そこに、いたのは。
無数の赤い眼をもつ、黒狼たち。
ブシャ、グシャと、一斉に音が木霊した。
少女の意識は、そこで一度途絶えた…………。
『っやだ……もう、やめてッ』
まるで、貪りつくように。
骨と肉、そこにあるもの全てを、
『痛い、痛いよ!! もう食べなっやめッああああああああああああああああああああああああああ!!』
死んだ。死んだ。死んだ。そう思っても、また体が創られ、また繰り返す。
それはいつになっても終わることのない、永遠の地獄だった。
「ぁ、ぁあああ……あああ」
いつしか、感覚がおかしくなってきた。
手がどこにあるのか、足がどこにあるのか、髪が、眼が、何もかもが、あるのかないのかわからなくなってきた。
そして、心のなかで、友や知り合い、……生きてきた中で出逢った人たちの顔が浮かぶ。
支えが、次々と無くなっていく。友も、知り合いも、記憶にある今まであった人々の顔が消えていく。……だが、そんな中で最後に残ったのは、少女の心の支えにあった、一人の少年。消えることのない、その顔が脳内に浮かんだ。
少女は………そこで、初めて……、
「たべ、ない、…や、やだよ………た、助けてよぅ…ルーサー、ルーサーあああああああああああああああッ!!!」
思い、恋をし、助けてと叫ぶ。
でも、届かない。届くはずがない。
あの時、自身で繋がりを斬り、孤独になってしまったから。
今更、人らしい助けを呼応とも、もうすでに……………手遅れだった。
そうして、時間を待たずして、地獄は始まり終わり、また始まる。…………どれだけ、声を出そうとも、終わることのない……地獄が…。
ドン! バタン!! と音が続く。
セリアは頭を押さえながら、床に倒れ、呼吸を激しくさせ、涙を流す。
「ツ!!」
「しっかり、自分の意識を持ッて!!」
美野里は彼女の体を抱え、そう何度も言葉を叫ぶ。
だが、そんなことをしても、光景が止まらない。永遠と続く地獄のような記憶が、まるで自身の身に起きたように、痛みが、孤独が、セリアの精神を汚染する。
「や、やっだ…、やめて…やめて……! …もう、…みたくないッ! 見たくないッ!!
いや、いやッ、いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
泣き叫ぶセリア。
のたうち回るように暴れる姿はまさに精神が壊れる一歩手前まで近づいているようだった。このままでは不味い。美野里は歯を噛みしめ、左手に衝光の力を込めようとした。
だが、次の瞬間。
「ファクラー・フオン」
バン!! と光の衝撃がセリアの全身を襲う。
強烈な一撃が光景を見続けていた意識は消し去り、同時に髪から漏れていた炎が消える。
茫然とする美野里。
と、その後ろからコツコツと足音が聞こえてきた。
だが、今更誰だと叫ぶ必要はなかった。
「ありがとう、レムさん」
美野里が振り向いた先にいたのは、ローブを身に纏った、老婆の姿。
アンダーワールドの明かり、魔方陣を刻んだ張本人。魔法使いのレムボートは、口元を緩ませながらその場にやって来てくれたのだ。
レムボートは倒れるセリアに近づき、床に落ちていた二つの髪留めを拾い上げる。
手のひらに乗った二つの髪留め。
彼女はその二つに小さく魔法を唱え、光を纏わせる。
そして、セリアの髪に付けられた髪留め、他三つを見つつ、元の場所へと着け治した。
「何とか、これで治まったみたいじゃな」
レムボートはそう言って、小さく溜め息をつく。
美野里も同様に息をついた。
「どうやらこの髪留めが称号の力を封じ込めていたみたいじゃな」
「………」
「…おんしのせいじゃない。たまたま、偶然が重なっただけじゃ」
「で、でも…」
「それに美野里ちゃんもまさか勇者の称号が自分と同じとは思わなかったんじゃろ? なら、それこそ自分を責めちゃいかんよ」
「…………………」
「まぁ、これでこの娘も無理矢理に美野里ちゃんを連れて帰ろうと思うことはない、結果は結果じゃが、まぁよかったんじゃろ」
そう言って、笑うレムボート。
だが、とうの美野里は未だ気を落とし、静かにセリアを見つめていた。
(気にするな、というほうが酷じゃのぅ)
レムボートはそんな彼女を見つめ、この数ヶ月前のことを思い出す。
それは、初めて美野里と出会った…………半年前のことを。
アンダーワールドでも問題だった黒狼の出没がメッキリと減った。
民からの知らせを受けたレムボートは一度様子を見るため、足を動かし黒狼の住処となる場所に潜入した。
当然、体の臭いや気配を殺す魔法を纏い、気づかれることをせずに、だが。いざ潜入したはいいものの、何故か一向に黒狼の姿が見えない。
疑問を抱きながら、レムボートは足を動かし、ついてにネグラであろう場所へとやって来た。
だが、そこで彼女が見たものは、
「なんじゃ、これは…」
異様な光景だった。
ある一点に集中する黒狼たち。
その場周囲には大量の血が湖のように広がり続けていた。
鉄の錆びたような臭い、荒い狼たちの息づかい。
異様過ぎる……、身の危険を感じたレムボートは一度撤退を考え、その場を退こうとした。だが、その時だった。
「……!?」
溜まる黒狼の中心で、あるものを見つけてしまったのだ。
それは血に染まった一本の腕。
ゆっくりと動き、天井に向かって手を伸ばす……人間の腕だ。
血の気が引いた瞬間だった。普段から色々と考え、先に杖を叩いて歩くほどに用心深かったレムボートでさえ、無意識だった。
行動は速く、その手に向かって転移の印を唱え、付ける。
そして、転移魔法と同時にその場から二つの存在は姿を消した。
転移した先は、アンダーワールドの住処。
溜まり場となる中央広場だった。周りの人々は初めレムボートが帰ってきたことにお帰り、と声を出そうとした。
だが、それもつかの間、彼女と一緒に現れたモノを見た直後、皆の言葉は詰まり表情は一変して驚愕へと染まることとなる。
何故なら、レムボートの手の中には…、
「誰でもよい、手当の準備をしてくれ!!」
血を浴び、流し続ける美野里の姿があったからだ。
急ぎ、人々は手当に必要な物を取りに家へと戻る。その間にレムボートは美野里を地に寝かせ、状態を再度確かめた。
(酷い傷じゃ……、骨も折られ……体の全部が噛み痕で埋め尽くされておる。それに、なんじゃ、この右腕は…)
血に染められた体。無事でない、指や耳、骨や肉、……さらには黒く染まった右腕と髪の毛……あまりに悲惨な状態だった。
助かる見込みが少ない、レムボートでさえ、そう思ってしまった。
だが、その時。
「!?」
突如、淡い光が美野里の全身から発せられ、それと同時に傷が癒えていく。
肉も骨も、元の状態へと戻っていく。
だが、何故か右腕は黒いまま治る兆しすら見えない。
あまりにも常識外れの光景に動揺を隠せないレムボート。だが、そこでゆっくりと美野里の瞳が開いた。
「ッ! 大丈夫か、しっかりするんじゃ!!」
「……ぁ、…ぁ……」
「なんじゃ、何か言いたいのか! はよ、言ってみい!」
声が上手く発生ない美野里。
それほどまでの重傷を負っていたのだ、おかしいことではない。
美野里の口元に耳を近づけるレムボート。
注意深く、聞き逃さないようにして耳を澄ました。
そして、そんな状況の中で……美野里は………………言う。
「……る、…ぅさ………た、ぁす…………け、ぇて…………たぁ、すけ……て…っ」
機能をなくした右目とは違う。
虚ろとした左眼から涙を流し、たった一人の少年の助けを待つ、言葉。
何もかもをなくした少女が、唯一望んだ言葉だった。
そして、それがレムボートと町早美野里。二人の初めての出会いだった。
気を失ったセリアをベッドへと運ぶレムボート。
静かに息を吐きながら、後ろに立つ美野里へと振り返る。
そして、さっきまで思い出していた事を思いながら、彼女は美野里へ尋ねようとする。
「美野里ちゃん、もし、…よけれ」
「レムさん、大丈夫だよ」
だが、その先の言葉を言わせてはくれなかった。
切なげな表情を浮かべる美野里が、小さく口元を緩めながら、
「私は、大丈夫だから」
そう安心させるように、言葉を言うだけだった。
それしか、……言えなかった…。
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