甘いSpice

恵蓮

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不安は意地悪に煽られる

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「明日、デートしようぜ。お姫様みたいにエスコートしてやる。嫌でも、努力するかって気にさせてやるから」


郡司さんはコーヒーを啜りながら、まるで呼吸するように流暢に誘いかけてくる。
それには私も肩をがっくりと落とし、溜め息をついた。


「私に彼がいるの知ってるくせに。なに簡単に誘ってるんですか」


呆れて物も言えない、という気分で、私は目を伏せて何度か首を横に振った。
郡司さんは、「な~に」と軽い調子で返してくる。


「若槻さんに彼氏がいるのは、隔月、一年に六回。金曜日と週末二日間。要は年間十八日だけ」

「……はい?」

「その何倍もオフィスで会ってる俺にとって、そんな浅い彼氏、障害にもならない」


郡司さんは、なかなか腹立たしいことを随分と平然と言ってのける。
さすがに呆気にとられて黙り込んだ。
だけどしっかり彼の横顔を見上げ、大きく息を吸い……。


「お断りします」

「即答かよ。企画案に協力する気ないのか?」

「だからって。なんで私が、郡司さんとデートしなきゃなんないんですか」


私はそう言って、両手で持った紙コップに視線を落とす。


「仕事にかこつけて誘ってくる女は相手にしないって言ったくせに。郡司さんのやってること、矛盾してるじゃないですか」

「誘ってくる女はな。俺が出ないと、いつまでもお前とは平行線だし。やむを得ない」


郡司さんはふてぶてしくそう言って、喉を仰け反らせてコーヒーを飲み干した。
私は一度自分を落ち着かせようとして、カフェオレに「ふーっ」と息を吹きかける。
意識してゆっくりと一口飲んで、喉を潤す。


「郡司さんのお誘いはお受けできません。女性が着飾って綺麗になりたい気持ちは、郡司さんの、星の数ほどいる『彼女』に聞いてください」


私の返事に、郡司さんはわかりやすくムッとして口をへの字に曲げる。


「なんの言いがかりだ。星の数ほど女なんかいねえよ」

「間違えた。『彼女』じゃなくて、日替わりの遊び相手」

「……お前が俺を普段どういう目で見てるか、わかりやすい答えだな」


郡司さんはお腹の底から太く深い息を吐き、忌々しげにギュッと紙コップを握りしめる。
それをポイッとダストボックスに放って捨てた。
そして、まだムッとした表情のまま、くるりと回って私と正面から向かい合う。
一歩踏み込まれて、私はわずかに怯みながら、反射的に後ずさった。


「なあ、若槻さん。お前、いつから遠恋始めたんだ?」

「えっ?」

「始まった当初は、彼氏の方ももうちょっとマメだったんじゃないかな、と思ってね」


意味深に眉尻を上げて言われ、私はギクッと顔を強張らせた。
郡司さんは、私の反応に満足した様子で、大きく胸を反らせる。


「やっぱり、ね。彼氏、そのうち来なくなるんじゃないか?」

「っ……」


涼しい顔をしていけしゃあしゃあと失礼なことを畳みかけてくる郡司さんに、私は怒りよりも呆然として絶句した。
それでも、ここで言い返せずに黙っていては、いつものパターンで押し切られてしまう。


「いくらなんでも、一方的に失礼じゃないですか?」


喉に声を引っかからせながらも、私は必死にそう言った。
自分の言葉で背を押された気分で、顎を上げて郡司さんを睨みつける。
それに、彼はふんと笑った。


「一般論だよ。東京に来る時間を徐々に減らして、他の女と過ごす時間に充てていく。やがて、そっちに完全シフト。誰でも知ってる、遠恋崩壊のセオリーだ」

「なっ……!」


当たり前のような顔をして、とんでもないことばかり言う人だ。
そんな言い方……忍が浮気してると言っているようにしか聞こえない。


「勝手に決めつけないでください。忍は郡司さんと違って、誠実な人なんだから!」

「俺と違って誠実……ねえ」


必死に怒りを堪えたものの、口を突いて出たのは郡司さんへの辛辣な言葉だった。
そしてもちろん、彼は不機嫌に顔をしかめる。


「だったら、次にお前が彼氏に会いに行く時は、精一杯お洒落するのは休憩して、彼氏の変化を探してみろ」

「っ、え?」


眉をひそめる郡司さんに、私は一瞬怯んでしまう。
言葉の意図を探って唇を結ぶと、郡司さんは軽くネクタイの結びを弄りながら、妙に雰囲気のある薄い笑みを浮かべた。


「ちゃんと彼氏の部屋の様子、隅々まで確認しておいで」


口角を上げて意地悪に言われて、私は返事に窮してしまった。
それでも、なんとか自分を奮い立たせる。


「なにが言いたいんですか」

「女って。自分の努力の成果に気付かせることに必死で、男の変化には無頓着なんだよ。だから、次回は冷静になって、相手の変化を探してみろってこと」


どこかねっとりとした嫌らしい言い方に、私はムッとしながら口ごもった。


「彼氏の見た目、雰囲気……部屋に女の痕跡がないか、細かにチェックしてみろ」


明らかな悪意しか感じない言葉に、私の胸はざわざわと嫌な音を立てる。
それなのに、脇に垂らした両手を固く握りしめるだけでなにも言い返せなかったのは、郡司さんが言ったことに、確かに引っかかりがあったからだ。
忍が会社の独身寮じゃなくマンションを借りていることは、最初に引っ越しの手伝いに行ったから知っている。
でも、その後、忍が私の部屋に泊まりに来てくれるだけで、私は行ったことがなかった。
私が行きたいと言っても、いつもシフトを理由に断られてしまったから。
変化もなにも……あったとしても、私に気付けるわけがない。


郡司さんは胸の前で腕組をしながら、反論しない私をジッと観察していた。
そして、意地悪にほくそ笑む。


「綻び、見つけた」

「……え?」

「いや。俺に言われなくても、気になる節はあったんだろ?」


ニヤリと笑って畳みかけられ、私は逃げるように視線を逸らした。


「来てくれる頻度が減ったのは……忍が責任ある仕事任されていて、二年目を迎えて忙しくなっただけです」


黙ったままでは、郡司さんに言い負かされてしまう。
なんとか反論点を見つけて、大きく息を吸ってからそう言った。


「なるほど、やっぱりか。間違いなく、他に手近な女がいるな」


なのに郡司さんは、私を面白そうに覗き込み、瞳の奥まで射貫いてくる。
私は小さく息をのんで、彼を睨みつけた。


「近場で性欲が発散できる相手がいるなら、なにもはるばる東京に来て、若槻さんと会う意味はない。そのくらい、お前にだってわかるだろ」

「っ……」


聞き捨てならない言い草に、怒りが込み上げる。
それでも敢えて無言を貫いたのは、もう郡司さんなんか相手にしないという意思表示のつもりだった。


「相手に誠意が残ってるうちは、まだ救いがあるけど。お前は少し疑うってことを覚えろ。泣かされるぞ」


郡司さんがさらりと言い捨てた言葉が、私の胸にグサッと刺さる。
不覚にも、私は絶句してしまった。
郡司さんは気を取り直すように、私の頭をポンと叩く。


「明日。迎えに行く。今週末はどうせ暇だろ?」


郡司さんは最後に軽い誘いを押しつけて、私の横を通り過ぎていった。
私はその場に立ち尽くしたまま、手にしている紙コップに視線を落とした。
すっかり冷めたカフェオレが、まだ半分くらい残ってる。
瞳に力がこもっていないのか、優しい茶色の液体がぼやけて滲む。


背後でリフレッシュルームのドアが閉まる音が聞こえて、私は無意識に唇を噛んでいた。
頭に乗せられた手を振り払わなかったのも、週末の誘いに『来ないで』と強い口調で断れなかったのも、郡司さんの言葉に不安を煽られたからだ。
忍が部屋を出て行く背中を見る度に、最近いつも感じる『次は来ないんじゃないか』という不安を裏付けされてしまったみたいで、足元が覚束なく感じるほど、心が揺れた。


「な、に、混乱してるの……」


自分をそう叱咤して、強張った笑い声をあげた。


「あの人の言うことなんか気にしないで、私は忍を信じていればいい」


そう言いながらも足から力が抜けていき、私はその場にしゃがみ込んだ。
この間、聡美と話した時も心に引っかかった、なにかの正体に気付く。
忍はシフト勤務だもの。
『次』を約束できないのは仕方がないとわかっていても、信じて連絡を待つ自信がなくなっていく。
私と忍の間に、縋れるほどの『絆』はあるんだろうか……。
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