38 / 39
アフターストーリー
10
しおりを挟む
冬の澄んだ空気のせいだろう。
水玉模様の窓からは、湾の向こう側にある時計塔まで見渡せた。
「いい天気ね」
誰ともなくそう言って、私は編み物の手を止めて伸びをした。
最近は専ら、窓の近くに置かれたこの椅子に座って過ごしている。
暇つぶしに始めたレース編みだが、やってみたら意外にハマってしまって、始めた頃に比べたらかなり上達したと思う。
(そういえば、割と凝り性だとか占いで言われたことがあったわね)
思い出し苦笑する。
それこそ何十枚も作成したレースのハンカチを、ジェイド様はいつも喜んでもらってくれるけれど、そろそろ供給過多だろう。
最初の頃に作った下手くそなハンカチはもう捨ててもらって構わないと言っているのに、彼は1枚も捨てることなく大事そうに使っている。
私が産むことを決めた後も、彼は変わらず優しかった。
心配でたまらないのだろう。家にいる間はほとんど私から離れなくなって、悪阻のひどい時なんて、ずっと張り詰めた顔をしていた。
でも、彼が心配するのは私だけで。
自分からはおなかの子を話題にしないし、膨らんできたおなかに触ることもなかった。
ジェイド様は、この子を受け入れていない。
それは仕方のないことだと・・・頭ではわかっているのに、彼がこの子を避ける度に、私の胸には一種の寂しさのような感情が浮かんでは消えた。
でも彼は、妊娠を告げたあの日から、潔癖すぎるくらい頑なに、血の呪いから遠ざけようとしてくれている。
口付けることもしなくなり、私からせがんでも、困り顔で抱きしめるだけで。
きっと彼も、心のどこかではこの子を大切に思ってくれている。
そう信じられたから、胸に去来する寂しさも、見ないふりをしてやり過ごせた。
ノックと共に現れたジェイド様から、いつもの花束と共に、小さな箱を渡される。
「これは?」
開けてみて、と言われリボンを解く。
「わぁ・・!」
出てきたのは、うさぎの飴だった。
細い棒の先に、ピンクのフリルの襟をつけ、長い耳をピン!と立たせた白うさぎがお行儀良くすわっている。
「マザレイの飴飾りね!」
そうだ、そんな時期だった。
色々あって、この数年すっかり頭から抜け落ちていた。
白い体躯も、光沢のあるピンクの美しいフリルも、すべて飴細工だ。
繊細なつくりにうっとりしながら、細部をまじまじと見ていて気がついた。
うさぎには珍しい、ダークブルーの瞳。
脳裏に、同じダークブルーの瞳を持ったあの人が思い浮かぶ。
私がこの飴飾りの話をした、ごく限られた人物の中の1人。
「ふふ・・」
思わず笑みが溢れた。
「なに?どうしたの?」
くすくす笑う私に、ジェイド様が怪訝そうにしている。
「ジェイド様、これ、誰からのお届け物ですか?」
うさぎの顔をジェイド様に向けて見せる。
うさぎの目の色に気づいた途端、ジェイド様は憮然として悪態をついた。
「・・・何が『私からとは言わなくていい』だ。忌々しい・・!」
彼は声を上げて笑う私を抱きとめて、堪えきれない様子で矢継ぎ早に質問してきた。
「ロゼッタ、大公とはどこで知り合った?何で知ってるんだ?あの男はどこまで」
「大公?」
え、あの人、大公だったの?
今更ながらに知って驚く。
高貴な方だろうなとは思っていたけれど、まさか大公だったとは。
こんな愉快な気分になるのは久しぶりで、まだしばらく彼の正体は伏せておくことにした。
「秘密です」
彼の口を手で塞ぎながらにっこり笑うと、ジェイド様はいかにも面白くないという顔をした。
「今日、いらしてたんですね」
そう言うと、ジェイド様が決まり悪そうに目を逸らす。
「本当は・・君に会いにきた。それを持って。」
私は手にしたうさぎに視線を移した。
(あの日の他愛もない話を、大公は覚えててくれたのね・・)
胸に温かいものが広がる。
じっと見つめていると、すましたうさぎの顔が、大公に似ているように見えなくもない。
「うさぎは、安産の象徴なんだそうだ」
唐突にそう言われて、私はパチパチと瞬きをした。
安産、なんて言葉がジェイド様の口から出てきたのが信じられなくて。
「今年のテーマがうさぎだったのは、ただの偶然だけど・・・その意味を聞いて、例え貰い物でも、これは僕から君に手渡したくなった。ロゼッタ、僕は・・・」
それから彼は、迷うかのように何度か口を開いたり閉じたりした。
「僕の血は絶やすべきだと、ずっと思ってきた。血のせいだけじゃ無い。これまでの僕の所業も・・・僕が父親になんてなるべきじゃない。僕の子だなんて、生まれたとしてもきっと幸せになれない。」
そこまで聞いて、思わず口を挟んでしまう。
「・・・生まれる前から、不幸せが決まっている人なんていないわ。」
彼は薄く微笑んだ。
「そうだね。どんな逆境でも、道を切り拓く強さを人は持っている。・・君みたいに。」
その手が、私の頬にそっと触れる。
「でも僕の呪いは、そんな期待すらさせてくれないほど、いつも僕を打ちのめすんだ。・・僕の運命から、君だけは死守するつもりだった。僕は・・おなかの子が恐ろしかったんだ。僕から君を奪い去るんじゃないかって・・」
「ジェイド様・・」
「もし、君に何かあれば僕はきっとこの子を恨むだろう。僕はね、ロゼッタ。もう、誰かを恨んで生きたくなかった。生きながら地獄に身を置くあの日々を、繰り返したくなかった。自分の子どもまで、恨みたくなかったんだ。」
そう言う彼の赤い瞳は切実で、私は何も言えなかった。
「でも・・やっと気づいたんだ。もう、僕1人の運命じゃない。僕は、君たちの運命と共にある。僕ら家族の運命は、まだ誰にもわからない。自分の運命に囚われて、未来を信じないのはもうやめる。」
抱き寄せられて、彼の胸に顔を預ける。
「今まで不安にさせて、すまなかった」
私の目からこぼれる涙が、次々と彼の服に吸い込まれていく。
「来年、マザレイのお祭りを見に行こう。3人で。」
黙って何度も頷く私の背を、彼はずっと撫で続けてくれた。
水玉模様の窓からは、湾の向こう側にある時計塔まで見渡せた。
「いい天気ね」
誰ともなくそう言って、私は編み物の手を止めて伸びをした。
最近は専ら、窓の近くに置かれたこの椅子に座って過ごしている。
暇つぶしに始めたレース編みだが、やってみたら意外にハマってしまって、始めた頃に比べたらかなり上達したと思う。
(そういえば、割と凝り性だとか占いで言われたことがあったわね)
思い出し苦笑する。
それこそ何十枚も作成したレースのハンカチを、ジェイド様はいつも喜んでもらってくれるけれど、そろそろ供給過多だろう。
最初の頃に作った下手くそなハンカチはもう捨ててもらって構わないと言っているのに、彼は1枚も捨てることなく大事そうに使っている。
私が産むことを決めた後も、彼は変わらず優しかった。
心配でたまらないのだろう。家にいる間はほとんど私から離れなくなって、悪阻のひどい時なんて、ずっと張り詰めた顔をしていた。
でも、彼が心配するのは私だけで。
自分からはおなかの子を話題にしないし、膨らんできたおなかに触ることもなかった。
ジェイド様は、この子を受け入れていない。
それは仕方のないことだと・・・頭ではわかっているのに、彼がこの子を避ける度に、私の胸には一種の寂しさのような感情が浮かんでは消えた。
でも彼は、妊娠を告げたあの日から、潔癖すぎるくらい頑なに、血の呪いから遠ざけようとしてくれている。
口付けることもしなくなり、私からせがんでも、困り顔で抱きしめるだけで。
きっと彼も、心のどこかではこの子を大切に思ってくれている。
そう信じられたから、胸に去来する寂しさも、見ないふりをしてやり過ごせた。
ノックと共に現れたジェイド様から、いつもの花束と共に、小さな箱を渡される。
「これは?」
開けてみて、と言われリボンを解く。
「わぁ・・!」
出てきたのは、うさぎの飴だった。
細い棒の先に、ピンクのフリルの襟をつけ、長い耳をピン!と立たせた白うさぎがお行儀良くすわっている。
「マザレイの飴飾りね!」
そうだ、そんな時期だった。
色々あって、この数年すっかり頭から抜け落ちていた。
白い体躯も、光沢のあるピンクの美しいフリルも、すべて飴細工だ。
繊細なつくりにうっとりしながら、細部をまじまじと見ていて気がついた。
うさぎには珍しい、ダークブルーの瞳。
脳裏に、同じダークブルーの瞳を持ったあの人が思い浮かぶ。
私がこの飴飾りの話をした、ごく限られた人物の中の1人。
「ふふ・・」
思わず笑みが溢れた。
「なに?どうしたの?」
くすくす笑う私に、ジェイド様が怪訝そうにしている。
「ジェイド様、これ、誰からのお届け物ですか?」
うさぎの顔をジェイド様に向けて見せる。
うさぎの目の色に気づいた途端、ジェイド様は憮然として悪態をついた。
「・・・何が『私からとは言わなくていい』だ。忌々しい・・!」
彼は声を上げて笑う私を抱きとめて、堪えきれない様子で矢継ぎ早に質問してきた。
「ロゼッタ、大公とはどこで知り合った?何で知ってるんだ?あの男はどこまで」
「大公?」
え、あの人、大公だったの?
今更ながらに知って驚く。
高貴な方だろうなとは思っていたけれど、まさか大公だったとは。
こんな愉快な気分になるのは久しぶりで、まだしばらく彼の正体は伏せておくことにした。
「秘密です」
彼の口を手で塞ぎながらにっこり笑うと、ジェイド様はいかにも面白くないという顔をした。
「今日、いらしてたんですね」
そう言うと、ジェイド様が決まり悪そうに目を逸らす。
「本当は・・君に会いにきた。それを持って。」
私は手にしたうさぎに視線を移した。
(あの日の他愛もない話を、大公は覚えててくれたのね・・)
胸に温かいものが広がる。
じっと見つめていると、すましたうさぎの顔が、大公に似ているように見えなくもない。
「うさぎは、安産の象徴なんだそうだ」
唐突にそう言われて、私はパチパチと瞬きをした。
安産、なんて言葉がジェイド様の口から出てきたのが信じられなくて。
「今年のテーマがうさぎだったのは、ただの偶然だけど・・・その意味を聞いて、例え貰い物でも、これは僕から君に手渡したくなった。ロゼッタ、僕は・・・」
それから彼は、迷うかのように何度か口を開いたり閉じたりした。
「僕の血は絶やすべきだと、ずっと思ってきた。血のせいだけじゃ無い。これまでの僕の所業も・・・僕が父親になんてなるべきじゃない。僕の子だなんて、生まれたとしてもきっと幸せになれない。」
そこまで聞いて、思わず口を挟んでしまう。
「・・・生まれる前から、不幸せが決まっている人なんていないわ。」
彼は薄く微笑んだ。
「そうだね。どんな逆境でも、道を切り拓く強さを人は持っている。・・君みたいに。」
その手が、私の頬にそっと触れる。
「でも僕の呪いは、そんな期待すらさせてくれないほど、いつも僕を打ちのめすんだ。・・僕の運命から、君だけは死守するつもりだった。僕は・・おなかの子が恐ろしかったんだ。僕から君を奪い去るんじゃないかって・・」
「ジェイド様・・」
「もし、君に何かあれば僕はきっとこの子を恨むだろう。僕はね、ロゼッタ。もう、誰かを恨んで生きたくなかった。生きながら地獄に身を置くあの日々を、繰り返したくなかった。自分の子どもまで、恨みたくなかったんだ。」
そう言う彼の赤い瞳は切実で、私は何も言えなかった。
「でも・・やっと気づいたんだ。もう、僕1人の運命じゃない。僕は、君たちの運命と共にある。僕ら家族の運命は、まだ誰にもわからない。自分の運命に囚われて、未来を信じないのはもうやめる。」
抱き寄せられて、彼の胸に顔を預ける。
「今まで不安にさせて、すまなかった」
私の目からこぼれる涙が、次々と彼の服に吸い込まれていく。
「来年、マザレイのお祭りを見に行こう。3人で。」
黙って何度も頷く私の背を、彼はずっと撫で続けてくれた。
982
あなたにおすすめの小説
いつまでも甘くないから
朝山みどり
恋愛
エリザベスは王宮で働く文官だ。ある日侯爵位を持つ上司から甥を紹介される。
結婚を前提として紹介であることは明白だった。
しかし、指輪を注文しようと街を歩いている時に友人と出会った。お茶を一緒に誘う友人、自慢しちゃえと思い了承したエリザベス。
この日から彼の様子が変わった。真相に気づいたエリザベスは穏やかに微笑んで二人を祝福する。
目を輝かせて喜んだ二人だったが、エリザベスの次の言葉を聞いた時・・・
二人は正反対の反応をした。
腹に彼の子が宿っている? そうですか、ではお幸せに。
四季
恋愛
「わたくしの腹には彼の子が宿っていますの! 貴女はさっさと消えてくださる?」
突然やって来た金髪ロングヘアの女性は私にそんなことを告げた。
結婚から数ヶ月が経った頃、夫が裏でこそこそ女性と会っていることを知りました。その話はどうやら事実のようなので、離婚します。
四季
恋愛
結婚から数ヶ月が経った頃、夫が裏でこそこそ女性と会っていることを知りました。その話はどうやら事実のようなので、離婚します。
私は私を大切にしてくれる人と一緒にいたいのです。
火野村志紀
恋愛
花の女神の神官アンリエッタは嵐の神の神官であるセレスタンと結婚するが、三年経っても子宝に恵まれなかった。
そのせいで義母にいびられていたが、セレスタンへの愛を貫こうとしていた。だがセレスタンの不在中についに逃げ出す。
式典のために神殿に泊まり込んでいたセレスタンが全てを知ったのは、家に帰って来てから。
愛らしい笑顔で出迎えてくれるはずの妻がいないと落ち込むセレスタンに、彼の両親は雨の女神の神官を新たな嫁にと薦めるが……
『親友』との時間を優先する婚約者に別れを告げたら
黒木メイ
恋愛
筆頭聖女の私にはルカという婚約者がいる。教会に入る際、ルカとは聖女の契りを交わした。会えない間、互いの不貞を疑う必要がないようにと。
最初は順調だった。燃えるような恋ではなかったけれど、少しずつ心の距離を縮めていけたように思う。
けれど、ルカは高等部に上がり、変わってしまった。その背景には二人の男女がいた。マルコとジュリア。ルカにとって初めてできた『親友』だ。身分も性別も超えた仲。『親友』が教えてくれる全てのものがルカには新鮮に映った。広がる世界。まるで生まれ変わった気分だった。けれど、同時に終わりがあることも理解していた。だからこそ、ルカは学生の間だけでも『親友』との時間を優先したいとステファニアに願い出た。馬鹿正直に。
そんなルカの願いに対して私はダメだとは言えなかった。ルカの気持ちもわかるような気がしたし、自分が心の狭い人間だとは思いたくなかったから。一ヶ月に一度あった逢瀬は数ヶ月に一度に減り、半年に一度になり、とうとう一年に一度まで減った。ようやく会えたとしてもルカの話題は『親友』のことばかり。さすがに堪えた。ルカにとって自分がどういう存在なのか痛いくらいにわかったから。
極めつけはルカと親友カップルの歪な三角関係についての噂。信じたくはないが、間違っているとも思えなかった。もう、半ば受け入れていた。ルカの心はもう自分にはないと。
それでも婚約解消に至らなかったのは、聖女の契りが継続していたから。
辛うじて繋がっていた絆。その絆は聖女の任期終了まで後数ヶ月というところで切れた。婚約はルカの有責で破棄。もう関わることはないだろう。そう思っていたのに、何故かルカは今更になって執着してくる。いったいどういうつもりなの?
戸惑いつつも情を捨てきれないステファニア。プライドは捨てて追い縋ろうとするルカ。さて、二人の未来はどうなる?
※曖昧設定。
※別サイトにも掲載。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる