婚約破棄 ~ガチでやられると結構キツい~

オフィス景

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29 アリサの道

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 アリサは改めて自分の前に置かれた物体をまじまじと見つめた。

 元は円形だったが、切り分けられた今は三角形をしている。

 表面は茶色かったが、断面は薄い黄色。

 そして、そこはかとなく芳しい香りが漂っている。どこか記憶にある香りなのだが、アリサはそれが何だか思い出せなかった。

 真剣な表情で見つめてくるサンディに頷いて見せたケントがフォークに刺したそれを口に運ぶ。

 しっかりと味わったケントは、サンディに向けて笑顔で親指を立てた。

「うん、美味い」

「よかった」

 サンディの表情が緩む。

「これなら十分売り物になるなーーアリサも食べてみな。美味いぞ」

「う、うん……」

 おそるおそる食べてみたアリサの目が真ん丸に見開かれた。

「何これ!?」

 まずはしっとりした食感に驚く。これまでに体験したことのない優しい口当たりとともにふんわりとした上品な甘さが口いっぱいに広がった。

 陶然としかけたところにそこはかとない香ばしさが後追いでやって来た。

「…これ、チーズ……?」

 香ばしさの正体に思い至ったアリサは、衝撃に身震いした。チーズはアリサの大好物だったのだが、こんな使い方があるなんて夢にも思わなかった。

「美味しい……」

 もう一口食べてみる。じっくりと味わいながら、全神経を口内に集中させる。

「ああ……」

 アリサは深く息を吐いた。どんな言葉も、この絶対的な美味さの前には陳腐に思えた。

 ただ美味しかった。

「気に入った?」

 悪戯を成功させたヤンチャ坊主の笑顔でケントは訊いた。

「こんなものがあるなんて……もしもこれを知らずに死んでいたらと思うとゾッとするわ」

 大袈裟な、と思ったケントだったが、アリサの顔があまりに真剣だったため、口には出さなかった。

「もしかして、これもケントが考えたの?」

「まあ、そういうことになるのかな?」

「ありがとう。わたしにこれを食べさせてくれて、本当にありがとう」

 アリサはケントの手をとって、ブンブンと振り回した。

「そこまで喜んでもらえるなら、こっちとしても嬉しいよ」

 ケントは、にっこり笑って後を続けた。

「これ、何なの?」

「チーズケーキ。気づいたと思うけど、生地にチーズを使ってるんだ。美味いだろ?」

「ケント、天才よ」

 ケントが考案したわけではないのだが、話がややこしくなるので、そこは黙っておくことにする。

「ーーで、アリサにはここで働いてもらおうかと思ったんだけど」

「こっちはかまわないよーーっていうか、ぜひお願いしたい。このチーズケーキを扱っていくとなると、どう考えても手が足りないからね」

 サンディはニコニコしている。

「わたしでいいんですか?」

「第一印象だけど、あんたとなら上手くやっていけそうだ。じゃあ、決まりってことでいいかい?」

「よろしくお願いします!」

 アリサは笑顔を弾けさせた。

 こうしてアリサはケーキ職人への道を歩き出すことになった。

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