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第1話「目覚めたら、土が死んでいた」
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最初に感じたのは、背中に無数の針が突き刺さるような鋭い痛みだった。いや、これは藁か。
次いで、カビ臭さと乾いた土埃が混じった、鼻の奥を不快に刺激する匂いが肺を満たす。遠くで聞こえるのは、聞いたこともない鳥の甲高い鳴き声だ。
そんな五感への容赦ない攻撃で、少年――アロンの意識は、まどろみの淵から乱暴に引きずり出された。
薄暗い小屋だった。
粗末な木の壁の隙間から、朝の白い光が幾筋も鋭く差し込んでいる。見上げた天井は低く、梁には乾燥した薬草らしきものが束ねて吊るされていた。
寝床は、藁を敷き詰めただけのもの。背中が痛むのも無理はない。
「……どこだ、ここ」
絞り出した声は、自分のものであるはずなのに、やけに幼い響きをしていた。
アロンはゆっくりと体を起こす。視界に入った自分の手は、日に焼けてはいるが、あまりに小さく、細い。10歳になるかならないか、といったところだろうか。
『いやいや、俺は確か、三十路手前の農家の長男だったはず。実家の畑で、最新鋭のトラクターを夜通し走らせて……そうだ、そのまま気を失って』
そこまで思い出した瞬間、奔流のように膨大な情報が脳内になだれ込んできた。
この体の持ち主である「アロン」の、10年分の記憶。
この村の名はカペル。フェルメル公爵領の、そのまた端にある貧しい開拓村。両親は健在で、下にまだ幼い妹が一人。そして、ここ何年も続く不作で、村全体が絶望的な飢えにあえいでいること。
「マジか……。流行りの異世界転生ってやつか」
頭を抱えるアロンの耳に、か細い声が届いた。
「お兄ちゃん、起きたの」
入り口に立っていたのは、5歳くらいの小さな女の子。アロンの妹、ミリアだ。ほころびだらけの服を着て、大きな瞳で心配そうにこちらを見ている。
「ああ、おはよう、ミリア」
自然と、記憶にある名前が口をついて出た。
ミリアはほっとしたように笑うと、小さな足でとてとてと駆け寄ってくる。
「朝ごはん、できてるよ。今日は黒パンと、スープだって」
「そっか。ありがとう」
ミリアの柔らかな髪を撫でてやりながら、アロンは立ち上がった。
質素な木のテーブルの上には、二つの粗末な器。一つには、炭と見紛うばかりの黒くて硬いパン。もう一つには、得体の知れない根菜が数切れ浮かぶ、味の薄そうなスープ。
これが、この世界の、この村の日常だ。
『……前世の朝飯は、炊き立てのコシヒカリに、豆腐とワカメの味噌汁、それから自家製キュウリの浅漬けだったんだがなあ』
あまりの落差にめまいがしそうだ。
しかし、アロンの腹の虫は正直だった。ぐぅ、と情けない音が部屋に響く。生きているのだから、腹は減る。
アロンは覚悟を決め、石のように硬い黒パンを手に取った。それをスープに浸し、ふやかして無理やり喉の奥へと流し込む。
美味いか不味いかで言えば、議論の余地なく不味い。酸味と、微かな土の味がするだけだ。だが、今はこれが命を繋ぐ糧なのだ。
食事を終えると、父親のゲイルが古びたクワを肩に家を出ていった。母親のセーラは、洗濯物の入った桶を抱えて共同の洗い場へ向かう。
家に残されたのはアロンとミリア。
ぼんやりと窓の外を眺めていたアロンは、ふと、あることを思い出した。
『この家の裏に、小さな畑があったはずだ』
アロンの記憶がそう告げている。
彼は、何か確かめずにはいられない衝動に駆られ、家の裏手へと回った。
そこには、記憶の通り、5坪ほどの小さな畑があった。いや、畑と呼ぶのもおこがましい、ただの空き地だ。雑草がまばらに生え、地面はカチカチに乾ききってひび割れている。かろうじて植えられているのは「カレル芋」と呼ばれる、この世界の主食らしい芋。しかし、その葉は黄色く変色し、見るからに生気がない。
アロンは、無意識にその畑に足を踏み入れ、一握りの土を手に取った。
指先で、土の感触を確かめる。ざらざらとして、生命の温もりがまるでない。栄養という栄養を吸い尽くされ、完全に沈黙してしまった土だ。
前世で30年近く土と向き合ってきたアロンには、それが痛いほどよくわかった。
『こんな土じゃ、何も育つわけがない。肥料もやらず、連作障害も考えず、ただひたすら搾取し続けた成れの果てだ』
絶望的な状況に、天を仰ぎたくなる。
だが、その瞬間。
アロンの脳内に、奇妙な感覚が流れ込んできた。
『土壌分析……完了。窒素、リン酸、カリウム、いずれも致命的に不足。有機物含有量、極小。土壌硬度、極めて高。保水性、皆無。……結論:この土は死んでいます』
まるで機械音声のような情報。
そして、目の前の土が、色を失った灰色に淀んで見えた。これが、彼の言う「死んでいる」状態なのだろう。
「なんだ、これ……」
アロンは呆然とつぶやいた。
これが、この体に宿った力だというのか。
彼は試しに、畑の隅でかろうじて緑の葉をつけている雑草の根元に手をかざしてみた。
すると、また脳内に声が響く。
『植物活性……実行しますか?』
『……とりあえず、イエスで』
心の中でそう念じると、手のひらから温かい光がふわりと放たれ、雑草に吸い込まれていく。
次の瞬間、信じられないことが起こった。
それまで力なく萎れていた雑草が、ぐん、と目に見えて背を伸ばし、葉の色を生命力あふれる濃い緑に変えたのだ。
「うわっ、マジかよ……」
アロンは自分の手と雑草を、何度も見比べた。
土の状態がわかり、植物を元気にすることができる。
『土壌神の恵み』。
なぜか、そんな言葉がすんなりと頭に浮かんだ。これが、この力の名前らしい。
『これって……もしかして、農業限定のチートスキルってやつじゃないか!』
死んだ土。栄養のない作物。不味い食事。
この絶望に満ちた世界で、自分にできることがあるかもしれない。
いや、自分にしかできないことがある。
アロンは、手に残った死んだ土を、ぎゅっと握りしめた。
ざらりとした無機質な感触が、なぜか彼の心を奮い立たせた。
「よし、やるか」
彼の目に、前世の農家魂が赤々と燃え上がった。
この死んだ土地を、世界で一番豊かな畑に変えてみせる。
そして、腹一杯、美味いものを食ってやる。
アロンの異世界農業革命は、こうして小さな決意と共に、静かにその幕を開けたのだった。
次いで、カビ臭さと乾いた土埃が混じった、鼻の奥を不快に刺激する匂いが肺を満たす。遠くで聞こえるのは、聞いたこともない鳥の甲高い鳴き声だ。
そんな五感への容赦ない攻撃で、少年――アロンの意識は、まどろみの淵から乱暴に引きずり出された。
薄暗い小屋だった。
粗末な木の壁の隙間から、朝の白い光が幾筋も鋭く差し込んでいる。見上げた天井は低く、梁には乾燥した薬草らしきものが束ねて吊るされていた。
寝床は、藁を敷き詰めただけのもの。背中が痛むのも無理はない。
「……どこだ、ここ」
絞り出した声は、自分のものであるはずなのに、やけに幼い響きをしていた。
アロンはゆっくりと体を起こす。視界に入った自分の手は、日に焼けてはいるが、あまりに小さく、細い。10歳になるかならないか、といったところだろうか。
『いやいや、俺は確か、三十路手前の農家の長男だったはず。実家の畑で、最新鋭のトラクターを夜通し走らせて……そうだ、そのまま気を失って』
そこまで思い出した瞬間、奔流のように膨大な情報が脳内になだれ込んできた。
この体の持ち主である「アロン」の、10年分の記憶。
この村の名はカペル。フェルメル公爵領の、そのまた端にある貧しい開拓村。両親は健在で、下にまだ幼い妹が一人。そして、ここ何年も続く不作で、村全体が絶望的な飢えにあえいでいること。
「マジか……。流行りの異世界転生ってやつか」
頭を抱えるアロンの耳に、か細い声が届いた。
「お兄ちゃん、起きたの」
入り口に立っていたのは、5歳くらいの小さな女の子。アロンの妹、ミリアだ。ほころびだらけの服を着て、大きな瞳で心配そうにこちらを見ている。
「ああ、おはよう、ミリア」
自然と、記憶にある名前が口をついて出た。
ミリアはほっとしたように笑うと、小さな足でとてとてと駆け寄ってくる。
「朝ごはん、できてるよ。今日は黒パンと、スープだって」
「そっか。ありがとう」
ミリアの柔らかな髪を撫でてやりながら、アロンは立ち上がった。
質素な木のテーブルの上には、二つの粗末な器。一つには、炭と見紛うばかりの黒くて硬いパン。もう一つには、得体の知れない根菜が数切れ浮かぶ、味の薄そうなスープ。
これが、この世界の、この村の日常だ。
『……前世の朝飯は、炊き立てのコシヒカリに、豆腐とワカメの味噌汁、それから自家製キュウリの浅漬けだったんだがなあ』
あまりの落差にめまいがしそうだ。
しかし、アロンの腹の虫は正直だった。ぐぅ、と情けない音が部屋に響く。生きているのだから、腹は減る。
アロンは覚悟を決め、石のように硬い黒パンを手に取った。それをスープに浸し、ふやかして無理やり喉の奥へと流し込む。
美味いか不味いかで言えば、議論の余地なく不味い。酸味と、微かな土の味がするだけだ。だが、今はこれが命を繋ぐ糧なのだ。
食事を終えると、父親のゲイルが古びたクワを肩に家を出ていった。母親のセーラは、洗濯物の入った桶を抱えて共同の洗い場へ向かう。
家に残されたのはアロンとミリア。
ぼんやりと窓の外を眺めていたアロンは、ふと、あることを思い出した。
『この家の裏に、小さな畑があったはずだ』
アロンの記憶がそう告げている。
彼は、何か確かめずにはいられない衝動に駆られ、家の裏手へと回った。
そこには、記憶の通り、5坪ほどの小さな畑があった。いや、畑と呼ぶのもおこがましい、ただの空き地だ。雑草がまばらに生え、地面はカチカチに乾ききってひび割れている。かろうじて植えられているのは「カレル芋」と呼ばれる、この世界の主食らしい芋。しかし、その葉は黄色く変色し、見るからに生気がない。
アロンは、無意識にその畑に足を踏み入れ、一握りの土を手に取った。
指先で、土の感触を確かめる。ざらざらとして、生命の温もりがまるでない。栄養という栄養を吸い尽くされ、完全に沈黙してしまった土だ。
前世で30年近く土と向き合ってきたアロンには、それが痛いほどよくわかった。
『こんな土じゃ、何も育つわけがない。肥料もやらず、連作障害も考えず、ただひたすら搾取し続けた成れの果てだ』
絶望的な状況に、天を仰ぎたくなる。
だが、その瞬間。
アロンの脳内に、奇妙な感覚が流れ込んできた。
『土壌分析……完了。窒素、リン酸、カリウム、いずれも致命的に不足。有機物含有量、極小。土壌硬度、極めて高。保水性、皆無。……結論:この土は死んでいます』
まるで機械音声のような情報。
そして、目の前の土が、色を失った灰色に淀んで見えた。これが、彼の言う「死んでいる」状態なのだろう。
「なんだ、これ……」
アロンは呆然とつぶやいた。
これが、この体に宿った力だというのか。
彼は試しに、畑の隅でかろうじて緑の葉をつけている雑草の根元に手をかざしてみた。
すると、また脳内に声が響く。
『植物活性……実行しますか?』
『……とりあえず、イエスで』
心の中でそう念じると、手のひらから温かい光がふわりと放たれ、雑草に吸い込まれていく。
次の瞬間、信じられないことが起こった。
それまで力なく萎れていた雑草が、ぐん、と目に見えて背を伸ばし、葉の色を生命力あふれる濃い緑に変えたのだ。
「うわっ、マジかよ……」
アロンは自分の手と雑草を、何度も見比べた。
土の状態がわかり、植物を元気にすることができる。
『土壌神の恵み』。
なぜか、そんな言葉がすんなりと頭に浮かんだ。これが、この力の名前らしい。
『これって……もしかして、農業限定のチートスキルってやつじゃないか!』
死んだ土。栄養のない作物。不味い食事。
この絶望に満ちた世界で、自分にできることがあるかもしれない。
いや、自分にしかできないことがある。
アロンは、手に残った死んだ土を、ぎゅっと握りしめた。
ざらりとした無機質な感触が、なぜか彼の心を奮い立たせた。
「よし、やるか」
彼の目に、前世の農家魂が赤々と燃え上がった。
この死んだ土地を、世界で一番豊かな畑に変えてみせる。
そして、腹一杯、美味いものを食ってやる。
アロンの異世界農業革命は、こうして小さな決意と共に、静かにその幕を開けたのだった。
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