元悪役令嬢、偽聖女に婚約破棄され追放されたけど、前世の農業知識で辺境から成り上がって新しい国の母になりました

黒崎隼人

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第2章:絶望の地と、蘇る前世の記憶

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 王都を離れ、揺れる馬車に身を任せること十日。ロゼリアを乗せた一行は、ついに追放先である「灰色の谷」へと到着した。彼女に付き従ったのは、忠実な侍女のマリアと、父が護衛としてつけてくれた寡黙な騎士ゲオルグだけだった。
 馬車の窓から外を眺めたマリアが、小さく悲鳴を上げる。
「まあ……なんて場所なのでしょう……」
 その名の通り、世界から色彩が失われたかのような光景が広がっていた。空は常に鈍色の雲に覆われ、大地は乾ききってひび割れている。まばらに生えている木々は枯れ枝のようで、畑らしき場所に見える作物も、力なくうなだれ、茶色く変色していた。時折すれ違う村人たちの顔にも、生気というものが感じられない。痩せこけ、虚ろな目で、ただ黙々と道を歩いているだけだ。
「まさしく、絶望の地ですわね」
 ロゼリアは静かに呟いた。与えられた館は、かつて代官が使っていたというものだったが、今は見る影もなく荒れ果て、埃とカビの匂いが鼻をつく。あまりの惨状に、気丈に振る舞っていたマリアの目からも、ついに涙がこぼれ落ちた。
「お嬢様……このような場所に……。旦那様も、どうして反対してくださらなかったのか……」
 父であるヴェルフェン公爵は、ロゼリアの追放に反対しなかった。それは、王家への忠誠心からではない。彼が、自分の娘の強さと賢さを、誰よりも信じていたからだ。「お前の好きに生きなさい。父はいつでも、お前の味方だ」――王都を発つ前、父はそう言って彼女を抱きしめてくれた。その信頼が、今のロゼリアを支えている。
「大丈夫よ、マリア。ここから始めるの」
 気丈に言うロゼリアだったが、その時、不意に激しい頭痛が彼女を襲った。
「きゃっ……!」
 こめかみを針で突き刺されるような鋭い痛みに、思わずその場にうずくまる。マリアとゲオルグが慌てて駆け寄るが、ロゼリアの耳には二人の声は届いていなかった。
 頭の中に、嵐のように映像と情報が流れ込んでくる。
 見たこともない、ガラスと金属でできた箱のような建物が立ち並ぶ街。鉄の馬が、人々を乗せて高速で走る道。そして――広大な緑の畑。近代的な設備を備えた温室。白衣を着て、顕微鏡を覗き込み、土の成分を分析している自分。
『――土壌のpH値が低い。石灰を撒いて中和しないと』
『この痩せた土地には、根粒菌を持つマメ科の植物を植えて、窒素を固定させるのが有効だ』
『新品種のジャガイモは、冷涼な気候と乾燥に強い。この土地の気候なら、きっとうまく育つ』
 日本の、とある大学。その農学部で、土壌学と育種学を研究していた記憶。事故で呆気なく死んでしまった、二十代半ばの自分の人生。
 ――そうか。わたくし、転生者だったのね。
 流れ込んできた膨大な記憶と知識は、しかし混乱ではなく、驚くほどの納得感と共にロゼリアの中にすっと収まった。どうりで、幼い頃から植物の生態や土の性質に妙に詳しかったわけだ。公爵令嬢としての教育を受けながらも、庭の片隅で家庭菜園に夢中になっていた理由が、今、ようやく繋がった。
 痛みは嘘のように引き、ロゼリアはゆっくりと立ち上がった。心配そうに顔を覗き込むマリアとゲオルグに、彼女は悪戯っぽく微笑んでみせる。
「心配かけてごめんなさい。もう大丈夫よ」
 彼女は再び、窓の外に広がる荒涼とした谷を見渡した。先ほどまで絶望の色しか見えなかった風景が、今は全く違って見えていた。
 痩せ細った土地。しかし、見方を変えれば、改良の余地が無限にあるということだ。
 枯れた作物。それは、この土地に合わない品種を選んでいるという証拠に過ぎない。
 谷を流れる、か細い小川。あれを使えば、立派な灌漑施設が作れるかもしれない。
 人々の目に光がないのなら、自分が光を見せてあげればいい。
「そうか……そうだったのね」
 ロゼリアの口から、歓喜のため息が漏れた。
「ここが、わたくしの新しい研究室なのね」
 そのアイスブルーの瞳には、もはや絶望の影はなかった。あるのは、知的好奇心と探求心、そして未来への確かな希望の炎だけだ。王宮での華やかだが窮屈な日々よりも、婚約者という不自由な立場よりも、ずっと自由で、ずっと刺激的な日々が、今、ここから始まる。
 悪役令嬢ロゼリア・フォン・ヴェルフェンの物語は終わった。これより始まるのは、農業を愛する一人の女性、ロゼリアの物語だ。彼女は、この絶望の地で、人生で最も胸躍る研究を始めることを、心に固く誓った。
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