追放された悪役令嬢は、辺境の地で『豊穣の聖女』と呼ばれています~慰謝料代わりの土地を前世知識で穀倉地帯に変えたら、辺境伯様が溺愛してきます~

黒崎隼人

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第5章:水の奇跡と、辺境伯の戸惑い

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 ジャガイモとサツマイモの大豊作は、ローゼンベルク領にひとまずの食糧と、そして何より大きな希望をもたらした。しかし、それは始まりに過ぎない。村人たちが飢える心配はなくなったが、領地全体を豊かにするためには、農業の規模をさらに拡大する必要があった。そして、そのためには避けて通れない大きな壁が立ちはだかっていた。
 それは、慢性的な水不足だった。
 この土地は雨が少なく、近くに大きな川もない。今はかろうじて村の井戸水で凌いでいるが、畑を広げるとなれば、到底足りるはずもなかった。
「やはり、安定した水源の確保が最優先ね……」
 私は領主の館の一室で、広げた領地の古い地図とにらめっこしていた。地図には、等高線や僅かな小川の位置が記されている。前世の記憶――農業高校の授業だけでなく、趣味で見ていた治水工事のドキュメンタリー番組などが、私の頭脳で次々と結びついていく。
「……これだわ」
 数日間地図を眺め続けた私は、ついに一つの計画を思いついた。それは、領地の北に聳える山の、春先の雪解け水を無駄なく村まで引き込むための、大規模な用水路の建設計画だった。
 私はすぐにアレン辺境伯と、彼の数少ない家臣たちを呼び集め、地図を広げて説明を始めた。
「この山の麓に小さな貯水池を作り、そこから高低差を利用して、ここまで用水路を引きます。水路の勾配はこれくらいに設定すれば、水の勢いを保ちつつ、土砂の堆積も防げるはずです。途中、硬い岩盤のある箇所は迂回するか、あるいは……」
 私が提示する、あまりにも具体的かつ緻密な計画に、アレンも家臣たちも完全に度肝を抜かれていた。それは、ただの貴族令嬢が思いつくようなものでは到底なかったからだ。
「リリアーナ殿……なぜ、貴女がこのような土木の知識を……?」
 家臣の一人が、恐る恐る尋ねる。
「あら、わたくし、読書が好きでしてよ。色々な本を読みましたの。ほほほ」
 私は扇子で口元を隠し、お決まりの台詞で笑顔を向けた。もちろん、誰も信じてはいなかったが、それ以上追及してくる者はいなかった。
 問題は、計画の実現性だ。これは、村人総出で行わなければならないほどの大規模な土木工事になる。収穫を終えたばかりの領民たちに、さらなる負担を強いることになるかもしれない。
「……皆、ついてきてくれるだろうか」
 アレンが、不安そうに呟いた。しかし、彼のその不安は杞憂に終わる。
 私が用水路計画を領民たちに説明すると、最初は皆その規模の大きさに戸惑いを見せた。だが、すぐに一人の屈強な農夫が前に進み出た。
「リリアーナ様がやるとおっしゃるなら、俺はやるぜ! あのお芋の奇跡を、もう一度見たいからな!」
 その声に、次々と同調の声が上がる。「そうだ!」「水があれば、もっとたくさんの作物が作れる!」「女神様についていけば間違いない!」。ジャガイモの収穫は、彼らにとってそれほど大きな成功体験だったのだ。私への信頼は、私が思っていた以上に、深く、固いものになっていた。
 そして、領民たちの心を最も動かしたのは、領主であるアレン自身の姿だった。
「俺も、お前たちと共に鍬を握る」
 彼はそう宣言すると、翌日から本当に領民たちに混じり、先頭に立って土を掘り、石を運んだ。領主が民と共に汗を流す。その姿は、領民たちの士気を何よりも高揚させた。
 私ももちろん、現場に出て測量や設計の指示を出し続けた。泥だらけで働く私とアレンの姿は、すっかり領地の日常風景となっていた。
 そして数ヶ月後。乾いた冬が終わり、山々の雪が解け始める春。ついに、全長数キロにも及ぶ用水路が完成した。
 貯水池の堰が切られると、轟々という音と共に、清らかな雪解け水が勢いよく水路を流れ始めた。水は、領民たちが掘り上げた土の道を走り、乾ききっていた畑へと吸い込まれていく。村中に、歓喜の渦が巻き起こった。人々は水路に駆け寄り、その冷たい水に手や顔を浸し、何十年ぶりかの水の恵みに涙した。
 アレンは、その光景を私の隣でじっと見ていた。そして、静かに口を開いた。
「……君は、本当に奇跡を起こすのだな」
 その声には、深い感銘と、そして隠しきれないほどの熱が籠っていた。
「いいえ。皆の力が起こした奇跡ですわ」
 私が微笑み返すと、彼はふいと視線を逸らし、何かを堪えるように唇を結んだ。
(この感情は、一体何だ……?)
 アレンは、自分の胸の内で急速に膨らんでいく、未知の感情に戸惑っていた。彼女の笑顔を見るだけで、心臓が大きく跳ねる。彼女が他の男(たとえそれが家臣であっても)と親しげに話していると、胸の奥がざわつく。
 彼女は、この土地にとっての奇跡だ。そして、俺の凍てついた世界に差し込んだ、唯一の光だ。
 その光を、誰にも渡したくない。
 アレンは、日に日に強くなるその独占欲に、まだ名前をつけることができずにいた。ただ、用水路を流れる水のように、その想いはもう、決して留めることができないところまで来ていることだけは、確かだった。
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