異世界ショコラティエの甘い革命~チョコレートが存在しない世界でカカオを育ててバレンタインを流行らせます~

黒崎隼人

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第7話「雪の中の工房」

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 冬の訪れと共に、村は深い雪に閉ざされた。

 窓の外は一面の銀世界。しんしんと降り積もる雪が、音もなく景色を白く塗り替えていく。

 けれど、僕たちの小さな工房――納屋を改装した作業場の中だけは、熱気に満ちていた。

「温度、下がってきたよ! 魔石、追加する?」

 ミナの声が響く。彼女は今や、僕の片腕とも言える存在になっていた。髪を三角巾でまとめ、エプロンを締めた姿は、すっかり職人の顔つきだ。

「お願い。西側の角、そこが冷えやすいんだ」

 僕はボウルの中のチョコレートをかき混ぜながら指示を出した。

 テンパリング。

 チョコレート作りにおいて、最も繊細で、最も重要な工程だ。

 溶かしたチョコレートの温度を一度下げて結晶を安定させ、再びわずかに温度を上げる。この上げ下げのタイミングと温度管理が、口どけの良さと美しい艶を生む。

 現代なら温度計一本で済む作業だが、ここではすべてが感覚勝負だ。

 ボウルの底に手を当て、伝わってくる熱を感じ取る。

 まだ少し熱い。

 僕はボウルを冷水を入れた大きな桶に浮かべた。水温を下げるために、氷属性の魔石を使っている。

 ゴムベラ代わりの木べらで、空気を含ませないように静かに、しかし絶え間なく混ぜ続ける。重たくなっていく液体の抵抗を指先で感じながら、結晶が整列していく瞬間を待つ。

 今だ。

 僕は素早くボウルを水から引き上げ、今度は微かな熱を発する台の上に置いた。

 数秒後。

 へらですくい上げたチョコレートが、たらりとリボンのように落ち、その跡がすぐに消えずに残る。

「よし、完璧だ」

 額ににじんだ汗を袖で拭う。

 外気は氷点下に近いが、工房内は魔石の調整で常に一定の室温に保たれている。それでも、神経を使う作業の連続に、体温は上がりっぱなしだ。

「ミナ、型入れ頼む!」

「了解!」

 ミナが手際よく木型を並べる。僕が彫り、村の大工さんが複製してくれた五十個の花の型だ。

 僕はボウルを傾け、慎重に、かつ手早く型へと流し込んでいく。

 とろりとした黒い液体が、花の形を埋めていく。

 トントン、と型を揺すって空気を抜く。

 一連の動作は、流れるようにスムーズだ。この数週間、僕たちは来る日も来る日もこれだけを繰り返してきた。

 マルセルからの注文は五百個。

 手作業で作るには途方もない数だが、納期は待ってくれない。冬の祭りは三日後に迫っていた。

「……ふぅ。これで何個目?」

 最後の一つを流し終え、僕は大きく息を吐いた。

「えっとね、これで四百八十個! あとちょっとだよ、ルカ!」

 ミナが目を輝かせて数を数える。

 彼女の指先はカカオの色素で薄く茶色に染まっていた。毎晩遅くまで付き合ってくれているせいで、目の下にはうっすらと隈ができている。

「ごめんね、ミナ。こんなに無理させて」

「何言ってるの。楽しいからいいのよ」

 彼女は笑って、固まったばかりのチョコを型から外す作業に戻った。

 カポッ、という軽快な音がして、艶やかな花の形のチョコが姿を現す。

 その表面は、窓から差し込む雪明かりを反射して、黒真珠のように鈍く光っていた。

「見て、ルカ。これ、すごく綺麗にできた」

 ミナが手のひらに乗せた一粒を見せてくれる。

「うん。ブルーム(白く浮き出る油分)もないし、艶も最高だ」

「きっと、食べた人はびっくりするね。こんなに綺麗で美味しいものが、この世にあるなんて」

 ミナの声には、確信に満ちた響きがあった。

 彼女自身、この作業を通してチョコレートのとりこになっていた。失敗作が出るたびに「責任持って処分するね!」と言って口に放り込む姿は、見ていてほほえましかった。

「ルカ、休憩しよう? お父さんが夜食を持ってきてくれたの」

 入り口の方を見ると、いつの間にか父さんが立っていた。手には湯気を立てるスープの鍋を持っている。

「根詰めすぎて倒れるなよ。商売の前に体が資本だ」

 父さんはぶっきらぼうに言いながら、鍋をストーブの上に置いた。

 根菜がたっぷり入ったスープの香りが、チョコレートの甘い香りと混ざり合う。不思議と嫌な匂いではない。それは、生活と夢が交差する、この工房ならではの香りだった。

 僕たちは木の椅子に腰掛け、熱いスープをすすった。

 冷えた体に、野菜の甘みが染み渡る。

「……美味しい」

「ああ。母さんの味付けだ」

 父さんは満足そうに頷き、棚に並べられた完成品を見上げた。

 ずらりと並んだ小箱の山。

 マルセルが用意してくれた特製の化粧箱だ。厚手の紙で作られた深紅の箱に、金色のインクで『ルカの工房』と刻印されている。

 それはもはや、農村の片隅で作られた菓子には見えなかった。

 王都の一等地に並んでいてもおかしくない、立派な商品だ。

「まさか、お前がここまでやるとはな」

 父さんがポツリと言った。

「最初はただの子供の遊びだと思ってた。だが、今は違う。お前は立派な職人だ」

 その言葉は、どんな勲章よりも僕の胸を熱くした。

 厳格で、農作業以外認めなかった父が、僕の道を受け入れてくれた。

「ありがとう、父さん。……絶対に成功させるよ」

「ああ。行ってこい。俺たちの自慢の息子だ」

 外では風が唸り声を上げている。

 けれど、この工房の中は暖かく、希望に満ちていた。

 最後の二十個。

 僕はスプーンを置き、再びボウルに向かった。

 雪が止む頃には、僕たちの準備は完了する。

 そして、伝説が始まるのだ。

 ***

 翌朝、空は突き抜けるような青さに覆われていた。

 雪晴れだ。

 積み込みを終えた荷馬車が、新雪を踏みしめて出発する。

 御者台には僕とミナ。荷台には父さんが乗って、商品の見張りをしてくれている。

 目指すはアルンの街。

 冬の祭りが、僕たちを待っている。
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