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第8話「領主の決意と偽りの花婿」
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「王族の視察団だと? なぜ今更……」
ロウェンが訝しげにつぶやく。
執務室の空気は、一通の書状によって張り詰めていた。
カイルは椅子に深く身を沈め、指でこめかみを押さえていた。
ユリウス王子、そして聖女セレーネ。
リリアの過去を知る者たち、いや、彼女の過去そのものが、この地に足を踏み入れようとしている。
セレーネという女が、ただの視察で終わらせるはずがない。
カイルには確信があった。
彼女の目的は、リリアだ。
辺境で幸せそうに暮らすリリアの存在が気に食わず、再び貶めるためにやってくるに違いない。
(あの女を、あいつらの好きにはさせない)
カイルの脳裏に、土にまみれながらも楽しそうに笑うリリアの顔が浮かぶ。
ハーブの香りをまとって、精霊と戯れる姿。
子供を救った時の真剣な横顔。
老婆に感謝されて、はにかんでいた笑顔。
彼女がこの地で手に入れた穏やかな日常を、誰にも壊させたくはなかった。
守りたい。
心の底から、そう思った。
だが、どうやって?
リリアは王都から追放された罪人。
領主である自分が庇ったところで、王族の決定には逆らえない。
下手をすれば、反逆と見なされ、この地が戦火に巻き込まれる可能性すらある。
何か、決定的な口実が必要だ。
彼らがリリアに手出しできないような、絶対的な理由が。
カイルは思考を巡らせ、そして、一つの大胆な結論に行き着いた。
それは、無謀とも言える賭けだった。
だが、彼女を守るためには、それしかない。
その夜、カイルはリリアを領主館に呼び出した。
「どうかなさいましたか、カイル様?」
何も知らずに、こてんと首を傾げるリリア。
その無防備さに、カイルの胸がちくりと痛む。
彼は意を決し、口を開いた。
「……リリア。近々、王都から視察団が来ることになった」
「王都から……?」
「そうだ。ユリウス王子と、聖女セレーネも来る」
その名を聞いた瞬間、リリアの顔から血の気が引いた。
彼女の瞳が不安に揺れるのを、カイルは真正面から受け止める。
「大丈夫だ。お前には指一本触れさせない」
力強い言葉に、リリアは少しだけ安堵の表情を浮かべた。
しかし、カイルの次の言葉は、彼女の予想を遥かに超えるものだった。
「視察団が滞在する間、お前を守るために……一つの策を講じたい」
カイルは一度言葉を切り、リリアの目をまっすぐに見据えて、宣言した。
「お前を、俺の婚約者として振る舞わせてほしい」
「…………え?」
リリアは、ぽかんと口を開けたまま固まった。
こんやくしゃ?
誰が、誰の?
「追放された罪人では、彼らも何を仕掛けてくるか分からん。だが、この地の領主である俺の婚約者となれば、話は別だ。王族とて、他領の領主の婚約者に、軽々しく手出しはできまい」
それは、あまりに突飛な提案だった。
驚きと戸惑いで、リリアの頭は真っ白になる。
「しかし、そんな……私などが、カイル様の婚約者のふりなんて……」
「これは命令だ」
カイルは有無を言わせぬ口調で言った。
だが、その金色の瞳の奥には、命令とは違う、真剣な光が宿っていた。
「嫌か?」
静かに問われ、リリアは彼の顔を見つめ返す。
彼が、自分を守るために、こんな無茶なことを考えてくれた。
その事実が、戸惑う心にじんわりと温かく沁みてくる。
彼が差し伸べてくれた手を、振り払うことなんてできなかった。
「……わかり、ました」
複雑な思いを胸に秘めながらも、リリアはこくりと頷いた。
「お前を傷つけさせない」
その低い声が、リリアの不安な心を優しく包み込む。
こうして、二人だけの秘密の「偽装婚約」が、静かに始まったのだった。
ロウェンが訝しげにつぶやく。
執務室の空気は、一通の書状によって張り詰めていた。
カイルは椅子に深く身を沈め、指でこめかみを押さえていた。
ユリウス王子、そして聖女セレーネ。
リリアの過去を知る者たち、いや、彼女の過去そのものが、この地に足を踏み入れようとしている。
セレーネという女が、ただの視察で終わらせるはずがない。
カイルには確信があった。
彼女の目的は、リリアだ。
辺境で幸せそうに暮らすリリアの存在が気に食わず、再び貶めるためにやってくるに違いない。
(あの女を、あいつらの好きにはさせない)
カイルの脳裏に、土にまみれながらも楽しそうに笑うリリアの顔が浮かぶ。
ハーブの香りをまとって、精霊と戯れる姿。
子供を救った時の真剣な横顔。
老婆に感謝されて、はにかんでいた笑顔。
彼女がこの地で手に入れた穏やかな日常を、誰にも壊させたくはなかった。
守りたい。
心の底から、そう思った。
だが、どうやって?
リリアは王都から追放された罪人。
領主である自分が庇ったところで、王族の決定には逆らえない。
下手をすれば、反逆と見なされ、この地が戦火に巻き込まれる可能性すらある。
何か、決定的な口実が必要だ。
彼らがリリアに手出しできないような、絶対的な理由が。
カイルは思考を巡らせ、そして、一つの大胆な結論に行き着いた。
それは、無謀とも言える賭けだった。
だが、彼女を守るためには、それしかない。
その夜、カイルはリリアを領主館に呼び出した。
「どうかなさいましたか、カイル様?」
何も知らずに、こてんと首を傾げるリリア。
その無防備さに、カイルの胸がちくりと痛む。
彼は意を決し、口を開いた。
「……リリア。近々、王都から視察団が来ることになった」
「王都から……?」
「そうだ。ユリウス王子と、聖女セレーネも来る」
その名を聞いた瞬間、リリアの顔から血の気が引いた。
彼女の瞳が不安に揺れるのを、カイルは真正面から受け止める。
「大丈夫だ。お前には指一本触れさせない」
力強い言葉に、リリアは少しだけ安堵の表情を浮かべた。
しかし、カイルの次の言葉は、彼女の予想を遥かに超えるものだった。
「視察団が滞在する間、お前を守るために……一つの策を講じたい」
カイルは一度言葉を切り、リリアの目をまっすぐに見据えて、宣言した。
「お前を、俺の婚約者として振る舞わせてほしい」
「…………え?」
リリアは、ぽかんと口を開けたまま固まった。
こんやくしゃ?
誰が、誰の?
「追放された罪人では、彼らも何を仕掛けてくるか分からん。だが、この地の領主である俺の婚約者となれば、話は別だ。王族とて、他領の領主の婚約者に、軽々しく手出しはできまい」
それは、あまりに突飛な提案だった。
驚きと戸惑いで、リリアの頭は真っ白になる。
「しかし、そんな……私などが、カイル様の婚約者のふりなんて……」
「これは命令だ」
カイルは有無を言わせぬ口調で言った。
だが、その金色の瞳の奥には、命令とは違う、真剣な光が宿っていた。
「嫌か?」
静かに問われ、リリアは彼の顔を見つめ返す。
彼が、自分を守るために、こんな無茶なことを考えてくれた。
その事実が、戸惑う心にじんわりと温かく沁みてくる。
彼が差し伸べてくれた手を、振り払うことなんてできなかった。
「……わかり、ました」
複雑な思いを胸に秘めながらも、リリアはこくりと頷いた。
「お前を傷つけさせない」
その低い声が、リリアの不安な心を優しく包み込む。
こうして、二人だけの秘密の「偽装婚約」が、静かに始まったのだった。
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