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第3章:泥だらけの公爵令嬢
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翌日から、リーゼリットの「農業修行」が始まった。彼女に与えられたのは、動きやすい古着と、一本の使い古された鍬。王宮で着飾っていた豪奢なドレスとは、あまりにもかけ離れた姿だった。
「まずは土作りからだ。この谷の土は、長年の干ばつでカチカチに固まってしまっている。これを、人の手で耕し、柔らかくしてやらねばならん」
ジョージ爺さんの指導は、実践的で厳しかった。リーゼリットは、生まれて初めて鍬を握った。見た目以上に重く、思うように振り下ろせない。数回地面を打っただけで、すぐに息が上がり、手のひらにはじんわりと痛みが走る。
カイルは、そんなリーゼリットの姿を腕を組んで遠巻きに眺めていた。「ほら見たことか」と言わんばかりの冷ややかな視線が、背中に突き刺さるようだった。悔しくて、リーゼリットは唇を噛みしめ、再び鍬を握りしめた。
しかし、慣れない肉体労働は想像以上に過酷だった。午前中の作業を終える頃には、リーゼリットは立っているのもやっとの状態で、手のひらにはいくつもの豆ができて潰れていた。服は泥と汗で汚れ、銀色の髪にも土埃がついて、もはや公爵令嬢の面影はない。
それでも、彼女は弱音を吐かなかった。ジョージ爺さんが差し出してくれた水をごくごくと飲み干し、粗末な黒パンをかじる。不思議なことに、王宮で食べていたどんな豪華な料理よりも、この黒パンが美味しく感じられた。
午後の作業も、黙々と続けた。カイルの視線を感じながら、ただひたすらに鍬を振るう。日が傾き、一日の作業が終わる頃には、リーゼリットが担当した一画は、なんとか畑らしく耕されていた。その光景を見た時、疲労困憊のはずの体に、不思議な達成感が込み上げてきた。
夜、リーゼリットはジョージ爺さんから借りた古い農業書を、乏しい灯りの下で読みふけった。そこには、土壌の性質、作物の種類、季節ごとの作業など、彼女が知らなかった知識が満載だった。夢中になって読み進めるうち、リーゼリットはあることに気づく。書物に書かれている土壌改良や水やりの記述は、自分が得意とする魔法で応用できるのではないだろうか。
リーゼリットは、幼い頃から魔法の才能に恵まれていた。特に、土を操る土属性魔法と、水を操る水属性魔法は、誰に教わるでもなく使いこなすことができた。王宮では、そんなものは「地味な魔法」だと誰も見向きもしなかったが、今なら、この力が役に立つかもしれない。
翌日、リーゼリットは早速試してみることにした。カチカチに固まった土に向かって、そっと手をかざし、魔力を集中させる。
「土よ、柔らかくなれ」
微かな光と共に、リーゼリットの足元の土が、ふわりと盛り上がった。まだ魔力のコントロールがうまくいかず、範囲もごく僅かだが、確かに土は柔らかく、耕しやすい状態に変化していた。
「……すごい」
思わず声が漏れた。これなら、鍬で一日かかる作業も、魔法を使えばずっと早く終わらせられるかもしれない。
「何やってんだ?」
背後から、カイルの声がした。彼は、リーゼリットが魔法を使っているのを見て、驚いたように目を見開いている。
「見ての通りよ。魔法で土を耕しているの。これなら、もっと効率的に作業が進むわ」
得意げに言うリーゼリットに、カイルは skeptical な表情を崩さない。
「魔法で耕した畑で、まともな作物が育つとでも思ってんのか」
「やってみなければ分からないでしょう?」
リーゼリットは負けじと言い返した。彼女の心には、新たな希望が燃え上がっていた。この魔法の力を使えば、この荒れ果てた谷を、本当に豊かな土地に変えられるかもしれない。
その日から、リーゼリットの挑戦は新たな段階に入った。日中はジョージ爺さんから農業の知識を学び、夜は書物を読んで魔法の応用を研究する。カイルは相変わらずぶっきらぼうだったが、リーゼリットが重い石を運ぼうとしていると、何も言わずにひょいと担いでくれたり、畑の近くに魔物が現れると、すぐに駆けつけて追い払ってくれたりした。彼の不器用な優しさに、リーゼリットは気づき始めていた。
そして数週間後、リーゼリットが耕し、種をまいた畑から、小さな緑色の芽が顔を出した。それを見つけた時の感動を、リーゼリットは生涯忘れないだろう。それは、彼女が自らの力で生み出した、絶望の淵からの、最初の希望の光だった。
その小さな芽を、カイルも、ジョージ爺さんも、そして谷の住民たちも、固唾をのんで見守っていた。彼らの瞳には、ほんの少しの驚きと、大きな期待の色が浮かんでいた。
「まずは土作りからだ。この谷の土は、長年の干ばつでカチカチに固まってしまっている。これを、人の手で耕し、柔らかくしてやらねばならん」
ジョージ爺さんの指導は、実践的で厳しかった。リーゼリットは、生まれて初めて鍬を握った。見た目以上に重く、思うように振り下ろせない。数回地面を打っただけで、すぐに息が上がり、手のひらにはじんわりと痛みが走る。
カイルは、そんなリーゼリットの姿を腕を組んで遠巻きに眺めていた。「ほら見たことか」と言わんばかりの冷ややかな視線が、背中に突き刺さるようだった。悔しくて、リーゼリットは唇を噛みしめ、再び鍬を握りしめた。
しかし、慣れない肉体労働は想像以上に過酷だった。午前中の作業を終える頃には、リーゼリットは立っているのもやっとの状態で、手のひらにはいくつもの豆ができて潰れていた。服は泥と汗で汚れ、銀色の髪にも土埃がついて、もはや公爵令嬢の面影はない。
それでも、彼女は弱音を吐かなかった。ジョージ爺さんが差し出してくれた水をごくごくと飲み干し、粗末な黒パンをかじる。不思議なことに、王宮で食べていたどんな豪華な料理よりも、この黒パンが美味しく感じられた。
午後の作業も、黙々と続けた。カイルの視線を感じながら、ただひたすらに鍬を振るう。日が傾き、一日の作業が終わる頃には、リーゼリットが担当した一画は、なんとか畑らしく耕されていた。その光景を見た時、疲労困憊のはずの体に、不思議な達成感が込み上げてきた。
夜、リーゼリットはジョージ爺さんから借りた古い農業書を、乏しい灯りの下で読みふけった。そこには、土壌の性質、作物の種類、季節ごとの作業など、彼女が知らなかった知識が満載だった。夢中になって読み進めるうち、リーゼリットはあることに気づく。書物に書かれている土壌改良や水やりの記述は、自分が得意とする魔法で応用できるのではないだろうか。
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翌日、リーゼリットは早速試してみることにした。カチカチに固まった土に向かって、そっと手をかざし、魔力を集中させる。
「土よ、柔らかくなれ」
微かな光と共に、リーゼリットの足元の土が、ふわりと盛り上がった。まだ魔力のコントロールがうまくいかず、範囲もごく僅かだが、確かに土は柔らかく、耕しやすい状態に変化していた。
「……すごい」
思わず声が漏れた。これなら、鍬で一日かかる作業も、魔法を使えばずっと早く終わらせられるかもしれない。
「何やってんだ?」
背後から、カイルの声がした。彼は、リーゼリットが魔法を使っているのを見て、驚いたように目を見開いている。
「見ての通りよ。魔法で土を耕しているの。これなら、もっと効率的に作業が進むわ」
得意げに言うリーゼリットに、カイルは skeptical な表情を崩さない。
「魔法で耕した畑で、まともな作物が育つとでも思ってんのか」
「やってみなければ分からないでしょう?」
リーゼリットは負けじと言い返した。彼女の心には、新たな希望が燃え上がっていた。この魔法の力を使えば、この荒れ果てた谷を、本当に豊かな土地に変えられるかもしれない。
その日から、リーゼリットの挑戦は新たな段階に入った。日中はジョージ爺さんから農業の知識を学び、夜は書物を読んで魔法の応用を研究する。カイルは相変わらずぶっきらぼうだったが、リーゼリットが重い石を運ぼうとしていると、何も言わずにひょいと担いでくれたり、畑の近くに魔物が現れると、すぐに駆けつけて追い払ってくれたりした。彼の不器用な優しさに、リーゼリットは気づき始めていた。
そして数週間後、リーゼリットが耕し、種をまいた畑から、小さな緑色の芽が顔を出した。それを見つけた時の感動を、リーゼリットは生涯忘れないだろう。それは、彼女が自らの力で生み出した、絶望の淵からの、最初の希望の光だった。
その小さな芽を、カイルも、ジョージ爺さんも、そして谷の住民たちも、固唾をのんで見守っていた。彼らの瞳には、ほんの少しの驚きと、大きな期待の色が浮かんでいた。
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