追放された筆頭行政官は、スラムから『選挙』で国を乗っ取ることにした~言葉と民意の魔法契約で、腐敗貴族を合法的にざまぁします~

黒崎隼人

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第1話「冷たい雨と終わりの始まり」

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 石造りの床を叩く革靴の音が、やけに高く響いていた。

 天井の高い謁見の間は、数百本の蝋燭によって照らし出されているはずなのに、どこか薄暗く、淀んだ空気が漂っているように感じられる。並み居る貴族たちの視線が、一斉に中央の男へと注がれていた。嘲笑、侮蔑、そして隠しきれない優越感。それらが粘着質な油のように男の肌にまとわりつく。

 アレン・クロフォードは、冷え切った石床にひざまずき、顔を上げて玉座を見据えた。

 そこには国王の姿はなく、代わりにふんぞり返った男がいる。ダグラス宰相だ。恰幅の良い体を豪華なベルベットの衣装で包み、指にはめられた幾つもの宝石付きの指輪が、下品な光を放っている。

「アレン・クロフォード。貴様には国家反逆の嫌疑がかけられている。申し開きはあるか?」

 ダグラスの声は、脂ぎった肉を震わせて響いた。形式的な問いかけだ。答えなど期待していないし、聞く耳も持っていないことは明白だった。

「宰相閣下。私が横領を行ったという証拠の帳簿ですが、あれは3日前に何者かによって書き換えられたものです。原本は王宮書庫の管理下にあるはず。それを照合していただければ、私の潔白はすぐに証明されます」

 アレンの声は静かだったが、よく通った。焦りも恐怖も見せないその態度が、逆にダグラスの癇に障ったらしい。宰相は眉間にしわを寄せ、不愉快そうに鼻を鳴らした。

「原本だと?そのようなものはすでに焼失したわ。不運な火事によってな。つまり、ここにある写しこそが唯一の証拠だ。貴様が貧しい民のための救済金を着服し、私腹を肥やしていた事実は揺るがない」

 焼失。便利な言葉だ。アレンは奥歯を強くかみ締めた。その「不運な火事」とやらも、十中八九、彼らが仕組んだものだろう。この国では、真実など権力者の都合一つでどうにでも捻じ曲げられる。

「……私は、5年間。ただひたすらにこの国のために尽くしてきました。荒れ果てた農地の改革、不当な税制の見直し、物流の整備。それらの成果を、貴方たちは全て自分たちの手柄にしたではありませんか。それだけでは飽き足らず、私を犯罪者に仕立て上げるのですか」

「黙れ!平民風情がつけあがるな!」

 ダグラスが叫ぶと同時に、周囲の貴族たちからも罵声が飛んだ。

「そうだ、生意気な!」

「我々の恩恵で働かせてやっていたというのに!」

「恩知らずの豚め!」

 彼らの顔は歪み、醜く変貌していた。アレンはかつて、彼らの領地経営が破綻しかけた際に、徹夜で再建案を練り上げ、救ったことがあった。その時にへつらうような笑みを浮かべて握手を求めてきた男が、今は唾を飛ばしてアレンを罵っている。

 これが現実だ。アレンは胸の奥で、何かが冷たく砕け散る音を聞いた。

 彼らにとって、優秀な平民など使い捨ての道具に過ぎない。いや、優秀であればあるほど、無能な自分たちの地位を脅かす危険分子として映るのだろう。

「判決を言い渡す!アレン・クロフォード、貴様の全財産を没収し、王都より永久に追放する!2度とこの門をくぐることは許さん。野垂れ死ぬがいい!」

 ダグラスが高らかに宣言すると、衛兵たちがアレンの両脇を乱暴に掴んだ。

 抵抗はしなかった。ここで暴れたところで、その場で切り捨てられて終わるだけだ。アレンは最後に1度だけ、ダグラスの顔を真っすぐに見据えた。

「……後悔しますよ」

「なんだと?」

「私を追放したことではありません。民を愚弄し続けたことを、です」

「ふん、負け惜しみを。連れて行け!」

 衛兵に引きずられるようにして、アレンは謁見の間を後にした。背後からは、宴会のような哄笑がいつまでも響いていた。

 ***

 王都の巨大な鉄門が、重々しい音を立てて閉ざされた。

 外の世界は、冷たい雨が降りしきっていた。

 空は分厚い鉛色の雲に覆われ、月明かりすら届かない。アレンはぬかるみの中に放り出された。着ているのは薄汚れた囚人服のような粗末な布切れ1枚。所持金も、身分証も、これまで積み上げてきた実績も、全てあの門の向こう側に奪われた。

 雨が容赦なく体温を奪っていく。寒さで手足がかじかみ、震えが止まらない。

 アレンは泥だらけの手を握りしめ、地面を叩いた。

「くそっ……!」

 悔しさが、熱い塊となって喉元までせり上がってくる。

 自分が甘かったのだ。正しく仕事をしていれば、いつか分かってくれるはずだという幻想を抱いていた。現実は、正しい者が報われるようにはできていない。力を持つ者がルールを作り、持たざる者が搾取される。それがこの国の仕組みだった。

「……寒いな」

 つぶやいた声は、雨音にかき消された。

 王都の城壁を見上げる。高い壁の向こうでは、今頃ダグラスたちが祝杯を上げていることだろう。アレンを排除したことで、彼らは再び好き勝手に税を搾り取り、国を私物化するはずだ。

 だが、このまま終わるわけにはいかない。

 アレンの脳裏に、かつて視察で訪れた地方の村々の光景が浮かんだ。重税に苦しみ、痩せ細った子供たち。明日のパンすら満足に買えない老人たち。彼らの希望を背負うつもりで、アレンは行政官になったのではなかったか。

 ふと、アレンは懐を探った。服は変えられたが、肌身離さず持っていたある物だけは、奇跡的に没収を免れていた。それは小さな、何の変哲もない鉄のペンだ。亡き父が遺した、唯一の形見。

 父は言っていた。『剣は人を殺すが、ペンは人を生かすことも殺すこともできる』と。

 アレンは泥水の中で立ち上がった。

 雨に打たれながら、彼は誓った。

 復讐してやる。あの腐りきった貴族たちを、物理的な暴力ではなく、彼らが最も軽視し、最も恐れる方法で破滅させてやる。

 アレンには知識があった。

 この国の歴史書に埋もれていた、ある「契約」についての知識が。それはあまりに古く、誰もが忘れているか、あるいは意図的に隠蔽されているシステムだ。

「見ていろ、ダグラス……。お前たちが安全圏だと思っているその場所から、必ず引きずり下ろしてやる」

 漆黒の闇の中で、アレンの瞳だけが青白く燃えていた。

 行く当てはない。だが、足は自然と南へと向いた。そこには王都の華やかさとは無縁の、スラムと呼ばれる吹き溜まりがある。最も虐げられた人々が住む場所。

 そこが、アレンの反撃の起点となるはずだ。

 雨脚は強まるばかりだったが、アレンの心は不思議と冷えてはいなかった。むしろ、内側から湧き上がるどす黒く、しかし強烈なエネルギーが、凍えた体を突き動かしていた。
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