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第1話「追放された料理人と、最後の晩餐」
じゅう、と分厚い鉄板の上で、赤身の塊が産声を上げた。
白く美しい脂の筋――サシが網の目のように走る極上のリブロースだ。熱された鉄に触れた瞬間、肉の表面は瞬く間に褐色へと色を変え、香ばしい煙を立ち昇らせる。
ぱちぱち、と脂がはぜる音は、まるで拍手のようだ。
俺、ガンツ・アイアンサイドは、愛用の鉄板を見つめながら、静かに息を吐いた。
これが、この王宮の調理場で焼く、最後の肉になる。
窓の外は冷たい雨が降っていた。王都の空は、今の俺の心と同じように灰色で、重たい。
「ガンツ、荷物はまとまったか」
調理場の入り口に、かつての同僚が気まずそうに立っていた。白いコックコートを着た彼は、俺と目を合わせようとしない。
「ああ。これで終わりだ」
俺は短く答え、手元の肉に意識を戻した。
誰に食べさせるわけでもない。これは俺自身への、けじめの一皿だ。
先代の王は、俺の焼くステーキを愛してくれた。飾り気などいらない。ただ最高の素材を、最高の火加減で焼き、塩と胡椒だけで食らう。それが至高だと笑ってくれた。
だが、新しい王は違った。
「野蛮だ」
昨日、謁見の間で吐き捨てられた言葉が、まだ耳の奥に残っている。
「皿からはみ出るような肉など、品がない。これからは見た目も美しい、繊細な蒸し料理や野菜を中心とした宮廷料理に変える。お前のような、ただ肉を焼くだけの男は不要だ」
退職金代わりのわずかな金貨と、使い古したナイフ。それだけを持って、俺はここを追い出される。
38歳。料理一筋20年。
職も、住む場所も、すべて失った。
普通なら絶望して、酒に溺れるのかもしれない。だが、不思議と俺の腹は減っていた。悲しくても、腹は減る。それが人間という生き物だ。
俺はトングを使わず、金串を肉の中心に突き刺した。
指先に伝わる温度と弾力。それだけで、中の焼き加減が手に取るようにわかる。
今だ。
鉄板から肉を引き上げ、まな板の上で数分休ませる。すぐに切っては駄目だ。肉汁が落ち着くまで待つこの数分が、味の明暗を分ける。
じっと肉を見つめる俺の背中は、きっと寂しそうに見えているのだろうか。
「……うまいか?」
同僚が恐る恐る聞いてくる。
「まだだ。焦るな」
俺は静かに首を振った。
余熱が肉の芯まで優しく熱を伝える。赤身の色が、生々しい赤から、美しい薔薇色へと変わっていく瞬間を想像する。
時が来た。
俺はナイフを入れた。
抵抗なく、すうっと刃が吸い込まれる。
断面からは、透明な肉汁があふれ出し、キラキラと厨房の明かりを反射した。
一切れを口に運ぶ。
カリッと焼けた表面の香ばしさ。その直後に訪れる、爆発的な肉の旨み。
噛みしめるたびに、濃厚な脂の甘みが舌の上で溶け出し、赤身のほどよい酸味が全体を引き締める。
美味い。
やっぱり、肉は裏切らない。
王に見捨てられようと、時代遅れと言われようと、俺はこの味が好きだ。
この暴力的なまでの満足感こそが、生きる力そのものだと俺は信じている。
「……行くよ」
最後の一切れを胃袋に収め、俺は大きな背嚢を背負った。
愛用の包丁セットと、解体用のナタ。それから、ひそかに開発していた数種類のスパイスが入った小瓶。
これさえあれば、どこでだって生きていける。
「元気でな、ガンツ」
同僚の声には、少しの同情と、安堵が混ざっていた。自分はクビにならなくてよかった、という安堵だ。責めるつもりはない。
俺は勝手口から外へ出た。
冷たい雨が、熱を持った頬を濡らす。
王都を出よう。
繊細な味付けばかり求めるこの街は、俺には窮屈すぎた。
もっと、本能のままに肉を食らい、笑い合える場所へ。
北へ向えば、魔物が多い代わりに、手つかずの自然が残る辺境があるという。
そこなら、俺の腕を必要としてくれる場所があるかもしれない。
俺はフードを深くかぶり直し、重い足取りで歩き出した。
これが、俺の第二の人生の始まりだった。
まさかその道中で、とんでもない相棒と出会うことになるとは、この時の俺はまだ知る由もなかった。
白く美しい脂の筋――サシが網の目のように走る極上のリブロースだ。熱された鉄に触れた瞬間、肉の表面は瞬く間に褐色へと色を変え、香ばしい煙を立ち昇らせる。
ぱちぱち、と脂がはぜる音は、まるで拍手のようだ。
俺、ガンツ・アイアンサイドは、愛用の鉄板を見つめながら、静かに息を吐いた。
これが、この王宮の調理場で焼く、最後の肉になる。
窓の外は冷たい雨が降っていた。王都の空は、今の俺の心と同じように灰色で、重たい。
「ガンツ、荷物はまとまったか」
調理場の入り口に、かつての同僚が気まずそうに立っていた。白いコックコートを着た彼は、俺と目を合わせようとしない。
「ああ。これで終わりだ」
俺は短く答え、手元の肉に意識を戻した。
誰に食べさせるわけでもない。これは俺自身への、けじめの一皿だ。
先代の王は、俺の焼くステーキを愛してくれた。飾り気などいらない。ただ最高の素材を、最高の火加減で焼き、塩と胡椒だけで食らう。それが至高だと笑ってくれた。
だが、新しい王は違った。
「野蛮だ」
昨日、謁見の間で吐き捨てられた言葉が、まだ耳の奥に残っている。
「皿からはみ出るような肉など、品がない。これからは見た目も美しい、繊細な蒸し料理や野菜を中心とした宮廷料理に変える。お前のような、ただ肉を焼くだけの男は不要だ」
退職金代わりのわずかな金貨と、使い古したナイフ。それだけを持って、俺はここを追い出される。
38歳。料理一筋20年。
職も、住む場所も、すべて失った。
普通なら絶望して、酒に溺れるのかもしれない。だが、不思議と俺の腹は減っていた。悲しくても、腹は減る。それが人間という生き物だ。
俺はトングを使わず、金串を肉の中心に突き刺した。
指先に伝わる温度と弾力。それだけで、中の焼き加減が手に取るようにわかる。
今だ。
鉄板から肉を引き上げ、まな板の上で数分休ませる。すぐに切っては駄目だ。肉汁が落ち着くまで待つこの数分が、味の明暗を分ける。
じっと肉を見つめる俺の背中は、きっと寂しそうに見えているのだろうか。
「……うまいか?」
同僚が恐る恐る聞いてくる。
「まだだ。焦るな」
俺は静かに首を振った。
余熱が肉の芯まで優しく熱を伝える。赤身の色が、生々しい赤から、美しい薔薇色へと変わっていく瞬間を想像する。
時が来た。
俺はナイフを入れた。
抵抗なく、すうっと刃が吸い込まれる。
断面からは、透明な肉汁があふれ出し、キラキラと厨房の明かりを反射した。
一切れを口に運ぶ。
カリッと焼けた表面の香ばしさ。その直後に訪れる、爆発的な肉の旨み。
噛みしめるたびに、濃厚な脂の甘みが舌の上で溶け出し、赤身のほどよい酸味が全体を引き締める。
美味い。
やっぱり、肉は裏切らない。
王に見捨てられようと、時代遅れと言われようと、俺はこの味が好きだ。
この暴力的なまでの満足感こそが、生きる力そのものだと俺は信じている。
「……行くよ」
最後の一切れを胃袋に収め、俺は大きな背嚢を背負った。
愛用の包丁セットと、解体用のナタ。それから、ひそかに開発していた数種類のスパイスが入った小瓶。
これさえあれば、どこでだって生きていける。
「元気でな、ガンツ」
同僚の声には、少しの同情と、安堵が混ざっていた。自分はクビにならなくてよかった、という安堵だ。責めるつもりはない。
俺は勝手口から外へ出た。
冷たい雨が、熱を持った頬を濡らす。
王都を出よう。
繊細な味付けばかり求めるこの街は、俺には窮屈すぎた。
もっと、本能のままに肉を食らい、笑い合える場所へ。
北へ向えば、魔物が多い代わりに、手つかずの自然が残る辺境があるという。
そこなら、俺の腕を必要としてくれる場所があるかもしれない。
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