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幽冥聚楽
旅支度
しおりを挟む 秀次は、取った駒を箱の中へ入れ、虎岩玄隆に取られた駒を蓋へ入れた。一言、駒を崩すなと申しおくと、控える三十郎が将棋盤を床へ置いた。
「正則、炎天の中、大儀であった。手紙を書きたいのだが良いか?」
秀次の申し出に、正則はズズズッ……と膝を擦り声を落とす
「……今日中に御切腹なされば、昼だろうと夜だろうと構いませぬ。ゆるゆると……私は、小姓の出した茶を飲み、なにやら眠気に襲われることもあるかも知れませぬが」
「……ふふ、無茶を言うな。逃げおおせることなど出来ぬ」
「運など、どう転ぶか分かりませぬ」
「それ故に、このような目にあっておるのだが?」
正則は、大笑した。確かにそうだと。しかし、直ぐに強い眼差しで声を落とす。
「殿下、人間いつ命が果てるともしれません。お拾様は、二つ。赤子の命など不安定でございます」
「栓なきこと」
「太閤殿下は、お拾様がご成人なさるまで生きておられませぬ」
「そなた、そのようなことを……」
「お聞きなさいませ!此度のことで大名の心中は、どのようなものか。この結果が豊臣にとって良い訳がありません」
「大夫!良かろうが悪かろうが、私は関係ない。もう嫌なのじゃ」
「殿下……」
「分かってくれ、逃げ隠れ生きていたくない。いや、もう生まれ変わりたくもないのだ」
絞り出した言葉は、秀次の本心なのだろう。思えば、二十七年の生涯で掴んだ栄華は、重荷にしかならなかったのかも知れないと正則は、平伏した。
「そなたの忠義、有り難く。秀次、あの世へ参っても忘れはせぬ。ついでに一つ頼まれてくれぬか?」
「何なりと」
「実は、太閤に言われて道具類を全て渡した……となっておるのだが、数腰のみ手元にあるのだ」
「よろしいかと」
秀次は、静かに肩を揺らすと更に声を落とす。
「一胴七度、知っておるな?」
「はい、村正でございますね?」
「あれは、箱に収め目録にも村正と書いているのだが……実は、偽物じゃ」
「なんと!? 」
秀次は、ケラケラと笑った。
「あれは、私の物にて与えられた物に非ず。それに私の一存故、誰も咎めを受けぬ」
「まぁ、確かに……」
露見したとしても、その頃、関白秀次はあの世へ旅立っているのだから、叱られることもなしと正則は、頷いた。
「それで、私に頼みとは?」
「以前、寺から連れてきた不破万作を覚えておるか?」
「ああ、あの美童……」
「あれを逃がしたい。その方、私を逃がそうとしたのだ。小姓の一人くらい、どうにか出来るであろう?」
「無理でございます」
正則は、迷いもなく断った。
「何故じゃ」
秀次は、簡単に左様かとは引けなかった。
「あの者、端から見ておりましても殿下の側を離れるとは思えませぬ。連れ出して敵討ちなどと騒がれては、某の首が飛びまする」
「さすれば、私が後から逃げるからと騙すか……」
「無駄にございます」
「何故じゃ」
「殿下は、嘘が下手にて」
「……弱ったな」
秀次のほとほと困り果てた顔に、正則は涙を浮かべ笑った。
「関白殿、常ならず愛し候ふ……とは実でありましたか」
「嘘じゃ、あれが私を……だ」
「……ふふ、殿下は嘘が下手くそにて」
「……」
秀次は、苦笑いを漏らすと、静かに告げた。
「万作の介錯は、私自ら行おうと思う」
「それが、ようございます」
「一胴七度にて」
「身に余る幸せでございましょう」
「……無理は言わぬが、もしも可能ならば万作を葬る際、一緒に納めて欲しい」
「御意」
「大夫で、良かった」
「身に余るお言葉……」
◆◆◆◆◆
「――こうして、私は手紙を書いた。誰に宛てた物だったか……確か、父母、ここに連れてきておる妻子に宛てた物、ああ……太閤宛も」
菅公と刀葉樹の女は、黙り聞き入っている。音のない聚楽第は静まり返り、まるで最期に過ごした山中にいるようだと、関白は語る。
家臣である雀部淡路守に、手紙を届けるようにと、申しつければ「死出の山を共に越えたい」と申し出る始末。同じ事を皆が言い出し、困り果てたが黄泉路の供よりも、大事なことにて――と言い含め、別の者に託した。
「その者に、金子を渡したいと思うが太閤のことだ、後々数字が合わぬと騒ぐであろうと、正則に相談したら、もし左様なことになれば某が金子を当て、数を合わせると申し出てくれた。これは有り難いと言葉に甘えた」
「正則とやらは、良いやつじゃな」
菅公は、福島正則に好感を持った。ここで今まで黙り込んでいた万作が、口を開いた。
「福島様は、私に逃げる気はないか?と尋ねられました。おそらく殿下のお心を察してでございましょう。生きて菩提を弔うのはどうか?と」
「否、と申したのであろう?」
「はい。福島様は笑っておられました。そして、こう言われました。生まれ変わっても殿下を頼むと」
「あれ程、生まれ変わりたくもないと申したのに……」
人の話を聞いておらなんだのか――と、関白は溜め息を漏らす。それは、何処と無く追慕するような懐かしさを含ませた物のように、菅公には思えた。
「正則、炎天の中、大儀であった。手紙を書きたいのだが良いか?」
秀次の申し出に、正則はズズズッ……と膝を擦り声を落とす
「……今日中に御切腹なされば、昼だろうと夜だろうと構いませぬ。ゆるゆると……私は、小姓の出した茶を飲み、なにやら眠気に襲われることもあるかも知れませぬが」
「……ふふ、無茶を言うな。逃げおおせることなど出来ぬ」
「運など、どう転ぶか分かりませぬ」
「それ故に、このような目にあっておるのだが?」
正則は、大笑した。確かにそうだと。しかし、直ぐに強い眼差しで声を落とす。
「殿下、人間いつ命が果てるともしれません。お拾様は、二つ。赤子の命など不安定でございます」
「栓なきこと」
「太閤殿下は、お拾様がご成人なさるまで生きておられませぬ」
「そなた、そのようなことを……」
「お聞きなさいませ!此度のことで大名の心中は、どのようなものか。この結果が豊臣にとって良い訳がありません」
「大夫!良かろうが悪かろうが、私は関係ない。もう嫌なのじゃ」
「殿下……」
「分かってくれ、逃げ隠れ生きていたくない。いや、もう生まれ変わりたくもないのだ」
絞り出した言葉は、秀次の本心なのだろう。思えば、二十七年の生涯で掴んだ栄華は、重荷にしかならなかったのかも知れないと正則は、平伏した。
「そなたの忠義、有り難く。秀次、あの世へ参っても忘れはせぬ。ついでに一つ頼まれてくれぬか?」
「何なりと」
「実は、太閤に言われて道具類を全て渡した……となっておるのだが、数腰のみ手元にあるのだ」
「よろしいかと」
秀次は、静かに肩を揺らすと更に声を落とす。
「一胴七度、知っておるな?」
「はい、村正でございますね?」
「あれは、箱に収め目録にも村正と書いているのだが……実は、偽物じゃ」
「なんと!? 」
秀次は、ケラケラと笑った。
「あれは、私の物にて与えられた物に非ず。それに私の一存故、誰も咎めを受けぬ」
「まぁ、確かに……」
露見したとしても、その頃、関白秀次はあの世へ旅立っているのだから、叱られることもなしと正則は、頷いた。
「それで、私に頼みとは?」
「以前、寺から連れてきた不破万作を覚えておるか?」
「ああ、あの美童……」
「あれを逃がしたい。その方、私を逃がそうとしたのだ。小姓の一人くらい、どうにか出来るであろう?」
「無理でございます」
正則は、迷いもなく断った。
「何故じゃ」
秀次は、簡単に左様かとは引けなかった。
「あの者、端から見ておりましても殿下の側を離れるとは思えませぬ。連れ出して敵討ちなどと騒がれては、某の首が飛びまする」
「さすれば、私が後から逃げるからと騙すか……」
「無駄にございます」
「何故じゃ」
「殿下は、嘘が下手にて」
「……弱ったな」
秀次のほとほと困り果てた顔に、正則は涙を浮かべ笑った。
「関白殿、常ならず愛し候ふ……とは実でありましたか」
「嘘じゃ、あれが私を……だ」
「……ふふ、殿下は嘘が下手くそにて」
「……」
秀次は、苦笑いを漏らすと、静かに告げた。
「万作の介錯は、私自ら行おうと思う」
「それが、ようございます」
「一胴七度にて」
「身に余る幸せでございましょう」
「……無理は言わぬが、もしも可能ならば万作を葬る際、一緒に納めて欲しい」
「御意」
「大夫で、良かった」
「身に余るお言葉……」
◆◆◆◆◆
「――こうして、私は手紙を書いた。誰に宛てた物だったか……確か、父母、ここに連れてきておる妻子に宛てた物、ああ……太閤宛も」
菅公と刀葉樹の女は、黙り聞き入っている。音のない聚楽第は静まり返り、まるで最期に過ごした山中にいるようだと、関白は語る。
家臣である雀部淡路守に、手紙を届けるようにと、申しつければ「死出の山を共に越えたい」と申し出る始末。同じ事を皆が言い出し、困り果てたが黄泉路の供よりも、大事なことにて――と言い含め、別の者に託した。
「その者に、金子を渡したいと思うが太閤のことだ、後々数字が合わぬと騒ぐであろうと、正則に相談したら、もし左様なことになれば某が金子を当て、数を合わせると申し出てくれた。これは有り難いと言葉に甘えた」
「正則とやらは、良いやつじゃな」
菅公は、福島正則に好感を持った。ここで今まで黙り込んでいた万作が、口を開いた。
「福島様は、私に逃げる気はないか?と尋ねられました。おそらく殿下のお心を察してでございましょう。生きて菩提を弔うのはどうか?と」
「否、と申したのであろう?」
「はい。福島様は笑っておられました。そして、こう言われました。生まれ変わっても殿下を頼むと」
「あれ程、生まれ変わりたくもないと申したのに……」
人の話を聞いておらなんだのか――と、関白は溜め息を漏らす。それは、何処と無く追慕するような懐かしさを含ませた物のように、菅公には思えた。
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