常世の狭間

涼寺みすゞ

文字の大きさ
上 下
67 / 114
幽冥聚楽

旅支度

しおりを挟む
 秀次は、取った駒を箱の中へ入れ、虎岩玄隆こげんげんりゅうに取られた駒を蓋へ入れた。一言、駒を崩すなと申しおくと、控える三十郎が将棋盤を床へ置いた。

正則まさのり、炎天の中、大儀であった。手紙を書きたいのだが良いか?」

 秀次の申し出に、正則はズズズッ……と膝を擦り声を落とす

「……今日中に御切腹なされば、昼だろうと夜だろうと構いませぬ。ゆるゆると……私は、小姓の出した茶を飲み、なにやら眠気に襲われることもあるかも知れませぬが」
「……ふふ、無茶を言うな。逃げおおせることなど出来ぬ」

「運など、どう転ぶか分かりませぬ」
「それ故に、このような目にあっておるのだが?」

 正則は、大笑した。確かにそうだと。しかし、直ぐに強い眼差しで声を落とす。

「殿下、人間いつ命が果てるともしれません。お拾様秀吉子は、二つ。赤子の命など不安定でございます」
「栓なきこと」

「太閤殿下は、お拾様がご成人なさるまで生きておられませぬ」
「そなた、そのようなことを……」

「お聞きなさいませ!此度のことで大名の心中は、どのようなものか。この結果が豊臣にとって良い訳がありません」
大夫正則!良かろうが悪かろうが、私は関係ない。もう嫌なのじゃ」

「殿下……」
「分かってくれ、逃げ隠れ生きていたくない。いや、もう生まれ変わりたくもないのだ」

 絞り出した言葉は、秀次の本心なのだろう。思えば、二十七年の生涯で掴んだ栄華は、重荷にしかならなかったのかも知れないと正則は、平伏した。

「そなたの忠義、有り難く。秀次、あの世へ参っても忘れはせぬ。ついでに一つ頼まれてくれぬか?」
「何なりと」

「実は、太閤に言われて道具類を全て渡した……となっておるのだが、数腰のみ手元にあるのだ」
「よろしいかと」

 秀次は、静かに肩を揺らすと更に声を落とす。

一胴七度いちのどうしちど、知っておるな?」
「はい、村正でございますね?」

は、箱に収め目録にも村正と書いているのだが……実は、偽物じゃ」
「なんと!? 」

 秀次は、ケラケラと笑った。

「あれは、私の物にて与えられた物に非ず。それに私の一存故、誰も咎めを受けぬ」
「まぁ、確かに……」

 露見したとしても、その頃、関白秀次はあの世へ旅立っているのだから、叱られることもなしと正則は、頷いた。

「それで、私に頼みとは?」
「以前、寺から連れてきた不破万作ふわ ばんさくを覚えておるか?」

「ああ、あの美童……」
「あれを逃がしたい。その方、私を逃がそうとしたのだ。小姓の一人くらい、どうにか出来るであろう?」

「無理でございます」
 正則は、迷いもなく断った。

「何故じゃ」
 秀次は、簡単に左様かとは引けなかった。

「あの者、端から見ておりましても殿下の側を離れるとは思えませぬ。連れ出して敵討ちなどと騒がれては、某の首が飛びまする」
「さすれば、私が後から逃げるからと騙すか……」

「無駄にございます」
「何故じゃ」

「殿下は、嘘が下手にて」
「……弱ったな」

 秀次のほとほと困り果てた顔に、正則は涙を浮かべ笑った。

「関白殿、常ならず愛し候ふ……とは実でありましたか」
「嘘じゃ、が私を……だ」

「……ふふ、殿下は嘘が下手くそにて」
「……」

 秀次は、苦笑いを漏らすと、静かに告げた。

「万作の介錯は、私自ら行おうと思う」
「それが、ようございます」

一胴七度いちのどうしちどにて」
「身に余る幸せでございましょう」

「……無理は言わぬが、もしも可能ならば万作を葬る際、一緒に納めて欲しい」
「御意」

大夫正則で、良かった」
「身に余るお言葉……」



 ◆◆◆◆◆


「――こうして、私は手紙を書いた。誰に宛てた物だったか……確か、父母、ここに連れてきておる妻子に宛てた物、ああ……太閤宛も」

 菅公と刀葉樹の女は、黙り聞き入っている。音のない聚楽第は静まり返り、まるで最期に過ごした山中にいるようだと、関白は語る。
 家臣である雀部淡路守ささべ あわじのかみに、手紙を届けるようにと、申しつければ「死出の山を共に越えたい」と申し出る始末。同じ事を皆が言い出し、困り果てたが黄泉路の供よりも、大事なことにて――と言い含め、別の者に託した。

「その者に、金子を渡したいと思うが太閤のことだ、後々数字が合わぬと騒ぐであろうと、正則に相談したら、もし左様なことになれば某が金子を当て、数を合わせると申し出てくれた。これは有り難いと言葉に甘えた」
「正則とやらは、良いやつじゃな」

 菅公は、福島正則に好感を持った。ここで今まで黙り込んでいた万作が、口を開いた。

「福島様は、私に逃げる気はないか?と尋ねられました。おそらく殿下のお心を察してでございましょう。生きて菩提を弔うのはどうか?と」
「否、と申したのであろう?」

「はい。福島様は笑っておられました。そして、こう言われました。生まれ変わっても殿下を頼むと」
「あれ程、生まれ変わりたくもないと申したのに……」

 人の話を聞いておらなんだのか――と、関白は溜め息を漏らす。それは、何処と無く追慕するような懐かしさを含ませた物のように、菅公には思えた。
 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の偽花妃 国を追われた巫女見習いは宦官になる

gari@七柚カリン
キャラ文芸
旧題:国を追われた巫女見習いは、隣国の後宮で二重に花開く ☆4月上旬に書籍発売です。たくさんの応援をありがとうございました!☆ 植物を慈しむ巫女見習いの凛月には、二つの秘密がある。それは、『植物の心がわかること』『見目が変化すること』。  そんな凛月は、次期巫女を侮辱した罪を着せられ国外追放されてしまう。  心機一転、紹介状を手に向かったのは隣国の都。そこで偶然知り合ったのは、高官の峰風だった。  峰風の取次ぎで紹介先の人物との対面を果たすが、提案されたのは後宮内での二つの仕事。ある時は引きこもり後宮妃(欣怡)として巫女の務めを果たし、またある時は、少年宦官(子墨)として庭園管理の仕事をする、忙しくも楽しい二重生活が始まった。  仕事中に秘密の能力を活かし活躍したことで、子墨は女嫌いの峰風の助手に抜擢される。女であること・巫女であることを隠しつつ助手の仕事に邁進するが、これがきっかけとなり、宮廷内の様々な騒動に巻き込まれていく。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

最終死発電車

真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。 直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。 外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。 生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。 「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

美人女子大生を放心状態にさせ最後は大満足させてあげました

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
若い女子達との素敵な実話です

処理中です...