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幽冥聚楽
別盃
しおりを挟む 関白は、語る。
高野山まで見舞いに訪れていた虎岩玄隆は、家臣ではなく僧である。立ち退くことを勧めたが、来世にてお目にかかりたいと留まった。つまり、一緒に腹を切ると。
それからは、粛々と永久の別れの準備が進められた。行水の準備が出来たとのことで、湯殿へ向う。済めば、蔵より刀を取り出すように山田三十郎へ命じる。
「則重郷、やげん藤四郎、国光、貞宗、中当来、正宗を腹切り用に拵えさせた」
「私と、主殿助殿、三十郎殿で寄り合い、早々に紙に包み上げました」
自身の死に至るまでの様子を語る関白は、あっさりしていた。菅公は問うた。発狂しそうな話であるが――と。
関白は、首を静かに振った。
「運が尽きたとしても、道中見舞いを寄越した大名らも、供をしたいと申し出た家臣も、そして僧でありながら高野山まで追って来てくれた者、何と恵まれたことかと……意外であるかも知れぬが、心穏やかであった」
「友とは、この上ない宝じゃな」
菅公の呟きに、関白は深く頷いた。
腹切り用に拵えられた脇差は、どれも名物であった。そこへ秀次自ら筆を執り、脇差を包む紙に名を書き記す。
やげん藤四郎には、虎岩玄隆。
貞宗には、山本主殿助。
則重郷には、山田三十郎 。
国光には、不破万作 。
中当来には、雀部淡路守。
正宗には、何も書かずに机に置いた。
「こうして、準備も滞りなく済んだということで、皆と別れの盃を交わす頃となり、私は最期の酒を出せと命じた」
精進の挟肴、盃が揃えられ、酌には小坊主が十五人程。
「私が、最期の酌をしたかったのですが、叶わず末席に座りました」
当然であるが万作は、お供衆である為、酌をする立場に非ず。
秀次の次席は、虎岩玄隆。次は山田三十郎と並び、向かい側の席に雀部淡路守、山本主殿助、不破万作となった。
「殿下は、盃をお取りになられたのですが、ふっと白州に控える、傘持ちに目を止められましたことに、私は気付きました」
何処と無く不機嫌な色を宿した万作に、皆が悋気だと気付くが、誰一人指摘せず。万作は、いまだに関白に腕を回し、離れようともしない。ここにきて菅公は、ふっと思った。
―― もしも、万作を斬り捨てた場合、しがみつく万作ごと関白まで消えてしまうのではないか?
やってみなければ、答えなど分からない。
―― 否。それより亡者は、常世の狭間ごとかき消える。この聚楽第は、関白と万作の……。
「と、刀葉樹……」
「暫し待たれよ。大事なところにて」
「何がじゃ?」
「人の悋気とは、如何なる時に発動するのか?」
よく分からない獄官の言い分に、菅公は折れ、万作の語りに聞き入った。
真夏の静寂とは、げに不可思議なことである。蝉も鳴かぬ常世の聚楽に、万作の凛とした声音だけが陽炎のように響き渡った。
「殿下は、宴に参加することを許すと仰せられ、傘持ちに名をお尋ねになりました……私には、尋ねなかったのに」
必ず一言、不満を付け加えるのは、生前と何ら変わらぬな――と、秀次は思ったが一言、私が声をかけたことが、生き残る者の糧になるゆえ――と告げた。
何やら言い訳をしているようだと、菅公は思った。
「傘持ちの名は、服部吉若と申しました。殿下の仰せで吉兵衛と名を改め、最期の別れを目撃する者となりましてございます」
秀次は、盃を飲み干し虎岩玄隆に差し出したが、玄隆《げんりゅう》は、すっと掌で遮った。何事かと思い、皆が見守る中、こう申し上げた。
「このような場合は、御介錯人へ、お差しになられると聞き及んでおります」と。
すると、素早く膝を進めたのが山田三十郎であった。「殿下、私が頂戴いたします!」と申し上げる。
「猪口才な!……と、私は叫びそうになりました」
万作が又もや、不機嫌な声あげた。それに答えたのは菅公だ。
「そなたが関白の介錯をしたかったのか?」
「私には剣の腕前が……、しかし三十郎に役目を果たされるのも癪に障る!……しかし、もう一人名乗りを挙げた者がおりました。雀部淡路守、古くからの殿下の家臣にて」
淡路守曰く
「殿下の御介錯は、私しかおりませぬ!」
三十郎も負けてはいない。
「いいえ!我が山田家は、豊臣家にお仕えして早、三代目にございます!私以外、誰が相応しいと言われるのか!」と怒気を表すかの如く、叫ぶ。
「このような時だというのに、両人一歩も引かぬ構えにて、どのように決着するのか?と私も肝を冷やしましたが、やはり三十郎に御介錯を勤められては、癪に障る。三代に渡り仕えたなど、ここにきて私に喧嘩を売っておるのかと」
―― 考えすぎであろう。
皆が、そう思ったが口にすることはなかった。万作は、関白の腰に巻き付けた腕は、そのままに満面の笑みを浮かべ、菅公と刀葉樹を振り返った。
「殿下は、こう仰られました。三十郎、介錯は代々仕える、その方だと思っておる。しかしながら、淡路が年嵩である。介錯は譲れ――と。ああ、何と素晴らしいことでしょう。殿下の御意である。三十郎は譲るしかございません」
「ほう、三十郎とやらは素直に引いたのか?」
死の間際に家臣同士が、いがみ合う事態になりかねないと菅公は、三十郎の真意が気になった。万作は大きく頷くと「あっぱれでございました」と答えた。
秀次の御意であると三十郎は、躊躇うことなく介錯を譲る。これには淡路も驚いたようだが、「三途の川を皆でお供するというのに、我々が争うなど言語道断。早々に盃を」と申した。
盃は、介錯人である雀部淡路守から、虎岩玄隆、山田三十郎、山本主殿助と流れた。
「ほう。万作は、やはり最後であったか。新参者ならば、致し方なし」
菅公の一言に万作は、ゆるゆると首を振った。伏せる瞼に長い睫毛が影を落とす、桜色の唇から漏れた言葉は、消え入るような声音だったが、静けさの中に凛と響いた気がした。
「私は、別れの盃を頂いておりませぬ」と。
高野山まで見舞いに訪れていた虎岩玄隆は、家臣ではなく僧である。立ち退くことを勧めたが、来世にてお目にかかりたいと留まった。つまり、一緒に腹を切ると。
それからは、粛々と永久の別れの準備が進められた。行水の準備が出来たとのことで、湯殿へ向う。済めば、蔵より刀を取り出すように山田三十郎へ命じる。
「則重郷、やげん藤四郎、国光、貞宗、中当来、正宗を腹切り用に拵えさせた」
「私と、主殿助殿、三十郎殿で寄り合い、早々に紙に包み上げました」
自身の死に至るまでの様子を語る関白は、あっさりしていた。菅公は問うた。発狂しそうな話であるが――と。
関白は、首を静かに振った。
「運が尽きたとしても、道中見舞いを寄越した大名らも、供をしたいと申し出た家臣も、そして僧でありながら高野山まで追って来てくれた者、何と恵まれたことかと……意外であるかも知れぬが、心穏やかであった」
「友とは、この上ない宝じゃな」
菅公の呟きに、関白は深く頷いた。
腹切り用に拵えられた脇差は、どれも名物であった。そこへ秀次自ら筆を執り、脇差を包む紙に名を書き記す。
やげん藤四郎には、虎岩玄隆。
貞宗には、山本主殿助。
則重郷には、山田三十郎 。
国光には、不破万作 。
中当来には、雀部淡路守。
正宗には、何も書かずに机に置いた。
「こうして、準備も滞りなく済んだということで、皆と別れの盃を交わす頃となり、私は最期の酒を出せと命じた」
精進の挟肴、盃が揃えられ、酌には小坊主が十五人程。
「私が、最期の酌をしたかったのですが、叶わず末席に座りました」
当然であるが万作は、お供衆である為、酌をする立場に非ず。
秀次の次席は、虎岩玄隆。次は山田三十郎と並び、向かい側の席に雀部淡路守、山本主殿助、不破万作となった。
「殿下は、盃をお取りになられたのですが、ふっと白州に控える、傘持ちに目を止められましたことに、私は気付きました」
何処と無く不機嫌な色を宿した万作に、皆が悋気だと気付くが、誰一人指摘せず。万作は、いまだに関白に腕を回し、離れようともしない。ここにきて菅公は、ふっと思った。
―― もしも、万作を斬り捨てた場合、しがみつく万作ごと関白まで消えてしまうのではないか?
やってみなければ、答えなど分からない。
―― 否。それより亡者は、常世の狭間ごとかき消える。この聚楽第は、関白と万作の……。
「と、刀葉樹……」
「暫し待たれよ。大事なところにて」
「何がじゃ?」
「人の悋気とは、如何なる時に発動するのか?」
よく分からない獄官の言い分に、菅公は折れ、万作の語りに聞き入った。
真夏の静寂とは、げに不可思議なことである。蝉も鳴かぬ常世の聚楽に、万作の凛とした声音だけが陽炎のように響き渡った。
「殿下は、宴に参加することを許すと仰せられ、傘持ちに名をお尋ねになりました……私には、尋ねなかったのに」
必ず一言、不満を付け加えるのは、生前と何ら変わらぬな――と、秀次は思ったが一言、私が声をかけたことが、生き残る者の糧になるゆえ――と告げた。
何やら言い訳をしているようだと、菅公は思った。
「傘持ちの名は、服部吉若と申しました。殿下の仰せで吉兵衛と名を改め、最期の別れを目撃する者となりましてございます」
秀次は、盃を飲み干し虎岩玄隆に差し出したが、玄隆《げんりゅう》は、すっと掌で遮った。何事かと思い、皆が見守る中、こう申し上げた。
「このような場合は、御介錯人へ、お差しになられると聞き及んでおります」と。
すると、素早く膝を進めたのが山田三十郎であった。「殿下、私が頂戴いたします!」と申し上げる。
「猪口才な!……と、私は叫びそうになりました」
万作が又もや、不機嫌な声あげた。それに答えたのは菅公だ。
「そなたが関白の介錯をしたかったのか?」
「私には剣の腕前が……、しかし三十郎に役目を果たされるのも癪に障る!……しかし、もう一人名乗りを挙げた者がおりました。雀部淡路守、古くからの殿下の家臣にて」
淡路守曰く
「殿下の御介錯は、私しかおりませぬ!」
三十郎も負けてはいない。
「いいえ!我が山田家は、豊臣家にお仕えして早、三代目にございます!私以外、誰が相応しいと言われるのか!」と怒気を表すかの如く、叫ぶ。
「このような時だというのに、両人一歩も引かぬ構えにて、どのように決着するのか?と私も肝を冷やしましたが、やはり三十郎に御介錯を勤められては、癪に障る。三代に渡り仕えたなど、ここにきて私に喧嘩を売っておるのかと」
―― 考えすぎであろう。
皆が、そう思ったが口にすることはなかった。万作は、関白の腰に巻き付けた腕は、そのままに満面の笑みを浮かべ、菅公と刀葉樹を振り返った。
「殿下は、こう仰られました。三十郎、介錯は代々仕える、その方だと思っておる。しかしながら、淡路が年嵩である。介錯は譲れ――と。ああ、何と素晴らしいことでしょう。殿下の御意である。三十郎は譲るしかございません」
「ほう、三十郎とやらは素直に引いたのか?」
死の間際に家臣同士が、いがみ合う事態になりかねないと菅公は、三十郎の真意が気になった。万作は大きく頷くと「あっぱれでございました」と答えた。
秀次の御意であると三十郎は、躊躇うことなく介錯を譲る。これには淡路も驚いたようだが、「三途の川を皆でお供するというのに、我々が争うなど言語道断。早々に盃を」と申した。
盃は、介錯人である雀部淡路守から、虎岩玄隆、山田三十郎、山本主殿助と流れた。
「ほう。万作は、やはり最後であったか。新参者ならば、致し方なし」
菅公の一言に万作は、ゆるゆると首を振った。伏せる瞼に長い睫毛が影を落とす、桜色の唇から漏れた言葉は、消え入るような声音だったが、静けさの中に凛と響いた気がした。
「私は、別れの盃を頂いておりませぬ」と。
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