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呪禁
染殿后 伍
法師蝉の声も染み入ることがない塗籠で、これまでの隙間を埋めるように、ピタリ寄り添う。
大きな手のひらを包み、自身の頬へ寄せれば指先からは香の匂い。
懇願に黙り込む真済の思いは、答えられぬ、すなわち、応えられぬということだろう。
又もや、涙が溢れる。
「離れ難き想いはどうすれば良いのか。お心が欲しいと申すのは悪いことでしょうか」
「秘め事とは、どんなに隠しても漏れてしまうものです。しかし自身に押し込めておけば漏れることはない」
「どういうこと? 」
「言霊でございます。声に出してしまえば、それは力を持ってしまいます。恨み言も然り」
上目遣いで見上げる明子に、いつもの穏やかな笑みが向けられた。
「公達らが『恋しい』と口にします。秘めていれば、ぼんやりと想うだけですが言霊を得れば、自身に強く言い聞かせる呪縛となる」
「真済様は、私が縛られていると? 」
「どうでしょうか。ただ、後々わかるかと」
「いつ? 」
「さて? ふふふ……」
真済は、いつもの如く喉を震わせた。
何気ない仕草も、声も、以前なら会えた喜びで満たされたが、今は悲しみしかない。
見上げた目をそっと胸に下ろし、紫の威儀に指を這わせれば、織られた東寺雲紋を見つけ、こっそり袈裟を贈ろうかと考える。
名を伏せれば問題ないだろうか?
ピタリと沿う袈裟ならば、我が身の代わりになるだろう。独善になろうとも、僅かながら繋がりが欲しい――。そんなことを考えれば「女院様」密やかなる声が耳元で囁かれた。
「円仁、相応、この2人にお任せくださると信じております。例え、後任の東寺長者が名乗り出ても……」
「必ず、比叡山座主を呼びます」
真済の胸に沿わせた手に、白絹の衣が重ねられた。互いの袖越しに握られた指先は、甘い痺れを伴い明子の身を駆け巡る。
チラリと見上げた顔もそうなのか? 光ない空間で揺れる双眸は、熱を孕み明子を見下ろしていた。
「女院様、いつか此度のことが露見したら、御心のままに」
「此度のこと……とは? 」
「このようにしていることです。根も葉もないと一蹴されれば皆、黙るしかありません。しかし……」
「しかし? 」
「黙っていれば……」
「おかしな事を……黙ってしまえば、真済和上のお名前に傷が……」
明子からすれば不本意だが、艶事と言われれば間違いではない。塗籠で2人して抱き合う姿は、言い逃れできるものではないのだから。
女院と過ちを犯した僧侶となれば、大変な不名誉となるだろう。表立って罰が与えられることはないが、寺で身の置き所がなくなるのは目に見えている。
しかし塗籠の外には命婦のみ、漏れるとは思えない。例えそうなっても噂する者を処罰すれば良い。
それを黙認するとは――?
「どんなに些細なことでも吹き込まれた念は、力を持つ」
「噂がまことになると? 」
「なるか? わかりません。でも、それでも良いと思っているのです」
「お名前が地に堕ちても? 」
「私の名は、そんなに大層なものでしょうか? 」
「当然でございます! 」
ムキになれば真済は笑う。それは、それは、楽しげに響く音を鳴らして。
遠い昔、新しい東寺長者と紹介された高僧は、朗らかに笑んだ。長い年月、全く変わることのない鈍色の清らかな者は、穢れを知ることもないのだろう。
「真済様は、昔から変わられぬ。清らかで美しい」
「それは女院様でございます」
「私は煩悩にまみれております」
「私も同じく」
「嘘」
「……ではありません」
「ではどのような? それさえ秘密と去ってしまわれますまいな? 」
恨めしいと軽く睨めば、真済は神妙な顔を作り、すぐに崩した。拳を寄せ肩を震わせれば、わざとらしい咳払いをする。
「さすれば……我昔造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身口意之所生 一切我今皆懺悔」
仏前で身を正し 唱える懺悔文を、女人と抱き合い口にする。
破戒無慙とも言うべき姿だが、共に離れようとはしなかった。
「昔、無理矢理連れて行かれた内裏で美しい姫君を目にしました。噂に違わぬ美貌の人でしたが、どこか寂しげな影がさす、そんな女人を」
思わぬ話に、語る男を見上げようとするが、頭に添えられた手がそれを許さない。仕方なく、目の前に広がる白絹をギュッと握りしめた。
「同じと思ったのです。皆が羨やむ場所に立ち、放つ一言に周りは文句を言わぬ。しかし、何か晴れぬものを持つ……」
静寂に溶ける声は、清雅なる思いを語る。
「その憂を払って差し上げたい、少しでも心やすく過ごせるように。何気ない町の様子、草花の話、些細な事もキラキラとした目を向け、楽しげに聞き入ってくれる。いつしか私も、対面を楽しみにしておりました」
さて、今日は何を話そうか? 足取り軽く渡殿を進めば、御簾から差し出された一面の扇。お約束通り、文がのっているとなれば、ワッと歓声があがる。
戯れに坊主を揶揄っているのだろう、クスリ笑み、視線を巡らせれば局から覗く桜花の顔。
みるみるうちに不安に染まる顔に、胸を締め付けられた。
「これはどういうことか? 芽生えた感情の答えは、到底信じ難く……又、認めるわけにはいかなかったのです」
嬉しい――、唇を震わせるが 上手く声が出ない。嗚咽を漏らすだけの役立たずと、つねりたくなる。
せめて美しいと言ってくれた面に、忘れられぬ程の喜悦を浮かべて見せたい。そう考えた時
『は、ははは』
厳かなる音が、血の気を引かせた。
絞められた腕が緩みもせぬ事から、空耳か? とも疑ったが『甘露、甘露』繰り返すその声は、明子に正体を認識させた。
大きな手のひらを包み、自身の頬へ寄せれば指先からは香の匂い。
懇願に黙り込む真済の思いは、答えられぬ、すなわち、応えられぬということだろう。
又もや、涙が溢れる。
「離れ難き想いはどうすれば良いのか。お心が欲しいと申すのは悪いことでしょうか」
「秘め事とは、どんなに隠しても漏れてしまうものです。しかし自身に押し込めておけば漏れることはない」
「どういうこと? 」
「言霊でございます。声に出してしまえば、それは力を持ってしまいます。恨み言も然り」
上目遣いで見上げる明子に、いつもの穏やかな笑みが向けられた。
「公達らが『恋しい』と口にします。秘めていれば、ぼんやりと想うだけですが言霊を得れば、自身に強く言い聞かせる呪縛となる」
「真済様は、私が縛られていると? 」
「どうでしょうか。ただ、後々わかるかと」
「いつ? 」
「さて? ふふふ……」
真済は、いつもの如く喉を震わせた。
何気ない仕草も、声も、以前なら会えた喜びで満たされたが、今は悲しみしかない。
見上げた目をそっと胸に下ろし、紫の威儀に指を這わせれば、織られた東寺雲紋を見つけ、こっそり袈裟を贈ろうかと考える。
名を伏せれば問題ないだろうか?
ピタリと沿う袈裟ならば、我が身の代わりになるだろう。独善になろうとも、僅かながら繋がりが欲しい――。そんなことを考えれば「女院様」密やかなる声が耳元で囁かれた。
「円仁、相応、この2人にお任せくださると信じております。例え、後任の東寺長者が名乗り出ても……」
「必ず、比叡山座主を呼びます」
真済の胸に沿わせた手に、白絹の衣が重ねられた。互いの袖越しに握られた指先は、甘い痺れを伴い明子の身を駆け巡る。
チラリと見上げた顔もそうなのか? 光ない空間で揺れる双眸は、熱を孕み明子を見下ろしていた。
「女院様、いつか此度のことが露見したら、御心のままに」
「此度のこと……とは? 」
「このようにしていることです。根も葉もないと一蹴されれば皆、黙るしかありません。しかし……」
「しかし? 」
「黙っていれば……」
「おかしな事を……黙ってしまえば、真済和上のお名前に傷が……」
明子からすれば不本意だが、艶事と言われれば間違いではない。塗籠で2人して抱き合う姿は、言い逃れできるものではないのだから。
女院と過ちを犯した僧侶となれば、大変な不名誉となるだろう。表立って罰が与えられることはないが、寺で身の置き所がなくなるのは目に見えている。
しかし塗籠の外には命婦のみ、漏れるとは思えない。例えそうなっても噂する者を処罰すれば良い。
それを黙認するとは――?
「どんなに些細なことでも吹き込まれた念は、力を持つ」
「噂がまことになると? 」
「なるか? わかりません。でも、それでも良いと思っているのです」
「お名前が地に堕ちても? 」
「私の名は、そんなに大層なものでしょうか? 」
「当然でございます! 」
ムキになれば真済は笑う。それは、それは、楽しげに響く音を鳴らして。
遠い昔、新しい東寺長者と紹介された高僧は、朗らかに笑んだ。長い年月、全く変わることのない鈍色の清らかな者は、穢れを知ることもないのだろう。
「真済様は、昔から変わられぬ。清らかで美しい」
「それは女院様でございます」
「私は煩悩にまみれております」
「私も同じく」
「嘘」
「……ではありません」
「ではどのような? それさえ秘密と去ってしまわれますまいな? 」
恨めしいと軽く睨めば、真済は神妙な顔を作り、すぐに崩した。拳を寄せ肩を震わせれば、わざとらしい咳払いをする。
「さすれば……我昔造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身口意之所生 一切我今皆懺悔」
仏前で身を正し 唱える懺悔文を、女人と抱き合い口にする。
破戒無慙とも言うべき姿だが、共に離れようとはしなかった。
「昔、無理矢理連れて行かれた内裏で美しい姫君を目にしました。噂に違わぬ美貌の人でしたが、どこか寂しげな影がさす、そんな女人を」
思わぬ話に、語る男を見上げようとするが、頭に添えられた手がそれを許さない。仕方なく、目の前に広がる白絹をギュッと握りしめた。
「同じと思ったのです。皆が羨やむ場所に立ち、放つ一言に周りは文句を言わぬ。しかし、何か晴れぬものを持つ……」
静寂に溶ける声は、清雅なる思いを語る。
「その憂を払って差し上げたい、少しでも心やすく過ごせるように。何気ない町の様子、草花の話、些細な事もキラキラとした目を向け、楽しげに聞き入ってくれる。いつしか私も、対面を楽しみにしておりました」
さて、今日は何を話そうか? 足取り軽く渡殿を進めば、御簾から差し出された一面の扇。お約束通り、文がのっているとなれば、ワッと歓声があがる。
戯れに坊主を揶揄っているのだろう、クスリ笑み、視線を巡らせれば局から覗く桜花の顔。
みるみるうちに不安に染まる顔に、胸を締め付けられた。
「これはどういうことか? 芽生えた感情の答えは、到底信じ難く……又、認めるわけにはいかなかったのです」
嬉しい――、唇を震わせるが 上手く声が出ない。嗚咽を漏らすだけの役立たずと、つねりたくなる。
せめて美しいと言ってくれた面に、忘れられぬ程の喜悦を浮かべて見せたい。そう考えた時
『は、ははは』
厳かなる音が、血の気を引かせた。
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