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神楽坂gimmick
疼き
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火箸をあてたような疼きが瞼を上げさせた。
痛みが増したのは、バチが当たったのだろう……そんなことを思いながら、暗闇に浮かぶ白い手のひらで顔を覆う。
夕刻 家令が何度も現れ、その度に夫人は席を立った。きっと、近衛子爵家へ抗議を申したのだろう。
惟前は、何と思っただろうか? 答えのでない心配ばかりをし、いつの間にか眠ってしまったようだ。首を動かして蚊帳の向こう側に視線を巡らせるが人の気配はなく、卓上ランプの明かりで、戸が開け放たれていることだけが分かった。
外は暗いが遅い時刻ではないのだろう、それでも無用心では――と思っていると「まあ、お目覚めですか? 」乳母の声が足元からした。
「ええ、今 何時なの? 」
「二十時を回りました。痛みはどうでしょう? 」
「痛いわ」
「それでは、氷のうをお取り替えしましょう」
すぐに台所へとって返そうと、膝を浮かせた微かな衣擦れに引き止める声を上げたのは、咄嗟のことだった。
「待って! お母様は、子爵家へご連絡したのかしら? 」
「ええ、あちら様も大層驚かれて……惟前様は、まだご帰宅ではなかったのですが、その後 折り返しのお電話がありましたよ。さあ、さあ、先に氷をお持ちします。お話はそれから」
惟前への感情を知る乳母は、ふふふ――と、控えめな声を漏らすと出ていった。
氷水があてられ、横になった宮津子に蚊帳の外から乳母が語って聞かせる話は、寝物語のようだ。
ただ、痛快な話でも、心揺さぶる恋物語でもなく、深く考えるほど辛くなるものだった。
夫人は、子爵家へ抗議を申し上げ、あちらは大変恐縮されたらしい。
子爵夫人自ら「今から伺う」と申し出があったが、そこまで大袈裟なことではないとお断りしたという。
これには、ホッとした。
子爵夫人に頭を下げさせたら惟前は、どんな叱責をうけるだろうか。今は後悔しかない、時が戻せるなら戻したいと。
「惟前様から、折り返しもありましてね。明日、お伺いすると」
「どうしょう……怒っておられたでしょう? 」
「何故、怒るのです? あちらのせいではありませんか」
何も知らない乳母は、少々ぶっきらぼうに言い放つ。その様子が、侯爵家の総意のようで更に居た堪れない。
「私が悪いの……」
「まあ、まあ、お嬢様は本当に惟前様がお好きなのですね。でもね、庇うことはありません。ささ、おやすみ下さい」
そう言うと縁側に出、ガラガラと雨戸を閉めはじめた。
「真っ暗じゃない! 」
「暗い方が余計なことを考えずに済みますよ」
早く休ませようと思っているのだろう。
唯一のランプまで引っ提げ、乳母は隣の間へ引っ込んでしまう。
「ねぇ、目が冴えて眠れないのよ」
「私は、眠うございます」
「少しだけでも話しましょうよ」
「ダメです、ゆっくりおやすみください」
あくびまじりの声は、本当に眠そうだ。
「ねぇ……」
「もう、お返事は致しませんよ。夫人に怒られてしまいます。夜中、氷のうをお取り替え致しますからね、それまで おやすみなさいませ」
乳母は、言葉通りに何を言っても返事を返さなかった。
―― 本当に寝たのかしら?
ランプがない為、全く見えない。
少し頭をもたげ隣の間を見るが、ぼんやりと山を描く影が横たわることから、いるのだろう。
夜中に起きなければならないのだから、寝かせてやるべきだが、面白くない。
宮津子は、話を聞いてくれない乳母の睡眠を邪魔してやろうと、独り言を漏らす。
初めは家のこと、次に女学校のこと、何を話しても反応はなく、本当に寝入ってしまったように感じた。
「馬鹿馬鹿しい」
吐き捨てた音が、闇に染み入った。
微かに聞こえる虫の音に、手を引く惟前を見上げ「のぞきからくりが見たいわ! 」と、駄々をこねた日が過る。
宮津子が頼めば、何でもやってくれた惟前は、あの日以降 変わった。
「惟前様のお嫁様は私ではないの? ばあやが言ったんでしょう? 起きなさいよ」
やはり返事がない。
軽く羽織らされた薄物を、引ったくると頭から被り、呪文のように文句を繰り返す。
何か言っていないと罪悪感で押し潰されそうだ。黙っていても眠れない。
明日、惟前はどんな顔をするのだろうか?
「ほら、やっぱり嘘つきではないですか」
呆れを含ませる宮津子の声は、惟前のソレを真似た。
「いいえ、これだけで済まないでしょうね……」
顔を見たかっただけなのに、大変なことになってしまった。ひとり肩を震わせる宮津子の耳に、微かな物音が聞こえた、襖が滑る音だ。
「お話する気になったの?」
起き出し、襖を閉めたのだろう。
返事はないが蚊帳を払い上げる気配がした。薄物越しに明かりが ほんのり差すことから、ランプを持ち込んだと思われる。
「うるさくて寝れないって言うんでしょ? ……ほら、怒ってる。返事をしないならいいわ。勝手に話すから」
拗ねる声にも返事をしない、普段ならそろそろ叱責が飛んでくる頃なのに。
乳母も意地になっているのだろうか? きっとそうだろう、そうでなければ声もかけずに氷のうを取り替えたりしない。
「いいわね! 話すわよ! そんなに黙ってるのが好きならそのまま聞きなさい! 寝たら承知しないから! 」
すべてが思い通りにいかないことに、苛立ちムキになる。眠いと言っていた乳母に憂さ晴らしをする為、厳命をし語りだした。
痛みが増したのは、バチが当たったのだろう……そんなことを思いながら、暗闇に浮かぶ白い手のひらで顔を覆う。
夕刻 家令が何度も現れ、その度に夫人は席を立った。きっと、近衛子爵家へ抗議を申したのだろう。
惟前は、何と思っただろうか? 答えのでない心配ばかりをし、いつの間にか眠ってしまったようだ。首を動かして蚊帳の向こう側に視線を巡らせるが人の気配はなく、卓上ランプの明かりで、戸が開け放たれていることだけが分かった。
外は暗いが遅い時刻ではないのだろう、それでも無用心では――と思っていると「まあ、お目覚めですか? 」乳母の声が足元からした。
「ええ、今 何時なの? 」
「二十時を回りました。痛みはどうでしょう? 」
「痛いわ」
「それでは、氷のうをお取り替えしましょう」
すぐに台所へとって返そうと、膝を浮かせた微かな衣擦れに引き止める声を上げたのは、咄嗟のことだった。
「待って! お母様は、子爵家へご連絡したのかしら? 」
「ええ、あちら様も大層驚かれて……惟前様は、まだご帰宅ではなかったのですが、その後 折り返しのお電話がありましたよ。さあ、さあ、先に氷をお持ちします。お話はそれから」
惟前への感情を知る乳母は、ふふふ――と、控えめな声を漏らすと出ていった。
氷水があてられ、横になった宮津子に蚊帳の外から乳母が語って聞かせる話は、寝物語のようだ。
ただ、痛快な話でも、心揺さぶる恋物語でもなく、深く考えるほど辛くなるものだった。
夫人は、子爵家へ抗議を申し上げ、あちらは大変恐縮されたらしい。
子爵夫人自ら「今から伺う」と申し出があったが、そこまで大袈裟なことではないとお断りしたという。
これには、ホッとした。
子爵夫人に頭を下げさせたら惟前は、どんな叱責をうけるだろうか。今は後悔しかない、時が戻せるなら戻したいと。
「惟前様から、折り返しもありましてね。明日、お伺いすると」
「どうしょう……怒っておられたでしょう? 」
「何故、怒るのです? あちらのせいではありませんか」
何も知らない乳母は、少々ぶっきらぼうに言い放つ。その様子が、侯爵家の総意のようで更に居た堪れない。
「私が悪いの……」
「まあ、まあ、お嬢様は本当に惟前様がお好きなのですね。でもね、庇うことはありません。ささ、おやすみ下さい」
そう言うと縁側に出、ガラガラと雨戸を閉めはじめた。
「真っ暗じゃない! 」
「暗い方が余計なことを考えずに済みますよ」
早く休ませようと思っているのだろう。
唯一のランプまで引っ提げ、乳母は隣の間へ引っ込んでしまう。
「ねぇ、目が冴えて眠れないのよ」
「私は、眠うございます」
「少しだけでも話しましょうよ」
「ダメです、ゆっくりおやすみください」
あくびまじりの声は、本当に眠そうだ。
「ねぇ……」
「もう、お返事は致しませんよ。夫人に怒られてしまいます。夜中、氷のうをお取り替え致しますからね、それまで おやすみなさいませ」
乳母は、言葉通りに何を言っても返事を返さなかった。
―― 本当に寝たのかしら?
ランプがない為、全く見えない。
少し頭をもたげ隣の間を見るが、ぼんやりと山を描く影が横たわることから、いるのだろう。
夜中に起きなければならないのだから、寝かせてやるべきだが、面白くない。
宮津子は、話を聞いてくれない乳母の睡眠を邪魔してやろうと、独り言を漏らす。
初めは家のこと、次に女学校のこと、何を話しても反応はなく、本当に寝入ってしまったように感じた。
「馬鹿馬鹿しい」
吐き捨てた音が、闇に染み入った。
微かに聞こえる虫の音に、手を引く惟前を見上げ「のぞきからくりが見たいわ! 」と、駄々をこねた日が過る。
宮津子が頼めば、何でもやってくれた惟前は、あの日以降 変わった。
「惟前様のお嫁様は私ではないの? ばあやが言ったんでしょう? 起きなさいよ」
やはり返事がない。
軽く羽織らされた薄物を、引ったくると頭から被り、呪文のように文句を繰り返す。
何か言っていないと罪悪感で押し潰されそうだ。黙っていても眠れない。
明日、惟前はどんな顔をするのだろうか?
「ほら、やっぱり嘘つきではないですか」
呆れを含ませる宮津子の声は、惟前のソレを真似た。
「いいえ、これだけで済まないでしょうね……」
顔を見たかっただけなのに、大変なことになってしまった。ひとり肩を震わせる宮津子の耳に、微かな物音が聞こえた、襖が滑る音だ。
「お話する気になったの?」
起き出し、襖を閉めたのだろう。
返事はないが蚊帳を払い上げる気配がした。薄物越しに明かりが ほんのり差すことから、ランプを持ち込んだと思われる。
「うるさくて寝れないって言うんでしょ? ……ほら、怒ってる。返事をしないならいいわ。勝手に話すから」
拗ねる声にも返事をしない、普段ならそろそろ叱責が飛んでくる頃なのに。
乳母も意地になっているのだろうか? きっとそうだろう、そうでなければ声もかけずに氷のうを取り替えたりしない。
「いいわね! 話すわよ! そんなに黙ってるのが好きならそのまま聞きなさい! 寝たら承知しないから! 」
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