AV最前線

ユカ子

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 気分は最悪だ。
 部屋の隅っこで、長瀬は裸で蹲っていた。彼の目前では、裸の男と女が絡み合っている。二人をカメラマンと照明が取り囲み、一歩後ろに手帳を持った小太りの監督がいる。彼の横に、アダルトビデオメーカーのディレクターがいる。
ここはAVの撮影現場だ。
「そろそろ、ウミにもイベントに出てもらおう。ファンとの交流会を設けて営業させれば、今よりもっと客を呼び込めるだろ」
「・・・ウミには、デビューしてから熱狂的なファンが大勢います。今更、新規ファンの獲得なんて出来ますか?そうでなくても、AV女優なんて短命なのに・・・・・」
 プロデューサーの話に怪訝そうに、監督は答えた。デビューから衰退していくのが、悲しいかな、AV女優の一般的な流れだ。そのうち妊娠して家庭に収まるもの、自分で会社を起こす女優もいれば、男で破滅した悲惨な例もある。
「あいつが売れるのも今だけだろ。ロリ顔で巨乳だから受けてるんだ。あの路線は、少し年取っただけで需要が一気に減るからな・・・・。事務所とは既に話を進めてる。お前が監督やってくれよ」
「まぁ・・・・ウミを一番綺麗に撮れるのは俺だからね」
 気乗りしない風ではあったが、蒼井の撮影には絶対の自信を持っているようで、監督はディレクターに頷く。横で聞いていて、あまり楽しい話ではなかった。去り際、ディレクターが長瀬に気付いた。
「何してんだ、長瀬?」
 長瀬は答えない。黙っている長瀬に代わって、監督が答えた。
「そいつ、当分使えないんです」
「使えない?なんで?」
「勃たなくなったって」
「・・・・・・あぁ、そう」
 ディレクターは素っ気無く頷き、長瀬の肩を軽く叩くと、部屋を出て行った。監督は再び眼前に目を向ける。同じ男として少しは同情するが、仕事となればシビアだ。
「長瀬。もう帰っていいぞ」
「でも・・・・・・」
「勃起しねぇAV男優なんざ、いらねぇ」
「・・・・・・・・」
 返す言葉も無い。長瀬はガクリと項垂れて、とぼとぼと部屋を出て行った。その後姿を、ニヤリと笑って、蒼井が見送ったのだった。


 Erectile Dysfunction略して、ED。日本語で言うと、勃起不全。息子さんが起きないのだ。
 まさか自分がそんな症状に陥るとは夢にも思わず、長瀬は酷くショックを受けて、放心状態だった。これまで、無茶な事はいくらでもしてきたし、体力には自信があった。精力も抜群だった。そうでなければ、AV業界で働こうなんて思わなかっただろう。汁男優時代は小金を稼ごうと、一日何度発射したのか覚えていないぐらいだ。それだけ性欲の権化だった自分が、まさかEDになるなんて、世の中とはなんて無常なのだろう。あぁ、無情。
 ひゅるりらと風に吹かれて歩きながら、道をすれ違う男性を見ると、せせら笑われている錯覚が見え、顔を上げられない。あのハゲ散らかしたオッサンも、あのズボンをずり下げた頭が悪そうな男子高校生も、あんな小学生上がりの坊主頭の中坊でさえも、勃起出来るのに、どうして自分は勃たないんだと、勝手に想像して激しく落ち込む始末。
 ふらふらと街を彷徨いながら、長瀬が辿り着いたのは、一軒のケーキ屋だった。『ジュエル』と書かれた木製の看板の前に立ち、長瀬は入ろうか躊躇う。
 約束の一ヶ月は過ぎているから、堤が職場復帰しているのは知っているが、AVの仕事など不定期だ。個展を始めてから、もしかしたらずっとここにいるのかもしれないと想像すると、入り辛い。あれから、勿論、堤とは連絡を取っていない。気絶するように倒れている堤を置いて、長瀬は堤の家を飛び出したのだ。あの時の事は、思い返したくなかった。堤に非道な真似をするのは、酷い話、良心は痛まない。蒼井には勝てないが、長瀬も上等な性格をしている。
 興味心で堤に手を出したのは、事実だ。性の観念が低かった長瀬だから、男相手のアナルセックスに抵抗はさほどなく、堤も結局は許してくれたのだから、結果オーライだと、その程度の考えしか持っていなかった。
 けれども、堤と過ごす内に、徐々に自分が取り返しのつかない方向へと進んでいるのは薄々気付いていた。気付いていて、自分は自分を止めなかったから、あんな無様な醜態を晒してしまったのだ。
 堤が悪いと、長瀬は思っている。あのまま呑気に過ごせていたら、自分の気持ちをいくらでも誤魔化す機会はあったのに、と。
「・・・・・・・・・・・・」
勝手な言い分だと分かっていても、それが長瀬なのだ。その罰を受けて、EDになってしまったのかと、また落ち込む。 
 鉢合わせてはかなわないと、長瀬がさっさと去ろうとすると、店の扉が勢いよく開いて、中から背の高い店員が飛び出してきた。
「待ってくださいっ!!!絵描きさんの友達さんっっ!!!」
「・・・・はい?」
 絵描きとは堤で、その友達とは自分を指すのだろう。長瀬は振り返る。
「個展が始まってから、いらしてなかったですよね?あと1週間しか残ってないんですよ。良かったら、見ていってください」
「・・・・・・・・えっと・・・俺・・・忙しくて・・・・その・・」
「絵描きさんは午前中に来てくださったんで、今日はもう来られませんよ」
 ニコリと笑って、店員が言った。どうやら、二人が仲違いしていると、察しているらしい。あれだけ仲良く準備をしていたのに、初日からパタリと来なくなれば、察せられるのも無理はない。
 ニコニコ笑っている店員を無下にも出来ず、渋々長瀬は店の中へと足を踏み入れる。
 シンプルで開放的なケーキ屋の外観やイメージを崩さない程度に、小さなパネルに堤の絵が収まっている。どの絵も、ユニークなものばかりだった。イチゴのホールケーキの上で、イチゴを明かりに見立てて踊る、生クリームで出来たバレリーナ達。タルトの生地を船代わりに、ブルーベリーソース海を渡る、チーズで出来た海賊。大きな器に入ったミックスジュースの中では、バナナやミカンやパイナップルの模様がキラキラ輝いている。どれも、夢のある絵ばかりで、見ているとお腹がすいてくる。
 この絵を、あのガタイのいい堤が描いたと思うと、笑えてくる。そして、フッと思い出す。自室にこもり、もくもくと絵を描いていた堤の後姿を。むしゃぶりつきたくなる背中を思い出すと、ぞくぞくする。
 一枚一枚丁寧に絵を眺めた後、販売コーナーの売れ行きを店員から聞く。まとめてハガキを買うものは少ないが、ケーキの土産で数枚買う客は多く、好調のようだ。ほっと胸を撫で下ろしていると、店員が紅茶とケーキを奢ってくれた。
「せっかくいらしてくれたんですから、どうぞ召し上がって下さい」
「これは・・・・・」
 さっき見た、ショートケーキの上で踊るバレリーナだ。生クリームが溶けかかっているが、チョコレートで目や口が描かれていて、ドレスの柄も絵と全く同じで、パティシエの手腕に唸る。顔を上げると、店員が嬉々と話した。
「これ、個展の初日にシェフが堤さんの為に用意したものなんです。貴方にも食べて頂きたかったんですが、体調を崩されてるって堤さんが話してたので、来られるのを待ってたんですよ~~」
 堤が感激して、そのまま店のメニューになった。期間限定で、来月は別の堤の作品をケーキにする予定だと言う。シェフは気難しそうな性格をしているが、堤のイラストは気に入ったようだ。
「・・・・じゃあ、頂こうかな」
「ぜひ!」
 席について、その甘酸っぱいケーキを頬張る。しつこくない甘さのクリームがはさまったスポンジの間に、甘酸っぱいイチゴが程よく絡まって、美味しい。フォークでバレリーナの形を崩すのを躊躇いながら、少しずつケーキがなくなっていく。ケーキがなくなったら、温かいミルクが注がれたアールグレイの紅茶を飲む。甘さでいっぱいだった口の中が、まろやかな香りのミルクティーによって、中和されていく。
 その味わいは長瀬のささくれていた心を少し、和らげてくれた。店内に飾られた堤の絵もだ。このケーキと同じで、堤と過ごした数日間は甘くて、甘酸っぱくて、まろやかで、優しい気持ちにさせてくれる。堤といれば、嗜虐的にもなる。でも、それだけじゃなくて、そんな自分を堤が受け止めてくれると知っているから、安心していられるのだ。腹立たしい事だが、蒼井が堤を手放さない理由が分かった気がする。
 あんな居心地の良い存在を知ってしまえば、甘えたくなるのも道理だ。そして、こんな絵を描ける堤だからこそ持っている、揺らぎのない堤の世界観が自分を不安にさせる。焦らされて、困らせたくなる。
 やっぱり堤が悪いのだと、そう思って長瀬はプッと笑った。
「・・・・・俺、帰ります。また明日も、この時間に」
「有難うございます。あ、御代はけっこうです。このケーキはシェフが堤さんのお友達の為に作られたものですから」
 さすがにそれはずうずうしいだろうと長瀬が遠慮していると、厨房から「黙って食って帰れ!」と怒鳴り声が届いたので、長瀬は「有難うございます!!!うまかったです!!!」と声を張り上げて、笑いながら帰っていった。


 それから連日、長瀬は夕暮れの人が少ない時間帯を狙って、『ジュエル』に通った。展示されている絵は変わらないのだが、EDで気持ちが沈んでいる長瀬には、こうやって堤の絵を眺め、甘いケーキを食べるひと時は一日の中でもっとも穏やかな時間で、堤と過ごしている時に近い安らぎを感じられたのだった。
 出されるケーキの代金をシェフが受け取ろうとしないので、口論の末、飲み物の代金だけは支払い、ケーキに関してはシェフの試作品を食べる形となったので、代金は渡さないと決まる。同じやり取りが、既に堤との間にもあったらしい。彼も早朝、毎日店を訪れると言う。店員は「また一緒にいらしてください」と言ってくれたが、それはもう不可能だろうと、長瀬は思った。仕事場もEDのせいで失ってしまった長瀬には、もう堤との接点は無いのだ。あんな仕打ちをして、あんなみっともない告白をして、長瀬も会いたいとは思わなかった。
 そう、自分で思い込もうとしているのだと分かったのは、ある日の夕方、いつもと同じように『ジュエル』を訪れて、絵を眺めていたら、見覚えのある人物を見つけた。AV女優の夏見奈々美だった。蒼井が毛嫌いしている夏見だ。彼女は蒼井とは対照的で、何処か影の付きまとう妖艶な顔が、マニアに受けている。長瀬からすれば、蒼井も夏見も、どっちにも興味が湧かない。二、三度射精して終わりの関係だから、そう淡白に考えられるのかもしれない。
 夏見も長瀬に気付き、軽く会釈して店を出ようとする。素っ気無い態度だ。けれども、堤の絵を見詰める彼女の熱心な瞳が胸にひっかかり、長瀬は呼び止めた。
「ナナさん!」
 夏見は振り返った。僅かに寄せられた眉に気付き、長瀬が言い直す。
「・・夏見さん」
「なんですか?」
「せっかくですから、一緒にケーキ食べませんか?今、期間限定中で堤さんのケーキが食べられるんですよ」
「・・・・・・・・・・・・」
 躊躇っている様子の夏見を強引に誘って、長瀬は席に着いた。程なくして、店員がケーキセットを持ってきてくれる。夏見は堤の絵そっくりのケーキを前に、顔を綻ばせる。しばらく、口に甘いひと時を過ごす。
 前々から、彼女の態度を見るからに、堤に好意を抱いていると分かっていて、一度きっちり聞いてみたかった。なんて答えるのか、興味がある。
「・・・・どうして、ここに?」
「仕事場で、監督が話してたから」
「わざわざ一人で来るぐらい、堤さんの絵に興味があったんですか?」
 このままじわじわ追い詰めてやろうと長瀬が企んでいると、その魂胆を見破ったのか、クスリと夏見は笑って、言った。
「そんな遠まわしに聞かなくてもいいよ。私が堤くんを好きかどうか、聞きたいんでしょ?」
 自分から語ってくれるのならば、願ったり叶ったりだ。長瀬は爽やかに笑って頷いた。夏見は困ったように眉を下げ、飾られている堤のイラストを見た。何処か懐かしそうに目を細めて、彼女は静かな声で話し始めた。
「・・・・・好きだった、て言うのが正解かな」
 過去形だった。それはいつ始まって、いつ終わったのか。
「初めて堤くんの絵を見た時・・・・・すごく感動した。高校の文化祭で、小さな美術準備室にいっぱい絵を張り巡らせて、星の形を作ってた。その一枚一枚が丁寧で、面白くて、じっと見てたら、堤くんが説明してくれて・・・・その一生懸命な姿がかっこいいなって思った。堤くんは学校でもクラスでも目立つ人じゃなかったし、だからって一人でいるのもあんまり見た事がなかったから、こんなに好きなものがあるって、その時初めて知ったんだ。相変わらず、あの時も食べ物の絵ばっかり描いてたな・・・・・好きなんだね」
「・・・・高校の文化祭?同級生だったんですか?」
「堤くんは知らないだろうけどね」
 フフッと嬉しそうに言って、夏見は人差し指を口の先に押し当てた。黙っておいて欲しいと、サインだ。
「私は高校の頃はいじめられてて、学校も休みがちだったから、親しい友達もいなくて・・・・当たり前の高校生活を送った記憶が少ない。そんな中で、堤くんとの会話だけが綺麗な綺麗な思い出。いつまでも、思い出の箱に入れておきたかったから、同じ仕事に就いた時は軽くショックだったな」
 過去を吹っ切れたからそんな話を聞かせてくれるんだろうと、長瀬はそう思った。それとも、長瀬が堤と関係を持っていると知っているから、話しているのだろうか。
「・・・いいんですか、そこまで話しちゃって・・・・・・」
 思わず問えば、不敵な笑みを浮かべて夏見が長瀬を見上げた。
「話せるのはここまで。この先は、絶対、言わない」
 まだ続く先があるのかと、長瀬は背筋が寒くなる。彼女の話し方は、何処か暗さが付きまとう。いじめられていた過去を暴露しただけでも、相当勇気が必要だったのではないかと感じたのだが、彼女にはそれを上回る忌まわしい出来事があったようだ。好奇心が疼く自分は、下世話極まりないと思う。
 ふと、長瀬は疑問を口にした。
「高校が同じなら、蒼井さんの事も知ってたんですよね?昔から、あんな酷い性格スか?」
 確か、堤と蒼井が付き合い始めたのは高校生からだったと聞く。長い腐れ縁だと、堤が零していたのだ。何の気なしに聞いた質問に、ぞっとする程、冷たい声で答えが返って来た。
「あんな人、知らない」
「・・・・でも」
「全然知らない人よ」
 そう言い切り、それ以上の質問はさせてもらえなかった。堤の話をしていた時は、いつもはつんとした口元が柔らかに緩み、目が優しげに細められ、本来の夏見はもっと温厚そうな女性なのかと思わせられたが、蒼井の話となると、途端に表情が厳しくなり、目が釣りあがった。僅かに、体が震えている。
 長瀬が黙っていると、今度は夏見が問うた。
「・・・・・長瀬くんは、堤くんが好きなの?」
「好きだったら、変ですか?」
 堂々としたものだと、我ながら思う。夏見も同じように感じたらしく、少し目を丸くしてから、プッと笑った。笑うと、やはり柔らかな印象を持たせる。
「変じゃないよ。ただ、好きだったら、あんまり堤くんをいじめないで欲しいの」
「だって、あの人見てたらいじめたくなるんだもん」
「・・・・そんなだから、堤くんも貴方を放っとけないんだ」
 呆れたように呟くと、夏見が長瀬の肩をポンポンと叩いた。
「まぁ、私が口出す事じゃないね。一応、応援しといてあげる」
「・・・どうも」
 応援と言われても、既に長瀬の恋は破綻してしまっている。出だしから無茶苦茶だった上、トドメを刺した形で、堤を傷つけてしまったのだ。自分としても、これ以上は突きたくない話題だった。
「まずはED直して、堤くんにちゃんと謝ってきなよ」
「うっ!!」
 鋭い観察眼だ。EDは既にネタとして仕事仲間には知れ渡っているだろうが、堤と仲違いしているのは、ケーキ屋の二人以外知る人がいない筈なのだ。さすがに堤も蒼井に話したりしないだろう。謝罪して、どうにかなる問題ではないのだ。
 青くなって俯いてしまった長瀬に、夏見が首を傾げる。
「どうしたの」
「・・・・・・・・・無理なんです」
「何が?」
「・・・・俺はもう堤さんとは・・・・・・・・」
 言葉を濁した長瀬に、夏見は事態をある程度察してくれたのか、カチャリと紅茶を手にとり、明後日の方向を見る。
「そう・・・・・・・・・・案外、根性無いんだね、長瀬くんって」
「なんスか、それ」
「別に」
 ズズズと紅茶を啜って、長瀬の顔を見ない。紅茶を飲み干してから、フゥと一息つき、夏見が言った。
「堤くんは、根性あるよ。そう簡単に、負けたりしない。自分の世界をちゃんと持っている人だから、弱音を吐いても、逃げないの・・・。そういう所が、好きだった」
 郷愁に似た恋が、未だ夏見の胸に残る。けれど、過去は過去だ。もう、自分は堤への気持ちは一切絶った。残り香に少し酔っているだけだ。俯いて、何も言葉を発しない長瀬に、夏見は同情もしない。彼らの間で何があったのか、夏見には関係の無い話だった。深く関わってしまって、また傷が増えるマネはしたくない。
 長瀬はまだ、夏見の言葉の意味が分かっていないらしく、怪訝な顔で夏見を見つめるばかりだ。
 夏見は席を立った。
「ごちそうさま。御代は、私に払わせて」
「いやっ・・・・それはっ・・・・・・」
「その代わり、お願いがあるの」
「?」
 苦笑いを浮かべながら、夏見は長瀬に頼む。
「・・・・・・堤くんが好きなら、ちゃんと奪って」
「は?」
「しっかり、捕まえとくのよ」
 怖い内容で、言い方は厳しい。けれど、それは堤を陥れようとしているのではなくて、長瀬を諭すのでもない、奇妙な言い回しだった。堤と長瀬以外の、第三者に対する宣戦布告に聞こえたのは、気のせいだろうか。
 真意を質そうと追いかけるも、夏見は店員に捕まって、「堤さんの友達なら、御代は結構です」「いいえ、そういうわけには参りません」と、身に覚えのある問答を繰り返していた。
 応酬の末、お金を置いて逃げるように店を飛び出した夏見を追いかけて、長瀬は声を荒げた。
「・・・・・奪えって、誰から?!」
「・・・・・・・・・そんなの一人しかいないでしょ」
 決して、夏見はその名を言わなかった。それが余計に、彼女らの間の確執を物語っている。つつけば面白そうな話を聞けそうだが、そんな余裕はもう今の長瀬にはなかった。もはや彼女は身を引いた存在で、自分達には関わらないつもりならば、余計な詮索は無用だ。
「・・・奪えって」
 小さく、長瀬はため息を吐く。
「厳しいな・・・・・・・」


+


 個展は好評のままに、幕を閉じた。ほんの一ヶ月程度ではあったが、これをきっかけに新規の客も摑めて、出版関係の知り合いも触れた。以前イラストを担当した企業の広報部もわざわざ顔を出してくれて、次の仕事の話も出来た。自分にそれだけ知名度があったとは思わない。場所が良かったのだと、堤は確信していた。
 ケーキ屋『ジュエル』の出資者であるオーナーは顔が広く、堤とは同世代と言う若さで、大手ホテルグループの会長を務めており、他にもレストランやブーランジェリー等、多種に渡って出資している。店を切り盛りしているのは、ごく普通の、見方によれば柄の悪いと言えなくもない、無愛想なシェフであるのに、妙な繋がりがあるものだと、堤は思う。
 あのシェフは一見愛想は無いが、店で出す商品には誇りを持っているし、客に対する気配りも行き届いている。こうやって、イレギュラーな堤の個展の際でも、口ではグチグチ言っていても、全面的に協力してくれたのだ。根は優しいのだろう。
 客の中には、招かれざる者もいた。蒼井が仕事関係者を引き連れて、ぞろぞろやってきたのだ。店内は狭くないが、既に他の客も数人席についていたと言うのに、わざと堤がいる時間を狙って、大勢のとりまきとキャッキャとはしゃぎながら店内を回るので、堤は声のボリュームを絞って、蒼井に注意したが、人の話を聞くような女ではなかった。他の客もいなくなってから、興味をなくしたかのように、さっさと蒼井は帰っていった。営業妨害も甚だしい。
 様々な客の話を店員から聞き、堤は、長瀬が来ていた事を後で知った。
 個展の最終日、軽い打ち上げをやろうとオーナーが言い出して、四人でささやかながら夕食をとった。シェフも店員も、このケーキ屋を始める前はホテルの厨房にいたと言い、豪勢な料理を振舞ってくれたのだ。そんな幸せな気分の後、店員がこっそり教えてくれたのだ。
 長瀬との事は、正直、忘れたかった。ベッドの上で目覚めた時、長瀬に対する怒りよりも、未だ蒼井を引きずっている自分自身に腹が立った。長瀬の指摘は当たっている。まだ、自分は蒼井を忘れられていない。あんな横暴なやり方で、堤はそれを思い知らされたのだった。

 
 職場に復帰して、開口一番、蒼井が言った。
「おっはよ~~。やっすたか♪面白いニュースがあるのー。聞きたい?聞きたいよね?聞きたくなくても聞かせたげる。長瀬くんっさ~~~~、EDになったんだって~~~。勃たないんだって、恥っずかしいよね~~。ホント、笑っちゃう。あんなんでAV男優とか、よく言うわ~~~。勃起出来ないなんて、男としての価値ゼロだよ。今時、おじーちゃんでも小学生でもセックスしてんのに、ダッサ!!!!これで汁男優以下に成り下がったよね!」
「・・・・・・・・・・・・」
 EDなのは、既に噂で聞いていた。それに関して、蒼井が好き放題言うのも、予想の範囲内だ。彼女は長瀬を罵倒したいのではない。こう言えば、堤が不快になると分かっているからだ。彼女の攻撃目標は、自分にある。堤は、蒼井の話をしらけた態度で聞いていた。
 思った反応がもらえず、蒼井は不機嫌に顔を顰めた。
「どうしたの。保孝」
「・・・・長瀬の事なんざ、俺には関係無いだろ」
「つっめた~~い。ケツ売った相手に、他人事過ぎない?」
 さすがにその言い方には苛立ったが、蒼井の挑発に乗る気はない。堤は静かに話を変えた。
「それより、話があるんだ。今日の仕事終わり、時間あるか?」
 話を変えられ、ムッとなって、蒼井はすっぱり言った。
「時間?ないよ。保孝に使う時間なんて無い」
「・・・なら、いい」
 ハァと堤は軽くため息を吐く。普段の反応とやはり違う。それに気付き始めた蒼井は、慌てて言い足した。
「話があるなら、ここですればいいじゃない。今なら、時間あるよ」
 ここは蒼井と堤が契約している事務所が持っているスタジオで、撮影現場にはまだ人は集まっておらず、話す時間が無いわけではない。それでも人の目が気になったが、僅かに躊躇った後、堤が言った。
「事務所のマネージャーと相談して、今年いっぱいで俺は契約を終わらせようと思ってる」
「え・・・・・」
 蒼井の顔が青くなった。
「解雇扱いしてもらうから、契約違反にはならないってさ。多少の違約金は払う事になるけど、残りの仕事のギャラを減らしてもらって、相殺するつもりだ」
「なんでそんな勝手な事、私に黙ってしたの!?」
 金切り声を上げて怒りを露にする蒼井に対し、堤は冷静に、静かに話す。
「急に出てきた話だったんだよ。だからまだ本決まりじゃないけど、事務所の社長も納得してるから、後は書面でかわすだけだな」
 淡々と喋る堤の話が、蒼井の頭の中に入ってこない。彼女の胸の鼓動がどくどくと嫌な音が鳴って、ぞわぞわと虫に似た不快感が体を這い、苛立ちで足を踏み鳴らしたくなる。そもそも、この仕事を止めて、何処へ行こうというのか。
「・・・・・仕事はどうするのよ」
「この前の個展がきっかけで、もちょっとイラストの仕事がもらえそうなんだよ。貯金もあるし、本腰入れてこっちで頑張りたい。貧乏生活は覚悟してる。今はとにかく、時間が欲しい・・・・・・・・」
 それが切実な願いだ。AV男優の仕事も自由が利くと言っても、この業界はAV女優主体で、見たくないどん底の場面を否応でも見させられる。気が散るのだ。
「個展?あれが?あんなラクガキを、小っちゃなケーキ屋でベタベタ貼ってもらっただけで、仕事が来るわけ?イラストレイターなんて、貧乏の底じゃない。大体、保孝の絵に、お金払う価値なんかある?」
 蒼井の暴言には慣れている。慣れていても、胸が軋む。蒼井は堤の絵をマトモに見た事すらない。嫌いだからだ。自分よりも堤の中でウェイトを占めるものを、蒼井はずっと嫌悪していた。
返事に困ったが、黙ったままなのも居心地が悪い。
「お前のおかげなんだよ、海美」
「なにが」
 頬を膨らませ、蒼井が聞き返す。この先の言葉を続ければ、蒼井の機嫌が更に悪化すると分かっていて、あえて堤は口にした。
「お前が監督とかマネージャーを個展に連れてきてくれたおかげで、皆が俺の絵に注目してくれた。俺が真面目に絵の世界で食っていきたいって、分かってくれたんだ。・・・・有難うな」
 あからさまに、蒼井の顔が歪む。最期の堤の言葉は、トドメだった。わざと堤が蒼井の嫌いな言葉を選んだと、蒼井自身分かっていても、聞き捨てならなかった。
バンッ!!!
大きな音を立てて壁を叩き、蒼井は鞄を持って、踵を返す。現場のスタッフが見咎め、蒼井を呼んだ。
「ウミちゃん!これから撮影・・・・」
「生理になったから、帰る!!!!!!」
「そんなぁ~~!!ちょっと、ウミちゃんっっ!!!!」
 スタッフが追いかけていったが、蒼井を現場に戻すのは不可能だろう。この展開は想定出来ていたから、仕事が終わってから時間を取って話そうと思ったのに。と、少々無責任な事を堤は思う。
 蒼井が嫌がらせで(どう考えてもそうとしか受け取れない)、個展にAV関係者を連れてきたおかげで(所為で)、堤は仕事場の仲間の同意をもらえたのだ。皮肉な結果だ。
 このままで蒼井が終わらせるとは思えない。これは自惚れじゃない。蒼井海美がどんな女なのか、これまで散々堤は心と体を傷つけられながら、教え込まされたのだ。ただ、堤には、蒼井が何を仕掛けてくるのか、全く想像は出来なかった。堤を奈落の底へ叩き落そうと企てているのだけは、分かる。
 相手をするのは相当疲れるだろうが、堤の意志は固い。これまで蒼井の自由にさせて、散々彼女を思い上がらせてきたのは、自分にも原因がある。きちんと話をつけなければ、永遠の奴隷だ。
「・・・・・・・・・・ハァ」
 彼女と対峙する前に、もう一つ、堤には決着をつけておかねばならない問題があった。



+++



 一階がガレージになっており、そこに古いプジョーが置かれてある。ガソリン代もままならないので、近頃は乗っていない。二階に住宅スペースがある。もともとは小さな鉄工所だった物件を、友人と安く買い取って、シェアリングして暮らしているのだ。同居の友人達の生活も乱れていて、ろくに家には帰ってこない。何処で何をやっているのか、互いに干渉はしなかった。
 なので、あまっている部屋を現像室にして、自室はスタジオ紛いに作り変えていた。AVの収入も見込めず、ろくに貯金もしていないので、明日の金にも困っている。親とは縁を切っているから、援助は有り得ない。我ながら、なんてどん底なのだと、長瀬は達観して笑う。
 ベッドに転がってボンヤリしていると、インターホンが鳴った。画面付のドアホンなんて便利なものは、この古い家には無い。わざわざ一階まで下りて、玄関を開けねばならない。居留守を決め込み、枕に顔を埋めていた長瀬だったが、胸騒ぎを覚え、階下へと下りた。
 玄関の扉を開くと、堤が立っていた。長瀬は絶句する。
「・・・・・・・・・よぉ」
 仏頂面の堤が長瀬に声をかける。口が少し曲がっている。彼とて、ここに来るのは不本意ではなかったのだろう。長瀬は戸惑った。
「・・なっ・・・なんで・・・ここ・・に?」
「約束しただろ」
「約束?」
「・・・お礼に写真撮らせるって。ちょっと、ゴタゴタしてて遅れちまったけど・・・・・・・・」
「あっ!」
 すっかり忘れていた長瀬に堤が呆れる。しかし、来ないと思うのも無理は無い事をしたと、長瀬自身自覚があるのだと分かると、堤も思った。その分では、蒼井よりは可愛げがある。
 顰め面の堤を前にして、長瀬もどう切り出せばいいか分からない。約束は覚えているが、あんな真似をしておいて、今更調子の良い頼み事を堤には出来ない。堤の意図が分かると、長瀬もまた、眉を寄せて顔を歪める。
 逆切れに近い形で、長瀬は苛立った。
「・・・・アンタ、よくここに来れましたね」
「約束したからな」
「あんな口約束、本気にしたんですか?」
 あの時は単純に、長瀬も嬉しかった。勿論、本気だった。
「約束したからって、自分をレイプした男の所にのこのこよく来れますね」
 男としてのプライドはないのかと、暗に堤を批判する。
「それとも、もう一回ヤられたい?」
 ガッ!!!
 堤は長瀬の胸倉をつかんで、凄んだ。低い声で唸るように、言い捨てる。
「いいか、長瀬・・・。俺を追い返したいなら、わざと煽る必要はねぇよ。そう言や、いいんだ」
 はっきり言い当てられると、長瀬も答えようがない。堤が続けた。
「俺はっ・・・・お前が俺と同じで、本気で、やりたい事があるんだって思ったからっ・・・それに協力したいだけだよっ・・・。お前が本気じゃねぇんなら、俺は帰る。時間の無駄だったな」
 長瀬から手を離し、堤はくるりと踵を返す。背を向けられた途端、無意識に長瀬は堤を追いかけて、その体を後ろから強く抱き締めていた。腕の中の堤の体が、ビクリと大きく揺れた。堤の肩に顔を埋め、長瀬は乞うた。
「・・・帰らないで・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・長瀬」
「・・・・・本気です。本気だから、お願いだから・・・・・・・・・・帰らないで下さい」
「・・・・・・・・・・・・分かったから、離せ」
 前に回された手を堤が剥がそうと摑む。抵抗せず、長瀬もそっと堤から手を離した。そして、堤が振り返ったら、改めて正面から抱き締め直す。
「おい」
「・・・・・・・堤さんって抱き心地悪い」
「悪かったな」
 文句を言われても、単なる長瀬の照れ隠しにしか聞こえなかった。嫌味の一つも言いたいのは自分の方なのに、こうも素直に抱き付かれると、怒る気も殺がれてしまう。
「おい、離せ。俺はヤリにきたんじゃねぇぞ・・・・」
「えーーっと・・。何しにきたんでしたっけ?」
「長瀬」
「冗談ですよ」
 にこりと笑って、長瀬は堤から体を離した。ヘラヘラ笑っている姿はいつもの長瀬なのだが、何処かそわそわしているのは、空気で分かる。同じ空気を吸っているからか、堤も妙に落ち着けなくなってくる。
「とにかく、中に入れろ」
「どうぞどうぞ。何もない所ですけど」
 階上を上がって、スタジオ紛いの長瀬の部屋に入る。台所は別の部屋にあるから、撮影機材とベッド以外は何も置かれていないシンプルな部屋に、少し堤は驚いた。
「雑誌とか資料の類は全部ガレージに積んでるんです。服はシェアしてる友達のを勝手に着てる。水道はよく止められるんで、ペットボトルは完備スよ。なかなか自由な生活してるでしょ?」
「人間らしい生き方がしたい・・・・・」
「アンタが言うと笑えます」
 馬鹿なやり取りをしながらも、堤は部屋の中へと入り込むと、ライトが向けられているベッドの前に立ち、服に手をかけた。
「ウダウダ言ってねぇで、さっさとやろうぜ」
上目遣いで、長瀬を見上げる。困ったように、長瀬は笑っている。
「・・・・・脱げばいいんだろ?」
「本当にいいんですか?」
 問いに問いを重ねれば、厳しい目つきで堤は言い放つ。
「男に二言はねぇよ。その代わり、顔は撮るなよ」
「えーーーーーーーーー・・・」
「モデルでもねぇんだから、顔だけは勘弁してくれ」
「分かりました!でも、細部まで撮らせてもらいますからね!」
「・・・クソッ」
 小さく罵っただけで、堤は拒否しなかった。長瀬も堤の要求を受け入れる。ただし、個人的に楽しむ分には顔もこっそり撮ってやろうと腹の中で決めている。
 さっさと服を脱ごうとしている堤を止め、長瀬が指示を出しながら、堤を脱がせていく。白いシャツが徐々に剥けて、蛹が羽化するかの如く、少しずつ現れる小麦色の焼けた肌を、一枚一枚丁寧に、長瀬はカメラのフレームに収めていく。
二つのライトの光が、絶妙な陰影を堤につける。彼は美形ではないが、体のラインは同じ男から見ても綺麗で、引き締まった肌は少し汗ばんでいて、光って見せた。
 レンズを絞り、光の量をコントロールする。少し暗めに、肉体の細部を生々しく表現させる。
 堤の描く絵が想像豊かなファンタジーなのだとしたら、自分はその逆で、そこにあるものをありのままに映し描きたいのだと、長瀬は思う。打ちつけた赤い跡だとか、手入れのされてない爪の先も、うっすら生えている産毛や、頑ななその表情だって、偽らない堤自身で、カメラのレンズには裸の肉体しか映っていない。
 昔、写真を撮られると魂を抜かれると言う馬鹿馬鹿しい噂が飛び交ったと聞くが、それはあながち間違いでもないのかもしれない。写真に写った姿には、魂なんて無い。写真は無言だ。
胸の中に秘められたものよりも、そこにあるものをあるがままに、写し取りたかった。
 堤の腕を取って、ベッドにゆっくり押し倒し、彼の腹の上に圧し掛かってピントを合わせる。堤が顔を背けるから、横向きになった堤の顔に手を伸ばして、手で覆う。そのまま片手で器用に長瀬はシャッターを切る。少しブレてしまうが、その歪みが躍動感を生む。顔を覆う手の親指を堤の口の中に突っ込んで、零れる唾液を写し取る。
 堤が長瀬の指を甘く噛んで、反抗する。その甘い痛みに痺れて、長瀬は思わず堤の喉元に噛み付いた。
「・・・・おいっ」
「・・と、無意識でした。スンマセン」
「勃起しながら謝られてもな・・・・・・説得力ねぇよ」
 堤に指摘されて、長瀬は自分の股間の状態に気付く。ここ数週間、悶々と過ごす羽目になっていた性器は緩やかに立ち上がりを見せている。医者に行く金も勇気もなくて放置していたから、病気じゃなくて良かったと、長瀬は胸を撫で下ろした。
「勃った!!堤さん、勃ちました!!!!!」
「・・・・・・・・・良かったな。さっさと抜いて来い」
 勃起不全の話は聞いていたから、堤も素直に祝ってやる。とにかく一物を膨らませて自分の腹の上に乗られているのは、男として気持ちのいいものじゃない。
「AV見ても、ダチの彼女に扱いてもらっても、グラドルの裏写真見たって、全然反応なかったのに・・・・」
 お前のおかずの紹介はいらないと、堤は至極真っ当な意見を持つ。長瀬は感動しているようで、自分の発言の危うさに気付いていない。
「なのに、堤さんの体を見てるとムラムラする・・・・」
「・・・・・・待て。揺らすな。調子に乗るなよ。俺はヤリに来たんじゃねぇぞ」
 緩慢に体を揺する長瀬に、堤が焦って止めるも、彼の動きは止まらない。しかし、この間、無理強いした事は長瀬も深く反省しているのだ。
「分かってます。ヤらせてなんて、言いません。でも、ここでオナッていいですか?」
「よくねぇよ!!!ヤらせろって言われた方がマシだ!この変態!!!!」
 目の前で、自分をオカズにマスターベーションされる方がよっぽど気持ち悪いと、堤は体を震わせる。うっとりと薄められた長瀬の瞳はそれが冗談ではないと伝えていて、堤は上に乗られたまま、体も心も逃げ場を失っていた。
「・・・・ダメッスよ。アンタをあんまりいじめないでって言われてるんです・・・・」
「なんだよ、そりゃ」
「でも、この絶好の勃起チャンスを逃したくない!ちょっとアンタの腹の上で擦るだけだから・・・・」
「待て待て!お前、ものすごい変態発言してるぞ!!!おかしい!」
 長瀬を押しのけようと堤が手を伸ばすと、その手を長瀬がつかんで、堤に言い募った。
「うん、俺もおかしいと思う。堤さん、責任とってくれますか?」
「なんで俺の所為なんだ?!」
 とんだ言いがかりをつけられて、堤が怒鳴り返せば、長瀬が体を倒して堤の口元にチュッと軽く口付けた。僅かに、長瀬の顔が赤い。
「だって、堤さん以外にこの体は反応しなくなったって事ですよ。アンタの責任でしょ」
「勝手な野郎だっ・・・・・」
 無茶な論理だ。いや、これは論理でも脅しでも嫌味でもない。単なる言い訳。このまま堤を乱暴に犯すなど、長瀬なら容易ない。その衝動を押し留めて、逃げているのだ。殊勝な奴だと思ってしまう自分に、堤は呆れた。
 だまし討ちで犯されて、腹の中を抉られてまた犯されて、なのに懲りずにこの男の下にいる自分は真性の阿呆だ。これでは蒼井と変わりない。だが、蒼井と違って、長瀬は堤と向き合っている。自分の気持ちに正直でいる。それだけでも、長瀬に優しい気持ちになれた。
「・・・・分かったよ」
「え?」
「やれよ」
「・・・・・・・・・いいの?」
「いいよ、お前なら・・・・・・・・・・」
 既に二度、経験してしまっている。(実際には三度だが)
 この男には散々、恥ずかしい姿を晒してしまっている。貞操観念だなんだと言ったって、全部今更だ。唇を噛んでそっぽ向いてしまった堤を上から凝視し、長瀬はしみじみ思った。
「アンタって本っ当に、ドがつくお人よしですね」
「まったくな!」
 やけっぱちの叫び声に長瀬が顔を綻ばせ、堤の腰をつかんだ。わき腹をなぞりながら胸元に軽くキスを落とす。ぞくぞくと震える体を、ギュッと目を閉じて堤は堪えていた。その顔が可愛くて、長瀬がカメラを持つと、すかさず堤がそのカメラを奪い取った。
「ハメ撮りはしねぇっって言った!!!」
「ちぇっ」
 ドサクサに紛れて撮ろうなど、全く油断も隙も無い男だ。カメラをベッドの外へと置くと、改めて長瀬が堤の上に乗り上げて、軽く口元にキスを落とした。まだ、唇にキスをする勇気は足りない。その薄い唇を割って、その中の熱い舌に舌を絡ませて、彼の内側を舐め回したかったが、自分を抑えた。軽く乳首を噛んで、堤の足を持ち上げて押し広げる。自分の尻に長瀬の性器が当たって、堤は慌てた。
「お前っ・・・・いきなり突っ込む気か?!」
「違いますよ。今回は・・・・ココで」
「うぁっ・・・!?」
 長瀬は堤の性器を片手で軽く握って上向けると、堤の尻たぶに自分の性器を挟み込む。ゆっくりと腰を動かせて摩擦を始めた長瀬に堤も焦る。
「な・・・なに・・・・・」
「素股プレイ。これなら、堤さんには負担少ないでしょ?」
「・・・・・ヤられるより恥ずかしいぞ!コレはっっ!!!」
ぐいぐいと睾丸に長瀬の性器が当たって、感触的には気持ち悪いのだが、性器の先端をぐりぐりと親指の腹で擦られていると、痛みも快楽も感覚的に変わらなくなってくる。麻痺してくる。長瀬の荒い息が肌に当たって、誇張する性器は尻の間でどんどん凶暴になってくる。頭が痺れてくる。じわじわと蒸されるような、そんな快楽が続く。中途半端な姿勢での素股故に直接的な悦楽には弱く、なかなか射精には至らない。堤も同じく、絶頂を迎えられずにいる。ぬるま湯に浸かったような、そんな温い官能に思考が鈍くなってくる。
 早く出したくて、もどかしくて、堤は口を開いて訴える。無声の訴えは長瀬に見過ごされる。この歯痒さに観念し、堤は長瀬の肩を摑んで引き寄せた。耳元に口を近づけて、小さく乞う。
「・・・・・・」
「うん・・・・」
 声は言葉にならなかった。けれども、小さな吐息の音で長瀬は堤の願いを受け入れると、堤の手をとって自分の性器を摑ませる。自分の手の中にある性器は完全に勃起している。
「一緒に・・・・・」
 また口元にキスを落とし、長瀬は熱に浮かされた口調で呟き落とす。堤も黙って頷いて、指を動かし始めた。長瀬が堤の尻を両手で掴んで、激しく腰を突き上げる。
 短い声を上げて、二人は吐精したのだった。



 僅かに汗の浮かんだ肌に指を滑らせて、疲れた顔を見せる堤の頬に小さな口付けを落とす。煩わしそうに手で払われて、その手を摑んでベッドに縫いとめる。怒ったような、困ったような顔の堤がいる。彼が抗議の言葉を口にする前に、長瀬が告げた。
「・・・堤さん。この間は、本当にスミマセンでした」
 ぶり返して欲しくない話題だった。話を逸らしたくても、上から押さえ込まれてる上、力の抜けている体では抗いにくい。言い逃れの出来ない状況を長瀬が作っている。
「もういい・・・・・・お前が最低な人間なのは最初から知ってる」
 知っていて気を許した自分にも非があったと、堤も反省している。
嬉しい許容の仕方ではなかったが、文句を言える立場でもない。長瀬は苦笑する。
「そうです・・・俺は最低です。だから、俺にしませんか?」
「何が・・・・?」
 話の流れが堤は分からない。聞き返した堤の唇を長瀬は指でなぞる。己を見つめ返す不安そうな瞳を見ていると、言葉を続ける意思が揺らぐ。そもそも、自分はちゃんと覚悟が出来ているか、自信は無い。だが、湧き上がる情欲は誤魔化しようが無いものなのだ。欲望があるのならば、決意なんて二の次だ。
「俺が・・・・蒼井さんを忘れさせてあげます」
「は・・・・・?」
「蒼井さんより・・・・・俺の方が底辺で、嫌な奴で、アンタの人生の汚点です。きっと、アンタの人生をムチャクチャにしちまうでしょう」
 どんな告白だと、堤は呆れ返る。幸せにしてやると言われても気色悪いだけだが、こうもハッキリ不幸宣言されてしまうと、さすがに戸惑う。
「アンタは俺を恨むかもしれない。でも、その頃には、もうアンタの中には蒼井さんはいないです。綺麗な思い出になってますよ」
 あんな強烈な性悪女が綺麗な思い出に変わるまで、どれだけの月日が必要なのだろうか。それだけの時間を、長瀬は堤と居るつもりなのか。
 そう問う前に、先に長瀬が宣言した。
「あの人が思い出に変わるまで、アンタを抱かせて下さい」
 呆けている堤の頬に手をかけ、長瀬が悲しげに笑った。こんな悪質な告白で、堤を落とせるとは思わなかった。しかし、愛してるだの守ってやると言ったって、説得力なんか無い。女子供じゃないのだ。ましてや、敵対する存在がそれを笠にする相手なのだから、正攻法なんて通じない。
 どれも紛れも無い本心だった。堤を幸せにする自信も根性も無い。ただ、堤が欲しいのだ。あの女から、奪いたくてしょうがないと正直に言っただけだ。
 長瀬が本音で話すものだから、堤も嘘が付けなかった。吐き出したくなくて、ずっと腹にためていた感情を、やっと堤は吐露する。
「・・・・・俺だって・・・海美を忘れたい。忘れようと、好きでもない女と付き合った事もある。でも、無理だった」
 自覚していても、口にしたくなかった事実。長瀬が突き詰めなければ、きっと自分はずっと逃げ回っていたに違いない。
「あんな女に惚れてるなんて、思いたくない。大っ嫌いだ。忘れたい。なのに、まだ、手が離せねぇ・・・・・」
 ギュッと握り締められた手を、長瀬が摑み直した。そっとその手に口付けを落として、堤に笑いかける。
「それでもいいです。俺、待ちますから」
 堤は眉を下げた。決まり悪そうに、笑う。もう一押しだと、長瀬は思った。
「待ってる間、ヤラせてくれればそれで」
 あっけらかんと長瀬が言い放ち、堤は噴き出した。さっきから、全然口説かれている気がしない。呆れを通り越して笑ってしまった堤だったが、どうしてここまで長瀬が自分に執着するのか、理由が分からなかった。
「・・・なんでだ、長瀬」
「なんでって・・・?」
「なんで、俺に構う?」
「はぁ?それ、本気で聞いてます?」
 そう言って長瀬は堤の口元にキスを落とした。堤が顔を背けるも、差し出された首筋にまたキスを落とす。小さな口付けをいくつも落としながら、長瀬は続ける。
「ここまでされて、分からないなんてどうかしてますよ。それとも、こっ恥ずかしいセリフを聞きたいってんなら、衆目監視の下で、強烈な一発ぶち込んでアンタの脳天かち割ってもいいけど」
「いい!それは止めろ!!!!」
 慌てて拒絶した堤の体を抱き起こし、長瀬が堤の鼻に口付ける。額をこつんと引っ付けて、急かす。
「・・・・・じゃ、返事」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「迷ってるなら、OK下さいよ。迷うぐらいなら、飛び込んで下さい」
 強引な奴だ。しかし、振り回されているのは、蒼井で慣れている。彼のこのペースが嫌いではなかった。嫌いではないのなら、飛び込んでみてもいいかもしれない。
「他の女じゃ、蒼井さんを忘れられないんでしょ?」
「男のお前だったら出来るって言うのかよ」
「女じゃダメなら、男。単純な話ですよ」
 単純どころか、突拍子も無い。
「それでも無理なら?」
「俺がオカマになってあげます」
「馬鹿か、お前」
「馬鹿にもなりますよ。アンタが好きなんだもん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 さらっと言われて、堤は思わず口ごもる。返事を待つ長瀬は、なおもしつこくバードキスを繰り返す。決して、唇にキスを仕掛けてこないところがあざとい。好きだと言われてコロリと落ちる歳でもないが、言い募る長瀬を押しのける気力は堤には無かった。
 ハァと大げさにため息を吐いて、堤は頷いた。
「・・・・・・・分かった。お前で我慢する」
「ひでぇ言い方だ」
 笑いつつ、長瀬は堤の腰に腕を回して引き寄せて、今度こそ唇にしっかりと口付けた。
 堤は体を僅かに震わせた。上唇を噛まれて、口を開かされ、中に舌を押し入れられる。濃厚になっていくキスに、嫌悪感を抱かないだけでも、長瀬はもう既に自分の中では特別な存在になってしまっていると、堤は自覚する。狂犬に噛み付かれてそのまま飼ってしまう、飼い主の気分だ。でも、懐かれて悪い気分ではないのも確かで、長瀬の指摘する通り、もしかしたら本当にこの男によって、蒼井をやっと忘れられるかもしれないと、堤はぼんやり思った。

 堤があんな宣言をして、蒼井がそのまま放っておく筈がなく、ましてや長瀬と一緒に居ると分かったら、長瀬もろとも地獄へ叩き落とそうとするのは、まず間違いない。ある意味、堤は仲間を得た事になるのかもしれない。所詮、自分は蒼井の魔の手から逃れられないのだと、堤は思い込んでいる。
 それが従来の流れだったろう。だが、危機が迫っているのは堤と長瀬だけではなかったのだった。
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