カレシテスト

ユカ子

文字の大きさ
上 下
6 / 7
6

カレシテスト

しおりを挟む


  
 台所で、空の為に弁当作りに励んでいた翠は、空から声をかけられて、ご機嫌に振り返った。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「なんだ、空?今日はハムをハート形にしてあるぞ」 
 翠の言葉を聞き流し、空は問うた。
「三池くんのテストはまだ終わらないの?」
「なかなか手強い相手だからな」
「私、三池くんの事好きじゃない」
「・・・ぅえ?」
 翠は驚いて空を見た。空は頬を膨らせ、ふてている。人を非難する事の無い空が、はっきりと嫌悪を示すのは初めてで、翠はうまく言葉が出なかった。
「だからお兄ちゃん、もうテストしなくていいよ」
「あ、あぁ」
 翠が頷くと、空は不機嫌なまま、台所を出て行った。追いかけて理由も聞けず、翠はフライパンを派手に落とす。
「っ!」
 痛みに呻く。
 空が嫌だと言うのなら、どれだけ好条件だろうと、恋人候補から外される。当然だ。
 突然の事で、自分が酷くショックを受けている事実になかなか向き合えない。次に大一に会った時になんて話そうか、迷う。彼も自分以上にショックを受けるだろう。なんせ、空と付き合う為にその兄貴と朝夕過ごし、あろうことかキスまでした上、性行為に及んだのだ。やり過ぎだとは自分でも思ったが、大一がそこまで空の事を好きなのなら、それも好意的に受け止められた。
  ベッドで二人で過ごしてからも、大一は変わらず接してくる。だから、翠も深く気にせず、今まで以上に付き合っていたのだ。
 大一を傷つけたくなかった。彼の良い所を、翠は沢山知っている。
  
 どう話すか決めかねている内に、放課後がやってきた。いつもの場所で、大一は翠を待っていた。
 案の定、先に来て待っていた大一を見て、翠は目を疑った。
「翠さん」
 あの日から、大一は翠を「お兄さん」とは呼ばない。その言葉の響きが、くすぐったい。「送っていきます」
  当たり前のように、大一が翠の横に並んで、歩き出す。力なくぶらぶら揺れている翠の手を、さりげなく大一はつかんでいる。
  つながった手に、もはや翠は疑問を感じない。
「どうしたんスか?」
 無邪気な大一の笑顔に、翠はどうしてか、泣きそうになった。 
 言わねば。
 言わなければ。
 言ってしまえば全て終わってしまう。だが、そもそも始まりなど無かったのだ。
 大一とは何も始まっていない。
「・・・空が・・・」
 空と言う単語を聞いて、大一が顔を顰めた。
「貴様の事は好きじゃないと言った。空が好きじゃないなら、空の恋人にするわけにはいかん・・・」
 思ったより、平静に声が出せた。聞いていた大一の顔色が変わっていくのを、翠は目の前で見る。
 居た堪れなくなってくる。どうして、こんな胸が痛いのか、翠は考えたくない。
 自分の人生で、まともに自分を顧みれないのは初めてだった。
「だから?何が言いたい・・・んスか?」
 精一杯、感情を殺して大一は問う。翠は意を決したのか、はっきり言った。
「テストは終わりだ。俺と貴様はもはや何の関係も無い。もう会う必要はない」
「なんだよ、それ!!!」
 大一はカッとなって翠の腕を強く引っ張った。目を逸らせない距離まで追い詰められ、翠は懸命に睨み返すが、大一の迫力には敵わない。
「テストって、あんた本気だったのか?俺と一緒に居たのは・・・全部妹の為?あんた、妹の為に好きでもない俺と一緒に居たの?好きでもない俺とキスしたの?」
「そう・・・だ」
「この間の事も?俺にヤらせてくれたのは、妹の為だって言うのかよ?!」
 それは無理がある。いくらなんでも無理がある。妹には男性器はないのだ。それでも、翠は頷くしかなかった。
「空の為だ」
「はっ!!!分かったよ!」
 大一は翠から手を離して、背を向けた。
  悔しくて、惨めでならなかった。変に期待して、浮かれて、ここ数日の自分が恥ずかしい。黒歴史に近い写真も大事に取っておいて、ずっと眺めていたなんて、馬鹿馬鹿しい事この上ない。
「あんたのテスト、不合格でいいよ。どうせあんたは空ちゃんのもんなんだからな」
 情けない事に、声が震えた。
今にも泣き出しそうな大一を見ると、翠も胸が痛くてしょうがない。このまま静かに去っていくのが、一番なのだろう。こんな気まずい場所からとっとと出て行きたいが、一言声をかけずにはいられなかった。
 翠は大一に向き直った。
「大一。テストは合格だった。それは間違うな」  
  顔を上げて翠を見ると、翠の頬に一筋の涙が流れた。拭いもしないその涙は綺麗に跡を残して、顎を伝って床に落ちる。
「俺にとって、貴様は初めて・・・初めて認めてやれる男だった。俺は貴様の良い所を幾つだって言える。貴様ほど、傍に居て楽しいと思った男はいなかった」
 大一の胸の鼓動が段々早くなってくる。翠の一言一言が、胸に突き刺さって、抜けそうにない。言葉は溶けてそのまま心臓の一部となりそうだ。
「だが、空が拒絶するなら、俺の出る幕じゃない。・・・もう、全部忘れてくれ。お互い、その方がいい」
 ふいと翠は大一の前を横切って、一人、帰っていこうとする。大一は慌てて翠を引きとめた。
「そこまで言って・・・なんで・・・」
「どけ」
「俺はあんたが・・・」
「それ以上言うな。・・・もし貴様が空を好きでもないのに俺と会っていたと言うのなら、俺は金輪際貴様を許しはしない・・・」
 大一は顔を歪ませた。悲痛な面持ちだ。決死の覚悟の告白すら、受け入れてもらえそうにない。翠は本気だ。妹をダシにして会っていたなんて話になったら、翠は決して自分を許さない。
「俺だって・・・自分を許せそうにない」
 その言葉に、大一はハッとなった。翠もまた、自分の気持ちに気付いたのだ。しかし、ここで大一に告白するなど、空を裏切る行為だ。決して、翠はそれだけは出来ない。  
 翠は大一を押しのけた。
  最後の手段だとばかりに、大一は叫んだ。
「お兄さん!!!」
 ぴたり、立ち止まり、翠は振り返らない。
「・・・兄などと呼ぶな。俺とお前は・・・もう何の関係も無い」
 大一は何も言い返せなかった。ただ、静かに去っていく翠を見送るしかなかった。
 翠の背後は寂しそうだ。そこに自分の想いがあるのに、翠はそれを見せない。教えてくれない。
 茜に染まる夕焼け空の下に、大一は取り残されてしまう。
 全て忘れてしまえばいい。翠の言うように。しかし、いくら器用な大一でも、この胸の痛みを消すには、そう容易くなかった。
  
  
  翠はゴミ箱に無残に捨てられている熊のぬいぐるみを見つけた。沢山の宝石が鏤められたこのデディは大一からの贈り物だ。
空が間違って捨てたのだろうか。
 自室に持ち帰り、破れた箇所を繕う。よくよくデディを見れば、不器用な裁縫の後が随所に見受けられた。まるで初めて自分が空に贈ったデディとそっくりだった。
 これを繕っている時、大一はどんな気持ちだったろう。
 観覧車の中でテストを続行してくれと乞うた時、キスした時や最後に会ったあの時。
 きっと潔い男だから、自分が初めて認めた男だから、自分の言いつけを忠実に守って、二度と接触してこないだろう。
 そういうカッコイイ所が大嫌いなんだと、翠は思った。
「畜生」
 カチャリ。
 扉が開いて、空が顔を出した。
「お兄ちゃん?泣いてたの???」
 空が血相変えて、翠に走り寄る。翠は慌てて首を振った。
「いや、違う。久しぶりに裁縫すると、目が痛いな。ハハハ」
 空は翠の手元のデディに気がついた。
「どうしたの、それ」
「間違ってゴミ箱に入ってたぞ。ボロボロだから、直してるんだ」
 空は翠の向かいに座り、器用に繕っていく兄の手元をじっと見つめた。ずっと前にも、こうやって兄が熊のぬいぐるみを作る所を見た記憶がある。
  ちらりと兄の顔を盗み見る。珍しく穏やかで、優しい表情。その顔を空が一番よく知っているし、見てきた。空にだけ見せてくれた、兄の笑顔。
「それ、私にくれるの?」
「もちろん。空のだ」
「ありがとう。お兄ちゃん、大好き」
 出来上がったデディを受け取り、空は満面の笑みを浮かべた。その嬉しそうな空の笑顔が、少なからず翠の心を慰めてくれる。
「お兄ちゃん。私、お兄ちゃん以外の人に守ってもらわなくてもいい。こうやって、お兄ちゃんが私の一番好きなもの、いつもくれるもん」
 嬉しい言葉だ。常なら、飛び上がって喜び、感動の涙を流す所だ。だが、どうしてか、翠は元気が無い。
「お兄ちゃん?」
「・・・勿論、俺がずっと空を守ってやりたいが・・・空もいつかはお嫁さんになるんだぞ。そしたら・・・」
「それって、お兄ちゃんもいつかは誰かのものになるって事?」
 突然の話の切り返しに、翠はついていけない。さっきの笑顔はうせて、珍しく空は厳しい表情で、翠を問い詰める。
「お兄ちゃんに、私より大事な人が出来るって事でしょう?」
「俺には空より大事な人間はいない」
「私だってそうだもん。お兄ちゃんより大事な人なんていない。出来ないよ。なのに、どうしてお兄ちゃんは、私がお嫁さんに行くなんて言うの?それって、私の気持ちを信じてないって事じゃない」
 まくしたてられ、翠は言い返せなかった。空の言葉はそう的外れでもない。
「お兄ちゃんには、私より大事な人が出来たんでしょ。どうして隠すの」
「そ、そんな奴はいない!大一は違う!」
 咄嗟に反論し、翠が怒鳴ると、冷めた目付きで空は翠を見つめた。
「誰も三池くんなんて言ってないよ」
「・・・え。あ、いや・・・」
 嘘はつけない男だ。勿論、空以上に大事だとは思わないが、まだ翠の中では大一は大きな存在だった。
「三池くんが好きなら、どうしてはっきりそう言わないの」
「違う。好きじゃない。アイツがお前に相応しいかどうか、俺がテストしてただけだ」
「テストの結果は?」
 翠は一度口を噤ませてから、か細く「合格だ」と呟いた。消え入りそうな声で、自分でも情けなく思う。
「だが、空が嫌いな相手を押し付けたりはしない。お前が嫌いなら、大一など論外だ」
「・・・」
「だから、大一はもう俺には関係ない」
 頑なに、翠はそう言い張った。本気でそう思い込みたいのだと、空には分かる。
  兄が自分の為に身を張って、本気で好きになった相手さえも、自分の為に身を引こうとしている姿をいじらしく愛しくも思うが、苛立ちも募る。
「・・・三池くんは何て?」
「奴がどう言おうが関係ない。アイツも馬鹿じゃない。俺が本気だと分かれば、身を引くだろう」
「・・・」
 そこまで互いに分かっていて、障害になっているのが自分だと思うと、空も不愉快だ。でも、翠を素直に引き渡したくもないし、翠も空が後押ししたからと言って、すぐに頷く兄ではなかった。
 空はため息を吐いた。
「お兄ちゃんは全然分かってない」
「・・・」
「私は、お兄ちゃんといつだって同じ気持ちなんだよ」
「・・・」
「その意味、分かる?」
「・・・分かってるつもりだ・・・」
 唸るように言うと、キッと空は翠を睨みつけ、怒鳴った。
「お兄ちゃんの馬鹿!」
 空は作りたてのデディを翠に投げつけた。そんな乱暴な真似をされた事が無くて、翠はショックを受ける。
「お兄ちゃんなんか知らない!勝手にホモにでもオカマにでも、なっちゃえ!」
「待て、空!」
 部屋からたたき出されて、無情にも扉は閉められる。空の部屋の前に、デディを持って蹲り、翠は嘆息した。
しおりを挟む

処理中です...