恋する神父の愛する坊主

ユカ子

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恋する神父の愛する坊主

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「大きくなったら、結婚しようよ。教会で永遠の愛を誓おう」
「うん、いいよ。その代わり、同じお墓に入ってね」


 たわいない、子供の頃の約束。
無邪気だったあの頃は、自分達の違いに何も疑問を抱いていなかった。
そして、成長すると知らされる、己らの本分。
 決して一緒になれない二人だと理解したのは中学生の頃で、高校生になればお互い別々の道を歩む心積もりが出来ていた。その為に一方は修行と勉学に励み、もう一方は別の相手を探して交遊を繰り返す。それでも、家は隣同士で、帰ってくるタイミングは決まって同じで、互いの部屋の距離は僅か数メートル。窓を開ければいつも会える存在は、むしろ離れようとすればするほどに繋がりを深めていたのかもしれない。気持ちを抑えようとせっせと築いてきた堤防が、逆に想いを深くしてしまっていた。
 初めて家を出て修行に向かう前日、その堤防は決壊した。勢い良く流れ込んできた想いの波は二人のこれまでの自戒を崩壊させ、神も仏も裏切る罰当たりな禁忌を犯してしまったのだった。






 チチ キトク スグ カエレ
 ろくな通信手段の無い僻地の山寺で修行していた達馬竜水は、電報を受け、血相を変えて山を下りた。電車を乗り継ぎ、タクシーを飛ばし、急いで懐かしい実家の寺・極楽寺に辿りつけば、迎えてくれたのは病床の父ではなかった。
待ち構えていたのは、呵呵大笑の父。
「よくぞ帰ってきた愚息よ!お前にまたとない良縁のチャンスじゃ!」
金満巨腹の父親はまるまるした腹を撫でながら、大理石で出来た土間の上に大きな見合い写真と釣書を並べた。写真には、トドに似たふくよかな女性が頬肉を盛り上げて笑っている。
 しばらく来ない間に数奇屋造りの門は高級木材の檜を使用した新しいものに変わっており、寺の外装も瓦が新調され、灯篭はセンサー式になっていた。内装の変化は著しく、漆喰が塗り替えられて障子に金箔が散りばめられているのはまだ我慢出来たが、本尊を安置している内陣が派手な模様入りの漆塗りだった時には、堪忍袋の緒が切れた。
元は古寺だ。一体どうすれば、一年やそこらでここだけ財を成せるのか。まっとうな手段で手に入ったとは思えない。
「どういう事だ?!これは!?」
「宝くじを当てたんじゃ」
 怒り心頭で父を振り返ると、悪びれた様子も無く、父は腹を掻きながらのたまった。着ている袈裟も、平金糸を織り込んだ花鳥風月を見事に表現した金襴緞子で、成金ここに極まれる。
「父が死に掛けてると聞いたから、慌てて下山したんだぞ!ピンピンしてるじゃないか!」
「ありゃ嘘じゃ」
贅肉を揺らして笑う父に、本気に殺意を覚える竜水だった。いかんいかん。自分は仏に仕える身、つまらぬ殺生は思い止まろう。能除一切苦。能除一切苦。
「檀家の皆さんと一緒に宝くじを買っての。わしが一等、田中さんが三等を当てたんじゃ。こりゃ春から縁起がいいと酒盛りをしてたら、お前の見合い話が舞い込んで来たんじゃ。ほれ、総代の佐藤さんの紹介じゃ。佐藤さんの従兄弟の息子の勤め先の社長の娘の友人じゃと。実家が資産家で、20歳のぴちぴちギャルじゃぞ」
 ぺらぺら語る父を無視し、明鏡止水の心を説いてなんとか怒りを抑えると、再び網代笠を被り直し、竜水は寺に背を向けた。こんな糞爺は勝手に往生すればいい。
「こりゃ、何処行くんじゃ」
「知るか!私は修行に戻る!!!」
「馬鹿息子め!既に縁談は進んでおる!!!!一週間後には、隣の教会で式を挙げる手筈じゃ」
竜水は驚いて隣家を仰ぎ見た。
 極楽寺の隣には、荘厳なゴシック様式の聖クライスト教会が立っている。白い石造りの古びた教会は昔のままで、竜水は懐かしさが胸に込み上げる。小さい頃は、よくこの教会で遊んでいた。そこには幼馴染が住んでいて、竜水が修行に出るまでは毎日のように会っていた。山に行ってからは連絡はぷつりと途絶えていた。
あの一線を越えなければ、今でも親交は続いていたろう。
 胸を締め付ける想いで古い教会を見上げていたが、ふと我に返り、竜水は父を向き直った。
「一週間?しかも、教会で?私は仏徒だぞ」
「そんなもん、関係ない。なぁに、御仏は情け深い。麗しい花嫁の満願成就の暁には、神も仏もあるまいて」
無茶苦茶な理論だ。この爺は物欲にとり憑かれてしまったに違いない。
いや、元から流行好きのミーハー爺だったと過去を思い起こす。そうでなければ、隣家の神父とあぁも毎日遊んでいなかったろう。
 竜水は当然の疑問を口にした。
「父。私の意志は?」
「無い」
 今度こそ本気で寺を出るべく、竜水は歩き出した。後ろから父の怒声が追いかけてくるが、知った事か。こんな腐れきった寺を継ぐ気はない。一生山に篭って仏に操を立てた方が、はるかに有意義な人生だ。究竟涅槃。

 寺門を出た所で、竜水は丘を登ってくるキャソックを着た男性に遭遇した。茶色の柔らかい髪質は太陽の光を浴びてキラキラ光り、ブロンドに見える。穏やかそうな優しい顔つきとすんなりした長身の美丈夫に、竜水は見覚えがあった。彼は竜水を見つけると、手に持っていた聖書をバサリと落とした。
「竜水……?」
「志彩…」
彼の名は伏音志彩。聖クライスト教会の若き神父だ。幼い頃から神父になるべく、教会に預けられて育った。教会が彼の家であり、仕事の事情で実父母が彼には滅多に会いに来なかったので、当時住んでいた教会の神父が彼の父親代わりであった。彼が一線を越えてしまった、竜水の幼馴染だった。
 志彩はじっと竜水を凝視した後、ウッと涙ぐんだ。思わず、竜水は身構える。感極まったら、志彩は必ず竜水に抱きつく。自分より少し大柄の男に締め付けるぐらい抱き締められるのは気分がいいものじゃない。構えていたが、志彩はグッと涙を呑んで堪えると、スッと顔を背けた。
「なんで帰ってきたんだよ!」
「…え」
「君は帰ってきちゃいけなかったのに!!!」
そう叫ぶと、志彩は聖書を落としたまま、走って横の野道に入る。その道は隣の教会の裏門へと続いている。
「志彩!!」
拒絶されていささかショックを受けた竜水は、逃げた志彩を追ってしまった。彼に会ったならどんな顔をすればいいかと迷っていたのが、全て吹き飛んだ気分だった。



 志彩を追って、竜水は懐かしい聖クライスト教会へと足を踏み入れた。極楽寺と違って、教会は驚く程に朽ちていた。蔦や棘で覆われ、あちこちに蜘蛛の巣が張られている。中に入ると、老廃は顕著だった。祭壇へ続く通路は絨毯が剥がれ、礼拝堂の椅子は木が捲れて崩れかけており、ステンドグラスにはひびが入っている。そして、奥の聖櫃は中央に大きな切れ目が入って割れていた。いつもは日の光が差し込んであった中央の窓はガラスが曇って、教会内は薄暗い。
 祭壇の前で、志彩がうずくまっていた。周囲を見回し、驚愕に強張る竜水は、背を向けてしゃがみ込んでいる志彩に問いを投げた。
「…志彩…何があったんだ?」
「…何も無いよ」
決して顔を見せようとしない、暗い声だった。
彼のこんな喋り方の時は、暗に隠し事がある事を示している。上からうっすら埃が舞い降りて、竜水は天井を見上げた。蜘蛛の巣が張られたシャンデリアが、風も無いのにユラユラ揺れている。不穏な気配を感じる。寒気がした。
 一歩、志彩に近づく毎に、体は総毛立ち、胸がざわめいていく。
「…し…」
声をかけ、肩に手をかけようとすると、バッとその手を振り払われた。振り返った志彩の顔は陰り、目の淵は黒く塗り染められている。
 僅かに注がれていた陽光が雲に隠れたのか、閉ざされてしまえば、教会内は薄暗闇に包まれた。目の前の黒い影が動いたと思ったら、志彩の気配は消えていた。
冷気が流れ、肌を刺し、体を冷やしていく。この凍えていく感覚には覚えがあった。過去、幾度も味わった亡者の気配。それも無数に感じる。
 思わず我が身を抱いた竜水に、闇から楽しげな声が響く。
「やっぱり分かるんだ」
前を仰ぎ見れば、いつの間に移動したのか、志彩が儀悪く祭壇に座って足を組んでいた。その背後に伸びる影は、夕闇でもないのにいやに長い。彼の様子がおかしい。竜水は眉を寄せた。
「何があった?志彩、答えろ!」
志彩はにっこり笑って足を組み直した。
「だから言ってるだろう。何も無い。…君がいなくなってから、僕には何も無くなった」
祭壇の燭台を手に取ると、ボッと火が点った。火の明かりに照らされる志彩の瞳は瞳孔が開いている。
 竜水は息を呑んだ。志彩が燭台を置くと、教会の壁に設置されていた他の蝋燭にも火が点った。揺れる影が人の形を作り出し、竜水を囲んで、逃げ道を封じてしまう。あちこちから死臭がして、竜水は鼻をおさえた。
 そこに座っているのは、昔から良く知っている幼馴染の志彩ではなかった。
「…貴様、誰だ?」
「君の幼馴染の志彩だよ…」
竜水はかぶりを振る。彼は志彩ではない。いや、しかし。
 困惑している竜水の体がふらりと前に歩き出す。本人の意思ではない。志彩は気味の悪い笑みを浮かべていた。志彩の手が伸びたと思ったら、すぐ目の前に彼の顔があった。背中を捕まえられ、顎に手をかけられる。冷気は志彩の口から洩れていた。
強い力で抱きすくめられ、唇を寄せられる。
 咄嗟に竜水は懐から数珠を取り出して志彩の腹に押し当てた。
「やめろっ!!!!」
「ぐぅっ!」
鈍い音がして、志彩が竜水を突き飛ばした。
 竜水は上半身を起こして、志彩を見上げた。腹を押さえて、志彩は呻いている。その目が禍々しく歪み、竜水の手元を憎憎しげに見つめていた。竜水の持っている数珠には、小さな十字架がついていた。
「「坊主の分際でこざかしい真似を…。まぁ、いい。お前をここまで連れて来たんだ。望みが果たされるのも、あと数刻。せいぜい、最後の別れを楽しむがいい」」
志彩の口から出た声は地を這う低い唸り声で、志彩のものではなかった。驚き、口の開けない竜水の前で、燭台の灯火がフッと途絶えたら、周りの火も消え冷気も吹き飛び、祭壇に座っていた志彩の体がぐらりと倒れていく。慌てて竜水は起き上がると、志彩を支えた。
「志彩!」
抱きかかえた志彩の体は冷たく、目を閉じている。竜水は志彩の頬をパンパン叩き、体を揺さぶった。
「おい、志彩!!!しっかりしろ!!!!」
「うー…ん」
頬が腫れるぐらい叩かれて、志彩はうっすら目を開けた。その瞳は、正常の色と大きさをしている。竜水はホッとした。志彩は竜水の姿を認め、ハッと体を起こして辺りを見回した。
 荒れ果てた教会の中だと分かり息をつくと、目の前の志彩を凝視する。
「竜水…僕……」
「今度はちゃんと志彩だな?何があったか説明しろ」
苛立ちを露に、竜水が腕を組んで厳しく問うと、志彩はまた目に涙を滲ませた。
「竜水!!ごめん!!!!」
「泣いてちゃ分からん!説明しろ!!!」
「竜水がいなくなって、僕、辛すぎて耐えられなくなって…禁じ手を使っちゃったんだ!!!!」
要領を得ない言葉に竜水の苛立ちが増す。竜水は声を荒げた。
「だから、何をした?!」
志彩は竜水の肩をがっしり掴むと、顔を強張らせて、告白した。
「悪魔と契約したんだ」
「なっ…」
あまりに異次元の内容で、竜水は一瞬頭が真っ白になった。
 悪魔だの天使だの、そんなものの存在はいくら幽霊が見れる竜水でも信じ難い代物だ。いや、幽霊が見える竜水だからこそ、彼は幽霊だの魔法だの、科学で解明できない現象を一切信じない。勿論、悪魔なんぞ論外だ。
「馬鹿話はよせ」
にわかに信じ難い内容だが、ともかくその現象の一端を見たのだ、信ずる他に無いのだが、飽くまで悪魔を竜水は信じる気は無い。
竜水が信じないのは、彼を知る志彩もよく分かっていた。
「でも、本当さ…」
仮に悪魔が存在し、契約を交わしたのならば、果たしてその内容は?そして、何と引き換えに願ったのだ?
そう問いたい竜水の表情に目を和らげて、志彩はつとめて明るく答えた。
「僕の命と引き換えに……君を望んだんだ」
「わ…私を?」
「うん。どうしても、君ともう一発ヤリたくって」
語尾に♪がついていそうな明るい口調で言われて、思わず竜水は懐から警策を取り出し、志彩の頭を殴り飛ばしていた。



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