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24話 葛藤と……

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「! あ、直人っ」
「ん!? ……な、何だ!?」

「あ、ごめんなさい、急に大声出してしまって。 その辺りまで読まれたのならいいですよね! そんなところでヒロインが裏切るだなんてびっくりしたでしょう? この驚きを早く直人にも知ってもらいたくって!」

「あ、………………………………ああ、そうだな」

早咲。

俺の、唯一の……全てを分かってくれる友人。

その「彼」のことを……一瞬でも、「彼女」として見ていたことに気がついた瞬間に声をかけられたもんだから、つい話を合わせてしまったけど。

………………………………。

早咲は、男だ。

肉体は女かもしれないけど、俺にとっては……この世界で、唯一親友になってくれる相手だ。

それは何も男というだけじゃなく、ここじゃない別の世界のことを知っている相手という意味でも、だ。

だから、こんな考えはまずい。

こいつがほんとうに「女子」だったなら……そんなことを思っていた矢先だったから、頭の中を覗かれでもしたかのような感覚で、手に持っていたマンガすら取り落としそうになった。

………………………………ああ、まだ序盤までしか読んでいなかったけど、手だけは後半に差し掛かっていたのか。

いや、目では追っていたけど……早咲のことを考えていたから。

「ラストでもう1回予想できないイベントが起きて次の巻ですから、そこからはゆっくり読んだ方が楽しいですよー?」

「……あ、ああ、ありがとうな」

そう言って、……早咲がジュースでも取りに行くんだろうか、立ち上がって離れた隙にため息をつき、危なかったっていう意識を改めて持つ。

早咲は、男なんだ。

男。

あいつは、男。

………………………………男、なんだぞ。

わざわざ男の格好をしていて、……話を聞くにものすごい数の女性を……その、相手にするくらいのプレイボーイってやつだ。

なんだから、俺が……間違っても「女」だと思っちゃいけないんだ。

………………………………。

……ああ、今のうちに話が分かるところまでページを戻してストーリーを追わないとな。





「……………………………………………………………………………………」

「野乃早咲」という「前世では青年だった少女」は、はぁ、とため息を何度もついたり、頭をガリガリとかいたりしながらマンガを読み直した少年……榎本直人を離れたところで、顔だけ出してじぃー、と眺めていた。

彼からはちょうど見えにくい、キッチンの端から、数分もかけて、じっくりと。

んー、と唇に指を当てつつしばらく考え込み……彼女はスマホを取り出すと、ずいぶんと長い文章を打ち込み始める。

慣れた手つきで、それぞれ似たような文章を、何人もの人間へと。





「………………………………ふぅ――……、気持ちいいですねぇ、おふろ。 しかも直人のこの部屋のって、とっても広いじゃないですかー。 あー、今日の疲れ……なんてないですけど、でもなんだかリラックスできましたー」

時間は過ぎて夜。

泊まりがけだからと、いちど荷物を取りに行った早咲はそこそこの大きさのかばんを抱えて戻って来るなり、僕って一番風呂じゃないと駄目なんですよ、とか言ってさっさと……いつの間にか湧かしてあったおふろに入ってしまい………………………………こうして出てきてしまった。

………………………………。

そうだ、出てきてしまったんだ。

さっきまで、おふろの前までは何にも感じなかったけど、今の早咲の髪の毛からはものすごくいい匂いが漂ってきている。

いや、髪の毛からだけじゃないだろう、全身から。

……俺が使っているのと同じシャンプーとかのはずなのに、どうしてこんなにいい匂いだって感じるんだろうか。

分からない。

……いい匂い過ぎて、まだ少ししっとりとしている感じの髪の毛が頬や首に張り付いていて、顔も少しだけ赤くなっていて、その上パジャマだから体のラインが……明らかに男じゃない女っていう形が見えて、俺の頭は正常に作動しなくなっている。

「……人? 直人?」
「……ん、悪い、さっき読んだ内容が気になってな」

必死に視線を手元の本に落としつつ、気がつかない内に速くなっていた心臓の音に気がつかれないかって心配になりながら、なんとか頭の中から今の感情を遠ざける。

「直人って、いちど集中すると終わってもしばらくぼーっとしちゃうタイプなんですね。 大丈夫ですよ、知り合いの子にもそういう子、いますから」

「…………………………、それって、お前の「お手つき」な人のことか?」
「当たり前じゃないですかぁ。 僕、気になったフリーの子、とりあえずで堕とさないと落ち着かないんですから」

「お前には同性……体のだ、の純粋な友人っていうのはいないのか?」
「お相手がいない子でしたらいますけど……だいたいぱくりといただいちゃいますからね。 あ、でも同じようなシュミの子ならそれなりにいますよ? それこそ前世みたいに。 まあその子たちとも仲良しになったりも……とと、で、おふろ、先に入らせてもらってごめんなさいね」

「いや、……まだ入る気にはなっていなかったから平気だよ」
「そうですか? 夜更かしは駄目ですよー?」

そう言いながら、いい匂いを漂わせながらさっき持ってきた……ボストンバッグっていうものなんだろう、それの中を漁り始める。

………………………………。

まずい。

やばい。

それが分かっているのに、俺の頭は次から次へと考えちゃいけないことを生み出すんだ。

さっきまで、意識していなかった。

そりゃ、多少は思ったりもしたけど、でも、ここまでじゃなくて。

――――――――――シャンプーの、いい匂い。

そして、「女子」から漂ってくる……いい、匂い。

制服の上着の上からじゃほとんど気にしなくてよかった、けど、パジャマっていう柔らかい素材の服の上からははっきりと飛び出ている、ふたつの膨らみ。

スレンダーな体つきだからか大きいとは感じないけど、でも……どうしても男とは違うっていう印象のある、腰から尻にかけて。

………………………………………………………………じゃ、ない!

ここまでぼんやりと考えていた俺自身に気がついて、とっさにふとももをつねってようやく正気に戻る。

けど。

………………………………。

駄目だ。

気がつけば先に視線が吸い寄せられているのが分かる。

さっきのようにもうひとつのソファーに寝そべって、ときどき何かを話しかけてきて……俺もまた、適当な答えを返しているのをどこか遠くから見ているんだ。

早咲の体の、女らしい部分を。

この世界に来て……居心地の悪さでそれどころじゃなかったから見ずに済んでいた、女子の体つきっていうやつを。

女は見られているのに敏感だから我慢しろ、って母さんから教え込まれていたおかげで……少なくとも同級生の男たちよりかは紳士的にできているはずの俺が、ここに来て、よりによって早咲に対してはできなくなっていた。

そのうえ、これまでに感じたことのない感覚が、胸のあたりにうずうずと回っている感じで。

………………………………やばい。

これは、まずい。

駄目だ。

早咲の中身は男。

男、男。

男。

……俺と同じ、男なんだ。

いつもの態度からは想像できないけど、学校では女好きで有名らしい……実に男らしいやつなんだ。

「………………………………直人?」
「わっ、悪い! 俺、やっぱ入ってくるよ! そうだよな、昨日は寝不足なんだから!」

「そうですねぇ、その方がいいでしょう。 眠くなってからおふろに入ると、目が覚めちゃうことってありますし」

「そう! そのとおりだな早咲! だから入ってくるよ! 好きにしていてくれ!」
「はーい。 じゃあ適当に過ごしていますね」

急いで寝室に戻って着替えを取りつつ、ふと思う。

………………………………俺は、襲われたっていうあれのトラウマでしばらく外に出られないって言うことになっている。

それは早咲っていう男といる方がずっと安心できるからって、早咲から提案されて美奈子さんにも了解してもらって、それでしばらくはここで早咲とふたりで過ごすっていう……ついさっきまでなら天国みたいな空間だったんだ。

だけど、今は一気に逆になっている。

早咲が近くにいると、今まで強く「男」だって思っていた分、「女」っていうのが気になりすぎるようになって、抑えきれないんだから。

俺のことを、この世界でたったひとり理解してくれる人間。

それを、俺の方から遠ざけるわけにはいかないんだ。

「……あ、直人。 お風呂場のマット濡れているのが嫌でしたら変えてくださいねー」
「………………………………そうするよ」

だけど、この気持ちの整理がつくまで、俺は早咲と一緒に暮らす。

ほぼ24時間……寝室まで一緒に。

だから、俺がひとりになれるのは風呂とトイレ……あとは寝ているあいだの意識のない時間くらいしかない。

かと言って、いつあのときの……目が覚めたら誰かの悪意に晒されていた、あのときの恐怖を振り払うことなんてできないから、早咲がいなくてもいいっていうことにもできなくて。

だから。

………………………………。

……ぶわっ、と、開けたドアから……風呂場から、さっき俺を悩ませていた匂いが流れ込んできた。

そうか、ついさっきまであいつが、ここではだかに、……。

……………………………………………………………………。

………………………………風呂場も、地獄だな……これは。





「……………………………………………………………………………………」

榎本直人が風呂場に入っていく……その前から、ずっと彼のことを見つめていた野乃早咲は、笑顔を浮かべている。

彼が洗面所のドアを閉める音が聞こえ、しばらくして今度は風呂場のドアを開け、閉めるまでを聞き、……湯船に浸かる音まで聞いて、その笑みはより強いものとなる。

そんな彼女の目には、ある妖しい光が灯っていて。

「…………………………ええ、いいですね。 実に、いい具合ですよ……直人」

ぼそり、と、そう漏らした。





クライマックスまで、あともう少し。直人くんと早咲ちゃんの選択は………………………………。
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