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一章
8話 涙
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絶望はそれで終わりではなかった。怒りを抑えきれずにオーク達に飛びかかろうとした男達は目を見開いた。そこで見たのは広場まで歩いてくる新たなオーク達の姿。そして、手を縄で拘束されて、無理矢理歩かされている街の人々の姿だった。街の人々は傷だらけで俯いている。
「ハバリ様、街の外に逃げようとしていた奴らを捕まえてきました」
両手剣を背負ったオークがそう告げて、ソネは歯を食いしばる。最初から逃げ場等どこにもなかったのだ。もし、ゲルがニーナ達と逃げるという選択を取っていたとしてもおそらく捕まっていただろう。
「戻ったか。バル」
「それとその辺をうろついていたガキがいました」
首根っこを掴まれた長い栗色の髪の少女がオークによって運ばれてくる。そして、そのまま、床に放り投げられ、ソネは慌てて少女の元へと駆けつける。
「ローラ!」
ローラは顔に大粒の涙を浮かべていて、視線はソネではなく、ある男の死体の方を向いていた。
「ソネさん……これは夢だよね?」
10歳の女の子に訪れた過酷な現実。夢だと思いたくなるのも無理はない。
事実を伝えることがどれほど残酷なことか。ソネですら未だに心の整理が出来ていないのだ。応えるのに戸惑っていると、他の捕まった街の人々が男の死体に気付く。
「嘘、でしょ? ゲルさん?」
「まさか、殺されちゃったの?」
心を落ち着かせる時間なんてなかった。その絶望に満ちた声が、ローラを現実へと引き戻す。目の輝きを失い、ローラは何かに誘われるように無気力に父親の元へと、歩き出す。そんなローラをソネは抱きしめて動きを止める。ゲルの近くにはハバリとオーク達がいる。これ以上近づかせるのは危険だ。
「……ローラ、悪い。今は、今だけは耐えるんだ」
「……どいてよ!……お父さんが! お父さんがあそこにいるの!」
必死にソネの胸の中で暴れるローラをソネもまた必死に抑える。
「ガキは放っておけ。どうせ何もできない」
ハバリの言葉にソネは静かに安堵する。ローラだけはなんとしてでも守らなければならない。ローラとニーナを守ること。その自分の中で定めた使命がソネの心をなんとか保たせていた。
「聞け! 人間ども。この街はこれから俺達の支配下に置く! 男共は俺たちについて来い! 女共は働いて金を納めろ! 反抗しても構わないが、反抗があった場合、容赦なく殺す。この男のようにな!」
それから、男達はオーク達に連れていかれ、女達はひとまず解放された。
街を徘徊するオーク達が数匹残っていて、自由とは呼べないが、命があるだけよかったと言うべきだろう。死者の数を聞いたとき、ソネは奇跡だと思った。この街は救われたのだ。1人の男によって。そう考えるしかなかった。
今日、街にオークの群れが現れた。その被害、重傷者48人、死者1人。
ニーナの屋敷へと、ソネはローラと手を繋いで帰る。その帰り道、ローラは一言も話さなかった。
屋敷に辿り着いて、いつも通りの屋敷の光景を見て、少しソネはホッとする。
どうやら、この屋敷にオーク達の被害はなかったらしい。しかし、いったいニーナになんと言えばいいのか、ソネは頭を悩ませる。ローラは無言のまま、ソネを見上げていた。しばらく扉の前で立ち尽くし、ついに覚悟を決め、扉を開ける。
「あっ、良かった。あれから街が更に騒がしくなったから心配してたんだよ? おかえり。あれ? ソネとローラが一緒? ゲルはどうしたの?」
ニーナはソネと目が合うと安堵の表情を浮かべて嬉しそうに笑う。何も知らない笑顔がソネの胸を抉ってくる。しかし、ゲルがいないことに疑問を感じてソネが一番恐れていた質問がニーナから飛んでくる。
「……あっ、ああ。ゲルなら、なんか、用事があるとかでちょっと帰りが遅くなるらしい」
嘘を吐いた。こんなものはただの時間稼ぎにしかならない。本当に無意味な嘘でしかない。だが、ソネには言えなかった。言えるはずもなかった。一瞬、ソネはローラに視線を向ける。ローラは何かに気付いた様子で入ってきた扉を再び開ける。
「ローラ? どこに行くの?」
ニーナがローラに訊ねる。
「忘れ物したからちょっと取ってくる。大丈夫だよ、ソネさん」
そこでローラが閉ざしていた口を開いた。しかし、声には元気が感じられない。最後の言葉はソネを安心させるためのものだろう。子供に気を遣われたソネは自分が情けなかった。ニーナは最後の言葉の意味が分からずに首を傾げている。
「そ、そう。気を付けてね」
ニーナの言葉に頷いてそのままローラは外に出ていく。
「ローラ、どうしちゃったのかな? なんか暗かったし、服が汚れてなかった?」
「……ニーナ、その事なんだがちょっと話があるんだ」
ニーナと2人きりになったこの状況で本当のことを伝えようと、覚悟を決めて、ソネはそう切り出す。
「話?」
「ああ、落ち着いて聞いてくれ」
そして、語られる。絶望と恐怖が入り混じる悲劇の物語が。
「家に帰ったら、全部が夢でお父さんとお母さんが笑って私を迎えてくれる。その後、3人でケーキを食べるんだ」
屋敷を出てしばらく歩いてから、ローラは俯き呟いた。肩を落とし、力の無い足取りで夢を見ていた。目的地もなくただただ歩く。
「……ソネさんにも酷いことしちゃったな。後で謝らないと」
随分と怖い夢を見た。世界は広い。そんな広い世界で目の前で親を殺される。そんな現実が自分に降り掛かるなんてローラはどうしても信じきれなかった。夢だと願いたかった。
「お父さんは忘れ物を取りに行っただけ。また戻ってくるって言ったもん。もしかしたら、私のことを探してるかも」
必死に現実から逃れようとする。必死に真実を受け入れないようにする。
すると、街の人々の声がローラの耳に入ってきた。
「ねえ、魔物にゲルさんが殺されちゃったんですって」
「え? ゲルさんが? ……もうこの街も終わってしまうのかしら」
「あっ、ちょっとあなた」
女性2人がローラの存在に気付き、会話を中断する。ローラは俯いて、女性達の横を通り過ぎていく。本当はローラにだって分かっている。もうすでにゲルがこの世にいない事ぐらいは。ゲルがローラと別れた後、ローラはゲルの後ろをバレないようについて行って最初から最後まで全部見ていたから。ソネさんとのやり取りも、ゲルのワインを飲む姿も、殺されるところも全部見ていた。だけど、声が出なかった。体が動かなかった。いくら後悔しても後悔したりない。
気が付くと、魔物が街に現れた際、ローラが地面に落としてしまったケーキが目に入る。いつの間にか、ケーキの屋台のところまで戻ってきていたらしい。逃げる人々に踏み潰されたのだろう。ケーキはローラが落とした時よりもぐちゃぐちゃになっていた。そのケーキを見て、何故か今まで抑えてきたものが一気に込み上げてくる。人の声が聞こえなくなる。瞳から涙が溢れ出る。
「うわーん! お父さんの嘘吐き! ……なんで! 戻ってくるって言ったじゃん!」
いつもローラが泣いていると、ゲルとニーナが慌てて駆けつけて不器用ながらもなんとかローラを泣き止ませようと必死になっていた。それを見て、ローラはいつも笑っていた。それでホッとした顔をして、一緒に笑い合う2人の笑顔が大好きだった。だけど、今回は駆けつけてくれなかった。悲しくて泣いた。悔しくて泣いた。寂しくて泣いた。たくさん泣いた。涙が枯れるほど泣いた。1人の少女はしばらくそのまま泣き続けた。
「ゲルが魔物に殺された」
「え?」
その頃、ニーナもまたソネから事実を聞かされる。ニーナの瞳から温かい何かがぽたり、と床に落ちた。
「ハバリ様、街の外に逃げようとしていた奴らを捕まえてきました」
両手剣を背負ったオークがそう告げて、ソネは歯を食いしばる。最初から逃げ場等どこにもなかったのだ。もし、ゲルがニーナ達と逃げるという選択を取っていたとしてもおそらく捕まっていただろう。
「戻ったか。バル」
「それとその辺をうろついていたガキがいました」
首根っこを掴まれた長い栗色の髪の少女がオークによって運ばれてくる。そして、そのまま、床に放り投げられ、ソネは慌てて少女の元へと駆けつける。
「ローラ!」
ローラは顔に大粒の涙を浮かべていて、視線はソネではなく、ある男の死体の方を向いていた。
「ソネさん……これは夢だよね?」
10歳の女の子に訪れた過酷な現実。夢だと思いたくなるのも無理はない。
事実を伝えることがどれほど残酷なことか。ソネですら未だに心の整理が出来ていないのだ。応えるのに戸惑っていると、他の捕まった街の人々が男の死体に気付く。
「嘘、でしょ? ゲルさん?」
「まさか、殺されちゃったの?」
心を落ち着かせる時間なんてなかった。その絶望に満ちた声が、ローラを現実へと引き戻す。目の輝きを失い、ローラは何かに誘われるように無気力に父親の元へと、歩き出す。そんなローラをソネは抱きしめて動きを止める。ゲルの近くにはハバリとオーク達がいる。これ以上近づかせるのは危険だ。
「……ローラ、悪い。今は、今だけは耐えるんだ」
「……どいてよ!……お父さんが! お父さんがあそこにいるの!」
必死にソネの胸の中で暴れるローラをソネもまた必死に抑える。
「ガキは放っておけ。どうせ何もできない」
ハバリの言葉にソネは静かに安堵する。ローラだけはなんとしてでも守らなければならない。ローラとニーナを守ること。その自分の中で定めた使命がソネの心をなんとか保たせていた。
「聞け! 人間ども。この街はこれから俺達の支配下に置く! 男共は俺たちについて来い! 女共は働いて金を納めろ! 反抗しても構わないが、反抗があった場合、容赦なく殺す。この男のようにな!」
それから、男達はオーク達に連れていかれ、女達はひとまず解放された。
街を徘徊するオーク達が数匹残っていて、自由とは呼べないが、命があるだけよかったと言うべきだろう。死者の数を聞いたとき、ソネは奇跡だと思った。この街は救われたのだ。1人の男によって。そう考えるしかなかった。
今日、街にオークの群れが現れた。その被害、重傷者48人、死者1人。
ニーナの屋敷へと、ソネはローラと手を繋いで帰る。その帰り道、ローラは一言も話さなかった。
屋敷に辿り着いて、いつも通りの屋敷の光景を見て、少しソネはホッとする。
どうやら、この屋敷にオーク達の被害はなかったらしい。しかし、いったいニーナになんと言えばいいのか、ソネは頭を悩ませる。ローラは無言のまま、ソネを見上げていた。しばらく扉の前で立ち尽くし、ついに覚悟を決め、扉を開ける。
「あっ、良かった。あれから街が更に騒がしくなったから心配してたんだよ? おかえり。あれ? ソネとローラが一緒? ゲルはどうしたの?」
ニーナはソネと目が合うと安堵の表情を浮かべて嬉しそうに笑う。何も知らない笑顔がソネの胸を抉ってくる。しかし、ゲルがいないことに疑問を感じてソネが一番恐れていた質問がニーナから飛んでくる。
「……あっ、ああ。ゲルなら、なんか、用事があるとかでちょっと帰りが遅くなるらしい」
嘘を吐いた。こんなものはただの時間稼ぎにしかならない。本当に無意味な嘘でしかない。だが、ソネには言えなかった。言えるはずもなかった。一瞬、ソネはローラに視線を向ける。ローラは何かに気付いた様子で入ってきた扉を再び開ける。
「ローラ? どこに行くの?」
ニーナがローラに訊ねる。
「忘れ物したからちょっと取ってくる。大丈夫だよ、ソネさん」
そこでローラが閉ざしていた口を開いた。しかし、声には元気が感じられない。最後の言葉はソネを安心させるためのものだろう。子供に気を遣われたソネは自分が情けなかった。ニーナは最後の言葉の意味が分からずに首を傾げている。
「そ、そう。気を付けてね」
ニーナの言葉に頷いてそのままローラは外に出ていく。
「ローラ、どうしちゃったのかな? なんか暗かったし、服が汚れてなかった?」
「……ニーナ、その事なんだがちょっと話があるんだ」
ニーナと2人きりになったこの状況で本当のことを伝えようと、覚悟を決めて、ソネはそう切り出す。
「話?」
「ああ、落ち着いて聞いてくれ」
そして、語られる。絶望と恐怖が入り混じる悲劇の物語が。
「家に帰ったら、全部が夢でお父さんとお母さんが笑って私を迎えてくれる。その後、3人でケーキを食べるんだ」
屋敷を出てしばらく歩いてから、ローラは俯き呟いた。肩を落とし、力の無い足取りで夢を見ていた。目的地もなくただただ歩く。
「……ソネさんにも酷いことしちゃったな。後で謝らないと」
随分と怖い夢を見た。世界は広い。そんな広い世界で目の前で親を殺される。そんな現実が自分に降り掛かるなんてローラはどうしても信じきれなかった。夢だと願いたかった。
「お父さんは忘れ物を取りに行っただけ。また戻ってくるって言ったもん。もしかしたら、私のことを探してるかも」
必死に現実から逃れようとする。必死に真実を受け入れないようにする。
すると、街の人々の声がローラの耳に入ってきた。
「ねえ、魔物にゲルさんが殺されちゃったんですって」
「え? ゲルさんが? ……もうこの街も終わってしまうのかしら」
「あっ、ちょっとあなた」
女性2人がローラの存在に気付き、会話を中断する。ローラは俯いて、女性達の横を通り過ぎていく。本当はローラにだって分かっている。もうすでにゲルがこの世にいない事ぐらいは。ゲルがローラと別れた後、ローラはゲルの後ろをバレないようについて行って最初から最後まで全部見ていたから。ソネさんとのやり取りも、ゲルのワインを飲む姿も、殺されるところも全部見ていた。だけど、声が出なかった。体が動かなかった。いくら後悔しても後悔したりない。
気が付くと、魔物が街に現れた際、ローラが地面に落としてしまったケーキが目に入る。いつの間にか、ケーキの屋台のところまで戻ってきていたらしい。逃げる人々に踏み潰されたのだろう。ケーキはローラが落とした時よりもぐちゃぐちゃになっていた。そのケーキを見て、何故か今まで抑えてきたものが一気に込み上げてくる。人の声が聞こえなくなる。瞳から涙が溢れ出る。
「うわーん! お父さんの嘘吐き! ……なんで! 戻ってくるって言ったじゃん!」
いつもローラが泣いていると、ゲルとニーナが慌てて駆けつけて不器用ながらもなんとかローラを泣き止ませようと必死になっていた。それを見て、ローラはいつも笑っていた。それでホッとした顔をして、一緒に笑い合う2人の笑顔が大好きだった。だけど、今回は駆けつけてくれなかった。悲しくて泣いた。悔しくて泣いた。寂しくて泣いた。たくさん泣いた。涙が枯れるほど泣いた。1人の少女はしばらくそのまま泣き続けた。
「ゲルが魔物に殺された」
「え?」
その頃、ニーナもまたソネから事実を聞かされる。ニーナの瞳から温かい何かがぽたり、と床に落ちた。
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