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9.講義、スカイハイスロー

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翌朝。英下衆大学の校門前。

「憲伸さん。おはようございます……って、そちらの子は?」

登校する撫子なでこと合流する。

「ゴミィだ。拾った」

「ええ? 拾ったら駄目ですよ。ゴミィちゃん? お家は? ご両親は?」

そう言って、小さい子をあやすよう撫子が問いかける。

「ゴミィ……ここの大学の留学生なの……両親はバターナム国」

顔を近づけ問いかける撫子に驚いたか、ゴミィは憲伸の腰をつかみ背後へ隠れていた。

「え? まだ中学生みたいなのに。ゴミィちゃんもココロちゃんと同じ飛び級なのかしら?」

知っている? とばかりに撫子がココロちゃんを振り返る。

「まあ……知ってはいるにゃん」

反面。
ココロちゃんは見たくない者を見たとばかり、顔を背け言葉少なく答えるのみ。

仲が悪いのだろうか?
同じ飛び級の者同士。
仲良くなっても良さそうなものだが、不思議である。

「やっぱり海外の大学は違いますね」

そんな雰囲気に気づかないのか、撫子はのんきに感心していた。

人間。お互いに相性というものがある。

炎と水と。
どちらも優れた物であっても、互いを1つにすることはできない。

ココロちゃんとゴミィ。
どちらも可愛い少女だというのに、両手に花は無理だという悲しい現実。
まあ、交互に可愛がれば良いだけだから、大した問題でもないか。

「憲伸さん。今日はどうします? 私、受けたい講義があるんですけど……よろしければご一緒しません?」

上目遣いに問いかける撫子。
相変わらずのビッチっぷりに、ますます磨きがかかっていやがる。
俺が並の男なら、その艶めかしい瞳にイチコロであろうが……

「すまんが、今日の俺はゴミィの予定に合わせる」

あいにく俺は並の人間ではない。
超・天才剣士。
ビッチの誘惑ごとき。微塵も揺るぎはしない。

「あうぅ……そうですか」

断られたことにガックリ肩を落とす撫子。

おのれ。なかなかに演技の上手い奴。
まるで俺が悪いことをしたみたいではないか。

相手の罪悪感を引き出そうという。
剣士をやめて女優にでもなれば良いものを。

「にゃん。撫でちゃんにはココロちゃんが一緒するにゃん。行くにゃん」

相変わらず、にゃんにゃん可愛いココロちゃん。天使である。
気落ちする撫子を引きずり、ココロちゃんは構内へと姿を消していた。

どうせ撫子の受けたい講義というのは、宇宙言語で喚きたてる意味不明な講義だろう。
少し宇宙言語ができるからと調子に乗らないでもらいたいもの。
そのような拷問を受ける位であれば、ゴミィに付き合う方がお得というものだ。

「ゴミィ。いつもは何の講義を受けている? 俺は構内に不慣れなもので、一緒にいさせてほしい」

「いいの? それじゃ、こっち」

可愛く袖を引くゴミィに付き添い、教室内の座席に腰を降ろす。
よほど講義が楽しみなのか、陣取るのは一番前の長机。

このような少女が楽しみにする講義。
きっと、お絵描き教室などの楽しい内容なのだろう。
俺にはレベルが低すぎると言わざるをえないが……
ま、たまには童心に帰るのも悪くはない。

「えー三角関数がーサインコサインタンデントでー」

??? この講師。いったい何を言っているのか?
英下衆大学の講義は、宇宙言語で行われるのが常だというのか?

「すまんが、少しトイレに行く」

宇宙言語を聞きすぎたせいか、少し頭が痛い。

教室を出ようと通り過ぎる長机。
座る学生の囁く会話が耳に届いてきた。

「んだよ。あのゴミ。しょうこりもなく」
「ゴミが講義を受けるとかさあ。生なんだよ」
「またゴミ置き場に捨てるしかねーな」

聞き覚えのある声にチラリ顔を見る。
昨日。ゴミィを放棄していったチンピラ学生の姿。

ふむ……もしやと思わないでもないが。
まあ、それは後にするとしよう。

今は俺の膀胱を気づかうのが先決。
教室で漏らしでもしようものなら、天才の威光が地に落ちてしまう。

ジャー

ふう。気分すっきり。
しかし、またあの宇宙言語を聞かねばならないとは……

気分も重く教室へ戻る。
目指す俺の座席には、先ほどのチンピラ学生が座っていた。

「ゴミが。くせーんだよ」
「おめーがいると臭くて勉強できねーのよ。わかる?」
「出てけったろ? 講義の邪魔よ。邪魔」

いまだ講義の最中にもかまわず、前後左右にゴミィを取り囲み、声を張り上げる3人のチンピラ学生たち。

「あー微分積分がニュートンの法則によりー」

にもかかわらず、誰もいさめる者はいない。
すぐ目の前の教壇に立つ講師も。教室内に詰めかける他の学生たちも。

「ただでさえ暑いってのに」
「匂いが充満してたまらんわ」
「ゴミ。聞いてんの?」

室内に響くのは、ゴミィを罵倒する声と。

「そのー虚数が実数でー標準偏差がヒストグラムでー」

ただ意味不明な宇宙言語が響き渡るのみ。

他の者には見えていないのだろうか?
他の者に聞こえていないのだろうか?

「おめーの頭じゃ何いってるか分かんねーか?」
「おら。お絵描きしてんじゃねーぞ」

チンピラ学生を無視してノートを取り続ける。
ゴミィのノートがチンピラの1人に奪い取られていた。

「っ」

学生の1人が、目を背け小さく声を漏らす。

いや。
周囲の誰もが、見えている。聞こえている。

ただ、目を背けているだけ。
聞こうとしていないだけなんだ。

チンピラの腕が弧を描き、手にするゴミィのノートが放り投げられる。

「あ……」

折しも残暑が続く中。
換気のため解放された窓へと、ゴミィのノートが吸い込まれていく。

嫌なことから目を背け、耳を塞ぐ。
それは正しい対処方法。

例え見たところで。聞いたところで。
何も出来ないのであれば……いっそ何も知らない方が良い。
それが心の平穏を保つただ1つの方法。

だが……それは無力な一般人にのみ適用される話。

ゴミィのノートが窓枠へ吸い込まれる。その寸前。
俺は手近の長机でノートを取る学生。
その筆入れをつかみ取り──

「超・天才流剣術。スカイハイ筆入れぶん・スロー投げ

投げつけた。

バカーン

高速で放たれた筆入れが、屋外へ飛び出す寸前のノートを叩き落とす。

バサバサッ

音を立てて室内に飛散するノートと筆入れ。

「!?」

それまで背けられていた室内の目が一斉に開かれる。
沈黙する教室が一斉に騒めきを見せ音を発していた。

「ああ?」
「誰よ。おめー?」

自身に向けられる視線の中。
憲伸は床からノートを拾い上げ、ただ悠然と3人に相対する。

「超・天才剣士が憲伸」

超・天才である俺には、目を閉じることは許されない。
耳をふさぐことは許されない。
それこそが、超・天才として生まれた俺の責務なのだ。
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