【エルド学園】俺はこの『親友』が、ただの学生だと思っていた

西園 斎

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第五章 親友と紅の一族

25.血の帰る先

***

戦場の煙が、まだ低く漂っている。
焼け落ちた帝国の旗が、風に軋んだ。

ノアの足取りが、わずかに乱れたのは――レオンしか、気付かなかった。

ほんの一瞬。
ほんの、わずかな重心の揺らぎ。

反射的に腕が伸びる。
その瞬間、触れた体温に、レオンは息を呑んだ。

燃えるように熱い。
だが、その奥が――氷のように冷えている。
血が逆流しているかのような、異様な熱。


「お前……やっぱどこか――」
「ノア!!」


澄んだ少女の声が、戦場を裂いた。
レオンの言葉が、空中で途切れる。

ノアはゆっくりと顔を上げる。
視線の先。
瓦礫の向こうから、風を切るように駆けてくる少女。
その後ろを静かに歩く男、リヒト。

ノアの唇が、ふ、と緩んだ。
その笑みは、戦場に似つかわしくないほど穏やかだった。

レオンの腕をそっと外し、一歩前へ。
そして、膝をつく。
石と血に汚れた地面に、両膝を落とし、深く、頭を垂れた。
その姿に、少女は足を止める。


「ルベド王統、女王陛下。こうして再びお会いすることができ、幸甚の極み。……ご無事で、何よりです」


声は、完璧に整っている。
震えは、ない。

アリシアは一歩、近づく。
小さな手が、胸元で握られている。


「……ノア・ルベド・ルビナス。貴方の働き、遠き地でも血を介して伝わっていました」


彼女の銀の髪が、光の加減によって紅く輝く。


「貴方によって、ルベド王統の存続は守られました。よく、やってくださいました」


一瞬。
ノアの背が、ほんの僅かに揺れた。


「恐悦至極に存じます」


王族としての礼。
完璧な応答。
それが、ルベド王統。
誇りと責務の象徴。

――その次の瞬間だった。

ノアの視界が、白く揺らぐ。
音が遠のく。
膝が、崩れた。


「……ッ」
「ノア?!」


レオンが、間に合う。
倒れ込む身体を、抱き止める。

その瞬間。
ノアの喉から、ひゅ、と異音が漏れる。
次いで、赤。
鮮やかな血が、レオンの腕を伝い落ちた。


「お前、やっぱりどこか悪いのか! おい、治療部隊――」
「……いい」


掠れた声。
指先が、レオンの胸を押す。
力は、もうほとんどない。


「良いってお前……!」
「時間が、ない……」


ノアは、レオンの腕を外し。
よろめきながら、アリシアへ手を伸ばす。
その手を、少女が両手で掴む。
冷たい。
信じられないほど。


「いい、ですか、女王陛下。もうすぐ……帰血きけつが、始まります」
「……っ!?」


その言葉。
アリシアの瞳から、色が抜ける。


「帰血……?」
「ルベド王統の血統魔法の一つです」


答えたのは、リヒトだった。
静かに、だが重く。


「紅の一族が息絶える直前、自動的に全記憶が女王陛下の記憶領域へ移行されます」
「そんな血統魔法が……、……ッ」


レオンの視線が、鋭く跳ね上がる。


「待て。今、何て言った」


リヒトは、ノアから目を離さずに告げる。


「息絶える前に、です」
「……はぁ?!」


空気が凍る。


「ッノア……!!」
「静かに。魔力の流れが乱れます」


レオンが詰め寄ろうとする。
だが、リヒトの腕が静かに制した。

ノアの呼吸が、浅くなる。
胸が、小刻みに上下する。


「王族の血筋とはいえ……正当な王位継承者ではない者の、紅冠断罪、血命の施行……」


唇の端から、また血が零れる。


「身体的影響は……未知数……必ず、この記録を、継承して下さい……一族の、ために」


アリシアは、涙を堪えながら、頷く。


「……はい。分かりました」
「リヒト」
「はっ」

次いで、リヒトへと視線を向ける。


「紅の一族を……女王陛下を、頼む」
「御意」


短いやり取り。
しかし、幼い頃からの世話役であったリヒト。
それだけで、十分だった。

そして。
ノアの視線が、ゆっくりと、レオンへ向く。
血の気が、どんどん引いていく。
唇が、青い。


「……そして、レオン」


レオンの喉が鳴る。


「ノア……死ぬとか、冗談だよな? だってお前、ようやく……!」
「悪い……時間が、ない」


瞳だけが、はっきりと彼を映している。


「俺が自分で……エルド王国に対する説明責任を負いたかった、が……それまで身体が、もちそうにない……」
「そんなの、今はどうでもいいだろ!!」


叫びが、戦場に響く。
ノアは、ほんの少し笑った。


「……良くないんだよ、レオン。紅の一族を人だと言ってくれたお前の恩に……報いたかった……」
「そんな当たり前のこと……っ」


その言葉に、ノアは目を閉じて微笑む。


「それを当たり前だと言えるお前だから、俺は……お前と共にいたいと願ったんだ……」
「ノア……っどうにか、どうにか出来ないのか……っ」
「ただの損傷じゃない……本来、女王が行う血命、他にも……代償、だから……覚悟はとうに、出来ていた……」


そのとき。
アリシアの涙が、ぽたり、と落ちた。
ノアの言葉が、止まる。
視線が、ゆっくりと、上がる。

そこには、女王の顔ではない。
泣きじゃくる、ただの少女の姿。
ひくっ、と息を引き攣らせる。


「いか、ないで……っ行かないで、お兄様……!」


小さな手が、ノアの頬を包む。


「やっと、会えたのに……! ずっと……ずっと頑張ってきたのに……!」


嗚咽が、混ざる。


「お母様もお父様ももういないのに……っ。私を……アリシアを置いていかないでぇ……っ!」
「……女王陛下」
「女王じゃない、お兄様の、妹だもん~……!」


アリシアの、年相応の泣き声が、響く。
そこで初めて、ノアの瞳が、揺れる。
王兄ではない顔。


「……アリシア……」


その瞬間、王族の仮面が剥がれる。


「ごめん……ごめんな……」


抱き寄せる腕が、震える。


「俺は……お前の幸せを願っている」
「お兄様がいないと、幸せになれない……!」
「……あぁ……参ったな……」


苦笑。
その直後。


「ぐ……かはっ!」


大量の血。
身体が、痙攣する。


「お兄様!!」
「ノア!!」


呼吸音が、ひゅう、ひゅう、と壊れる。


「アリシア……最後、に……許してほしい、ことが……」
「なに、何でも言って……!」


アリシアはノアの手を握る。
ノアは、レオンを見上げた。
微笑む。
あの、柔らかな目。


「レオンに関する記憶を……渡したく、ない。記憶領域に、ルベド王統に」
「俺、の……?」


レオンの目が、見開かれる。


「帝国に囚われてから、嘘ばかりだったけど……お前と共にあった俺は……本当だった」
「……っ」


それは、ずっと聞きたかった言葉。
でも、こんな状態のノアから、聞きたいわけではなかった。


「ゆる、して……許して……くださいます、か……女王、陛下……」
「っ許します、許します……!」
「あぁ……ありがとう……アリシア……」


ふっと、息を吐いた瞬間。

空気が、凍る感覚。
血が、一滴、宙に浮いた。
そして――。

魔力が、爆ぜた。

紅い光が、ノアの身体から溢れ出す。
血が浮かび上がり、空中に紋様を描く。
それは、王家の紋章――【帰血きけつ】。


「あぁ……やめて、止めて、お兄様から、奪わないで……っ!」


膨大な記憶が、奔流となってアリシアへ流れ込む。
少女の身体が、光に包まれる。
ノアの身体から、色が消えていく。

最後に。
レオンを見る。
そして。

静かに、息が止まった。

完全な沈黙。
魔力反応の、消失。


「……ノア?」


レオンが呼び掛ける。
反応はない


「……ノア」


レオンが、揺する。
応答は、ない。


「……ノア!!」


頬を叩く。
顔をしかめることも、ない。


「あぁ……あぁ……お兄様……っ」


アリシアが、ノアの身体に縋る。
先ほどまでの熱は、ない。

そこにはもう動かない、親友の姿が、あるだけだった。
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