忘れられた怪談

津々木徹也

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第6話

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 コンコンとノックし、「失礼します」と二階堂が第二会議室のドアを開けると、たしかに宗方先生がそこにいた。
 
「やあ、二階堂君じゃないか。どうしてここへ? 」
「ボクシング部の白木先生から聞いて来ました。先生、今、稲垣先輩について調べているんですが・・・・・・」
「おお、早速やってるんだね。警察から直々に捜査協力を受けるなんて大したもんだよ。そうか・・・・・・稲垣のことか・・・・・・」

 柔和な笑顔で話していた宗方先生が、不意に、感情が消えたような無表情になった。そのまま中空の一点を見つめている。何かを考えているのか? 室内が不自然な静けさに包まれる。急な様子の変化に戸惑う二階堂。
 宗方先生の視線がパッと動き、二階堂の眼をまっすぐ見つめた。表情には、何かの決意が浮かんでいる。
 
「・・・・・・実は、僕も、二階堂君に伝えたいことがあるんだ」
 宗方先生がかもし出す緊張感に、体がこわばる二階堂。
 
「事件に関係することですか? 」
「いや・・・・・・どうかな、関係するかは分からないけど・・・・・・ただ、事件のちょっと前に、稲垣が僕に、ある話をして来たんだ」
 とぎれとぎれに伝えてくる宗方先生の言葉にじれったさを感じながら、同時に緊張感も増していく。

「どんな話ですか? 」
「・・・・・・僕はこの学園に来ると、いつもこの第二会議室を使わせてもらってるんだけど、稲垣と話をする時も、ボクシング部ではなく、この第二会議室で話してたんだ。
 それで、ある日の放課後、稲垣と話す約束をしてたんだけど、ちょっと用事があってこの部屋を空けてたんだ。そういう時は先に来た稲垣が部屋の中で僕を待っててくれるんだけど、その日もそうだったんだ。
 ・・・・・・それで、僕が遅れて来たら、稲垣が、なんか深刻な顔をしてて・・・・・・、様子がおかしいんだ」
「・・・・・・」
「どうかしたのか? って聞いたら、稲垣が、『今、もう一人の自分を見た』って・・・・・・、言ったんだ」
「もう一人の自分? 」
「そう。もう一人の自分・・・・・・。稲垣が言うには、僕が来るのをこの第二会議室の中で待っていた時、廊下を歩く足音が聞こえて来たんだそうだ。てっきり僕が来たと稲垣は思って待ち構えたけど、いつまで経ってもドアが開かない。それで自分の方からドアを開けて廊下の様子を見てみたら、あの奥の廊下の突き当りに男子生徒が一人立ち止まっていて、窓から向こうの学生寮を眺めていたんだそうだ」
「・・・・・・」
「稲垣はその男子生徒の後ろ姿しか見えなかったけど、なぜかその男子生徒のことが無性に気になって、近寄って行ったらしいんだよ。するとその男子生徒はいきなり歩き出して奥の曲がり角を曲がったから、稲垣は走って追いかけたらしいんだ。
 二階堂君はここの生徒だから分かると思うけど、あの奥は行き止まりさ。稲垣はその行き止まりまで走ったけど、その男子生徒はいなかったんだ」
「・・・・・・」
「稲垣は、変だと思いつつ、なんとなくその男子生徒が見ていた窓を見た。そしたら、なんとその男子生徒が閉鎖されている学生寮に向かって歩いていたんだそうだ。どうやって移動したのか驚きながら稲垣がその後ろ姿を見ていると、急に男子生徒が立ち止まり、こちらを振り向いた。見ると、その顔が、自分と全く同じ顔だったんだそうだ」
「・・・・・・似ていただけじゃないんですか? 」
「・・・・・・稲垣は、自分そのものだと言っていた。もう一人の自分が歩いていた・・・・・・って」
「そんな・・・・・・。それで、その、もう一人の自分はどうなったんですか? 」
「稲垣と目が合うと、学生寮の方に走って行ってしまったらしい。稲垣も怖くなって、さすがにそこまで追いかけなかったらしいよ。いろいろ噂もあるしね、あそこには」
「噂って、・・・・・・学生寮には何か・・が住み着いていて、夜な夜な寮の中を歩き回っているっていう、怪談話みたいなアレのことですか? 」
「うん。稲垣は、その怪談話にある学生寮の何か・・、つまり幽霊を見てしまったんだと思って、かなり怖がってたよ。・・・・・・でもね、実は・・・・・・、違うんだ」
「何がです? 」
「この徳丸学園の怪談話は、その学生寮の幽霊の話だけじゃないんだ」
「え? 」
「僕も昔はこの徳丸学園の生徒で、十七年前に卒業したんだけど、稲垣が見たというその『もう一人の自分』の怪談話は、僕が学生だった時にあった怪談話だったんだ」
「え!? 」
「そんな怪談話、二階堂君は聞いたことなかっただろう? 」
「はい。・・・・・・もう一人の自分と遭遇するなんて怪談話、聞いたことないですね。多分、同級生の誰に聞いても、知らないって答えると思いますよ」
「そうだよな・・・・・・。知ってるはずがないんだよ・・・・・・。なのに、稲垣は、その大昔の怪談話を実際に体験してしまった。・・・・・・しかも、もう一人の自分っていうのは、つまり、ドッペルゲンガーのことだろ? 」
「ドッペルゲンガー? 」
 聞きなれない言葉に、思わず二階堂が聞き返す。

「ドッペルゲンガーというのは自分の分身のことで、文字通りの『もう一人の自分』なんだ。世界中に目撃の報告例があって、日本の文豪なんかもドッペルゲンガーに遭遇した体験を書き記している。ただ、問題なのはだ・・・・・・、その、言い伝えによると、ドッペルゲンガーに遭遇すると、・・・・・・死んでしまうと言われているんだ」
「!? 」
 予期せぬ話に驚きを隠せない二階堂。

 宗方先生が困惑した顔で続ける。
「学校の怪談なんてどこにでもあるし、僕がここの生徒だった頃ですら、誰も『もう一人の自分』なんて信じてなかったんだ。当然、誰もそれを見た奴なんかいなかったし、第一、自分自身と会ったって怖くもなんともないだろう? 案の定、僕らの世代が卒業したらすぐに『もう一人の自分』の怪談話はすたれたよ。なのに、それから十七年も経って、なぜか稲垣が、もう誰も知らないはずの『もう一人の自分』を・・・・・・ドッペルゲンガーを見て、それで、死んでしまった。・・・・・・どう思う? この稲垣の事件は何なんだろう? 」
「どう思うって言われても・・・・・・」
 困惑のあまり、明らかに混乱している宗方先生からの問いかけに、二階堂も言葉を詰まらせる。その二階堂の困っている姿を見て、宗方先生が我に返った。

「すまない。二階堂君にそんなこと聞いてもしょうがないよな」
「いや、まあ、仕方ないですよ。・・・・・・それで、稲垣先輩がその『もう一人の自分』を見たのは、正確にはいつの頃か憶えていますか? 」
「ああ」
 宗方先生の表情が険しくなった。
 
「いつだったんです? 」
「・・・・・・先週の木曜日の放課後だ」
「先週の木曜・・・・・・え? それって・・・・・・」
「そう。稲垣が殺された日の前日さ」

 一瞬、言葉を失う二階堂。しかし、気を持ち直して続ける。
「そのこと、警察には・・・・・・」
「こんな話、警察にできるわけないだろ! 」
 バカな事を聞くなよといった感じで、吐き出すように宗方先生が言った。

「稲垣はこの学園でもう一人の自分に会った翌日に死んだ。稲垣の死因はドッペルゲンガーです、なんて・・・・・・警察に言えるわけない。犯人が幽霊みたいなオカルトだなんて、そんなこと、あるわけないだろう・・・・・・」
「・・・・・・そうですね。稲垣先輩がもう一人の自分を本当に見たのかどうかは別として、稲垣先輩の死因は、はっきりしてる。・・・・・・麻薬ですからね」
 宗方先生はさらに困惑の表情を深め、「・・・・・・信じられない」と言った。

「僕は、あの稲垣が麻薬で死んだなんて、いくら警察から言われても信じられないんだ。・・・・・・だからというわけじゃないが、やはり、あの『もう一人の自分』という怪談話が、なにか稲垣の死に関係してるんじゃないのか・・・・・・とも、心のどこかで思っている」

 可愛がっていた生徒が突然不慮の死を遂げ、その生徒が死の前日に遭遇したという、にわかには信じ難い不思議な出来事を知る唯一の人物となってしまったのだから無理もないが、宗方先生の言動からは、未だ自分の中で情報を整理しきれていない様子がうかがえた。
 
「警察にこんな怪談話なんてしてもしょうがない。捜査の邪魔になるだけだろう。だけど、絶対関係あると思うんだ。だから・・・・・・、調べてみてもらえないか? 」
「その、『もう一人の自分』という怪談話をですか? 」
「うん。・・・・・・もう誰も覚えていない、十七年前に忘れられた怪談話がいきなり蘇って来たのは、きっと何か理由があるはずだと思うんだ。この徳丸学園の歴史は古い。その歴史を掘り起こせば、怪談話と稲垣の事件を結びつける、何か手掛かりみたいなものが見つかるんじゃないのか? 」
「稲垣先輩は、この学園に隠された何かを知ってしまったから殺されてしまったと? 」
「そう。僕は事件以来、ずっとそう思っているんだ。でも警察に、いわゆる学校の怪談なんて調べてもらうわけにはいかないだろう? 第一、この徳丸学園の内部を事細ことこまかに調査するのは警察には無理だ。でも二階堂君たちなら、稲垣の聞き込み調査だけじゃなく、学校の怪談話の由来なんかについても深く調べることができるじゃないか」
「怪談話の由来・・・・・・。先生は、稲垣先輩は、本当はドッペルゲンガーと遭遇していないと考えているんですか? 稲垣先輩は『もう一人の自分』の話にカモフラージュして、この学園に隠された何かを遠回しに先生に伝えようとしたと? ・・・・・・でも『もう一人の自分』という怪談話は廃れて、僕らの世代では誰も知らないから・・・・・・」
「そうなんだ。問題はそこなんだ。あの話をしてた時の稲垣は、とても嘘をついているようには見えなかった。本当に『もう一人の自分』に遭遇したとしか思えなかった。だけど、その怪談話を知っているはずはないんだ」
「怪談話を知らなかったけど遭遇した。ということは・・・・・・、つまり・・・・・・、この学園には本当にドッペルゲンガーが現れるという事なんですかね? 」
「・・・・・・なんか、怖くなって来たな。学生時代はこんな話、なんでもなかったのに」

 ・・・・・・自分自身の分身であるドッペルゲンガーに遭遇すると死ぬと言い伝えられている。その言い伝え通り、稲垣昭は徳丸学園でもう一人の自分ドッペルゲンガーに遭遇した翌日、死体となって発見された。警察の検視によると、死因は麻薬の過剰摂取と推測される。

 ドッペルゲンガーとは、死が近づいていることを知らせるだけの存在なのだろうか? 
 それとも、死をもたらす死神のような存在なのだろうか? 
 死をもたらす者だとしたら、ドッペルゲンガーが稲垣に麻薬を打ったのだろうか? 
 
 もう一人の自分ドッペルゲンガーが麻薬を打った? 
 
 おかしな話だ。しかし、二階堂の心に何か・・が引っ掛かる。その何か・・は分からない。その何か・・をはっきりさせたい。
 
「先生、分かりました。その『もう一人の自分』についての調査も引き受けますよ」
「そうかい。やってくれるかい。こんな学校に伝わる怪談話なんて、本当に稲垣の事件と関係あるか分からないけど、なんか不気味で、どうしても気になってしょうがなかったんだ。助かるよ」

 宗方先生は胸につかえていたことを二階堂に告白したことで心の重荷が外れ、一気にリラックスした表情になった。
 宗方先生とは反対に、謎だらけの稲垣の死に新たな謎が加わったことで、二階堂の表情は厳しく締まった。
 
 ストイックなボクサー。
 誰からも慕われている。
 心霊スポット。
 麻薬取引。
 無抵抗の死。
 もう一人の自分ドッペルゲンガー
 十七年前の怪談。
 
 これらのピースを合わせると、果たしてどのようなパズルが完成するのだろうか? 完成までには、まだ足りないピースが多すぎる ――― 。
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