お嬢様と魔法少女と執事

星分芋

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第五十四話③『お泊まりと赤面』

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 どうやらゴキブリを目にして形南あれなは言葉を失ってしまったらしい。

 嶺歌れかは自分が捕まえて窓から出してしまおうと思い、ベッドから降りるため体を持ち上げる。

 しかし形南の手が嶺歌の手を掴み、嶺歌は動く事が出来なくなっていた。形南は目に涙を浮かべながら無言で首を振っている。

(あれなゴキブリ苦手なんだ)

 嶺歌も決して好きな部類ではないが、手でゴキブリを触るくらいは難なく出来る。しかし令嬢である形南にとってはゴキブリはとてつもない汚物に見えてしまうのかもしれない。

 嶺歌は捕まえるから手を離すよう形南に告げるが、彼女は首を振って抵抗していた。

 どうやらゴキブリへの恐怖心から嶺歌が離れるのを嫌がっている様子だった。

 形南の力は嶺歌よりも強い。無理に解こうとしても全くビクともしないのだから困ったものである。

 嶺歌はどうしたものかと悩んでいると、形南は布団の上に置かれたスマホを取り出し片手で器用に何かを打ち始める。

 すると数秒としないうちに「失礼致します」という声を発した兜悟朗とうごろうが部屋の中にやってきた。

(ええっ!!?)

 その予想外な兜悟朗とうごろうの登場に嶺歌は目を見開く。

 兜悟朗はこちらに目を向ける前にすぐゴキブリを視界に入れると素早い動きで奴を退治した。

 そうして数秒としない内に彼は手袋を取り替えてからこちらに向き直り、丁寧に一礼をする。

形南あれなお嬢様、ご安心ください。たった今撃退致しました。もうご心配は要りません。ノックもせずにお入りしました事、謹んでお詫び申し上げます」

「ご苦労様ですの。ですがこの様な事、二度とあってはなりません。あのような侵入者が今後出入りできないよう厳重に注意して頂戴な」

 上品な言葉遣いとは反対に、形南は未だ半泣きの顔をして兜悟朗にそう訴えかけた。余程ゴキブリが嫌いなのだろう。

 嶺歌れかは形南の背中を優しくさすりながら「すぐに退治されてよかったね」と声を掛ける。

 その言葉に形南は小さく頷きながら「ええ、本当に安心しましたの……」と心から安堵した様子を見せていた。

「お嬢様が仰せの通り、今後はより一層の清掃を心掛けます」

 兜悟朗は形南にそう言ってもう一度深くお辞儀をした。

 すると彼はすぐにまた顔を上げて今度は嶺歌の方を見る。いつもの柔らかな表情ではなく、なんだか彼らしくない顔付きだ。

 嶺歌はそんな兜悟朗と目が合いそれだけで胸が高鳴るのを感じていると、兜悟朗はどんどんこちらに近付いて来た後、バサリと何かを取り出した。

「……え?」

 そしてそれは嶺歌の肩に掛けられていた。どこから持ち出したのか、上品なカーデガンだった。兜悟朗は今、嶺歌にそのカーデガンを着せたのだ。

「嶺歌さん、こちらをお召しいただけますと幸いです。猛暑とはいえ夜は冷えますから」

 瞬間嶺歌れかの顔は真っ赤なリンゴの様に赤面した。

 ゴキブリに気を取られていたせいで失念していたが、嶺歌は今とても異性に見せていいような格好をしていなかったのだ。普段から露出した衣服を着る事はあってもそれとこれとはまた訳が違う。

 何せ上半身はブラパッド一枚だ。この姿はどう見ても淑女が人前で見せていいようなものではない。

 それを自覚し、そして兜悟朗とうごろうにこのようなはしたない姿を見られ、挙げ句の果てに気を遣われたことに対して嶺歌は恥ずかしさでこの場から消えたくなる。

「それではわたくしはこれで失礼致します」

 兜悟朗はそれだけを言うと迅速に形南の部屋を出て行った。パタリと静かに閉められた扉を見つめたまま赤らんだ顔で呆然としていると、形南あれなは途端に黄色い声を上げ始める。

「嶺歌っ!! きゃ~ですのっっ!!! 今わたくしバッチリ見ましたのよっ!!!」

 大興奮の形南は嶺歌の服を掴みながら嬉しそうに奇声のような喜びを発している。しかし嶺歌は顔の熱が一向に止まず、そのまま下に目線を向けた。

(めちゃくちゃ紳士だ……)

 彼は恥ずかしい格好の嶺歌に、ただこれを着てほしいとそれだけを告げて静かに立ち去っていった。

 嶺歌が恥ずかしい思いをせぬ様気を遣ってくれたのだ。

 嶺歌の格好を直接的に言及する事なく、羽織だけを提供して部屋を離脱した兜悟朗の紳士さを、嶺歌は再び強く再認識するのであった。


第五十四話『お泊まりと赤面』終

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