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「お大事に」
言って部屋を出たが、彼女の顔を見れば言葉の意味がわからなかったであろうことは推察出来た。
ベットの横に付き添っていた侍女兼教師が、なにごとか彼女に言って紙の上になにか書いていた。
[知り合いに会えば少しはなにか思い出すかもしれないから]
娘が記憶喪失になったという旨と言うリッチェル様のご両親から手紙を受け取り、一応とはいえ婚約者ではあるのだから一度ぐらいは顔見せというのが必要だろう、と言ったのは父だ。
自分もそのぐらいはした方がいいと思っていたので、父の案に素直に従った。
記憶がない、と言うのは思った以上に大変そうだ。言葉も忘れてしまっていたというから、今のリッチェル様は少し言葉が硬く、かなりのたどたどしさがある。
学校へいって少しでも記憶を取り戻したい、と言っているのだと彼女の父親から聞いた時にはあまりいい気持ちにはなれなかった。
記憶をなくす前の彼女は、いわゆるーー性格の悪い女だった。
彼女のもつ偏光眼(へんこうがん)はかなり希少で、価値のあるものだ。その眼を持てばあらゆる方向の才能には困らず、本人が望めばどの分野でも優れた力を発揮できると言う。
その眼を持って産まれた以上、生まれ落ちたそのときから将来を保証されたようなものだ。
そのためなのか、生来の性格か、彼女は周りの人間に対しての対応がキツイ女だった。
彼女の両親はかなり生真面目な人で、偏光眼を持っていると言うだけで彼女が危険にさらされることをよくよく知っている人たちだった。
かなり上位の役職であるリッチェルの父アスフォート公は、今までも偏光眼の人間に多数接触してきただろう。
将来を約束された娘を手にしたい、と思う人間はかなりの数いる。
紆余曲折経てアイヴァンとの婚約が決まった。
はっきり言ってアイヴァンは彼女に対してまったく好意がなかったし、彼女のほうも同じ様子だった。ただ形式的に婚約者を据えておかなければならない、というだけのことだ。
世の中には、お互いが好きあっている婚約関係のものもいるというが、僕たちの場合は完全なる仮面婚約者。いつか時がきたら解消されるだろう偽りの関係だ。
それでも一応はプレゼントを送ったり手紙を送ったりという体裁は崩したことがない。
それはアイヴァンの父親からの言いつけだった。
音楽的な才能に秀でているアイヴァンは、自作の曲を箱に詰めて贈った。
自分で作ったものだ、それなりに愛着はある。
気に入ってもらえれば嬉しい。
と、思っていたのに、その曲を詰めた箱はあっさりと彼女の手を離れて売りに出されていた。
彼女はそのなかの曲がアイヴァンが作ったものだとわからなかったに違いない。
もしわかっていたら、気楽に売り払ったりはしないだろう。
自作の曲、それがどこにあるのか作者であるアイヴァンにはすぐにわかってしまうのだから。
記憶喪失と判断されたリッチェル様に会うと言うタイミングで同じ曲の箱をプレゼントしたのには二つの理由がある。
一つは、以前聞いたことのある音楽が記憶を取り戻すのに役に立つと思ったらから。
二つは今の記憶のないリッチェル様がこの箱をどのように扱うかをみたいというのがあった。
結論としては、アイヴァンの音楽は彼女の記憶を取り戻す力はなかった。……もしかしたら一度も聞いたことがなかったのかもしれないと思う。
今のリッチェル様はアイヴァンの贈った箱をかなり喜んで、口ずさんでいると言う。
昔は捨てたくせに。
アイヴァンはリッチェルには記憶喪失のままでいて欲しいと思っている。
言葉がうまく喋れなくとも、昔のことを忘れていようとも。
僕の音楽を好きな彼女のままでいて欲しい。
それは偽りの婚約者であっても、だ。
言って部屋を出たが、彼女の顔を見れば言葉の意味がわからなかったであろうことは推察出来た。
ベットの横に付き添っていた侍女兼教師が、なにごとか彼女に言って紙の上になにか書いていた。
[知り合いに会えば少しはなにか思い出すかもしれないから]
娘が記憶喪失になったという旨と言うリッチェル様のご両親から手紙を受け取り、一応とはいえ婚約者ではあるのだから一度ぐらいは顔見せというのが必要だろう、と言ったのは父だ。
自分もそのぐらいはした方がいいと思っていたので、父の案に素直に従った。
記憶がない、と言うのは思った以上に大変そうだ。言葉も忘れてしまっていたというから、今のリッチェル様は少し言葉が硬く、かなりのたどたどしさがある。
学校へいって少しでも記憶を取り戻したい、と言っているのだと彼女の父親から聞いた時にはあまりいい気持ちにはなれなかった。
記憶をなくす前の彼女は、いわゆるーー性格の悪い女だった。
彼女のもつ偏光眼(へんこうがん)はかなり希少で、価値のあるものだ。その眼を持てばあらゆる方向の才能には困らず、本人が望めばどの分野でも優れた力を発揮できると言う。
その眼を持って産まれた以上、生まれ落ちたそのときから将来を保証されたようなものだ。
そのためなのか、生来の性格か、彼女は周りの人間に対しての対応がキツイ女だった。
彼女の両親はかなり生真面目な人で、偏光眼を持っていると言うだけで彼女が危険にさらされることをよくよく知っている人たちだった。
かなり上位の役職であるリッチェルの父アスフォート公は、今までも偏光眼の人間に多数接触してきただろう。
将来を約束された娘を手にしたい、と思う人間はかなりの数いる。
紆余曲折経てアイヴァンとの婚約が決まった。
はっきり言ってアイヴァンは彼女に対してまったく好意がなかったし、彼女のほうも同じ様子だった。ただ形式的に婚約者を据えておかなければならない、というだけのことだ。
世の中には、お互いが好きあっている婚約関係のものもいるというが、僕たちの場合は完全なる仮面婚約者。いつか時がきたら解消されるだろう偽りの関係だ。
それでも一応はプレゼントを送ったり手紙を送ったりという体裁は崩したことがない。
それはアイヴァンの父親からの言いつけだった。
音楽的な才能に秀でているアイヴァンは、自作の曲を箱に詰めて贈った。
自分で作ったものだ、それなりに愛着はある。
気に入ってもらえれば嬉しい。
と、思っていたのに、その曲を詰めた箱はあっさりと彼女の手を離れて売りに出されていた。
彼女はそのなかの曲がアイヴァンが作ったものだとわからなかったに違いない。
もしわかっていたら、気楽に売り払ったりはしないだろう。
自作の曲、それがどこにあるのか作者であるアイヴァンにはすぐにわかってしまうのだから。
記憶喪失と判断されたリッチェル様に会うと言うタイミングで同じ曲の箱をプレゼントしたのには二つの理由がある。
一つは、以前聞いたことのある音楽が記憶を取り戻すのに役に立つと思ったらから。
二つは今の記憶のないリッチェル様がこの箱をどのように扱うかをみたいというのがあった。
結論としては、アイヴァンの音楽は彼女の記憶を取り戻す力はなかった。……もしかしたら一度も聞いたことがなかったのかもしれないと思う。
今のリッチェル様はアイヴァンの贈った箱をかなり喜んで、口ずさんでいると言う。
昔は捨てたくせに。
アイヴァンはリッチェルには記憶喪失のままでいて欲しいと思っている。
言葉がうまく喋れなくとも、昔のことを忘れていようとも。
僕の音楽を好きな彼女のままでいて欲しい。
それは偽りの婚約者であっても、だ。
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