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獣欲都市(サティロスによる蹂躙)

★錬鉄門

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聖アグネス様の園に集いし少女達が、
今日も静かな足取りで、
錬鉄の門を通り抜けていく。
門に書かれているのはダンテ「神曲」地獄門の一文。
ここ過ぎて苦しみの市――。
穢れた身体を純白の制服で隠し、
哀しみは笑顔の下にしまいこむ。
聖アグネス女学園――ここは邪神と戦う
聖別乙女たちセイクリッド・ガールズの砦。

「相変わらず出席率が低いね」
 紅緒はぶっきらぼうな口調で言う。
 全員で一二名。広い教室は閑散としていた。ずっと座る者のいない机もたくさんある。 柑奈《かんな》が人差し指で触れてみると埃が指の跡がついた。そのまま「お大事に」の文字を書く。この席の主はもう二月以上、学校に帰ってきていなかった。
「始業前に毎日机を拭いてもらうようお願いしておいたほうが良さそうですわね」
 緑色の髪をしたエメラルドの魔法少女、緑川《みどりかわ》依莉翠《いりす》が言う。
 聖アグネス女学園は全寮制である。寮の建物から正門までは徒歩で一分ほど。バスや電車の遅れて授業開始に間に合わない少女などいるはずもない。みんな邪神たちとの戦いで負傷し、入院しているのだ。
「もう、病院で授業したほうがいいんじゃないかなあ」
 紅緒が言う。
 出席者の人数が少ないため、学年をまたいだ合同クラスが作られていた。授業は教科書と動画、コンピュータを使ったもので、教師はいない。だから、学校にいるのは、邪神との戦いに急行するための都合でしかなかった。
「考えてみれば『人神不可侵条約』なんて、どうやって結んだんでしょうか?」
 教室での休み時間に、依莉翠が言う。
「日本人の代表と邪神の代表が決めたんじゃないかな」
 と紅緒。
「邪神の代表って誰です? あの樹木体のシュブ=ニグラスが調印するとは思えませんし、獣鬼とは言葉が通じません……」
 依莉翠が言った。
「人の言葉を理解する魔物がいる。あるいは人間が仲間にいる…」
 紅緒は言いながら邪神教団の存在を思い出していた。そうだ、奴らなら話しができるし、調印もできるだろう。人間のくせに邪神に味方する淫祠邪教《いんしじゃきょう》の輩なら。
「何がよくて邪神なんかを拝んでるんだか」
 柑奈が言う。
 まったくもってそのとおりだと紅緒は思う。そして、戦うなら獣鬼が楽でいいなとも思った。獣鬼の催淫毒は魔法少女には効かない。力押しでの戦いなら魔法という圧倒的な武器のある自分たちのほうが有利だ。胎内に挿れた宝石の作る魔法と身体強化、そしてそれらが引き出してくれる固有魔法。獣鬼ならまとめて倒すことさえできる。一ヶ月ぐらい時間をもらえれば、いま、クラスに残っている人員だけで神域にいる獣鬼を一掃することさえ可能だろう。
「人殺しはしたくないです」
 不意に柑奈が言った。邪神教団相手なら、それは当然ありうることだった。

 放課後、紅緒のスマーフォンに緊急地震速報めいた警報音と共にメッセージが届いた。最強の魔法少女セイクリッドガールズの招集だ。三人の魔法少女は特別室へと急いだ。
 特別室は木造の旧校舎の一角にある。そこは魔法少女たちが新しい任務を授かる場所。作戦会議室《ブリーフィングルーム》であった。
 説明《ブリーフィング》はアフタヌーンティーの形をとって行われる。テーブルの上にはミルクティの入ったカップと三段重ねのティースタンドが置かれ、スタンのそれぞれの段には、キュウリのサンドイッチ、スコーン、ケーキが置かれていた。
 給仕をするのは、万能雑用係のサンドストーンこと岩崎である。そして、供されたお茶に口をつけるのは紅緒《べにお》と依莉翠《いりす》、柑奈の三人の魔法少女、セイクリッドガールズだった。
 テーブルのさらに向こうには暖炉を模したエアコンがあり、その上に一台の古めかしいラジオが置かれていた。昭和の頃から使っていると言われれば信じてしまいそうなクラシカルなデザイン。しかし、それは偽装された通信機だった。秘匿回線を利用し、世界の何処とも知らぬ場所にいるアグネス機関の頭領とやりとりするためのものである。
「エメラルド、ルビー、トパーズ、お茶を飲みながら聞いてちょうだい。今回のミッションを伝えます。新宿の違法薬物密売ルートを壊滅させてほしいの」
 アグネスの声がスピーカーから流れた。
「ええっ、違法薬物撲滅運動って、そんなこと魔法少女の仕事じゃないでしょう」
 紅緒が言う。
「ひょっとして、『聖獣《せいじゅう》の雫《しずく》』のことですか? 医学雑誌に載っておりましたわ。終末医療に使われ始めた奇跡の鎮痛剤のこと」
 依莉翠が言った。彼女は治癒魔法に役立てるため、通常の医学の情報も集めている。
「エメラルドは知っていたのですね。医師が使えば薬となる『聖獣の雫』ですが、その正体は獣鬼の体液です。魔法少女には効きませんが、一般人にとってはとても強力な催淫剤、覚醒剤となります。その通称はビースト。あるいは頭文字をとってB《ビー》」
「へえ、獣鬼を使って金儲け考えてる奴がいるんだ」
 サンドイッチをつまみながら紅緒が言う。
「あっ、ずるい。それ私の分だよ」
 重なったサンドイッチ二つを鷲掴した紅緒の手をはたき、柑奈が自分の分を奪い返す。
「もうっ!」
 柑奈が口を尖らせる。
「ごめん、でも、わざとじゃないよ。あたしってがさつだから……」
 紅緒が両手を合わせて頭をさげ、柑奈に謝る。ここはミッション系の学校なのだが、幼年期から染み付いた習慣はなかなか抜けないようだ。
「続けてもらえますか、アグネス」
 依莉翠が促した。
「違法薬物はビースト以外にもあるのです。『女神の熾火《おきび》』、これは、一般人を即死させ、あなたたち魔法少女をおかしくする薬です。この二つの違法薬物を造っているのは、邪神教団。違法薬物の売上が淫祠邪教の活動資金になっているというわけです」
「アグネス、これは本当に魔法少女、セイクリッドガールズが動く必要のある事案でしょうか? 警察も捜査しているのですよね」
 依莉翠が言う。
「あいつらはより大量の『聖獣の雫』を作るために女たちをあてがい獣鬼を増やしているのです。邪神に毎日、生贄を捧げて。たとえ人間が見過ごせても、聖アグネス様は見逃すことができないでしょう。そして、捜査にあたっては、歩く武器庫であり、『聖獣の雫』に耐性のある魔法少女はうってつけです。戦いなさい、これは命令です」
 アグネスの声は続けた。
「なんだかハードボイルドっぽくなってきたわねえ」
 紅緒が言う。
 しかし、彼女は、有名なハードボイルド小説の主人公が、敵の攻撃に耐えに耐える存在であることを知らなかった。捜査が始まると、セイクリッドガールズはいままでにない、限りなき淫虐に晒されることになったのである。
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