忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

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動乱編

静けさ

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 王都の門が開かれたのは、朝日がまだ地平線を超える前だった。
 冷たい風が石畳を吹き抜け、軍の馬蹄が静かな城下町を打つ音だけが響く。
 第一王子アレクシス・エドワルド・ヴァルトハイトの初陣。
 この決定は、王宮内で賛否を巻き起こした。

 ――次期国王たる者、実戦を知らねばならない。

 ――戦場に出ることで、将としての才を磨くべきだ。

 ――しかし、万が一があれば国の未来に関わる。

 意見は割れたが、最終的に王子の出陣は決まった。王宮の中で、すでに彼の力を試そうとする者たちがいたのだ。
 そして、その護衛としてサーディスも同行することになった。
 王子が指揮を執るのは、有力貴族ヴォルネス公の軍。歴戦の騎士たちを抱える精鋭部隊で、表向きには王子を支える形となっている。

 目的地は、南部辺境の村、ヴォルネス公の領地。報告によると、農民たちによる反乱が発生し、周囲の村を巻き込んで拡大しつつあるという。
 王子は軍を率い、反乱鎮圧のために向かうことになった。
 王子アレクシスは、反乱鎮圧のため、遠征の準備を整えた騎士団とともに出立するところだった。

 鎧の上から王族の紋章を刻んだ外套を羽織り、腰には王権を象徴する聖なる剣。厳格な雰囲気をまといながら、彼は門へ向かっていた。
 その時、背後から静かに名前を呼ばれる。

 「アレクシス」

 振り返ると、王妃がいた。侍女たちは控え、王妃シャルロットは一人でそこに立っていた。
「王族としての務めを果たしなさい」
 凛とした声だった。甘さの一切ない、王妃としての威厳に満ちた言葉。

「……はい、母上」
 王子は真剣な眼差しで応え、膝をついて恭しく一礼する。

 王妃は、しばし王子の顔を見つめていたが、ふとその瞳に柔らかな光を宿した。

「それと、必ず無事に帰ってきなさい」
 その言葉に、王子の表情がわずかに和らぐ。
「もちろんです」

 王妃は微笑み、次にサーディスへと視線を向ける。
「サーディス、どうかお願いしますね」

 サーディスは即座に膝をつき、深く頭を下げた。
「命に代えましても、王子をお守りいたします」

 その誓いに、王妃はゆっくりと首を振った。
「それでは駄目よ」

 サーディスは、わずかに目を見開く

「あなたの命を犠牲にしてしまうのなら、それは"護る"ことにはならない」

 王妃は静かに続ける。

「アレクシスとともに、あなたも無事に帰ってきなさい。またお茶をするのを楽しみにしているわ」

 サーディスの胸の奥が、じんわりと温かくなる。
 自分が"生きて帰る"ことを望まれたのは、どれほどぶりのことだっただろう。
 王妃の優しくも力強い言葉が、静かに心に染み込んでいく。

「……承知いたしました」

 顔を上げたサーディスは、凛とした声でそう答えた。
 王妃は満足げに頷き、王子とサーディスを見送る。
 陽光の中、二人はそれぞれの誓いを胸に、遠征へと向かっていった。


 「初陣か……」

 馬を進めながら、王子アレクシスは小さく呟いた。
 普段の軽妙な雰囲気とは違う。表情は引き締まり、目の奥には鋭い光が宿っていた。
 だが、サーディスは気づいていた。

(緊張しているな)

 当たり前だ。
 王都で剣を振るったことはあれど、本当の戦場に立つのはこれが初めてなのだから。
 彼は王族。いずれ王座に座る男。そして、この戦は、彼が王となる前の試金石とされている。
 王宮の貴族たちも、軍の将校たちも、この戦いを通じて、王子の指揮官としての資質を見極めようとしている。

(彼にとって、これは"試される戦")

 失敗すれば、次期国王としての立場すら揺らぎかねない。緊張するなという方が無理だろう。
 ふと、王子が馬を少し寄せる。

「……サーディス」
「何でしょう」
「私が、この戦で何かを"誤った"時……お前ならどうする?」

 サーディスは迷わず答えた。

「王子を生かします」
 王子は驚いたように彼女を見た。

「……そういう意味で聞いたんじゃない」
「ですが、それが"私の答え"です」

 サーディスは静かに言う。

「この戦で王子がどんな指揮を取ろうとも、私の役目は変わりません。"絶対に、あなたを生かす"――それだけです」

「……そうか」
 王子は微かに笑う。

「君らしいな」
 それ以上は何も言わず、前を向く。

 軍は進み続け、ヴォルネス公の領地に入った。王子アレクシスは馬を止め、軍勢の前に立つ。
 彼を囲む兵士たちは皆、静かに王子の指示を待っていた。
 空は曇天に覆われ、冷たい風が草原を駆け抜ける。森の奥には反乱軍が潜んでいるはずだった。

 ヴォルネス公の騎士たち――重厚な鎧をまとい、戦場に慣れた者たち。彼らの表情は冷静で、戦の前にしても動揺はなかった。
 王子は深く息を吸い、緊張を押し殺すように口を開いた。

「……皆、聞け!」

 その一言が、沈黙を破る。軍勢の視線が、彼一人に注がれた。王子は堂々と声を響かせる。

「我らの目的は"反乱鎮圧"だ」

「だが、これは王の名のもとに行う正当な戦いである」
 鋭い眼差しを前線の兵たちへと向ける。

「無意味な殺戮は許さぬ」
 その言葉に、一部の騎士が僅かに眉をひそめた。だが、誰一人として声を上げることはなかった。

「反乱軍が降伏するならば、可能な限り命を奪わず、話し合いの場を設ける」

「だが――戦う意思を示した者には、容赦をするな!」

 鋭く響く声に、兵士たちは拳を握りしめ、剣を構えた。その場にいたすべての者が、戦が間近に迫っていることを感じ取った。

 ヴォルネス公の部隊は、王都の兵たちとは違う。彼らは"領主の剣"として、これまで幾度もの戦場をくぐり抜けてきた歴戦の兵。血の臭いに慣れ、戦場での勝利にのみ価値を見出している者も多い。
 そんな彼らにとって、王子の言葉はどう響いたのか。
 一部の者たちは頷き、王子の指示を受け入れるように剣の柄を握りしめる。
 だが、ヴォルネス公に仕える者たちの中には、どこか"腑に落ちない"といった表情を浮かべる者もいた。

(……王子の意向を、彼らは素直に受け入れるのか?)

 サーディスは王子の横に控えながら、冷静に周囲を観察していた。
 ヴォルネス公の軍勢は確かに優れた騎士たちだ。
 だが、彼らが本当に王子の指揮に従うのか――それは別の話だった。
 王子は、馬を進めた。静寂の中、軍勢が動き出す。
 空には黒い雲が立ち込め、風が草木を揺らしていた。

 まるで、これから始まる"嵐"を予感させるように――。
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