忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

文字の大きさ
64 / 68
狂嵐襲来編

銀の死神と狂嵐①

しおりを挟む
 険しい山道を進むにつれ、霧が立ち込め始めた。
 雨上がりの湿った空気が肌を冷やし、木々の葉から滴る水滴が静寂の中で小さく響く。

 サーディスは、山道を進む傭兵団の一行の中で、無言のまま歩を進めていた。
 周囲の木々は霧に包まれ、細かい雨が葉を濡らし、静寂の中で水滴が滴る音だけが響いている。

 だが、その静寂の中で、サーディスの全身が鋭敏に反応していた。

 (……誰かに、見られている)

 直感だった。
 これまでに幾度となく感じてきた"視線"の気配。
 戦場に身を置く者ならばわかる、"敵意の匂い"。

 周囲の空気が変わった。

 風の流れが不自然に変化し、森の奥から"違う気配"が混じっているのを感じる。
 サーディスはわずかに歩調を緩め、注意深く周囲を探った。
 左目に宿る"魔の力"がわずかに脈動する。

 (……殺気?)

 一瞬、背筋が凍る。

 気のせいではない。
 これは確かに"敵意"。
 しかも、遠くから様子をうかがうような曖昧なものではない。

 鋭く、確実に狙いを定めた"殺意"――。

 (……くる!)

 瞬時に体が動いた。
 サーディスは剣を引き抜き、王子の前へと立ちはだかる。

 その刹那――

 轟音とともに突風が巻き起こった。

 木々が激しくしなり、落ち葉が空高く舞い上がる。
 霧が一気に裂け、視界が強制的に開かれた。

 "何かが"、空から降りてくる――。

 その存在は、まるで風に運ばれるかのように滑るような軌道を描き、ふわりと降り立つ。

 濡れた土を踏みしめる音すらわずか。
 大地はほとんど揺らがない。

 金の髪が風になびき、貴族の装いをまとった一人の女性。
 美しい容姿を持ちながらも、鋭い眼光がすべてを射抜くように光る。

 その瞳には、確固たる"意思"が宿っていた。

 「――やっと見つけたわ、王子殿下」

 静かに、しかし力強く紡がれる言葉。

 王子アレクシスの表情がわずかに険しくなる。

「……ジークリンデ」
 王子が低く呟く。

 森の空気が変わった。

 風が不自然な渦を巻き、サーディスの髪を乱しながら木々の葉をざわめかせる。
 まるで自然が彼女の意志に応じているかのような異様な気配。

 ジークリンデ・アーベントロート。

 "狂嵐"の異名を持つクレストの一人。
 王都最強の騎士団の中でも、個としての戦闘力を誇る強者。

 彼女は微笑みながら、軽く腕を振った。

 ヒュオォォ――――

 まるで嵐の前触れのように、周囲の空気が研ぎ澄まされていく。
 サーディスは微動だにせず、剣を持つ右手に力を込めた。

(……今度こそ、私が止める)

 轟々と風が唸りを上げ、森全体が戦場の幕開けを告げるかのようにざわめく。

 "厄介な相手だ"

 以前の戦いで、その実力はすでに理解している。
 ジークリンデの剣技は並の騎士の比ではない。

 さらに彼女には"風"を操る能力がある。

 攻撃の間合いを自由自在に変え、視界を奪い、剣撃を不規則な軌道で繰り出す――。
 真正面から戦えば分が悪い。だが――

 "今"は戦うことが目的ではない。

 重要なのはジークリンデを討つことではなく、王子を逃がすこと。

 サーディスは決断した。

「ここは私が食い止めます!」

 傭兵団と連携すれば討てるかもしれない。

 だが、彼女がここに現れた以上、騎士団もすぐに追いつくだろう。
 数の勝負になれば、こちらに勝ち目はない。

 ――"王子を逃がすこと"、それが最優先事項。

 「サーディス……!」

 王子の声が、迷いと焦燥を滲ませた響きを持つ。
 サーディスがここに残ると決めたことが、彼には受け入れ難いのだろう。

 ――しかし、時間はない。

「シス様、行ってください!」

 サーディスは強く言い放つ。
 剣を構えたまま、決して後ろを振り返らない。

 王子が躊躇すれば、彼だけでなく傭兵団まで危険にさらされる。
 それを理解しているはずなのに、王子は一瞬、動けずにいた。
 だが、すぐさまゲオルグの怒号が飛ぶ。

「おい、行くぞ! 今は殿下を逃がすのが先決だ!」

 サーディスは、王子が自分を見つめる気配を感じた。
 躊躇い、葛藤し、それでも決断せねばならないことに、彼は歯を食いしばる。

「……絶対に戻ってこい。これは命令だ」

 サーディスの眉がわずかに動いた。
 だが、彼女の答えは揺るがない。

「無論です」

 短く、静かに。
 それだけを言い残し、王子と傭兵団は森の奥へと駆けていった。

 サーディスは彼らの姿を見送ることなく、剣を握り直す。

 前方――そこに"嵐"がいた。

 「逃がしたわね」

 ジークリンデ・アーベントロート。
 彼女は悠然と風に乗り、地上を見下ろしている。
 その金色の髪が揺れ、まるで空に溶けるように風と馴染んでいた。

 「あなたがここにいなければ、今ので終わっていたのに」

 ジークリンデは淡々と告げる。
 サーディスはその言葉を受け流すように、静かに返した。

 「そうだ。だけど――私はここにいる」

 そうして、彼女は地を踏みしめる。
 地に根を張り、決して動かない盾のように。

 王子を逃がし、傭兵団を危険から遠ざけるために。
 この場で"嵐"を食い止める。

 "魔剣を抜くかどうか"――そんな迷いは、今はない。

 サーディスは、剣を構えた。
 空に浮かぶジークリンデは、それを見て微笑を深める。

 「……面白いわね」

 風が唸る。
 地を揺るがすような突風が吹き荒れる。

 そして――
 瞬間、突風が吹き荒れた。

 「ならば、討たせてもらうわ!」

 ジークリンデが一気に間合いを詰める。

 (この速さ――!)

 サーディスは即座に剣を構え、迎撃に入る。
 ジークリンデの剣が横薙ぎに振るわれる。

 サーディスの剣が、"見えない壁"に弾かれるように虚空を切った。

 次の瞬間――

 ジークリンデの"動き"が変わった。
 彼女の姿が、一瞬だけ揺らぐ。ただの身のこなしではない。
 風の流れに紛れるように、ジークリンデの姿が二重、三重に分かれたかのように見えた。

(……幻覚!? いや、違う!)

 サーディスの左目が疼く。
 これは単なる目の錯覚ではない。"風の軌道"を利用した"残像"。
 目を欺くように、ジークリンデの身体が複数に増えたように錯覚させる技。

 サーディスは咄嗟に剣を構え直し、一歩下がる。

 だが――

「遅いわ」

 ジークリンデの声が、三方向から同時に響いた。
 サーディスの視界に、"三人のジークリンデ"が映る。

 一人は正面から突進してくる。
 一人は側面から回り込むように動く。
 もう一人は、頭上――。

 (……包囲!?)

 全方位から襲い掛かる"ジークリンデ"。
 風の力で分身したように見せかける高度な技術。

 だが――

 (この中のどれかが、本物……!)

 サーディスは息を潜め、瞬時に状況を判断する。

「どう? どれが本物かわかるかしら?」

 ジークリンデの声が挑発的に響く。
 曲芸のような身のこなし、敵を翻弄する華麗な剣技――。
 この"狂嵐"の技に、まともに対処できる者など、ほとんどいない。
 普通の剣士なら、全ての方向に気を配り、迷い、そして致命の一撃を受ける。

 だが、サーディスは迷わなかった。
 口角をわずかに上げ、余裕すら感じさせる声で言い放つ。

 「あいにく、"嘘を見抜く"のは得意なんだ」

 左目が鋭く光る。
 ジークリンデの"影"のうち、一つがわずかに"遅れて"動いた。

 (……そこだ!)

 サーディスは迷うことなく一直線に本体へ向かい、鋭く剣を振るった。

「――ッ!?」

 ジークリンデの瞳に、わずかな驚きが宿る。

 見破られた――

 その瞬間、風が一瞬、乱れた。

 サーディスの刃が"本物"へ向かって一直線に走る――。



 ジークリンデは目を細めた。  

 (……なるほどね)  

 見破られた。  
 それが事実であったとしても、彼女は動揺しない。  

 サーディスが"嘘を見抜く力"を持っているのなら、今後もこの"残像"は通じないだろう。  

 ならば――  

 一瞬の判断で、ジークリンデは残像を"風"とともに消し去る。  

 "ズバンッ――!"  

 風が爆発するように四散し、周囲の木々を無造作に切り裂いた。  
 裂かれた枝木が宙を舞い、そのまま鋭い槍の形状を成す。  

 (即席の"風槍"……!)  

 ジークリンデはそれらを自在に操り、空気を刃のように変えてサーディスへと"射出"した。  

 "ヒュン――!"  

 空を切り裂く槍が、一直線にサーディスを貫こうと迫る。  

 しかし――  

 "キンッ!"  

 サーディスは即座に剣を振り、迫る"風槍"を正確に弾いた。  
 一本、二本――。  

 そしてさらに、地面に散らばっていた小石がジークリンデの風によって巻き上げられる。  
 次の瞬間、それらはまるで銃弾のような速度で、サーディスを狙って飛び交った。  

 "バラバラバラ――ッ!"  

 "石礫の雨"が、彼女の身を穿たんとする。  

 しかし――  

 "ギィンッ!"  

 サーディスはその全てを的確に避け、弾き、払った。  
 ただの一発たりとも彼女の肌には触れない。  

 (……この女、反応が速すぎる)  

 ジークリンデの眉がわずかに動いた。  
 "風"を読んでいるわけではない。  
 "空気"を察知し、"殺気"を正確に捉え、それに"最適解"で対応している――。  

 (今度こそ仕留める)  

 ジークリンデは風を研ぎ澄ませ、サーディスが"踏み込んでくる"その瞬間を狙う。  

 (……あと一歩)  

 サーディスが剣を構え、鋭い突きを放つ。  

 その瞬間――  

 彼女は突如として"しゃがんだ"。  

 (……!?)  

 ジークリンデの目がわずかに見開かれる。  

 "ザシュッ!!"  

 次の瞬間、サーディスの"頭のあった位置"に、鋭い"かまいたち"が発生した。  
 もしサーディスがそのまま突きを繰り出していれば、確実に"首"が飛んでいた――。  

 (なぜ、"今"しゃがんだ!?)  

 ジークリンデの視線が鋭くなる。  
 サーディスは何も見えていなかったはず。  
 だが、"死角"からの攻撃を、"本能的"に回避した。  

 まるで――  

 (……いや、まさか)  

 ジークリンデはサーディスを見つめながら、確信する。  
 この女には、"何か"がある。  

 普通の騎士ではありえないほどの"直感"。  
 いや、これはただの直感ではない――。  

 (私達と同じ……"異能"があるのかもしれない)  

 風を操る"クレスト"の者たちと、何らかの"共通する力"が、彼女の中に存在するのではないか――。  

 ジークリンデは僅かに息を吐き、"一度"距離を取った。  

 "ただの剣士"だと思っていた女が、"それ以上の存在"である可能性を感じながら――。
 ここまで戦った相手の中で、これほどまでに"対応力"のある剣士は数えるほどしかいない。

 ジークリンデは、剣を握り直しながら低く呟いた。

 「……次は、もっと本気を出すわよ」

 サーディスもまた、静かに剣を構え直した。
 戦いは、まだ終わらない。

<あとがき>
ここまで見てくれてありがとうございます!
気に入っていただけたら、お気に入り登録をよろしくお願いします!
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について

えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。 しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。 その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。 死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。 戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

三歩先行くサンタさん ~トレジャーハンターは幼女にごまをする~

杵築しゅん
ファンタジー
 戦争で父を亡くしたサンタナリア2歳は、母や兄と一緒に父の家から追い出され、母の実家であるファイト子爵家に身を寄せる。でも、そこも安住の地ではなかった。  3歳の職業選別で【過去】という奇怪な職業を授かったサンタナリアは、失われた超古代高度文明紀に生きた守護霊である魔法使いの能力を受け継ぐ。  家族には内緒で魔法の練習をし、古代遺跡でトレジャーハンターとして活躍することを夢見る。  そして、新たな家門を興し母と兄を養うと決心し奮闘する。  こっそり古代遺跡に潜っては、ピンチになったトレジャーハンターを助けるサンタさん。  身分差も授かった能力の偏見も投げ飛ばし、今日も元気に三歩先を行く。

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!

ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」 それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。 挙げ句の果てに、 「用が済んだなら早く帰れっ!」 と追い返されてしまいました。 そして夜、屋敷に戻って来た夫は─── ✻ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。

処理中です...