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2話
酸素を奪い去るような強引な口づけがようやく終わり、アルヴィスの顔がゆっくりと離れていく。
ニコは膝から崩れ落ちそうになるのを、壁に手をついて辛うじて堪えた。
「……はぁ、っ、ふ、……な、に、すんだよ……!」
「三年間、俺がどれだけこの瞬間を夢に見てきたか、お前には想像もつかないだろうな」
アルヴィスは事も無げに言い放ち、親指で自身の唇をゆっくりと拭った。
その黄金の瞳は、満足げに細められている。魔王を討伐した直後の英雄というよりは、獲物を仕留めたばかりの飢えた野獣のようだ。
「想像したくないよ!第一、君にはもっと他に、やるべきことが山ほどあるだろ!?」
「そんなものは全部終わらせてきた。魔王の残党狩りも、王への最終報告も、俺に関係のある面倒事は全てだ。今の俺は、ただの『ニコの幼馴染』に戻ったんだよ」
「戻れてないよ!窓から入ってくる幼馴染がどこにいるんだ!しかもその格好、パレードの時と全然違うし!」
ニコは、アルヴィスが纏う黒い革のジャケットを指差した。
夕方の凱旋パレードでは、煌びやかな礼装に身を包み、白馬に跨って民衆に手を振っていたはずだ。
それが今は、泥と返り血が染み付いたままの、着慣れた冒険者の服装に戻っている。
「礼装なんて窮屈なだけだ。これの方が、お前を抱き上げた時に滑らなくていい」
「抱き上げる前提で服を選ぶな!大体、その窓、どうすんだよ……。職人さんに頼んだら高いんだぞ」
ニコは無残に砕け散った窓枠を見やり、深くため息をついた。
薬師としての稼ぎは決して悪くないが、贅沢ができるほどではない。明日の癒やし草の売り上げが、修理代に消えていくのを想像して頭が痛くなった。
「窓か。そんなもの、俺が聖なる光で修復しておいてやる」
アルヴィスが軽く指を鳴らすと、清浄な光が窓枠を包み込んだ。
砕けたガラスの破片がふわりと浮き上がり、パズルのように元の場所へと収まっていく。
断面が淡く発光し、一瞬で元通り――どころか、新品よりも頑丈そうな輝きを帯びた。
「……便利だけど、勇者の力の使い道が間違ってる気がする」
「お前の生活を守るためなら、聖剣だって薪割りとして使ってやるよ」
アルヴィスは事もなげに笑い、部屋を見渡した。
六畳一間の狭い室内。簡素なベッドと、薬瓶が並んだ作業台、そして小さなキッチン。
一九〇センチを超える巨躯のアルヴィスが立っているだけで、部屋の酸素が半分くらい持っていかれたような圧迫感がある。
「で、納得したか?俺はここから一歩も動かないぞ」
「納得するわけないだろ!君がここにいたら、明日には王城の騎士団がこのアパートを包囲するに決まってる」
「構わん。邪魔をする奴は、王だろうが神だろうが叩き斬るだけだ」
「物騒すぎるよ!いいから、一度帰ってよ。話なら明日、王城の面会室で……」
「嫌だ。今夜はここで寝る」
アルヴィスは有無を言わさぬ足取りでベッドへ向かうと、当然のように靴を脱ぎ、仰向けに横たわった。
ギィィ、と古いベッドが悲鳴を上げる。
「ちょ、そこ僕のベッド!君が寝たら底が抜ける!」
「丈夫に補強した。ニコ、こっちに来い。三年間、冷たい土の上で寝ていた俺を、一人で放置するつもりか?」
アルヴィスが片腕を広げ、ニコを招き寄せる。
その声音には、卑怯なまでの「寂しさ」が混じっていた。
ニコは「うっ」と言葉に詰まる。
確かに、彼は三年間、命懸けで世界を救ってきたのだ。その英雄に対して、あまりに冷たい仕打ちはできない。
……という、お人好しなニコの性格を、アルヴィスは完璧に把握していた。
「……今日、今日だけだからね。明日の朝になったら、絶対にお城に帰るって約束して」
「ああ、前向きに検討しよう」
(絶対帰らない時の返事だ、それ……)
ニコは諦め半分で、アルヴィスの隣に腰を下ろした。
途端に、太い腕がニコの腰を抱き寄せ、強引にベッドの中へと引きずり込む。
「わわっ!?」
「いい匂いだ。煮出した薬草と、お前の匂いが混じっている」
背後から抱きしめられ、アルヴィスの厚い胸板に背中が密着する。
首筋に当たる熱い吐息。
三年前よりも、ずっと太くなった腕がニコを離さない。
「アル、苦しい……。もっと、ゆるめて……」
「ダメだ。少しでも力を抜いたら、またお前が消えてしまいそうで怖い。ニコ……俺のところから、二度と勝手に逃げるな。もし次があったら、俺は本当にこの国を更地にするかもしれない」
耳元で囁かれた言葉は、冗談には聞こえなかった。
黄金の瞳が暗闇の中で妖しく光り、ニコを縛り付ける。
これが、世界を救った男の本性。
全人類の希望は、ニコ一人にとっては、あまりにも重く、独占欲に塗れた愛だった。
「……更地にしないでよ。せっかく覚えた薬の配合、全部無駄になっちゃうでしょ」
「ふっ、お前は相変わらずだな」
アルヴィスが低く笑い、ニコの髪に鼻先を埋める。
その重みに耐えながら、ニコは天井を見つめた。
修復された窓から入り込む月光が、作業台の薬瓶を青白く照らしている。
明日になれば、きっと王都中が大騒ぎになるだろう。
逃げ出した勇者と、彼に拉致(?)された名もなき薬師。
そのあまりに騒がしい未来を予感しながらも、ニコはアルヴィスの腕の中で、ゆっくりと意識を沈めていった。
翌朝。
ニコの安眠を妨げたのは、路地裏に鳴り響く軍馬の蹄の音と、鎧が擦れる金属音だった。
「アルヴィス様!アルヴィス様はいらっしゃいますか!国王陛下がお呼びです!」
野太い騎士の声が、アパートの階段を揺らす。
ニコは飛び起きた。
「ほら、来た!アル、起きて!早く窓から逃げて!」
「……うるさいな。聖剣で黙らせていいか?」
アルヴィスはニコの腰を抱いたまま、不機嫌そうに片目を開けた。
「やめて!アパートの住人が全員腰抜かすから!」
ニコの絶叫が虚しく響く中、ボロい玄関のドアが、無慈悲にも外側から激しくノックされる。
ニコは膝から崩れ落ちそうになるのを、壁に手をついて辛うじて堪えた。
「……はぁ、っ、ふ、……な、に、すんだよ……!」
「三年間、俺がどれだけこの瞬間を夢に見てきたか、お前には想像もつかないだろうな」
アルヴィスは事も無げに言い放ち、親指で自身の唇をゆっくりと拭った。
その黄金の瞳は、満足げに細められている。魔王を討伐した直後の英雄というよりは、獲物を仕留めたばかりの飢えた野獣のようだ。
「想像したくないよ!第一、君にはもっと他に、やるべきことが山ほどあるだろ!?」
「そんなものは全部終わらせてきた。魔王の残党狩りも、王への最終報告も、俺に関係のある面倒事は全てだ。今の俺は、ただの『ニコの幼馴染』に戻ったんだよ」
「戻れてないよ!窓から入ってくる幼馴染がどこにいるんだ!しかもその格好、パレードの時と全然違うし!」
ニコは、アルヴィスが纏う黒い革のジャケットを指差した。
夕方の凱旋パレードでは、煌びやかな礼装に身を包み、白馬に跨って民衆に手を振っていたはずだ。
それが今は、泥と返り血が染み付いたままの、着慣れた冒険者の服装に戻っている。
「礼装なんて窮屈なだけだ。これの方が、お前を抱き上げた時に滑らなくていい」
「抱き上げる前提で服を選ぶな!大体、その窓、どうすんだよ……。職人さんに頼んだら高いんだぞ」
ニコは無残に砕け散った窓枠を見やり、深くため息をついた。
薬師としての稼ぎは決して悪くないが、贅沢ができるほどではない。明日の癒やし草の売り上げが、修理代に消えていくのを想像して頭が痛くなった。
「窓か。そんなもの、俺が聖なる光で修復しておいてやる」
アルヴィスが軽く指を鳴らすと、清浄な光が窓枠を包み込んだ。
砕けたガラスの破片がふわりと浮き上がり、パズルのように元の場所へと収まっていく。
断面が淡く発光し、一瞬で元通り――どころか、新品よりも頑丈そうな輝きを帯びた。
「……便利だけど、勇者の力の使い道が間違ってる気がする」
「お前の生活を守るためなら、聖剣だって薪割りとして使ってやるよ」
アルヴィスは事もなげに笑い、部屋を見渡した。
六畳一間の狭い室内。簡素なベッドと、薬瓶が並んだ作業台、そして小さなキッチン。
一九〇センチを超える巨躯のアルヴィスが立っているだけで、部屋の酸素が半分くらい持っていかれたような圧迫感がある。
「で、納得したか?俺はここから一歩も動かないぞ」
「納得するわけないだろ!君がここにいたら、明日には王城の騎士団がこのアパートを包囲するに決まってる」
「構わん。邪魔をする奴は、王だろうが神だろうが叩き斬るだけだ」
「物騒すぎるよ!いいから、一度帰ってよ。話なら明日、王城の面会室で……」
「嫌だ。今夜はここで寝る」
アルヴィスは有無を言わさぬ足取りでベッドへ向かうと、当然のように靴を脱ぎ、仰向けに横たわった。
ギィィ、と古いベッドが悲鳴を上げる。
「ちょ、そこ僕のベッド!君が寝たら底が抜ける!」
「丈夫に補強した。ニコ、こっちに来い。三年間、冷たい土の上で寝ていた俺を、一人で放置するつもりか?」
アルヴィスが片腕を広げ、ニコを招き寄せる。
その声音には、卑怯なまでの「寂しさ」が混じっていた。
ニコは「うっ」と言葉に詰まる。
確かに、彼は三年間、命懸けで世界を救ってきたのだ。その英雄に対して、あまりに冷たい仕打ちはできない。
……という、お人好しなニコの性格を、アルヴィスは完璧に把握していた。
「……今日、今日だけだからね。明日の朝になったら、絶対にお城に帰るって約束して」
「ああ、前向きに検討しよう」
(絶対帰らない時の返事だ、それ……)
ニコは諦め半分で、アルヴィスの隣に腰を下ろした。
途端に、太い腕がニコの腰を抱き寄せ、強引にベッドの中へと引きずり込む。
「わわっ!?」
「いい匂いだ。煮出した薬草と、お前の匂いが混じっている」
背後から抱きしめられ、アルヴィスの厚い胸板に背中が密着する。
首筋に当たる熱い吐息。
三年前よりも、ずっと太くなった腕がニコを離さない。
「アル、苦しい……。もっと、ゆるめて……」
「ダメだ。少しでも力を抜いたら、またお前が消えてしまいそうで怖い。ニコ……俺のところから、二度と勝手に逃げるな。もし次があったら、俺は本当にこの国を更地にするかもしれない」
耳元で囁かれた言葉は、冗談には聞こえなかった。
黄金の瞳が暗闇の中で妖しく光り、ニコを縛り付ける。
これが、世界を救った男の本性。
全人類の希望は、ニコ一人にとっては、あまりにも重く、独占欲に塗れた愛だった。
「……更地にしないでよ。せっかく覚えた薬の配合、全部無駄になっちゃうでしょ」
「ふっ、お前は相変わらずだな」
アルヴィスが低く笑い、ニコの髪に鼻先を埋める。
その重みに耐えながら、ニコは天井を見つめた。
修復された窓から入り込む月光が、作業台の薬瓶を青白く照らしている。
明日になれば、きっと王都中が大騒ぎになるだろう。
逃げ出した勇者と、彼に拉致(?)された名もなき薬師。
そのあまりに騒がしい未来を予感しながらも、ニコはアルヴィスの腕の中で、ゆっくりと意識を沈めていった。
翌朝。
ニコの安眠を妨げたのは、路地裏に鳴り響く軍馬の蹄の音と、鎧が擦れる金属音だった。
「アルヴィス様!アルヴィス様はいらっしゃいますか!国王陛下がお呼びです!」
野太い騎士の声が、アパートの階段を揺らす。
ニコは飛び起きた。
「ほら、来た!アル、起きて!早く窓から逃げて!」
「……うるさいな。聖剣で黙らせていいか?」
アルヴィスはニコの腰を抱いたまま、不機嫌そうに片目を開けた。
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