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28話
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お祭りが終わってから、しばらくの月日が流れた。
ルベリス帝国の季節は巡り、城の庭園にはトアがかつて咲かせた「すみれ色の魔法の花」が、今では自生するようにあちこちで顔を覗かせている。
穏やかな午後の陽だまりの中、トアは庭の東屋で、サフィエルに教わった文字を使い、一冊の小さな手帳に言葉を綴っていた。
それは、彼らと始めた「交換日記」の続きだ。
『きょうは、風がとても気持ちいいです。
陛下がくれた万年筆は、いまでも僕の宝物です。
イザーク様が教えてくれた花の名前、わすれないようにメモしました。
サフィエル様、こんど、あたらしいお菓子の作り方を教えてください。
ぼくは、いま、世界でいちばん幸せです』
たどたどしかった文字は、今ではすっかり整い、トアの穏やかな性格を表すような優しい書体になっている。
書き終えてふう、と息をつくと、膝の上でまどろんでいたキリが「キュイ」と短く鳴き、トアの指先を甘噛みした。
「……トア。そこにいたか」
生い茂る花の香りを分けて、最初に見えたのは眩いばかりの紅い瞳だった。
グレンディルが、公務の合間を縫って姿を現したのだ。その後ろには、いつもと変わらぬ騎士の礼節を保ったイザークと、古びた魔導書を片手に抱えたサフィエルが続いている。
「陛下! 皆さん、お仕事は終わったんですか?」
「ああ。お前の顔を見ないことには、午後の執務に身が入らなくてな」
グレンディルはそう言って、当然のようにトアの隣に腰を下ろした。
トアの肩に手を回し、引き寄せるその仕草には、もはや一片の迷いもない。それは独占欲というよりも、自分の一部を慈しむような、極めて自然な動作だった。
「トア殿、その手帳は……また日記ですか? 以前よりも随分と分厚くなりましたね」
イザークが、トアの持っている手帳を愛おしげに見つめる。彼の首元には、あの日トアが贈った紺色のチャームが、今でも大切に、革紐に通されて揺れていた。
「はい。忘れたくないことが、毎日たくさん増えていくから」
「おやおや、それは僕たちにとっても嬉しい言葉だね。……トア、君がこうして文字を覚え、想いを綴る姿を見るのが、僕の人生で一番の贅沢だよ」
サフィエルが、トアの黄金色の髪に一輪の白い花を挿して微笑む。
かつて、トアは孤独だった。
自分の力を「不吉なもの」と蔑まれ、狭い部屋で空の色さえ知らずに震えていた。
けれど、あの雨の森でグレンディルに拾われたあの日から、トアの世界は鮮やかに塗り替えられた。
冷たかった雨は、喉を潤す温かな紅茶になり。
暗かった夜は、星灯祭の眩い灯籠の光になり。
そして、誰にも呼ばれなかった自分の名前は、今、この大陸で最も強い男たちが競うように呼ぶ、一番大切な響きになった。
「陛下。……僕、ずっとここにいてもいいですか?」
不意に零れたトアの問いに、三人は顔を見合わせ、それからこの上なく優しい表情で頷いた。
「当たり前だ、トア。お前が望まなくとも、私はお前を手放すつもりはない。……この城が、この国が、お前の家だ。永遠にな」
グレンディルが、トアの額にそっと唇を寄せる。
「あなたが笑ってさえいれば、私は何度でも剣を振るい、この平和を守り抜きましょう。……約束です」
イザークがトアの手を取り、騎士の誓いを立てるように、その甲に口づけた。
「僕も、君が退屈しないように、世界中の面白い知識と魔法をかき集めてくるよ。……ずっと、僕たちの側で、その綺麗な目を見せておくれ」
サフィエルがトアの反対側の手を握り、いたずらっぽく、けれど真剣に囁いた。
庭園を吹き抜ける風が、トアたちの笑い声を遠くまで運んでいく。
特別な事件などなくてもいい。
ただ、こうして好きな人たちの体温を感じ、明日何を食べるか、どんな花が咲くかを語り合う。
そんな、どこまでも平坦で、どこまでも温かい日常。
トアは、自分の手を握る温かな感触をしっかりと確かめながら、青く澄み渡ったルベリスの空を仰いだ。
彼らの物語は、ここで終わりではない。
これから書き込まれる真っ白な日記のページと同じように、光溢れる未来へと、ゆったりと、どこまでも続いていくのだ。
四人と一匹。
彼らが紡ぐ愛の調べは、これからもずっと、この黄金の庭園に響き渡り続ける。
ルベリス帝国の季節は巡り、城の庭園にはトアがかつて咲かせた「すみれ色の魔法の花」が、今では自生するようにあちこちで顔を覗かせている。
穏やかな午後の陽だまりの中、トアは庭の東屋で、サフィエルに教わった文字を使い、一冊の小さな手帳に言葉を綴っていた。
それは、彼らと始めた「交換日記」の続きだ。
『きょうは、風がとても気持ちいいです。
陛下がくれた万年筆は、いまでも僕の宝物です。
イザーク様が教えてくれた花の名前、わすれないようにメモしました。
サフィエル様、こんど、あたらしいお菓子の作り方を教えてください。
ぼくは、いま、世界でいちばん幸せです』
たどたどしかった文字は、今ではすっかり整い、トアの穏やかな性格を表すような優しい書体になっている。
書き終えてふう、と息をつくと、膝の上でまどろんでいたキリが「キュイ」と短く鳴き、トアの指先を甘噛みした。
「……トア。そこにいたか」
生い茂る花の香りを分けて、最初に見えたのは眩いばかりの紅い瞳だった。
グレンディルが、公務の合間を縫って姿を現したのだ。その後ろには、いつもと変わらぬ騎士の礼節を保ったイザークと、古びた魔導書を片手に抱えたサフィエルが続いている。
「陛下! 皆さん、お仕事は終わったんですか?」
「ああ。お前の顔を見ないことには、午後の執務に身が入らなくてな」
グレンディルはそう言って、当然のようにトアの隣に腰を下ろした。
トアの肩に手を回し、引き寄せるその仕草には、もはや一片の迷いもない。それは独占欲というよりも、自分の一部を慈しむような、極めて自然な動作だった。
「トア殿、その手帳は……また日記ですか? 以前よりも随分と分厚くなりましたね」
イザークが、トアの持っている手帳を愛おしげに見つめる。彼の首元には、あの日トアが贈った紺色のチャームが、今でも大切に、革紐に通されて揺れていた。
「はい。忘れたくないことが、毎日たくさん増えていくから」
「おやおや、それは僕たちにとっても嬉しい言葉だね。……トア、君がこうして文字を覚え、想いを綴る姿を見るのが、僕の人生で一番の贅沢だよ」
サフィエルが、トアの黄金色の髪に一輪の白い花を挿して微笑む。
かつて、トアは孤独だった。
自分の力を「不吉なもの」と蔑まれ、狭い部屋で空の色さえ知らずに震えていた。
けれど、あの雨の森でグレンディルに拾われたあの日から、トアの世界は鮮やかに塗り替えられた。
冷たかった雨は、喉を潤す温かな紅茶になり。
暗かった夜は、星灯祭の眩い灯籠の光になり。
そして、誰にも呼ばれなかった自分の名前は、今、この大陸で最も強い男たちが競うように呼ぶ、一番大切な響きになった。
「陛下。……僕、ずっとここにいてもいいですか?」
不意に零れたトアの問いに、三人は顔を見合わせ、それからこの上なく優しい表情で頷いた。
「当たり前だ、トア。お前が望まなくとも、私はお前を手放すつもりはない。……この城が、この国が、お前の家だ。永遠にな」
グレンディルが、トアの額にそっと唇を寄せる。
「あなたが笑ってさえいれば、私は何度でも剣を振るい、この平和を守り抜きましょう。……約束です」
イザークがトアの手を取り、騎士の誓いを立てるように、その甲に口づけた。
「僕も、君が退屈しないように、世界中の面白い知識と魔法をかき集めてくるよ。……ずっと、僕たちの側で、その綺麗な目を見せておくれ」
サフィエルがトアの反対側の手を握り、いたずらっぽく、けれど真剣に囁いた。
庭園を吹き抜ける風が、トアたちの笑い声を遠くまで運んでいく。
特別な事件などなくてもいい。
ただ、こうして好きな人たちの体温を感じ、明日何を食べるか、どんな花が咲くかを語り合う。
そんな、どこまでも平坦で、どこまでも温かい日常。
トアは、自分の手を握る温かな感触をしっかりと確かめながら、青く澄み渡ったルベリスの空を仰いだ。
彼らの物語は、ここで終わりではない。
これから書き込まれる真っ白な日記のページと同じように、光溢れる未来へと、ゆったりと、どこまでも続いていくのだ。
四人と一匹。
彼らが紡ぐ愛の調べは、これからもずっと、この黄金の庭園に響き渡り続ける。
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