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3話
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「……主(あるじ)よ。失礼、ユヅル。この箱の中で、捕らえられた魔物が悲鳴を上げているようですが、加勢しなくてもよろしいのですか?」
翌朝、結弦が目覚めると、アルヴィスは洗濯機の前で険しい表情をして立ち尽くしていた。
結弦が仕事に行く準備として回した全自動洗濯機が、ちょうど「脱水」の工程に入ったところだった。
ガタガタガタ、と激しく振動する洗濯機を、勇者は今にも腰の剣(今は結弦が隠したため、手元にあるのはハンガーだ)で斬り伏せんばかりの勢いで睨みつけている。
「落ち着いて、アルヴィス。それは魔物じゃなくて洗濯機。僕の服を洗ってくれてるの」
「洗う……? 水の魔導具だというのですか。しかし、この振動……中に狂暴な水精霊でも封じ込めているのでは? 拙いですよ、このままでは結界(ワンルーム)が崩壊しかねません!」
「崩壊しないから! あと、結界って言わないで、ただの賃貸アパートだから!」
結弦は寝癖を直しながら、キッチンへ向かった。
アルヴィスはなおも疑わしげに洗濯機を見つめていたが、結弦が冷蔵庫から牛乳を取り出すと、今度はそちらに興味を示した。
「ユヅル、その白い液体は……聖なる牛の乳ですか?」
「……まあ、ある意味そうかもね。飲む?」
コップに注いで渡すと、アルヴィスは一口飲んで再び目を見開いた。
「美味い! 雑味が一切ない。我が国の乳はもっと獣の匂いがしたものですが……この地の牛は、もしや毎日清らかな祈りを捧げられているのですか?」
「いや、ただの低温殺菌だと思うけど。……あ、そうだ。アルヴィス、今日は僕、仕事に行かなきゃいけないから、君はお留守番ね」
「ルスバン……? 聖なる拠点を守護せよということですね。お任せください、このアルヴィス、一歩たりとも敵を通しません!」
「いや、敵は来ないから。大人しくテレビでも見てて。あ、これリモコン。このボタンを押すと絵が出るから」
結弦が適当にニュース番組をつけると、画面に映し出されたアナウンサーを見て、アルヴィスは「うわあああっ!?」と飛び退いた。
「なっ、何だこの術は! 人間が、小さな箱の中に封じ込められている……! 救出しなければ!」
「救出しなくていいから! 映像だから! 魔法みたいなものだと思って!」
「なるほど……超高度な幻影魔法……。ユヅル、あなたはやはり大魔導師だったのですね。これほど精巧な幻影を常時展開する魔力、恐れ入ります」
勇者の脳内変換は常に斜め上を行く。
結弦は説明を諦め、「とにかく家から出ないこと」「火を使わないこと」を何度も言い聞かせた。
本当は一人にするのは不安だったが、会社を休むわけにもいかない。
結弦は後ろ髪を引かれる思いで、スーツに着替えて玄関へ向かった。
「それじゃ、行ってくるね。お昼は冷蔵庫にパンが入ってるから、勝手に食べていいよ」
「行ってらっしゃいませ、我が主(マイ・ロード)! あなたが帰還するその時まで、この聖域は私が死守いたします!」
ビシッと騎士の敬礼で見送られ、結弦は出社した。
仕事中も、家が爆発していないか、アルヴィスが警察に連行されていないか、心配で仕事が手につかない。
「すみません、家に異世界の勇者を置いてきたので早退させてください」なんて言えるはずもない。
結局、いつも通り残業をこなし、クタクタになって帰宅したのは夜の九時を過ぎた頃だった。
「ただいま……。アルヴィス、無事……?」
恐る恐るドアを開けた結弦の目に飛び込んできたのは、部屋の隅で丸まって震えている黄金の勇者の姿だった。
「あ……ユヅル……おかえりなさいませ……」
「えっ、どうしたの!? 怪我!? 誰か来た!?」
駆け寄る結弦。アルヴィスは涙目になりながら、部屋の中央を指差した。
そこには、結弦が数ヶ月前に奮発して買ったロボット掃除機――通称『丸ちゃん』が、静かにホームベースに鎮座していた。
「あ……あれです。あの、丸い刺客……」
「丸ちゃんがどうしたの?」
「私が床を掃除しようとしたら、突然あやつが動き出したのです。無言で、執拗に私の足を追い回し、挙句の果てに私の脱ぎ捨てた靴下を……吸い込んだのです!」
「あー……」
「私は戦おうとしましたが、あやつには殺気が一切ない。ただ、淡々と、私の居場所を奪おうと迫ってくる……。剣を抜こうにも、相手はあまりにも無機質で……私は、生まれて初めて『恐怖』というものを知りました」
勇者アルヴィス、レベル99。
数々の魔物を屠ってきた伝説の男が、直径30センチのロボット掃除機に敗北し、部屋の隅に追い詰められていたらしい。
「ごめんね、タイマー設定してたの忘れてた。丸ちゃんは悪い子じゃないよ、掃除してくれてただけだから」
「掃除……。あのような恐ろしい手段で。この地の文明は、武力よりも精神を削ることに特化しているのですね……」
結弦は、情けなくも愛らしい居候の頭を、よしよしと撫でてやった。
するとアルヴィスは、途端にパァッと顔を明るくし、先ほどまでの怯えが嘘のように立ち上がった。
「ユヅルがそうおっしゃるなら、あの円盤も良き精霊の一種なのでしょう。……ところでユヅル、お疲れのようですね。私が肩を揉みましょう!」
「えっ、いいよ、悪いし……」
「騎士の務めです! さあ、そこへ座ってください!」
強引に座らされ、アルヴィスの大きな手が肩に置かれる。
勇者の指先からは、無意識のうちにか、微かな癒やしの波動のような温かさが伝わってきた。
「……あ、気持ちいい……」
「ふふ、私の国では、戦いの後の仲間を癒やすのも勇者の仕事でしたから。……ユヅル、今日も一日、戦い抜いたのですね。あなたは私よりもずっと立派な戦士だ」
大きな手の温もりと、真っ直ぐな称賛の言葉。
ブラック企業でボロボロに言われている毎日の中で、アルヴィスの肯定は、結弦の心に深く染み渡った。
ただただ純粋で、温かい関係。
「ありがとう、アルヴィス。……明日も、お留守番頼めるかな」
「もちろんです! 明日はあの丸い精霊とも、友誼(ゆうぎ)を結んでみせましょう!」
勇者は力強く拳を握った。
その翌日、丸ちゃんに乗り込もうとして失敗し、再び部屋の隅で固まる勇者の姿が見られることになるのだが、それはまた別の話である。
翌朝、結弦が目覚めると、アルヴィスは洗濯機の前で険しい表情をして立ち尽くしていた。
結弦が仕事に行く準備として回した全自動洗濯機が、ちょうど「脱水」の工程に入ったところだった。
ガタガタガタ、と激しく振動する洗濯機を、勇者は今にも腰の剣(今は結弦が隠したため、手元にあるのはハンガーだ)で斬り伏せんばかりの勢いで睨みつけている。
「落ち着いて、アルヴィス。それは魔物じゃなくて洗濯機。僕の服を洗ってくれてるの」
「洗う……? 水の魔導具だというのですか。しかし、この振動……中に狂暴な水精霊でも封じ込めているのでは? 拙いですよ、このままでは結界(ワンルーム)が崩壊しかねません!」
「崩壊しないから! あと、結界って言わないで、ただの賃貸アパートだから!」
結弦は寝癖を直しながら、キッチンへ向かった。
アルヴィスはなおも疑わしげに洗濯機を見つめていたが、結弦が冷蔵庫から牛乳を取り出すと、今度はそちらに興味を示した。
「ユヅル、その白い液体は……聖なる牛の乳ですか?」
「……まあ、ある意味そうかもね。飲む?」
コップに注いで渡すと、アルヴィスは一口飲んで再び目を見開いた。
「美味い! 雑味が一切ない。我が国の乳はもっと獣の匂いがしたものですが……この地の牛は、もしや毎日清らかな祈りを捧げられているのですか?」
「いや、ただの低温殺菌だと思うけど。……あ、そうだ。アルヴィス、今日は僕、仕事に行かなきゃいけないから、君はお留守番ね」
「ルスバン……? 聖なる拠点を守護せよということですね。お任せください、このアルヴィス、一歩たりとも敵を通しません!」
「いや、敵は来ないから。大人しくテレビでも見てて。あ、これリモコン。このボタンを押すと絵が出るから」
結弦が適当にニュース番組をつけると、画面に映し出されたアナウンサーを見て、アルヴィスは「うわあああっ!?」と飛び退いた。
「なっ、何だこの術は! 人間が、小さな箱の中に封じ込められている……! 救出しなければ!」
「救出しなくていいから! 映像だから! 魔法みたいなものだと思って!」
「なるほど……超高度な幻影魔法……。ユヅル、あなたはやはり大魔導師だったのですね。これほど精巧な幻影を常時展開する魔力、恐れ入ります」
勇者の脳内変換は常に斜め上を行く。
結弦は説明を諦め、「とにかく家から出ないこと」「火を使わないこと」を何度も言い聞かせた。
本当は一人にするのは不安だったが、会社を休むわけにもいかない。
結弦は後ろ髪を引かれる思いで、スーツに着替えて玄関へ向かった。
「それじゃ、行ってくるね。お昼は冷蔵庫にパンが入ってるから、勝手に食べていいよ」
「行ってらっしゃいませ、我が主(マイ・ロード)! あなたが帰還するその時まで、この聖域は私が死守いたします!」
ビシッと騎士の敬礼で見送られ、結弦は出社した。
仕事中も、家が爆発していないか、アルヴィスが警察に連行されていないか、心配で仕事が手につかない。
「すみません、家に異世界の勇者を置いてきたので早退させてください」なんて言えるはずもない。
結局、いつも通り残業をこなし、クタクタになって帰宅したのは夜の九時を過ぎた頃だった。
「ただいま……。アルヴィス、無事……?」
恐る恐るドアを開けた結弦の目に飛び込んできたのは、部屋の隅で丸まって震えている黄金の勇者の姿だった。
「あ……ユヅル……おかえりなさいませ……」
「えっ、どうしたの!? 怪我!? 誰か来た!?」
駆け寄る結弦。アルヴィスは涙目になりながら、部屋の中央を指差した。
そこには、結弦が数ヶ月前に奮発して買ったロボット掃除機――通称『丸ちゃん』が、静かにホームベースに鎮座していた。
「あ……あれです。あの、丸い刺客……」
「丸ちゃんがどうしたの?」
「私が床を掃除しようとしたら、突然あやつが動き出したのです。無言で、執拗に私の足を追い回し、挙句の果てに私の脱ぎ捨てた靴下を……吸い込んだのです!」
「あー……」
「私は戦おうとしましたが、あやつには殺気が一切ない。ただ、淡々と、私の居場所を奪おうと迫ってくる……。剣を抜こうにも、相手はあまりにも無機質で……私は、生まれて初めて『恐怖』というものを知りました」
勇者アルヴィス、レベル99。
数々の魔物を屠ってきた伝説の男が、直径30センチのロボット掃除機に敗北し、部屋の隅に追い詰められていたらしい。
「ごめんね、タイマー設定してたの忘れてた。丸ちゃんは悪い子じゃないよ、掃除してくれてただけだから」
「掃除……。あのような恐ろしい手段で。この地の文明は、武力よりも精神を削ることに特化しているのですね……」
結弦は、情けなくも愛らしい居候の頭を、よしよしと撫でてやった。
するとアルヴィスは、途端にパァッと顔を明るくし、先ほどまでの怯えが嘘のように立ち上がった。
「ユヅルがそうおっしゃるなら、あの円盤も良き精霊の一種なのでしょう。……ところでユヅル、お疲れのようですね。私が肩を揉みましょう!」
「えっ、いいよ、悪いし……」
「騎士の務めです! さあ、そこへ座ってください!」
強引に座らされ、アルヴィスの大きな手が肩に置かれる。
勇者の指先からは、無意識のうちにか、微かな癒やしの波動のような温かさが伝わってきた。
「……あ、気持ちいい……」
「ふふ、私の国では、戦いの後の仲間を癒やすのも勇者の仕事でしたから。……ユヅル、今日も一日、戦い抜いたのですね。あなたは私よりもずっと立派な戦士だ」
大きな手の温もりと、真っ直ぐな称賛の言葉。
ブラック企業でボロボロに言われている毎日の中で、アルヴィスの肯定は、結弦の心に深く染み渡った。
ただただ純粋で、温かい関係。
「ありがとう、アルヴィス。……明日も、お留守番頼めるかな」
「もちろんです! 明日はあの丸い精霊とも、友誼(ゆうぎ)を結んでみせましょう!」
勇者は力強く拳を握った。
その翌日、丸ちゃんに乗り込もうとして失敗し、再び部屋の隅で固まる勇者の姿が見られることになるのだが、それはまた別の話である。
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