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29話
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「……ユヅル。この拠点の風呂という設備は、あまりに脆弱だ。俺とアルヴィスが同時に入れば、溢れ出した湯によって階下が水没し、拠点を強制退去させられるリスクがある」
日曜日の夕方。押し入れから這い出してきたエルリックは、アパートの狭いユニットバスを忌々しげに睨みつけながら言った。
「あはは、確かに二人とも身長190センチ近いもんね。……そうだ、たまには広いお風呂に行かない? 近くにいい感じの銭湯があるんだよ」
結弦の提案に、アルヴィスが黄金の髪をなびかせながら即座に反応した。
「銭湯……! それはもしや、主と裸の付き合いをし、魂を浄化させる聖なる泉のことですね! 行きましょう、ユヅル! 私の騎士としての汚れを、その泉で洗い流してみせます!」
「……ふん。俺もこの地の公衆浴場というものの防衛体制を確認しておく必要があると思っていた。馬、貴様は留守番だ。抜け毛で排水口を詰まらせる未来しか見えんからな」
「ヒヒーン!(ボクだけ留守番かよ! まあ、あの熱いお湯は苦手だからいいけどさ)」
スレイプニルに留守番を任せ、結弦はタオルを入れたバッグを手に、勇者と四天王を連れて街へ出た。
数分歩くと、木造の立派な煙突がそびえ立つ「松の湯」が見えてきた。
「……ほう。この煙突、魔力ではなく物理的な燃焼で湯を沸かしているのか。古風だが、熱効率は悪くないようだ」
エルリックが感心したように見上げる中、三人は暖簾をくぐった。番台で料金を払い、脱衣所へ向かう。
服を脱ぎ始めたアルヴィスの完璧な肉体――彫刻のような腹筋と広大な背中に、居合わせた常連の老人たちが「ほう、モデルさんかね」と目を丸くしている。
「ユヅル! 見てください、この桶! 叩くと良い音がします。これはもしや、音響によって魔力を増幅させる触媒では?」
「ただのケロリン桶だよ、アルヴィス。ほら、まずは体を洗ってから」
結弦に促され、三人は洗い場に並んで座った。
アルヴィスは石鹸の泡に感動し、まるで雲を生成しているかのように全身を真っ白にしている。対するエルリックは、まるで精密機械を洗浄するように、一分の隙もなく無表情に体を磨き上げていた。
「……よし。清めは完了した。ユヅル、あの巨大な煮え滾る釜(主浴槽)へ突入するぞ」
エルリックが先陣を切り、三人は広い湯船に浸かった。
「はぁ~……極楽……」
結弦が思わず声を漏らすと、アルヴィスも隣で目を細めた。
「……温かい。主、この地の民がこれほどまでに穏やかなのは、この泉の加護があるからなのですね。私の故郷の冷たい川とは大違いです」
「……。悪くないな。四肢の筋肉が弛緩し、魔力の循環が最適化されていくのを感じる。……だがアルヴィス、貴様は少し浮かびすぎだ。湯の体積を計算して静かに沈め」
「貴様こそ、その鋭い眼光で湯を睨みつけるのはやめなさい。湯が怯えて冷めてしまうではありませんか!」
二人が湯船の中で小突き合いを始めようとした時、エルリックがふと、壁に描かれた巨大な富士山の絵を見上げた。
「……ユヅル。あの壁面に描かれた山……あれは、この地の神が住まう山か?」
「ああ、富士山だね。日本で一番高い山だよ」
「……ふん。いい山だ。俺がいた世界の魔山は、常に毒霧と雷鳴に包まれていた。……裸で、武器も持たず、ただ山を眺めながら湯に浸かる。……魔界にいた頃の俺に言っても、決して信じぬだろうな」
エルリックの言葉には、四天王としての重みではなく、一人の男としての静かな感慨がこもっていた。
湯気に包まれ、赤い顔をしながらも、二人の大男はどこか憑き物が落ちたような穏やかな表情を浮かべている。
風呂上がり。脱衣所に戻った三人は、結弦が買ってきた瓶のコーヒー牛乳を手に取った。
「……これは、何だ。泥と乳が混ざり合った怪しげな液体だが」
「いいから飲んでみて。腰に手を当てて飲むのがコツだよ」
結弦に教えられた通り、アルヴィスとエルリックは豪快にコーヒー牛乳を煽った。
「っ……! 甘い! それでいて、この微かな苦味が火照った体に染み渡る……! ユヅル、これはもしや、王宮の晩餐で出されるエリクサー(霊薬)の類ですね!」
「……。……。一気に細胞が活性化されるのを感じる。この飲み物、俺が魔王軍の正規雇用だった頃にあれば、もっと効率的に世界を……いや、なんでもない」
エルリックは最後まで飲み干すと、ぷはぁと力強い溜息をついた。
銭湯からの帰り道、夜風が火照った肌に心地よく吹き抜ける。
「……ユヅル。今度は、あの馬も連れてこられる場所を探せ。あいつだけ置いていかれると、拠点の壁を齧るからな」
「そうだね、ペット可の温泉とかあるし、いつか行こうか」
「温泉……。主、また新しい戦場(レジャー)の予感がしますな!」
アルヴィスが嬉しそうに笑い、エルリックも不敵な笑みを浮かべて歩を進める。
結弦の両隣を固めるのは、もはや世界を滅ぼす者でも、救う者でもない。
ただ、銭湯の湯気に癒やされ、コーヒー牛乳の甘さに感動した、大切な同居人たちだった。
アパートに着くと、玄関で拗ねた顔をしていたスレイプニルに、結弦が買ってきた特製のりんごを差し出す。
「ヒヒーン!(ズルいぞ! ボクだけお土産で誤魔化そうったって……サクサク。……まあ、許してやるか)」
賑やかな声が夜のワンルームに満ちていく。
結弦の日常は、裸の付き合いを経て、また一段と絆を深めていくのだった。
日曜日の夕方。押し入れから這い出してきたエルリックは、アパートの狭いユニットバスを忌々しげに睨みつけながら言った。
「あはは、確かに二人とも身長190センチ近いもんね。……そうだ、たまには広いお風呂に行かない? 近くにいい感じの銭湯があるんだよ」
結弦の提案に、アルヴィスが黄金の髪をなびかせながら即座に反応した。
「銭湯……! それはもしや、主と裸の付き合いをし、魂を浄化させる聖なる泉のことですね! 行きましょう、ユヅル! 私の騎士としての汚れを、その泉で洗い流してみせます!」
「……ふん。俺もこの地の公衆浴場というものの防衛体制を確認しておく必要があると思っていた。馬、貴様は留守番だ。抜け毛で排水口を詰まらせる未来しか見えんからな」
「ヒヒーン!(ボクだけ留守番かよ! まあ、あの熱いお湯は苦手だからいいけどさ)」
スレイプニルに留守番を任せ、結弦はタオルを入れたバッグを手に、勇者と四天王を連れて街へ出た。
数分歩くと、木造の立派な煙突がそびえ立つ「松の湯」が見えてきた。
「……ほう。この煙突、魔力ではなく物理的な燃焼で湯を沸かしているのか。古風だが、熱効率は悪くないようだ」
エルリックが感心したように見上げる中、三人は暖簾をくぐった。番台で料金を払い、脱衣所へ向かう。
服を脱ぎ始めたアルヴィスの完璧な肉体――彫刻のような腹筋と広大な背中に、居合わせた常連の老人たちが「ほう、モデルさんかね」と目を丸くしている。
「ユヅル! 見てください、この桶! 叩くと良い音がします。これはもしや、音響によって魔力を増幅させる触媒では?」
「ただのケロリン桶だよ、アルヴィス。ほら、まずは体を洗ってから」
結弦に促され、三人は洗い場に並んで座った。
アルヴィスは石鹸の泡に感動し、まるで雲を生成しているかのように全身を真っ白にしている。対するエルリックは、まるで精密機械を洗浄するように、一分の隙もなく無表情に体を磨き上げていた。
「……よし。清めは完了した。ユヅル、あの巨大な煮え滾る釜(主浴槽)へ突入するぞ」
エルリックが先陣を切り、三人は広い湯船に浸かった。
「はぁ~……極楽……」
結弦が思わず声を漏らすと、アルヴィスも隣で目を細めた。
「……温かい。主、この地の民がこれほどまでに穏やかなのは、この泉の加護があるからなのですね。私の故郷の冷たい川とは大違いです」
「……。悪くないな。四肢の筋肉が弛緩し、魔力の循環が最適化されていくのを感じる。……だがアルヴィス、貴様は少し浮かびすぎだ。湯の体積を計算して静かに沈め」
「貴様こそ、その鋭い眼光で湯を睨みつけるのはやめなさい。湯が怯えて冷めてしまうではありませんか!」
二人が湯船の中で小突き合いを始めようとした時、エルリックがふと、壁に描かれた巨大な富士山の絵を見上げた。
「……ユヅル。あの壁面に描かれた山……あれは、この地の神が住まう山か?」
「ああ、富士山だね。日本で一番高い山だよ」
「……ふん。いい山だ。俺がいた世界の魔山は、常に毒霧と雷鳴に包まれていた。……裸で、武器も持たず、ただ山を眺めながら湯に浸かる。……魔界にいた頃の俺に言っても、決して信じぬだろうな」
エルリックの言葉には、四天王としての重みではなく、一人の男としての静かな感慨がこもっていた。
湯気に包まれ、赤い顔をしながらも、二人の大男はどこか憑き物が落ちたような穏やかな表情を浮かべている。
風呂上がり。脱衣所に戻った三人は、結弦が買ってきた瓶のコーヒー牛乳を手に取った。
「……これは、何だ。泥と乳が混ざり合った怪しげな液体だが」
「いいから飲んでみて。腰に手を当てて飲むのがコツだよ」
結弦に教えられた通り、アルヴィスとエルリックは豪快にコーヒー牛乳を煽った。
「っ……! 甘い! それでいて、この微かな苦味が火照った体に染み渡る……! ユヅル、これはもしや、王宮の晩餐で出されるエリクサー(霊薬)の類ですね!」
「……。……。一気に細胞が活性化されるのを感じる。この飲み物、俺が魔王軍の正規雇用だった頃にあれば、もっと効率的に世界を……いや、なんでもない」
エルリックは最後まで飲み干すと、ぷはぁと力強い溜息をついた。
銭湯からの帰り道、夜風が火照った肌に心地よく吹き抜ける。
「……ユヅル。今度は、あの馬も連れてこられる場所を探せ。あいつだけ置いていかれると、拠点の壁を齧るからな」
「そうだね、ペット可の温泉とかあるし、いつか行こうか」
「温泉……。主、また新しい戦場(レジャー)の予感がしますな!」
アルヴィスが嬉しそうに笑い、エルリックも不敵な笑みを浮かべて歩を進める。
結弦の両隣を固めるのは、もはや世界を滅ぼす者でも、救う者でもない。
ただ、銭湯の湯気に癒やされ、コーヒー牛乳の甘さに感動した、大切な同居人たちだった。
アパートに着くと、玄関で拗ねた顔をしていたスレイプニルに、結弦が買ってきた特製のりんごを差し出す。
「ヒヒーン!(ズルいぞ! ボクだけお土産で誤魔化そうったって……サクサク。……まあ、許してやるか)」
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