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9話
しおりを挟むあのドームライブから一週間が経った。
レオはさらに多忙を極めているはずなのに、僕たちの関係は以前よりもずっと密度の高いものへと変化していた。
きっかけは、ライブの翌日にレオから届いた一通のメッセージだった。
『千秋、昨日言ってたあのゲームの新作、もう買った? 僕、どうしてもやりたいんだけど、一人だと寂しくて……。千秋の家で一緒にやってもいいかな?』
人気絶頂のアイドルが、大学生の狭いアパートにやってくる。
冷静に考えればとんでもないことだけれど、今の僕にとって、レオはもはや「遠い存在」ではなく、放っておくとどこかへ消えてしまいそうな、危うさを秘めた親友の一人になっていた。
「お邪魔します! ……わぁ、千秋の匂いがする」
夜の帳が下りた頃、大きな眼鏡とバケットハットで完璧に変装したレオが、僕の部屋に滑り込んできた。彼は玄関に一歩足を踏み入れるなり、くんくんと鼻を鳴らして、安心したように肩の力を抜いた。
「変なこと言わないでよ。ただの洗剤の匂いだよ。……ほら、適当に座って」
「えへへ、失礼します。……落ち着くなぁ、ここ。ドームのステージより緊張しないよ」
レオは六畳一間の僕の部屋を興味深そうに見渡すと、小さなローテーブルの前にちょこんと座った。
僕たちはさっそく、最近発売されたばかりのアクションゲームを始めた。
実は僕とレオには、共通の趣味がある。それは昔懐かしいドット絵のレトロゲームや、最新のオンライン対戦ゲームだ。意外にもレオはかなりのゲーマーで、コントローラーを握ると、アイドルとしての優雅さはどこへやら、必死になって画面に食らいつく。
「ああっ! 千秋、左から来てるよ! 避けて、避けて!」
「わかってるって! レオこそ、回復アイテム使ってよ」
「今それどころじゃないってば! うわぁ、やられたー!」
画面に大きく表示される『GAME OVER』の文字。
僕たちは顔を見合わせ、同時に吹き出した。
「レオ、今の操作はひどすぎだよ。センターで踊ってる時のキレはどうしたの?」
「むぅ、ゲームは別なんだよ。千秋が上手すぎるんだ。……ねえ、もう一回。次は絶対勝つから」
悔しそうに頬を膨らませるレオは、テレビの中でウィンクを決める「レオ様」とは似ても似つかない。でも、僕はこっちのレオの方がずっと好きだと思った。
ゲームの合間に、僕は簡単な夜食を作った。
と言っても、冷蔵庫にある野菜とベーコンを炒めただけの簡単なパスタだ。
「はい、お待たせ。大したものは作れなかったけど」
「うわぁ、美味しそう! 千秋の作るご飯は、世界一なんだよ」
レオはフォークを手に取ると、本当に幸せそうにパスタを頬張った。
「……レオって、本当に食べ物に無頓着だよね。アイドルって、もっと美味しいものを毎日食べてるんじゃないの?」
「味は美味しいんだろうけど、誰と一緒に食べるかが重要なんだよ。……僕ね、一人で豪華なフレンチを食べるより、千秋とここでパスタを食べてる方が、何万倍も贅沢だって思うんだ」
レオはフォークを止め、真っ直ぐに僕を見た。
その視線には、ゲームをしている時の幼さはなく、一人の男としての、静かな熱が宿っていた。
「千秋。……僕、ここに来るようになってから、やっと自分が『人間』だって思い出せる気がするんだ。レオじゃなくて、ただの僕に戻れる場所。それを作ってくれたのは、千秋なんだよ」
僕は照れくさくなって、わざと意地悪な言い方をして誤魔化した。
「大げさだよ。僕はただ、ゲームの相手をしてるだけ。……それに、レオがここに来ると、僕の部屋が狭く感じるしね」
「あはは、ひどいな。……じゃあさ、もっと広いところに二人で住む?」
「……冗談はやめてよ。ファンが聞いたら卒倒するよ」
冗談めかして笑い飛ばしたけれど、レオの目は笑っていなかった。
彼はそのまま、僕の手元にあるコントローラーに手を伸ばし、僕の指先に自分の指を重ねた。
「冗談じゃないよ。……いつか、本当にそうなればいいなって思ってる」
レオの指先から、熱が伝わってくる。
僕はその熱を振り払うことができず、ただ黙って画面を見つめるしかなかった。
テレビの明かりが、暗い部屋の中でレオの横顔を淡く照らしている。
彼が求める「日常」の中に、僕はいつの間にか深く入り込んでしまっていた。
それがどんなに危ういことか、頭では分かっているのに。
「……ほら、次のステージ行くよ。レオがミスしなきゃ、次はクリアできるはずだから」
「うん! 任せて。今度は僕が千秋を守ってあげる」
レオはそう言って、再びコントローラーを握り直した。
彼が僕に向ける「守ってあげる」という言葉。
それが、単なるゲームの中の話ではないような気がして、僕は自分の胸の鼓動を悟られないよう、必死にボタンを連打した。
夜はまだ始まったばかりで、外では冷たい風が吹いている。
けれど、この小さな六畳一間だけは、レオが持ち込んだ情熱と、僕が抱く淡い戸惑いで、不思議な温かさに包まれていた。
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