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18話
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文化祭の喧騒が嘘のように過ぎ去り、大学のキャンパスに植えられた銀杏の木が鮮やかな黄金色に染まる頃、街は少しずつクリスマスの彩りを帯び始めていた。
駅前の広場には巨大なツリーが飾られ、色とりどりのイルミネーションが、家路を急ぐ人々の足元を華やかに照らしている。けれど、僕にとっての「冬」は、街の華やかさよりも、レオが僕の部屋にやってくる頻度が目に見えて減ってしまった寂しさとともにやってきた。
年末が近づくにつれ、『GALAXY』のスケジュールは殺人的なものになっていた。大型の音楽特番、雑誌の表紙撮影、さらには年明けに控えたドーム公演の最終リハーサル。テレビを点ければ、レオはいつだって最高の笑顔で歌い、踊っている。けれど、その裏側で彼がどれほど削られているかを知っているのは、おそらくリーダーのシオンさんと、そして僕だけだった。
「……千秋。ごめん、今日も行けなくなっちゃった。シオンに、今夜はスタジオに泊まり込みだって言われちゃってさ」
深夜、消え入りそうな声で届いたレオからの電話。受話器越しに聞こえる彼の吐息は、以前よりもずっと重く、疲弊しているのが手に取るように分かった。
「謝らなくていいよ。君が頑張っているのは、僕が一番よく知ってるんだから。……無理だけはしないでね。ご飯、ちゃんと食べてる?」
「……千秋が作った肉じゃがが食べたいな。……コンビニのお弁当は、なんだか味がしなくてさ」
冗談めかして笑う彼の声に、僕は胸が締め付けられるような思いがした。トップアイドル。誰もが羨むその称号は、彼から「温かい家庭の味」や「大切な人と過ごす静かな時間」を、無慈悲に奪い取っていく。
「……レオ。あのね、今年のクリスマス、……もし少しでも時間が取れたら、僕の部屋でパーティーをしない?」
僕が意を決してそう提案すると、電話の向こうでレオが息を呑む気配がした。
「……クリスマス? 僕と、二人で?」
「うん。……豪華なディナーも、高いシャンパンもないけど。レオが好きな料理をたくさん作って待ってるよ。ケーキだって、僕が予約しておくから」
「……行く。絶対に行くよ、千秋! たとえシオンに羽交い締めにされても、僕は君の部屋に辿り着いてみせる」
それまでの弱々しい声が嘘のように、レオのトーンが跳ね上がった。その子供のような素直な反応に、僕は思わず吹き出してしまった。
「羽交い締めなんて大げさだよ。……でも、本当に無理はしないでね。当日、五分だけでも顔を見せてくれるだけでいいんだから」
「五分なんて嫌だ。……その日は、世界で一番幸せな『普通の幼馴染』として過ごすんだから。……楽しみにしてるね、千秋」
電話を切った後、僕はカレンダーの「12月25日」の欄に、小さく印をつけた。
それからの僕は、レオに喜んでもらうために、秘密の準備を始めた。
彼が以前「可愛いね」と言っていた小さなツリーを雑貨屋で見つけてきたり、料理のレシピを何度もシミュレーションしたり。アイドルである彼に相応しいプレゼントは何だろうと、慣れない百貨店を歩き回ったりもした。
結局、僕が選んだのは、彼が仕事の移動中にも使えるような、手触りの良いカシミヤのストールだった。派手さはないけれど、彼の首元を優しく、確かに温めてくれるものを。
けれど、約束の日が近づくにつれ、不穏なニュースも耳に入ってくるようになった。
GALAXYのドーム公演のチケットは即日完売し、当日、レオたちが都内のスタジオから生中継で歌うことが発表されたのだ。その終了予定時刻は、夜の十時過ぎ。
(……やっぱり、無理かな。当日の生放送があるなら、終わった後は打ち上げや反省会があるだろうし)
僕は少しだけ諦めの混じった気持ちで、イブの夜を迎えた。
部屋には小さなツリーが光り、テーブルの上には彼の大好きな煮込みハンバーグや、彩り豊かなサラダが並んでいる。予約していたケーキも、冷蔵庫の中で出番を待っている。
夜の十時半。
テレビの画面の中では、レオが汗を輝かせながら、最高のパフォーマンスで新曲を歌い終えたところだった。
「……メリークリスマス、みんな! 大好きだよ!」
カメラに向かって放たれた彼のウィンクに、日本中のファンが熱狂していることだろう。
僕はテレビの電源を落とし、静かになった部屋で、一人で冷め始めた料理を見つめた。
(……レオ。君はもう、十分すぎるくらい頑張ったよ。……今日はゆっくり休んで……)
そう自分に言い聞かせ、片付けを始めようとしたその時だった。
トントン、トトト、トン。
玄関のドアを叩く、あの独特のリズム。
僕は弾かれたように立ち上がり、鍵を開けた。
そこには、息を切らし、肩で息をしながら、鼻先を真っ赤に染めたレオが立っていた。
衣装の上に急いでダウンを羽織っただけの姿で、手には小さな紙袋を握りしめている。
「……間に合った。……メリークリスマス、千秋」
レオは僕の顔を見るなり、その場にへなへなと崩れ落ちそうになった。僕は慌てて彼の体を支え、部屋の中へと引き入れた。
「レオ! 君、まさか生放送が終わってすぐに……?」
「……シオンに土下座して、車を出してもらったんだ。『一時間だけ、僕の命を繋ぐために行かせてくれ』って」
レオは僕の肩に顔を埋め、冷たくなった指先で僕の服をぎゅっと掴んだ。
「……会いたかった。……ずっと、この匂いを嗅ぎたかったんだ」
部屋を満たす温かな料理の匂いと、微かなアロマの香り。
外の世界では「レオ様」と崇められる彼が、今、僕の腕の中で、ただの「玲央」に戻って震えている。
「……おかえり。……お疲れ様、玲央。……さあ、冷めないうちに食べよう。今日は君が主役なんだから」
僕は彼の冷えた手を自分の手で包み、温めた。
六畳一間の、小さなクリスマス。
華やかなスポットライトも、数万人の歓声もないけれど。
キャンドルの炎が揺れるこの部屋には、世界中のどこよりも純粋で、温かな「愛」が満ちていた。
僕たちは、どちらからともなく微笑み合い、11年目にして初めての、二人きりの聖夜を祝い始めた。
駅前の広場には巨大なツリーが飾られ、色とりどりのイルミネーションが、家路を急ぐ人々の足元を華やかに照らしている。けれど、僕にとっての「冬」は、街の華やかさよりも、レオが僕の部屋にやってくる頻度が目に見えて減ってしまった寂しさとともにやってきた。
年末が近づくにつれ、『GALAXY』のスケジュールは殺人的なものになっていた。大型の音楽特番、雑誌の表紙撮影、さらには年明けに控えたドーム公演の最終リハーサル。テレビを点ければ、レオはいつだって最高の笑顔で歌い、踊っている。けれど、その裏側で彼がどれほど削られているかを知っているのは、おそらくリーダーのシオンさんと、そして僕だけだった。
「……千秋。ごめん、今日も行けなくなっちゃった。シオンに、今夜はスタジオに泊まり込みだって言われちゃってさ」
深夜、消え入りそうな声で届いたレオからの電話。受話器越しに聞こえる彼の吐息は、以前よりもずっと重く、疲弊しているのが手に取るように分かった。
「謝らなくていいよ。君が頑張っているのは、僕が一番よく知ってるんだから。……無理だけはしないでね。ご飯、ちゃんと食べてる?」
「……千秋が作った肉じゃがが食べたいな。……コンビニのお弁当は、なんだか味がしなくてさ」
冗談めかして笑う彼の声に、僕は胸が締め付けられるような思いがした。トップアイドル。誰もが羨むその称号は、彼から「温かい家庭の味」や「大切な人と過ごす静かな時間」を、無慈悲に奪い取っていく。
「……レオ。あのね、今年のクリスマス、……もし少しでも時間が取れたら、僕の部屋でパーティーをしない?」
僕が意を決してそう提案すると、電話の向こうでレオが息を呑む気配がした。
「……クリスマス? 僕と、二人で?」
「うん。……豪華なディナーも、高いシャンパンもないけど。レオが好きな料理をたくさん作って待ってるよ。ケーキだって、僕が予約しておくから」
「……行く。絶対に行くよ、千秋! たとえシオンに羽交い締めにされても、僕は君の部屋に辿り着いてみせる」
それまでの弱々しい声が嘘のように、レオのトーンが跳ね上がった。その子供のような素直な反応に、僕は思わず吹き出してしまった。
「羽交い締めなんて大げさだよ。……でも、本当に無理はしないでね。当日、五分だけでも顔を見せてくれるだけでいいんだから」
「五分なんて嫌だ。……その日は、世界で一番幸せな『普通の幼馴染』として過ごすんだから。……楽しみにしてるね、千秋」
電話を切った後、僕はカレンダーの「12月25日」の欄に、小さく印をつけた。
それからの僕は、レオに喜んでもらうために、秘密の準備を始めた。
彼が以前「可愛いね」と言っていた小さなツリーを雑貨屋で見つけてきたり、料理のレシピを何度もシミュレーションしたり。アイドルである彼に相応しいプレゼントは何だろうと、慣れない百貨店を歩き回ったりもした。
結局、僕が選んだのは、彼が仕事の移動中にも使えるような、手触りの良いカシミヤのストールだった。派手さはないけれど、彼の首元を優しく、確かに温めてくれるものを。
けれど、約束の日が近づくにつれ、不穏なニュースも耳に入ってくるようになった。
GALAXYのドーム公演のチケットは即日完売し、当日、レオたちが都内のスタジオから生中継で歌うことが発表されたのだ。その終了予定時刻は、夜の十時過ぎ。
(……やっぱり、無理かな。当日の生放送があるなら、終わった後は打ち上げや反省会があるだろうし)
僕は少しだけ諦めの混じった気持ちで、イブの夜を迎えた。
部屋には小さなツリーが光り、テーブルの上には彼の大好きな煮込みハンバーグや、彩り豊かなサラダが並んでいる。予約していたケーキも、冷蔵庫の中で出番を待っている。
夜の十時半。
テレビの画面の中では、レオが汗を輝かせながら、最高のパフォーマンスで新曲を歌い終えたところだった。
「……メリークリスマス、みんな! 大好きだよ!」
カメラに向かって放たれた彼のウィンクに、日本中のファンが熱狂していることだろう。
僕はテレビの電源を落とし、静かになった部屋で、一人で冷め始めた料理を見つめた。
(……レオ。君はもう、十分すぎるくらい頑張ったよ。……今日はゆっくり休んで……)
そう自分に言い聞かせ、片付けを始めようとしたその時だった。
トントン、トトト、トン。
玄関のドアを叩く、あの独特のリズム。
僕は弾かれたように立ち上がり、鍵を開けた。
そこには、息を切らし、肩で息をしながら、鼻先を真っ赤に染めたレオが立っていた。
衣装の上に急いでダウンを羽織っただけの姿で、手には小さな紙袋を握りしめている。
「……間に合った。……メリークリスマス、千秋」
レオは僕の顔を見るなり、その場にへなへなと崩れ落ちそうになった。僕は慌てて彼の体を支え、部屋の中へと引き入れた。
「レオ! 君、まさか生放送が終わってすぐに……?」
「……シオンに土下座して、車を出してもらったんだ。『一時間だけ、僕の命を繋ぐために行かせてくれ』って」
レオは僕の肩に顔を埋め、冷たくなった指先で僕の服をぎゅっと掴んだ。
「……会いたかった。……ずっと、この匂いを嗅ぎたかったんだ」
部屋を満たす温かな料理の匂いと、微かなアロマの香り。
外の世界では「レオ様」と崇められる彼が、今、僕の腕の中で、ただの「玲央」に戻って震えている。
「……おかえり。……お疲れ様、玲央。……さあ、冷めないうちに食べよう。今日は君が主役なんだから」
僕は彼の冷えた手を自分の手で包み、温めた。
六畳一間の、小さなクリスマス。
華やかなスポットライトも、数万人の歓声もないけれど。
キャンドルの炎が揺れるこの部屋には、世界中のどこよりも純粋で、温かな「愛」が満ちていた。
僕たちは、どちらからともなく微笑み合い、11年目にして初めての、二人きりの聖夜を祝い始めた。
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