11 / 20
11話
しおりを挟む
窓辺に飾られた「陽だまり草」が、朝の光を浴びて誇らしげに花弁を広げている。
ヴァルが泥だらけになって植えてくれたその花は、離宮のどの高価な調度品よりも、ロロの視線を惹きつけて離さなかった。
(……だめだ、昨日の光景が頭から離れない。あの皇帝、本当にバカだよなぁ)
ロロは朝食の白パンを千切りながら、隣で甲斐甲斐しくジャムを塗ってくれているヴァルを盗み見た。
昨夜の泥は綺麗に洗い流され、彼は再び、非の打ち所がない美貌の皇帝へと戻っている。だが、その指先には昨日ロロが手当てした小さな絆創膏が、いくつも貼られたままだ。
その不器用な献身が、ロロの「スパイとしての防衛本能」をじわじわと麻痺させていく。
このまま黙って甘やかされているだけでは、いつか本当に自分の名前さえ忘れて、ただの「ロロ」になってしまうのではないか。そんな予感がロロを突き動かした。
「ねえ、ヴァル」
「どうした、ロロ。そのジャムが嫌だったか? すぐに別の、そうだな、隣国から取り寄せた最高級の蜂蜜に変えさせよう」
「ううん、そうじゃなくて。……あのね、昨日の夜、夢を見たの」
ロロは、わざとらしくスプーンを動かす手を止め、遠くを見つめるような「物憂げな表情」を作った。
ヴァルの動きが、ピタリと止まる。碧眼に鋭い緊張が走るのを、ロロは見逃さなかった。
「……夢、だと? どんな内容だ」
「よく思い出せないんだけど……。すごく冷たくて、暗い場所に、僕がいて。……そこに、銀色の髪の人が、僕を助けに来てくれた気がするの」
ロロは、ヴァルの「捏造設定」に基づきつつ、自分の実際の記憶(地下牢でヴァルに捕まった時のこと)を、美化してスパイスとして混ぜ込んでみた。
すると、ヴァルの顔色がみるみるうちに変わり、彼はガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。
「そ、それは……! ああ、ロロ。やはりお前の魂は覚えているのだな!」
ヴァルはロロの隣に詰め寄ると、その両手を情熱的に握りしめた。
「そうだ。以前、お前が悪漢に襲われ、古い地下蔵に閉じ込められたことがあった。その時、俺が真っ先に駆けつけてお前を抱き上げたのだ。……あの時のお前は、俺の首にしがみついて『ヴァルがいれば何も怖くない』と泣きじゃくっていた……!」
(出た。秒速で新しい設定が生えてきたよ!)
ロロは内心で盛大にツッコミを入れながらも、「ええっ、そうだったんですかぁ!?」と驚いて見せた。
ヴァルの捏造スキルは、ロロの想像を遥かに超えていた。しかも、本人がその嘘を完全に「真実」として信じ込もうとしている節がある。
「なんだか、ヴァルの声を聞いていたら、その時の温かさを思い出した気がする……」
「ロロ……っ! ああ、なんという奇跡だ! パトリック! セレーナ! 今すぐ祭典の準備をしろ! ロロの記憶が、愛の力で戻りかけているぞ!」
(待って待って! 祭典なんてしないで! 話が大きくなりすぎ!)
ロロは慌ててヴァルの袖を引っ張った。
「だ、ダメだよ、ヴァル! まだほんの少し、霧が晴れたみたいになっただけなんだから。大騒ぎしたら、また忘れちゃうかもしれないし……」
「っ……。そうか。そうだな、お前の言う通りだ。焦りは禁物だった」
ヴァルは深呼吸をして、なんとか自分を落ち着かせようとしたが、握った手の力は一向に緩まない。それどころか、彼の瞳は期待と喜びにキラキラと輝いている。
「ロロ。……無理に思い出そうとしなくていい。だが、もし何かを感じたら、すぐに俺に言ってくれ。どんな些細なことでも、俺たちの愛の証なのだから」
「うん……。……ヴァル、ありがとう」
ロロは、ヴァルのその真っ直ぐな瞳を見るのが辛くなり、彼の胸に顔を埋めた。
喜ばせようと思ってついた「嘘」だったが、ヴァルの反応があまりに純粋すぎて、罪悪感が倍増してしまったのだ。
(ああ、もう……。この皇帝、なんでこんなにチョロいの。これじゃあ、僕が嘘をつくたびに、この人の世界がどんどん書き換えられちゃうじゃないか)
ヴァルは、ロロを愛おしそうに抱きしめながら、その頭を何度も撫でた。
「ロロ。お前が思い出してくれるなら、俺は何もいらない。……たとえ、俺がついた嘘が……、いや。何でもない」
ヴァルの声が、一瞬だけ微かに震えた気がした。
ロロは、彼の胸の中で「本当のこと」を言い出せない自分に、深い溜息をついた。
記憶が戻ったフリ、という新たな寄り道。
それは、二人の関係をさらに甘く、そして複雑にこじらせていく「甘い罠」の始まりに過ぎなかった。
朝食のテーブルの上、冷めかけた紅茶からは、昨日よりも少しだけ切ない香りが立ち上っていた。
ヴァルが泥だらけになって植えてくれたその花は、離宮のどの高価な調度品よりも、ロロの視線を惹きつけて離さなかった。
(……だめだ、昨日の光景が頭から離れない。あの皇帝、本当にバカだよなぁ)
ロロは朝食の白パンを千切りながら、隣で甲斐甲斐しくジャムを塗ってくれているヴァルを盗み見た。
昨夜の泥は綺麗に洗い流され、彼は再び、非の打ち所がない美貌の皇帝へと戻っている。だが、その指先には昨日ロロが手当てした小さな絆創膏が、いくつも貼られたままだ。
その不器用な献身が、ロロの「スパイとしての防衛本能」をじわじわと麻痺させていく。
このまま黙って甘やかされているだけでは、いつか本当に自分の名前さえ忘れて、ただの「ロロ」になってしまうのではないか。そんな予感がロロを突き動かした。
「ねえ、ヴァル」
「どうした、ロロ。そのジャムが嫌だったか? すぐに別の、そうだな、隣国から取り寄せた最高級の蜂蜜に変えさせよう」
「ううん、そうじゃなくて。……あのね、昨日の夜、夢を見たの」
ロロは、わざとらしくスプーンを動かす手を止め、遠くを見つめるような「物憂げな表情」を作った。
ヴァルの動きが、ピタリと止まる。碧眼に鋭い緊張が走るのを、ロロは見逃さなかった。
「……夢、だと? どんな内容だ」
「よく思い出せないんだけど……。すごく冷たくて、暗い場所に、僕がいて。……そこに、銀色の髪の人が、僕を助けに来てくれた気がするの」
ロロは、ヴァルの「捏造設定」に基づきつつ、自分の実際の記憶(地下牢でヴァルに捕まった時のこと)を、美化してスパイスとして混ぜ込んでみた。
すると、ヴァルの顔色がみるみるうちに変わり、彼はガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。
「そ、それは……! ああ、ロロ。やはりお前の魂は覚えているのだな!」
ヴァルはロロの隣に詰め寄ると、その両手を情熱的に握りしめた。
「そうだ。以前、お前が悪漢に襲われ、古い地下蔵に閉じ込められたことがあった。その時、俺が真っ先に駆けつけてお前を抱き上げたのだ。……あの時のお前は、俺の首にしがみついて『ヴァルがいれば何も怖くない』と泣きじゃくっていた……!」
(出た。秒速で新しい設定が生えてきたよ!)
ロロは内心で盛大にツッコミを入れながらも、「ええっ、そうだったんですかぁ!?」と驚いて見せた。
ヴァルの捏造スキルは、ロロの想像を遥かに超えていた。しかも、本人がその嘘を完全に「真実」として信じ込もうとしている節がある。
「なんだか、ヴァルの声を聞いていたら、その時の温かさを思い出した気がする……」
「ロロ……っ! ああ、なんという奇跡だ! パトリック! セレーナ! 今すぐ祭典の準備をしろ! ロロの記憶が、愛の力で戻りかけているぞ!」
(待って待って! 祭典なんてしないで! 話が大きくなりすぎ!)
ロロは慌ててヴァルの袖を引っ張った。
「だ、ダメだよ、ヴァル! まだほんの少し、霧が晴れたみたいになっただけなんだから。大騒ぎしたら、また忘れちゃうかもしれないし……」
「っ……。そうか。そうだな、お前の言う通りだ。焦りは禁物だった」
ヴァルは深呼吸をして、なんとか自分を落ち着かせようとしたが、握った手の力は一向に緩まない。それどころか、彼の瞳は期待と喜びにキラキラと輝いている。
「ロロ。……無理に思い出そうとしなくていい。だが、もし何かを感じたら、すぐに俺に言ってくれ。どんな些細なことでも、俺たちの愛の証なのだから」
「うん……。……ヴァル、ありがとう」
ロロは、ヴァルのその真っ直ぐな瞳を見るのが辛くなり、彼の胸に顔を埋めた。
喜ばせようと思ってついた「嘘」だったが、ヴァルの反応があまりに純粋すぎて、罪悪感が倍増してしまったのだ。
(ああ、もう……。この皇帝、なんでこんなにチョロいの。これじゃあ、僕が嘘をつくたびに、この人の世界がどんどん書き換えられちゃうじゃないか)
ヴァルは、ロロを愛おしそうに抱きしめながら、その頭を何度も撫でた。
「ロロ。お前が思い出してくれるなら、俺は何もいらない。……たとえ、俺がついた嘘が……、いや。何でもない」
ヴァルの声が、一瞬だけ微かに震えた気がした。
ロロは、彼の胸の中で「本当のこと」を言い出せない自分に、深い溜息をついた。
記憶が戻ったフリ、という新たな寄り道。
それは、二人の関係をさらに甘く、そして複雑にこじらせていく「甘い罠」の始まりに過ぎなかった。
朝食のテーブルの上、冷めかけた紅茶からは、昨日よりも少しだけ切ない香りが立ち上っていた。
40
あなたにおすすめの小説
運命の番は僕に振り向かない
ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。
それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。
オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。
ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。
ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。
ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。
ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。
幼馴染がいじめるのは俺だ!
むすめっすめ
BL
幼馴染が俺の事いじめてたのは、好きな子いじめちゃうやつだと思ってたのに...
「好きな奴に言われたんだ...幼馴染いじめるのとかガキみてーだって...」
「はっ...ぁ??」
好きな奴って俺じゃないの___!?
ただのいじめっ子×勘違いいじめられっ子
ーーーーーー
主人公 いじめられっ子
小鳥遊洸人
タカナシ ヒロト
小学生の頃から幼馴染の神宮寺 千透星にいじめられている。
姉の助言(?)から千透星が自分のこといじめるのは小学生特有の“好きな子いじめちゃうヤツ“だと思い込むようになり、そんな千透星を、可愛いじゃん...?と思っていた。
高校で初めて千透星に好きな人が出来たことを知ったことから、
脳破壊。
千透星への恋心を自覚する。
幼馴染 いじめっ子
神宮寺 千透星
ジングウジ チトセ
小学生の頃から幼馴染の小鳥遊 洸人をいじめている。
美形であり、陰キャの洸人とは違い周りに人が集まりやすい。(洸人は千透星がわざと自分の周りに集まらないように牽制していると勘違いしている)
転校生の須藤千尋が初恋である
路地裏の王子様と秘密のカフェ ―10年ぶりに再会した親友はトップアイドルでした―
たら昆布
BL
大学生の千秋がバイト帰りの路地裏で助けたのは、今をときめくアイドル『GALAXY』のセンター、レオだった。
以来、レオは変装して千秋の働くカフェへ毎日通い詰めるようになる。
「千秋に会うと疲れなんて全部消えちゃうんだ」
トップアイドルとは思えないほど素直に懐いてくるレオに、千秋は戸惑いながらも多忙な彼を支えたいと願うようになる。
しかし、千秋はまだ知らない。
レオが10年前に「また絶対会おう」と約束して別れた泣き虫な親友の玲央本人だということに。
僕はただの妖精だから執着しないで
ふわりんしず。
BL
BLゲームの世界に迷い込んだ桜
役割は…ストーリーにもあまり出てこないただの妖精。主人公、攻略対象者の恋をこっそり応援するはずが…気付いたら皆に執着されてました。
お願いそっとしてて下さい。
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
多分短編予定
(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。
キノア9g
BL
気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。
木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。
色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。
ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。
捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。
彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。
少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──?
騎士×妖精
※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。
弟がガチ勢すぎて愛が重い~魔王の座をささげられたんだけど、どうしたらいい?~
マツヲ。
BL
久しぶりに会った弟は、現魔王の長兄への謀反を企てた張本人だった。
王家を恨む弟の気持ちを知る主人公は死を覚悟するものの、なぜかその弟は王の座を捧げてきて……。
というヤンデレ弟×良識派の兄の話が読みたくて書いたものです。
この先はきっと弟にめっちゃ執着されて、おいしく食われるにちがいない。
分厚いメガネ令息の非日常
餅粉
BL
「こいつは俺の女だ。手を出したらどうなるかわかるよな」
「シノ様……素敵!」
おかしい。おかしすぎる!恥ずかしくないのか?高位貴族が平民の女学生に俺の女ってしかもお前は婚約者いるだろうが!!
その女学生の周りにはお慕いしているであろう貴族数名が立っていた。
「ジュリーが一番素敵だよ」
「そうだよ!ジュリーが一番可愛いし美人だし素敵だよ!!」
「……うん。ジュリーの方が…素敵」
ほんと何この状況、怖い!怖いすぎるぞ!あと妙にキモい
「先輩、私もおかしいと思います」
「だよな!」
これは真面目に学生生活を送ろうとする俺の日常のお話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる