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第四十八話 呼び名と約束

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 事を終えると、俺は高木さんの命令で、彼氏としてさっそく初仕事をさせられることになった。

 ただ、初仕事の内容が……、

「何で俺が、替えの下着と制服を取りに行かなきゃいけないんだよ」

 単なるパシリだった。

「うぅ~~っ!? 仕方ないじゃんよぉ、アタシの着ていた服は……お、おしっこでぐしょぐしょになっちゃんだしぃ」

 そう。
 性行の前に俺は高木さんに噛み付いた。そのせいで彼女の全身の筋肉が弛緩して、放尿してしまったのだ。

「あぁ、すっげぇ気まずかった……」

 俺は、男子禁制の雰囲気がある天空城塞の大広間に行って、クラスの女子連中の視線を全身に浴びながら、高木さんのバックを取って、出てきた。

 結局、転移ポータルで消えるその瞬間まで、女子連中の視線が俺に突き刺さっていた。

 しかも、なぜか相原と芒野と紺野の三人組には鋭い視線を向けられるし。
 散々な目に遭った。

 一応、蘭子先生と宗方さんにだけは話を通しておいた。

 まあ、その結果……蘭子先生からは困った子供を見るような目で見られ、宗方さんには不潔だと糾弾されたが。

 本当に、酷い目に遭った。
 特に女子連中の俺を見る目といったら……、

「あれ、絶対何か勘違いしていたぜ。俺、明日からどういう顔して彼女たちと会えばいいんだよ……」

「フンっ! 自業自得じゃない。
あんなことになるなら前もって言ってよ。そうしたら、漏らしても良いように準備とか……できたのにぃ」

「あぁ、悪い。確かにそれは俺の説明不足だった」

 今まではずっと塩浜さんにしか吸血してこなかったから、てっきり吸血する際に放尿してしまうのは彼女だけだと思っていた。
 でも、違った。

 どうやらこれはどの女性に噛み付いても、そうなってしまうものらしい。

 次からは、噛み付く前に少し考えないとな。

 確か森の中に、綿花草という布の素材になる草花が生えていた筈だ。それを使って代わりに着させる服をクラフトしておいた方が良いかもな。

「痛ぅ……うぅ、お股が……ムズムズする」

 高木さんは少し内股になりながら、恐る恐るゆっくりとした様子で岩の上から降りてきた。

「おい、大丈夫か?」

「あんまり……大丈夫、じゃ……ないかも。
 なんか、まだ股間の奥に、硬い棒を突っ込まれているような感じ」

 高木さんは少し内股になりながら、ひょこっ、ひょこっと股間の奥を庇うように歩いている。

「うぅ……そ、それで、綾峰先生にはちゃんと伝言……伝えてくれた?」

「あぁ……蘭子先生、驚いてたぞ」

 まあ、そりゃ自分の管轄する生徒の一人がいきなり寝床を移すなんて言ったら、誰でも驚くだろうが。

「でも、本当についてくるつもりか?」

「だって、せっかく彼氏彼女になれたんだもん。少しでも、一秒でも長く一緒に居たいって思うじゃんっ!」

 高木さんは替えの制服に着替えると、自分のバッグを掴み、手ごろなビニール袋に汚れた制服を突っ込んだ。

「おい、洗わないで突っ込むとより臭くなるぞ」

「洗ったわよっ! 黒羽さんが居ない間に……ちゃんと洗ったもんっ!」

 高木さんはそう言うと、制服を突っ込んだバッグを身体の後ろに隠してしまった。それを見た俺はため息を吐きながら歩き出した。
 俺は数歩だけ歩いて、後ろを振り向いた。

「……な、なあ、やっぱり……寝床は別々にしないか?」

 俺のその言葉を聞いた瞬間、高木さんの瞳が逆上したようにツリ上がった。

 あっ……ヤバい。

「ま、待てっ! 誤解しないでくれ、高木さんと一緒に居たくないわけじゃなくて、その……」

「その、何よ? 今の言い方だと、そうとしか受け取れないんだけど?」

「あ、やっ……ごめん。って、そうじゃなくて……」

 結局、本拠地の方に建築中の家が途中なので、俺や塩浜さんはこの先にある仮拠点の平屋のログハウスをまだ使っている。

 まあ、つまり……。
 俺は高木さんに、この先のログハウスには塩浜さんがいることを説明した。

「だから……高木さんが来るときっと気分を害するかなぁ~~、って」

「それ、アタシがついて来ようが来まいがどっちにしろ気分を害するわっ!!」

 あぁ、やっぱりだ。

 高木さんは目に怒りの炎を宿して、ガァーーーと気勢を上げている。

「あの……でも、それは不可抗力だって」

「それでも嫌なものは嫌なのっ!! 考えてもみなさいよ。
黒羽さんだって、付き合ったばかりの彼女が、その次の日には違う男たちと乱交するような女だったら嫌でしょっ!」

 や、あの……乱交は、してない。してませんです……まだ。

 そう弁明しようと思ったが、高木さんの目を見た瞬間、何も言えなくなってしまった。

 般若だ。
 目の前には、般若が立っていた。

 彼女の目を見た瞬間に、背筋にゾゾっと寒気が奔った。こういう場合は、大人しくしておくのが多分、いや絶対に良い。

「……ねえ」

「は、はいっ!?」

「あの、そこまで委縮しなくても……って、そうじゃなくてっ!
 その……呼び方……」

 呼び方?

「ん、高木さんって別におかしくはないだろ。今までだってずっとそう呼んできたわけだし」

「う、うん……でも、彼氏彼女という深い関係になったんだから、もっと砕けた呼び方で呼ばれたいかも」

 もっと砕けた呼び方ね……。

「例えば、麗奈とか総二とかお互いの名前を呼び捨てにするってことか?」

「う、うん……」

 高木さんは頬をうっすらと赤らめて、気恥ずかしそうに目を逸らした。

「無理。今まで一年間ずっと高木さんって呼んできたんだ。すぐに呼び捨てで呼べってのが、無理」

「うぅ…………」

 高木さんは涙目になると、むくれてしまった。

 そんなに名字で呼ばれるのが嫌なのか? 

「……仕方ないなぁ。
 じゃあ、間を取って麗奈ちゃん、でどうだ?」

「なんか……妹扱いされてみるみたいで、いや」

 贅沢だな、おい。

「大体、たかっ……麗奈ちゃんだって、俺のことを総二とは呼んでないじゃないか」

 俺がそう言うと麗奈ちゃんは、ギクっと表情を引き攣らせた。

「それは、その……そうだけど」

「不公平だろ。俺が高木さんのことをこれから麗奈ちゃんと呼ぶ代わりに、麗奈ちゃんも俺のことを名前で呼べって話」

「……そ、総二……さん」

 おい、お前だって人のこと言えないじゃないか。

「ちゃん付けと、さん付けでおあいこだ。
ま、麗奈ちゃんが総二って呼んだら、俺も麗奈って呼んであげる」

「よ、呼べるしぃ! そんなの楽勝だもん。ギャルを舐めるなっ!」

 いや、そこで麗奈ちゃんがギャルであることに何の関係が?

 麗奈ちゃんは、行く手を阻むようにちょこちょこと俺の前に移動する。

「じゃ、じゃあ行くよっ!
 そ、総二…………さ、ん」

「何だ、麗奈ちゃん」

「総二っ!! ……………さん」

「だから、何だよ」

「そっ――――」

「だああああああぁぁぁぁぁっぁぁぁっ!!」

 俺をおちょくってんのか、アァ?

「そんな無理して呼ばなくても良いだろ。時間が経てば、自然に彼氏彼女のような関係になれるって。 
 焦る必要はねぇよ」

 俺がそう諭すと、麗奈ちゃんは頷いた。ふくれっ面で、不承不承といった感じだったが。

 そうこうしている内に、俺の寝床になっている平屋のログハウスに到着した。

「わぁぁ……凄い……」

 ログハウスを見た瞬間、麗奈ちゃんが歓声をあげた。

 彼女の視線の先にあるのは、立派な平屋の木造建築の家だった。あれから、少し手を加えて、増築しておいた。

「凄い。凄い、凄い、凄っぉーーーいっ!!!
 これ、ぜんぶ総二さんが作っちゃったのっ!!?」

「大したことないよ。クラフティングのスキルがあれば誰でもできる」

 ログハウスは、面積を二倍にして部屋を増設して、小さいがリビングと寝室の二部屋に分けた。
寝室の方には木造のベッドを作って、藁を下地に布をかぶせた簡素なベッドカバーで覆っている。

 まあ、あくまでもこっちの家は、向こうの本拠点の家が完成するまでの仮の寝床なので、これぐらいで十分だろう。

「じゃあ、どうぞ」
「お、お邪魔します……」

 俺は麗奈ちゃんを家の中へと招き入れる。麗奈ちゃんは、まるで初めて友達の家に上がるときのような、遠慮がちな様子で家の中へと入っていく。

 と、

「あらぁ、お帰りなさい。ごめんなさい、ちょっと疲れてて少し休んで――」

「……ぇ?」

 麗奈ちゃんの声を聞いた塩浜さんが部屋の奥にある寝室の方から顔を覗かせる。そして、二人の女性たちはお互いの顔を見つめて、硬直した。

「あら? 貴女はあの時の……確か、高木さんでしたっけ?」
「ぇ……と、あの……? え?」

 塩浜さんは高木さんを見ると、余裕のある表情でにっこりと微笑んだ。でも、麗奈ちゃんの方は塩浜さんと俺の顔を交互に見つめて、状況がよく理解できていないみたいだ。

「あぁ……と、紹介するとこちらは……」

「黒羽総二の妻の塩浜葉子でぇ~す! よろしくね」

「ぇ……つ、妻って……え、ええええええぇぇえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!?」

 高木さんは目を見開いて、口元を覆いながら大声で叫んだ。それを見た俺は静かにため息をついた。

「……塩浜さん。冗談はそこまでにしておけ。
 違うからな。この人は……まあ端的に言えば、同居人ってところかな」

「あらまあ、同居人ときましたか。
 あれだけ濃密に裸で睦み合って、三回もエッチした仲なのにぃ」

「ちょっ――総二さんっ!!
 ど、どどど、どういうことよっ!! まさか、アンタ……あたしと付きって早々に浮気してたのっ!!!」

 高木さんは興奮した様子で俺に掴みかかって来る。俺はそんな高木さんを宥めながら、

「待て、待て待て待て。
 さっき話しただろうがッ! これにはやむを得ない事情があるんだってのッ!!」

 俺は自分の体質の事と、吸血衝動の話をもう一度して、塩浜さんとの関係もそこそこに説明する。
俺と塩浜さんの間で結んでいる契約の部分は、なんとなく誤魔化した。

 どうにも麗奈ちゃんは過去の俺のことを神格化して神聖視しているようなきらいがある。

俺と塩浜さんとの契約は彼女の無能者としての弱い立場に付け込んでいる面があるからな。

 麗奈ちゃんに知られたら、多分だが殴られる。いや、多分じゃなくて絶対に殴られる。

「サイッテーッ!!」

 そう思っていたのだが、麗奈ちゃんは俺の頬を軽く叩いた。

 何故だっ!? 

塩浜さんとの関係はうやむやに誤魔化したのに、殴られたんだがっ!?

「待て、落ち着け。
 こうなるってことは前もって教えていただろうが。それでも良いからって彼女になったのは君の方だぞ」

「それは……そうだけどさ。
 でも、やっぱり感情的に納得できないのっ!!」

 なんて理不尽っ!?

 俺は体質として人間の生き血を吸わなければ生きていけなくなってしまった。なので、これからはもっと沢山の女性を吸血して、その血を啜らなければならない。

 そして、女性が吸血された際に強力な催淫効果にかかってしまう性質上、どうやってもそのまま情事へとなだれ込む。
 
 それは麗奈ちゃん自身だって経験したし、それを了承済みで彼女になった筈だろ。

「大体……吸血してそのままエッチ、ってよく考えたらおかしくないっ!?
 吸血した後で、理性で我慢してよ」

「あらぁ、それは無理よ。
 貴女、彼に吸血されたご経験は?」

「……あるわよ。てか、いまさっき血を吸われたもん」

 塩浜さんは柔和な笑みを浮かべながら、麗奈ちゃんに近づいていく。

「だったら、彼に吸血された後の、強烈な感情と、性的な衝動の凄まじさもよくお分りでしょう?
 あれを耐えろというのは、酷過ぎる話だわ」

「そ、それは……」

 塩浜さんの話によると、俺に吸血された際の発情は、どうやら女性にとっては理性を溶かしてしまうほどに強烈なものらしい。
 それこそ、そのまま放置していたら自慰どころか、理性のタガが外れたまま他の男と性行してしまいかねないほどに。

「じゃ、じゃあっ! 人間以外の血を吸って、可能な限り女の子を襲わなくても済むようにするとかさ」

「それは……」

 俺は反論しようとして、口ごもってしまった。
 確かに、考えてみれば血液を栄養源にするからといって、必ず女性の血を吸血しなければならないわけではない。
 
 ようは血であればモンスターから吸血しても良いわけだ。

「彼氏なら、少しでも彼女を安心させるような努力をして欲しいの」

「……分かったよ。善処する」

 ただ、以前にゴブリンの血液を試しに舐めた時は、そのあまりの不味さに吐き出してしまったんだよな。

 アレを主食にするのは……多分、無理。
 というか、絶っ対に無理。

「あらまあ……初々しいわねぇ。と、とと……」

 そんな俺達の様子を微笑ましそうに見ていた塩浜さんが、フラっと倒れ込みそうになる。

「おいっ!?」

 俺は慌てて彼女に駆け寄ると、その華奢な体を抱きしめた。

「大丈夫か?」

「う、ん……なん、か……昼間に吸血された時から、少し具合が……悪くて」

 よく見ると、塩浜さんは額が汗ばんでいて、呼吸も少し早い。

 塩浜さんからは昨日、今日に渡って複数回も吸血してしまった。どうやら一人の女性に短期間に何回も吸血したツケが回ってきてしまったみたいだ。

「顔色も悪いな。無理せずに休んでいろよ」

「う、ん……ごめん、ね」

 俺は塩浜さんの身体を抱き上げると、そのまま隣の寝室へと運んだ。大きめのベッドに塩浜さんの身体を横たえると、布で作ったシーツをかけてあげる。

「ねぇ……キス、して欲しいなぁ」

 塩浜さんは布団の中でもぞもぞと動きながら、唇を突き出してくる。

「それは……」

 俺は麗奈ちゃんの顔を思い浮かべて躊躇してしまった。すると、塩浜さんが身を乗り出してきて、気が付くと俺はキスされていた。

「んっ……隙ありっ!」

「おい、お前……少しは安静にしてろ」

 俺は塩浜さんの肩を優しく押してベッドに寝かせ。そして、彼女の頭を優しく撫でつけて、彼女の頬に軽くキスをした。

「……むぅ」

 俺達のその様子を、部屋の入り口から麗奈ちゃんがふくれっ面で睨んでいた。

「そう、むくれるなよ。
 今のは不可抗力って奴だ」

「どこがよッ! 思いっきり、ねっちょりとベロチューしてたじゃんっ!」

 してねぇよっ!

 俺は弁明をするが、麗奈ちゃんはむくれたままだった。
 
「はぁ……まったく、もう……」

「きゃっ……!?」

 俺は麗奈ちゃんの身体を抱き寄せると、彼女の唇にキスをした。そのまま熱烈に舌を絡ませ合う。

「ベロチュー……って、言うのだったらこういうのを指すんじゃないのか?」

「う、うん……」

 俺にキスをされて麗奈ちゃんは顔をほんのりと上気させて、恥ずかしそうに俯いた。

「ねっ……じゃあ、さ。
 仕方ないから、他の女の子とのキスもエッチも許してあげる。でも……その代わりに、他の女の子にキスをしたら、アタシにもキスして。
 他の女の子を抱いたら、あたしもちゃんと抱いて。
 一番最後には……ちゃんとアタシのところに帰ってきて」

「……分かった」

 それは麗奈ちゃんにとって譲れる中で最大の譲歩なのだろう。まあ、普通に考えたら付き合ったばかりの彼氏の浮気を容認する女なんて居るわけがない。

 やむを得ない事情があるとは言え、他の不特定多数の女性とまぐわることを許してくれる。
麗奈ちゃんのような器の広い女と出会えたのが俺にとっての最大の幸運かもしれない。

「ありがとう。麗奈ちゃん」

「う、うん……と、ところでっ!
 あたしたちの今夜の寝床は……? 見た感じだとベッドは一つしかないみたいなんだけど?」

「…………」

 俺は家の中を見渡して、そして、しっかりと頷いた。

「床の上に寝るしかないな」

「ちょっとぉっ!? てか、何でベッドが一つしかないのよっ!!
 総二さん……あの女と一つのベッドで一緒に寝る気満々だったでしょッ!!」

 残念だったな、麗奈ちゃん。
 寝る気満々だった……ではなく、ずっと一緒に寝ていたんだよ。

 まあ、無駄なことを言って麗奈ちゃんの怒りに油を注ぐ気はないので、昨日の夜まで塩浜さんと一緒に抱き合いながら寝ていたことは黙っておくことにした。

「あの、さ。自己完結しているところで悪いんだけど……心の中で思っていることがしっかりと、口に出ているんだけど?」

 ………………、

 …………、

 ……、

「さ、さぁ~てッ! そろそろ寝ようかなッ!!」

 俺は今にも首筋に噛み付いて来そうなほどに獰猛な笑みを見せている麗奈ちゃんから、そそそっと離れると、近くにあった毛布を羽織って壁際にもたれかかる。
 そのまま目を閉じると、疲労が溜まっていたのか、すぐに意識が遠のいていった。
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