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血塗られた記憶
しおりを挟む早く帰るつもりだったのに、食べて飲んで、お喋りをしていたら時間はあっという間に過ぎていく。気がつけば、十一時を回っていた。
「わ~、風きもちいい」
昼間よりも少し温度の下がった秋風が私の頬を撫でる。靡く自分の髪は黒い。もうあの頃の淡い桃色じゃないとわかっているのに確認してしまう。
どうして私は……ソフィアは死んでしまったんだっけ。思い出したいのに詳細を思い出そうとすると、濃い霧がかかったように遮られて記憶が視えない。
「星野、中央線だっけ?」
「うん。一ノ瀬は地下鉄?」
「そう。……じゃあ、暗いしそっちの駅まで送ってく」
前世で夜中にアルフォンスに脅かされたのを思い出す。だけど、あの頃のアルフォンスよりも一ノ瀬の方がずっと大人であんな脅かし方はしてこないだろうけど。
「大丈夫だよ。私、もう暗いの平気だから」
私は暗いのが怖くてたまらなかったソフィアじゃない。あの頃から、かなりの時間が流れてしまっている。
「……誰と間違えてんの」
「え?」
一ノ瀬が不機嫌そうな面持ちで、こちらに視線を流した。声も普段よりも低く聞こえる。
「俺、お前が暗いの苦手だったって初めて聞いたんだけど」
「あ……」
そうだ。このことを知っているのは一ノ瀬じゃなくて、アルフォンスだ。
一ノ瀬はやっぱり記憶がないようだ。そんな一ノ瀬からしたら、この話は聞き覚えのないことのはず。発言には気をつけないとと思っていたはずなのに、お酒が入っているからか軽はずみに言ってしまった。
「あの、一ノ瀬」
「あのさ」
「……ん?」
「今星野といるの俺だから。間違えんな」
その言葉は私を一気に現実に引き戻した。
頭ではわかっているつもりだった。アルフォンスと一ノ瀬は同じじゃない。生まれ変わりというだけで、同じ記憶を持っているわけではない。それなのに勝手に一ノ瀬にアルフォンスを重ねていた。
「……ごめん」
「やっぱ駅まで行く」
彼は一ノ瀬晴翔だ。パルフィム王国の王子のアルフォンスじゃない。アルフォンスは、もう死んでいる。この世のどこにもいない。わかりきっていることなのに、それを認めることがずっと怖かった。
「星野、置いてくぞ」
「う、うん」
だって、アルフォンスは死んだのは————私のせいだったはず。〝はず〟というのは、なにが起こったのか正確には思い出せないからだ。
『ソフィア』
いつも揶揄ってばかりだった彼が、私の名前を優しい声音で呼んだのはいつだったのか。ぽたりと自然と涙が一筋頬に伝った。それを気づかれないようにそっと袖で拭う。
『あの女を殺せ!』
『裏切ったのよ!』
無意識に記憶を拒んでしまう。その記憶は嫌だ……知りたくない。視たくない。それなのに大事に仕舞い込んだ箱の中から、ぽろぽろと少しずつ溢れ出す。
アルフォンス、私は貴方になにをしてしまったの?
その夜、懐かしい出来事を思い出した。よく晴れた日の昼間、クレールと一緒に庭で紅茶を飲んでいたときの記憶だ。
『兄上にね、縁談の話が来ていたんだ』
『……そう。もうアルフォンスも適齢期だものね』
スコーンを一口食べてから、紅茶を一口飲む。この穏やかな時間が好きだった。
『相手はマリザネットの長女だって』
『そうなの』
マリザネット。彼らの国の公爵令嬢だ。姿は見たことがないけれど、白銀の髪とアメジスト色の瞳で女神のように美しいという噂を耳にしたことがある。おそらく彼女の夫の座を狙っている殿方も多いだろう。けれど相手が王子となれば、誰もが納得するに違いない。けれど、あのアルフォンスが誰かの夫になるなんて想像がつかず、私は眉を寄せる。
『アルフォンスは、女性をエスコートできるのかしら』
『それが断ったみたいだよ』
『ええ! どうして?』
断る理由が見当たらない。他国の私には知り得ない派閥の問題や、もっと良い縁談があったのだろうか。
『どうしてだと思う?』
クレールがティーカップを静かにソーサーにおいて、視線を向けてきた。その眼差しに心臓が大きく跳ねる。
その表情はアルフォンスとよく似ていた。普段は似ていないと思っていたけれど、ふとした瞬間に血を分けた兄弟なのだと感じる。
『わから、ない』
どうしてだなんて私が知るはずない。けれど、クレールの表情は変わらない。
『本当に?』
『え……』
『ねえ、ソフィア』
『なに……っ!?』
視界がぐにゃりと歪んで、声が反響して聞こえてくる。全身で感じるほど鼓動が速まり、呼吸がしづらい。苦しい。怖い。目をつぶり、耳を塞いでしまいたい。
『どうしてわからないの?』
違う。クレールはこんなにしつこく聞いてこなかった。
『わからないフリを続けるんだ?』
これは記憶がごちゃごちゃに入り混じった夢だろうか。
『ずるいね』
「やめて。こんなのクレールじゃない!」
先ほどから私に話しかけているのは誰だろう。クレールだと思っていたけれど、声質がだんだんと変化していっている。
『そうやって逃げるのね』
女の人の声だった。誰なのかわからず、私は身を震わせる。
『いつまで真実から目を逸らしていられるかしら』
目の前に淡い桃色の髪が見えた。悲しげに私を見つめながら、頬には涙が伝っている。
「貴方、まさか————」
アラームの音が鳴り響き、目を開けると見慣れた天井に安堵した。室内には日差しが差し込んでいる。隣を向くと、マシュマロのような柔らかい素材のクッション。それを思いっきり抱きしめて、私は心を落ち着かせるように深く息を吐く。
「……夢、か」
クレールとアルフォンスの縁談話をしていた時の記憶を思い出していたはずなのに、途中から切り替わっていた。
だんだんと夢の記憶が朧げになっていくけれど、私に言葉を投げかけてきた人物は……おそらくソフィアだった。どうして、ソフィアが私にあんな言葉を投げかけるのだろう。
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