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しおりを挟む結局香野先生に連絡を取るか迷っているうちに一週間が過ぎてしまった。今更送るのもちょっとという気もするし、どうしようかなぁ。と悩んでいると、エントランスで澄川くんと鉢合わせた。
「どこか行くの?」
「ちょっとおつかい頼まれたの。澄川くんは?」
「打ち合わせから戻ってきたとこ」
ここで会えたのもラッキーかもしれない。澄川くんには香野先生が前世の記憶があるってことまで話している。
「あのさ……香野先生のことなんだけど、一ノ瀬に昔の記憶がないって話したんだ」
「そっか。その様子だと、心配していたようなことは起こらなさそうだった?」
復讐ではなさそうなので、頷くと澄川くんが安堵した様子で口元を緩めた。どうやら彼も香野先生がどういった狙いで近づいてきているのか気になっていたみたいだ。
「なら単に再会できたことに感極まって会いたがっただけかもしれないね」
「でも、別れ際に連絡先を渡されたんだよね。普通ならもう関わりたくない関係のはずなのに」
「無理に連絡しなくても、星野の気が向いたら連絡したらいいんじゃない?」
「……うん」
香野先生には会社メールしか知られていないから、このままプライベートで連絡を取らずにいることだってできる。心配なのは仕事のことだけど、さすがにそこに私情を持ち込まないと信じたい。それに香野先生と今さら話したところで、いろいろと問題がありすぎる。今更、あの頃なぜ裏切ったのかとか掘り返して責めてもなにも変わらない。前世を取り戻すことなんて不可能なのだから。
「ごめん、もう行かなきゃ。また今度話聞くよ」
「うん、ありがと!」
澄川くんは申し訳なさそうに両手を合わせて、早足でエレベーターホールへと消えていった。唯一の前世の話ができて、相談ができる相手だから甘え過ぎてしまっているかもしれない。
「なに突っ立ってんだよ」
聞こえてきた声に驚いて振り返ると、仏頂面した一ノ瀬が立っていた。手には封筒を持っていて、届けに行くところなのかもしれない。
「……星野って澄川と仲良いよな」
声のトーンが少し低めて、目を合わせてくれない。
「一ノ瀬」
「なんだよ」
「もしかして、ヤキモチ?」
冗談交じりに聞いてみると、一ノ瀬は咄嗟に顔を逸らした。耳が赤い気がするのは気のせいではない気がする。
「うるさい。お前だって尾野のこと言ってきただろ」
回り込んで顔を確認すると、あの一ノ瀬が真っ赤になっていた。すごく貴重だ。告白されたときよりも真っ赤な気がする。
「俺だってちょっとは気にする。俺、郵便局行くから、じゃあな」
先ほどとはだいぶ違い、素っ気ない態度で不機嫌そうな一ノ瀬。けれど耳は赤くて、こっちまで恥ずかしくなってきた。気を取り直して、江口さんから頼まれた珈琲買いに行くために会社を出る。
部長はいつも決まった時間帯に珈琲を飲む習慣があるのだけれど、ちょうど部署でまとめて購入している珈琲の粉が先ほど切れしまったのだ。それで江口さんから頼まれて、近くのコンビニで売っている珈琲の粉を買ってくることになった。コンビニへ向かう途中、先ほどの一ノ瀬の言葉を思い返す。
『俺だってちょっとは気にする』
尾野さんと一ノ瀬が一緒にいることが嫌だって思ったのに、どうして相手の気持ちを考えられなかったんだろう。私と澄川くんには実際のところなにもなくて、前世のことを話しているのがほとんどだ。だけど、一ノ瀬がそれを知るはずもないし、普通に考えたら自分の彼女が他の男としょっちゅう親しく会話しているってことになる。
そんなのよく思うはずはない。話すこと自体はいけないことじゃないけど、今までみたいに二人っきりで居酒屋で会うのはもうやめたほうがいい。前世のことをじっくり話せなくなるのは少し寂しいけど、そもそも今を生きている私たちが前世の話ばかりしていること自体がおかしいことだ。
結局まだ私は、遠い昔であるソフィアの頃のことに拘ってしまっているのかもしれない。
***
これは悪い夢であってほしかった。
十九時半頃に会社を出ると妙な気配を感じて振り返る。すると、ビルの陰になにかが慌てて隠れた。不思議に思って立ち止まって見ていると、そこからにょきっと手が伸びて手招きをしてくる。
軽くホラーな出来事だけど、一瞬見えたあの顔は間違いなく彼だった。気づいてしまった以上は無視するわけにもいかなくて、ため息を吐いてビルの陰へと歩みを進めていく。
「なにしてるんですか」
ネイビーのマフラーをぐるぐる巻きにして、口元を隠しているのはここ最近連絡するか迷っていたあの人だ。
「君がなかなか連絡をくれないから、怪しくないように変装して会いに来た」
「あの……十分怪しいですし、変装にもなっていない気がするんですが」
やっぱり香野先生ってどこかズレてる気がする。この暴走っぷりを見ていると、今まで大丈夫だったのか心配になってしまう。
***
「ふぅ……耳が冷たい痛い」
「……大分待たせてしまったみたいですみません」
とりあえず、外は寒いし会社の前で立ち話するわけにもいかないので、近くのカフェに入ることになった。ホットのカフェラテを両手で持ちながら、冷えた指先を温めていく。
「香野先生は、どうして私と連絡がとりたかったんですか?」
今日きちんと全て話しきって、こうして会うことは終わらせないと。一ノ瀬と付き合っている以上は、いくら前世関連だとはいえ誤解を招くようなことはできるだけ避けたい。
「彼には本当にアルフォンスの記憶がないのか?」
「ないです。私だって最初は疑ってました」
「そんな……」
どうしてそこまでショックを受けるのだろう。やっぱり、前世を知る同士がほしかった? それともアルフォンスに謝罪がしたかったとか?
『僕としては、アルフォンスに刺されたことはもう……いいんだ。あれは僕だって間違っていた』
この間、会ったとき香野先生のほうはアルフォンスに刺されたことは恨んでいないみたいで、逆にアルフォンスがその後死んでしまったのかを気にしていた。
ずっと責任を感じて、生まれ変わってもそのことが胸の奥にあったのかもしれない。それでも、一ノ瀬に前世のことを話してもわかるはずがない。
「前世の記憶がないほうが普通なんです。なので、一ノ瀬のことはそっとしておいてもらいたいです」
「……なんだか妙な感じだね。あんなにアルフォンスを嫌がっていた君が、彼の生まれ変わりを守ろうとするなんて。ははは、もしかして恋人だったりするのかな。そんなまさかね」
「え……っと」
嘘をつくのも変だけど、ちょっと言いにくい。返答に迷っていると、香野先生がカッと目を見開いた。
「っそんなまさか! 彼が君の恋人なのか!? 前世であんなに嫌がっていたのに!?」
興奮気味に身を乗り出しながら、顔を近づけてくる。 近い近い。しかも、気迫ありすぎて怖い。確かにかなり嫌がってはいた。自分だってこうなったことには正直かなり驚いている。出会ったばかりのころだったら、考えられない。
「こ、恋人……? そんな、まさか」
よほど衝撃的だったのか、消えそうな声で呟いている。
「ソフィア、アルフォンス……恋人……」
明らかにテンションが下がり、しおれたように大人しくなった。
「違います。一ノ瀬はアルフォンスの生まれ変わりですが、一ノ瀬はアルフォンスそのものではありません」
アルフォンスが全く関係ないってわけではない。私も現世で出会ってから一ノ瀬をアルフォンスと重ねて見ていたけれど、今はもうあの頃とは違う気がする。
一ノ瀬はアルフォンスの生まれ変わりだけど、全く同じ人物なわけではない。今の私が恋をしているのは、一ノ瀬だ。生まれ変わりだけど、違う人間なのだ。
「もうアルフォンスもソフィアも、コロンブ王子も亡くなっているんですよ」
亡くなった人は二度と帰ってこない。それは、現世でも前世でも共通の理。
「じゃあ、アルフォンスの想いはどこへ行くんだ?」
「え……」
「ソフィアを守るためにアルフォンスは体を張っていたんだぞ!」
「それは、」
痛いくらい知っている。私を守ったりしなければ、おそらくアルフォンスは城から抜け出すことだって簡単にできたし、コロンブ王子と対峙したって勝っていたはず。
「それなのに、君が……ソフィアがアルフォンスを忘れて、別人として彼の生まれ変わりを愛するだなんて……」
「っ、それを貴方が言うんですか?」
アルフォンスの弟だったクレールの生まれ変わりである澄川くんに言われるならまだわかる。だけど、アルフォンスに致命傷を負わせたのは間違いなくコロンブ王子だ。そもそも彼があんなことをしなければよかった話なのに。
「……申し訳ない。つい熱くなってしまった」
きっと私たちは会うべきじゃない。普通なら、この間の企画の打ち合わせがはじめましての香野先生と星野結花だった。だけど、私たちは違う。
通常なら持ち合わせていないはずの前世の記憶を持って、再び出会ってしまった私たちは真っ白な状態ではじめましてなんてできない。
恨んだってどうしようもない。それなのに、私の心の一部が切り裂かれたように痛む。この人やプルイーラ王国が裏切らなければ、ソフィア達は生きていた。泣き叫ぶように悲鳴を上げているみたいな苦しい感覚に胸が締め付けられる。
きっとこれは私の中にまだ残っているソフィアの気持ち。
ソフィアは誰かを恨んでいたわけじゃない。だけど、こうして死の元凶であるコロンブ王子の言葉に触発されて、一気に感情が揺さぶられているのかもしれない。
「……もうこれ以上はやめましょう」
「ああ、変なことを言ってしまったな。そろそろ帰ろう」
ソフィアは死んでしまったけれど、私の心にまだ残っている。それは香野先生や澄川くんも同じなのかもしれない。
***
カフェを出ると、冷たい夜風に髪が攫われて首筋が露わになった。寒い。マフラーしてくるんだった。暖かな室内に慣れてしまった身体が急激に冷えていくのを感じる。そろそろブーツも必要かもしれない。
「もうこうして会うのはやめましょう。私からは話すことはなにもありません」
「……ああ。突然押しかけて申し訳なかった」
少し後味の悪い別れ方だけど、きっとこれでいい。ソフィアとコロンブ王子の最期を考えたら、むしろ穏便な別れ方な気もする。仕事以外ではもう会うことはなくなるけど、一つだけ星野結花として伝えたいことがある。
「私、香野先生の作品のファンなんです」
「……なんだか照れくさいな。君に読んでもらっているなんて」
「これからも応援してます」
前世のこととかは一切持ち出さずに、これだけは純粋な想いだった。ふと、顔を上げたとき視界に入った光景に心臓がドキリと跳ね上がった。
「え……」
なにか言わなきゃと思うのに、言葉が喉を通らない。黒いコートに身を包んだすらりとした背格好の男性。香野先生よりも十センチは高いように見える。
「先生、先日はありがとうございました」
聞き慣れたその声は、明らかに作られた仕事上でのもの。そして、冷ややかな視線が私に向けられた瞬間、身体が凍ってしまったように動かなくなった。
……どうして、ここにいるの?
「ア……えっと、一ノ瀬さん! 奇遇ですね」
「本当、奇遇ですね。香野先生」
笑っているのに笑っていない。そりゃそうだ。あんな話をした後に、今度は違う男と二人っきりで会っていたなんて。しかも、会話聞かれてたのかもしれない。
「では、俺はこれで」
香野先生に挨拶をして踵を返して去っていく一ノ瀬の後ろ姿を呆然と見つめる。
「こんな偶然が起こるとは、運命としか思えないな。そう思わないかい?」
……香野先生は空気を読むことなく、嬉しそうに笑顔で私に話しかけてくる。私としては、逆にバッドタイミングすぎて言葉が出てこなかった。
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