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第3部 あの恋の続きを始める
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しおりを挟むすると、早坂達は何事も無く陽菜へ挨拶しても?と聞いた。
「──手合わせても?」
「ありがとうございます……母も喜びます」
「俺達が手伝って良かったのか?」
挨拶を終えてから、軍手をして大きな箪笥や羽毛布団等を運んでくれる。男手があるととても助かる。陽菜は他の窓も開けて換気をしてから、作業効率を向上させる為にクーラーもかける。
「箪笥とか着物も多くて、下取りにすらまだ出せていないんです。弟と弟のパートナーさんが後で来るはずですが、道路混雑していてちょっと見通しが」
「パートナー? なんだ? 男同士?」
「横須賀市はパートナーシップ宣誓証明制度を導入していて、市民一人一人の尊厳や人権を侵害されない街づくりを目指しているんですよ」
横須賀市はパートナーシップ宣誓証明制度を導入したのは平成三十一年度からである。戸籍上の性別にとらわれず、自由な意思によるパートナーシップ宣誓が行える。
「ふーん、良いんじゃないか?誰が誰を好きになろうと、自由だろ」
病院では、未だに同性同士のカップルへ病状説明や手術同意書の記入が認められていないケースが多い。
医療従事者や病院に浸透されていないのも勿論あるが、世間の理解や多様性の受容が課題に挙げられているのは事実だ。
けれども、エリアによってはパートナーシップ制度の認知度は未だに低く、認識も浅いのが現状だった。
「えー、じゃあ桃原ちゃんが男だったら好きになってたんですかー?」
「知らん。でも、莉亜は莉亜だろ?」
「……婚約してから隠す気ゼロだったけど、マジで先生頭バグった?」
「この、お前は埃かぶって盛大にアレルギー性鼻炎悪化させろ!」
早坂は低い声の割に良く通るので、喉が乾くだろうと桃原が気怠そうに台所へやって来た。美声の無駄遣いだと、桃原がげんなりしている。
「はあ……お茶淹れるの手伝います」
「すみませんこんな辺鄙な場所に来てもらって……。美味しいお寿司、頼んでありますから」
「大丈夫よ、私も少し現場離れて気分転換したかったの。この間こそ御免ね……。あんなこと遭って、受付ごった返しだったのに……」
「あの足首の重り……の件、大変でしたね。莉亜さん悪くないのに」
詳しくは後になって知ったが、つい先日受付ブースで桃原にも長蛇の列となった受付業務を手伝ってもらっていた時に事件は起こった。
突然、検査室の方角から叫び声が聞こえたのである。凄まじい金切り声に、院内中それは響き渡った。
桃原は直ぐに飛び出して行ってしまったが、三十分後に戻ってきたのは頬を押さえて早坂に支えられる姿だった。真っ赤に腫れ上がった左頬に、頭を強くガントリにぶつけたらしい。
事態はとても深刻だった。健康器具の磁性体金属を足に身に付けたまま、放射線技師のダブルチェックをスルーした患者がMR室の寝台に横たわり、器械の中に近付いた瞬間。
足首の器具と、筒の中の器械へくっついてしまったのだ。
急にくっついたことで、痛みが生じて股関節と足首の強い疼痛を訴え暴れたと言う。急激に引き付けられたせいで、金属を離すのが遅くなったと後の事情聴取の際には関係者が吐露した。
叫び声に、診察中だった駆け付けた早坂が駆け付けた時には、状況説明を受けていた桃原へ肘鉄が頬にお見舞いされたらしい。
余りの勢いに桃原は固定されたサイドテーブルに額をぶつけ、大惨事となった。
結局、検査器械の業者の手配をし、医師判断により部屋の磁場を落として患者を救出した。
鋏で器具を切り落とすのは、吸着した本体に磁気に反応する素材の可能性が高く、万が一ばら撒かれり、破損した場合損失は多額の損害で、何千万円と上るだろう。
男性の中で女性一人のせいか、患者の怒りの矛先は何故か桃原に向かった。怒りのあまり、その場で拳を振り回して威嚇行動まで取ったらしい。
「担当してないのに、何で怒られたのか分からなくて。私師長さんに言い返しちゃったから、その、あの後大丈夫でしたか?」
すっ飛んできた非番の看護師長は真っ先に額と頬を氷で冷やす桃原に叱責した。
その剣幕に、陽菜は堪らず、まず大丈夫?でしょう!?と受付前で桃原を弁護した。勿論、他部署の人間には関係無い話だと突っ撥ねられたが、陽菜は負けじと言い返し論争を繰り広げた。
益々複雑に捩れたが、早坂や対応した放射線技師の事情聴取によって一旦保留となったものの、看護師としての責任能力を此処で問われてしまい、桃原にとっても巻き込まれ事故となった。
「ううん、庇ってくれて助かったよ。まあ、患者さんに駆け付けたら何故か私殴られるという……色々疲れちゃって」
陽菜は、予約の割り振りや各地域に系列センターが点在している為、恐らく数えるのも不可能な程に内線電話をかけて、患者を移動させたり、説明に追われた。
怒鳴られることも屡々あったが、箕輪の神対応のお陰もあって、受付では医療事故現場より何ら問題無かった。
看護記録と事情聴取で、その日中にインシデントを周知させる為の原始的なファックス業務で実情を知ったが、桃原は本当に可哀想だった。
看護師では無いが、看護記録の内容からして院内の勉強会を不参加してばかりの技師が責任を問われるべきだ。
けれども、看護師の付き添い無しで勝手に始めてしまった中でのアクシデントでも、責任能力の有無を問われることも実際にあるのである。
桃原を数分だったが、落ち着かせる為に処置室が塞がっているのでレセプト用スペースの場所に早坂が連れて来るくらいだ。非常事態なのを承知で、早坂は陽菜に桃原を任せたのである。
数分だけ現場から離れた桃原は静かに涙を落としていた。電話を取るふりをして、死角にあるスペースで俯く桃原をぎゅっと強く抱き締めたのを覚えている。声の掛け方なんて、分からない。
だから、私はそばに居ると言いたかったのだ。
その後の陽菜の猛烈な反論も相まって、退職を打診されたが後悔は無い。
「……お寿司、早坂先生が特上頼めって言ってたので、グレード高いの頼みましたし、今日は美味しい物を食べて忘れましょう!」
「──そうだね、ありがとう」
にこり、と顔を綻ばせた桃原は美しい。
それでも、疲労とストレスが滲んでいる。陽菜も同様に燃え尽き症候群でもあったが、桃原の気分転換になってくれたらと願って、敢えて元気なふりをする。
「……ところで、あの男性用の喪服って……もしかして」
不意を突かれて、陽菜はぎこちなくなる。途端に形勢を逆転された陽菜は頬を掻いて動揺を誤魔化した。
肩幅の広い、喪服用のジャケットはクリーニングから帰ってきたばかりで、皺が出来ぬ様吊るしてあるのだ。陽菜は寂しくなると、ビニールの袋越しで額を擦り付けて勇気をくれと念じている。
けれども、小さな紙に綴られた住所に未だに行けずにいるのも事実だ。
「……この間、お葬式の日に……会いました。私のこれ知ってる一人に」
「えっ」
陽菜の傷を知っているのは、桃原と最賀だけだ。二人に隠している訳では無かったが、言い出しにくかったのである。
陽菜を見る目が変わったりする人々を多く見過ぎて、せっかく良好な関係を構築出来たのにと尻込みしていた。
「大恋愛だった、と言うか……若かったんです私が。浮かれて、相手のキャリアを潰しかねない……それなのに」
陽菜と関係を持っていることで、不利益になるのならば身を引くのが本物の愛だと五年間言い聞かせてきた。
それは、陽菜がぶち壊したのと同然だったなんて、弟から最賀の近況を聞いて益々強く感じたのだ。
──祝福はされない、関係なんだ私たちは。
台所で桃原が何かを察して陽菜を急に抱き締める。人肌が吃驚する程に、懐かしさの欠片も無いせいか陽菜はどきまぎとフリーズした。ぎゅっと腕の囲いに閉じ込められた陽菜は、恐る恐る桃原の背中に腕を回す。
「……ハグって温かいんですね」
陽菜は呟く。女性特有の体の柔らかさや、ふわりと優しい香りがするのはどうしてだろうか。
陽菜は十センチ程度身長差のある桃原の首筋に顔を埋めた。体に当たるふかふかの胸元は何だか、母性すら感じる。
──お母さんに抱き締められるのって、こんな感じなのかな?
──決してもう、叶わないけれど……。
どんなに辛い状況だろうと、一度たりとも亡くなった母から愛情を注がれることも無かった。
この温もりを、桃原に抱き締められて初めて知るなんて、普通はないだろう。微睡を誘う様な、安心する熱量だ。
母親が抱き締めるとしたら、こんな気持ちになるのかもしれない。温かくて、不安すら解かしてくれる。
愛情に飢えた子供だったから、最賀は良く抱き締めてくれたのだろうか。
最賀は優しく、時には強く抱擁した。最後はかき抱く様にして腕に力が入って呼吸が浅くなるほど、だ。
その逞しい腕に包まれると、陽菜は男の愛情を大きく感じて、安堵を覚えていた気がする。
「先生は陽菜ちゃんが好きだから、抱き締めてくれたんじゃないのかな?」
少しだけ、最賀のことを桃原に話したことがあったからか内情を察してか勇気付けてくれる。陽菜の固く閉ざした心の扉をゆっくり開けられたのは、彼等のお陰である。
「莉亜さんはお姉さんみたい……」
陽菜は無意識にそう呟く。心の声が漏れてしまっていたらしく、桃原は目を丸くして見せた。
「陽菜ちゃん……、うちの子に、なりなさい!」
「え、と……?」
「本当の妹みたいに可愛くて、可愛くて仕方がなくて……ああ、ごめんなさい」
勢いに任せて発言したのを取り消すことなく、ただ謝罪した桃原は整えられた眉が下がっている。凛々しい面持ちばかり見慣れているのに、今は不安げな様子だ。
陽菜は、本当に愛情深いひとだと思った。
桃原は誰にでも平等に優しく、そして寛大である。早坂の横柄さや我儘にも辛抱強いし、何より好きな男を愛し生涯を約束していると言う絶対的な包容力があるのだ。
打たれ弱い陽菜には、喉から手が出るほどに欲しかった強みだった。
母が危篤である時も、飛んで駆け付けては陽菜の話を聞いてくれる優しくて人望の厚い女性には頭が上がらない。
人を寄せ付ける天性があるのだろうか。桃原は聖母の様にも見えて、仕方がないのである。
「莉亜さんって……やっぱり人誑し?」
「ええ……そんなあ。前も言われたけど、そんなのじゃないよ。私、別に善意の無料配布とかじゃないんだから……」
「だって、こんなに良いひと見たことないですもの」
「えー! 箕輪さんは?!」
「莉亜さんと箕輪さん、あと……天邪鬼な早坂先生?」
早坂は口では暴言以上の辛辣な物言いをするが、実は正義感の強い男性であることを陽菜は知っている。
箕輪も仕事を一方的に放棄したり、診断書発行の締め切りを忘れたりするお茶目な一面もあるものの懐の広い肝っ玉な姉御肌である。陽菜とそんなに年齢は変わらないが、二人の子供を育てるママさんなので、見ている景色が違うのだろう。
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