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53.覚悟
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帰宅したジョアンは執務室にイリスを呼んだ。
「イリス…大切な話がある。」
言いにくそうに言葉を選んで話す父に何か悪い知らせではないかと身体の前で組んだ手に力が入る。
「…はい。」
「…今日、議会でルイ殿下の王太子妃候補にイリスを、と意見が挙がった。」
「え………」
イリスは絶句し、両手を口元に当てる。
「…で、ですがマリアナ嬢がいらっしゃるではありませんか。」
「マリアナ嬢の素行が良くないため王太子妃には相応しく無いのでは、ということでね…。」
ジョアンは組んだ手を額に押し当て、溜息をつく。
マリアナ嬢が王宮で好き放題していることはイリスも噂程度では聞いていた。
しかし、そうとは言えマリアナ嬢もイリスと同じく侯爵家の娘であり、ルイ殿下の王太子妃候補である。
「それで……王太子妃には教育をすでに終えているイリスが適任だ、と言うんだ。」
イリスは目の前がぐらりと揺れた。
つい数日前、アラン様が薨去されたばかりなのに。
王国の後継者について決めることは何より重要なことだと理解はしている。
その後継者の妻、未来の王妃となる者についても。
しかし…アランが亡くなったからと言って現在の婚約者を差し置いて兄の婚約者だった者を弟に、とはあんまりな話ではないか。
まだ彼がいなくなってしまったという実感も無いのに。
「イリス…私は……私はお前に無理強いはしたくない…。」
悲痛な声にはっと視線を上げると父の苦しそうな表情が目に映る。
父が自分のことを心から想ってくれていることが声から表情からひしひしと伝わってきた。
だが、この話を拒絶すれば今まで第1王子の婚約者だったのに第2王子では何故いけないのか、と言われるかもしれない。
それに、強すぎる領軍を持つフィオニア家が王家に対して反旗を翻したと捉えられるかもしれない。
…理由は何とだって付けられるのだ。
そうなれば…この話を拒絶することで両親や兄だけでなく領民たちにも迷惑がかかるかもしれない。
我儘を言うにはすでにイリスは様々なことを学びすぎていた。
『…イリス様にはあなたにしか出来ない唯一の大役があるのです。』
『王家と由緒正しい侯爵家の血を引くお世継ぎを儲けることです。』
『これは侯爵家の血を引くあなたがこの国のためにできる唯一であり最大の仕事です。』
ふと以前サリュート夫人に言われたことを思い出す。
彼ら貴族たちにとっては王族の結婚相手は私個人の優劣ではなく由緒正しい侯爵家の血であれば良いのだ。
そしてその対象が2人居るならより優れた方を。
そう言う理由で選ばれたのだ。
『もしも…もし僕がいなくなったら…どうか君は自由になってほしい。王太子妃教育を受けたからといってここに囚われること無く…どうか、どうか幸せになって…約束だ。』
アラン様はこうなることを分かっていたのかしら。
だから囚われること無くなんて仰ったのかしら…
そんな事仰るなら先に逝ってしまわず、ずっとお側に居てくだされば良かったのに…
アランの言葉を思い出し、目に涙が滲むのをぐっと堪える。
アラン様。約束を守れなくてごめんなさい。
…私は私だけ幸せになることはできません。
「…ところでルイ殿下は何とおっしゃっているのでしょう?」
「…より聡明な方を、と仰られた。」
イリスはふっと息を吐く。
自分には引き受ける道しか無い。
「お父様。そのお話…フィオニア侯爵家の娘として謹んでお受けいたします。」
ーーー
そして成人を迎える日の夜会。
無言で差し出すパートナーの手にイリスはそっと手を添える。
「リコリタ王国王太子ルイ殿下、フォオニア侯爵令嬢イリス様が入場されます。」
盛大なアナウンスの後、大広間の扉が開かれる。
扉が開かれた瞬間、羨望、好奇、嫉妬、興奮、嫌悪…様々な想いのこもった視線が向けられる。
口元に微笑みを湛え、美しい姿勢でルイのパートナーとして前を見据えて歩みを進める。
まさしく次期王妃に相応しい繊細かつ堂々たる振る舞いに、当初は好奇の目を向けていた人々もルイとイリスが通り過ぎると思わず溜息を漏らした。
「国王陛下にご挨拶申し上げます。」
イリスは玉座の陛下にドレスの裾を捌き深くお辞儀をする。
「イリス、成人おめでとう。」
アレックスの祝いの言葉の後にリリアーナ王妃がイリスの胸元にブローチを着ける。
王国では成人した子女に国王陛下からアクアマリンの妖精石のブローチが贈られるのだ。
「その色のドレスもよく似合っている。」
アレックスは青緑色のドレスに満足そうな笑みを浮かべる。
「……ありがとう存じます。」
「成人となったからにはこれからも王国の貴族として恥じぬよう、国のために尽くすように。」
「誠心誠意お仕え致します。」
「イリス。君には期待している。」
含みを持たせる一言にイリスは再び深くお辞儀をし、玉座を辞去した。
ーーー
「やぁイリス嬢。この度は成人おめでとう。」
「まぁメルクセン侯爵様…ありがとうございます。」
突然の声掛けに驚いたが、イリスは驚きを表に全く出さず、優雅に微笑んで応える。
「挨拶の仕方も完璧だ。さすが次期王太子妃候補に相応しい。…青緑色のドレスの着心地はさぞ良いことだろう。…して朱赤とどちらがお好みかな。」
メルクセン侯爵はジロリとイリスを睨み付けた。
「…このように美しいドレス、私が着こなすにはまだまだではございますが…私は王臣として当然の義務を果たしたまででございます。」
イリスは微笑みを湛えたまま侯爵にきっぱりと告げ、慇懃にお辞儀をしてからその場を立ち去った。
ー邪魔な第1王子がやっといなくなったと思っていたのに…
議会での貴族たちのやり取り、そして婚約者であったはずのルイの発言を思い出し、ギリっと歯噛みする。
国王たちの前で挨拶をし、お辞儀をするイリスの姿は腹が立つほど完璧だった。
しかし……
このまま…このままでは終わらすまい…
メルクセン侯爵は去ってゆくイリスの後ろ姿をじっと睨み続けた。
(第一部完)
「イリス…大切な話がある。」
言いにくそうに言葉を選んで話す父に何か悪い知らせではないかと身体の前で組んだ手に力が入る。
「…はい。」
「…今日、議会でルイ殿下の王太子妃候補にイリスを、と意見が挙がった。」
「え………」
イリスは絶句し、両手を口元に当てる。
「…で、ですがマリアナ嬢がいらっしゃるではありませんか。」
「マリアナ嬢の素行が良くないため王太子妃には相応しく無いのでは、ということでね…。」
ジョアンは組んだ手を額に押し当て、溜息をつく。
マリアナ嬢が王宮で好き放題していることはイリスも噂程度では聞いていた。
しかし、そうとは言えマリアナ嬢もイリスと同じく侯爵家の娘であり、ルイ殿下の王太子妃候補である。
「それで……王太子妃には教育をすでに終えているイリスが適任だ、と言うんだ。」
イリスは目の前がぐらりと揺れた。
つい数日前、アラン様が薨去されたばかりなのに。
王国の後継者について決めることは何より重要なことだと理解はしている。
その後継者の妻、未来の王妃となる者についても。
しかし…アランが亡くなったからと言って現在の婚約者を差し置いて兄の婚約者だった者を弟に、とはあんまりな話ではないか。
まだ彼がいなくなってしまったという実感も無いのに。
「イリス…私は……私はお前に無理強いはしたくない…。」
悲痛な声にはっと視線を上げると父の苦しそうな表情が目に映る。
父が自分のことを心から想ってくれていることが声から表情からひしひしと伝わってきた。
だが、この話を拒絶すれば今まで第1王子の婚約者だったのに第2王子では何故いけないのか、と言われるかもしれない。
それに、強すぎる領軍を持つフィオニア家が王家に対して反旗を翻したと捉えられるかもしれない。
…理由は何とだって付けられるのだ。
そうなれば…この話を拒絶することで両親や兄だけでなく領民たちにも迷惑がかかるかもしれない。
我儘を言うにはすでにイリスは様々なことを学びすぎていた。
『…イリス様にはあなたにしか出来ない唯一の大役があるのです。』
『王家と由緒正しい侯爵家の血を引くお世継ぎを儲けることです。』
『これは侯爵家の血を引くあなたがこの国のためにできる唯一であり最大の仕事です。』
ふと以前サリュート夫人に言われたことを思い出す。
彼ら貴族たちにとっては王族の結婚相手は私個人の優劣ではなく由緒正しい侯爵家の血であれば良いのだ。
そしてその対象が2人居るならより優れた方を。
そう言う理由で選ばれたのだ。
『もしも…もし僕がいなくなったら…どうか君は自由になってほしい。王太子妃教育を受けたからといってここに囚われること無く…どうか、どうか幸せになって…約束だ。』
アラン様はこうなることを分かっていたのかしら。
だから囚われること無くなんて仰ったのかしら…
そんな事仰るなら先に逝ってしまわず、ずっとお側に居てくだされば良かったのに…
アランの言葉を思い出し、目に涙が滲むのをぐっと堪える。
アラン様。約束を守れなくてごめんなさい。
…私は私だけ幸せになることはできません。
「…ところでルイ殿下は何とおっしゃっているのでしょう?」
「…より聡明な方を、と仰られた。」
イリスはふっと息を吐く。
自分には引き受ける道しか無い。
「お父様。そのお話…フィオニア侯爵家の娘として謹んでお受けいたします。」
ーーー
そして成人を迎える日の夜会。
無言で差し出すパートナーの手にイリスはそっと手を添える。
「リコリタ王国王太子ルイ殿下、フォオニア侯爵令嬢イリス様が入場されます。」
盛大なアナウンスの後、大広間の扉が開かれる。
扉が開かれた瞬間、羨望、好奇、嫉妬、興奮、嫌悪…様々な想いのこもった視線が向けられる。
口元に微笑みを湛え、美しい姿勢でルイのパートナーとして前を見据えて歩みを進める。
まさしく次期王妃に相応しい繊細かつ堂々たる振る舞いに、当初は好奇の目を向けていた人々もルイとイリスが通り過ぎると思わず溜息を漏らした。
「国王陛下にご挨拶申し上げます。」
イリスは玉座の陛下にドレスの裾を捌き深くお辞儀をする。
「イリス、成人おめでとう。」
アレックスの祝いの言葉の後にリリアーナ王妃がイリスの胸元にブローチを着ける。
王国では成人した子女に国王陛下からアクアマリンの妖精石のブローチが贈られるのだ。
「その色のドレスもよく似合っている。」
アレックスは青緑色のドレスに満足そうな笑みを浮かべる。
「……ありがとう存じます。」
「成人となったからにはこれからも王国の貴族として恥じぬよう、国のために尽くすように。」
「誠心誠意お仕え致します。」
「イリス。君には期待している。」
含みを持たせる一言にイリスは再び深くお辞儀をし、玉座を辞去した。
ーーー
「やぁイリス嬢。この度は成人おめでとう。」
「まぁメルクセン侯爵様…ありがとうございます。」
突然の声掛けに驚いたが、イリスは驚きを表に全く出さず、優雅に微笑んで応える。
「挨拶の仕方も完璧だ。さすが次期王太子妃候補に相応しい。…青緑色のドレスの着心地はさぞ良いことだろう。…して朱赤とどちらがお好みかな。」
メルクセン侯爵はジロリとイリスを睨み付けた。
「…このように美しいドレス、私が着こなすにはまだまだではございますが…私は王臣として当然の義務を果たしたまででございます。」
イリスは微笑みを湛えたまま侯爵にきっぱりと告げ、慇懃にお辞儀をしてからその場を立ち去った。
ー邪魔な第1王子がやっといなくなったと思っていたのに…
議会での貴族たちのやり取り、そして婚約者であったはずのルイの発言を思い出し、ギリっと歯噛みする。
国王たちの前で挨拶をし、お辞儀をするイリスの姿は腹が立つほど完璧だった。
しかし……
このまま…このままでは終わらすまい…
メルクセン侯爵は去ってゆくイリスの後ろ姿をじっと睨み続けた。
(第一部完)
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とても楽しくワクワクしながら読ませて頂きました。
残念ですが……もう多分続きを読むことはできないのでしょうね。
この後どうなるのかとても気になります。
いつかいつかまた書いて頂ける事を祈って~有難うございました。
hiyoさま
沢山のお話の海の中から拙作をお楽しみいただき、また暖かく嬉しいご感想をありがとうございます。
構想はしっかりとありますので、またひっそりと投稿を始めましたらお楽しみいただけると幸いです。
お言葉とっても嬉しかったです。ありがとうございます♡
RURI♪さま
いつもご感想ありがとうございます!!
アランは…本当に心残りだったと思います。アランの結末は決まっていたことだったのですが、私も書いていて本当に辛くて悲しかったです😭
これからのイリスの進む道も一緒に見届けていただければと思います。
いつも温かいお言葉ありがとうございます♡
irisitejpさま
温かいご感想ありがとうございます。嬉しくて泣いてます😭そしてイリスやアランを愛してくださって本当にありがとうございます!これからイリスがどんな選択をし、生きてゆくのか見守っていただければ幸いです。
よろしければお付き合いくださいませ!!