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巡り合う定め

6:魔力循環

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 暖かい日差しの中。白亜の城にある庭園に、彼女はいた。
 銀の髪を結い上げ、白いドレスを着るその姿はまるで花嫁のようで。蠱惑な唇はハミングを口ずさみ、白い肌は日に焼けることなく、庭園に咲く薔薇の花弁を指でなぞっていた。

ディア愛しい人

 低い呼びかけに、彼女は振り向く。
 そこには庭園には似合わない、粗野な黒の外套を羽織る男が立っていた。
 その背後にいる貴族達は、白を貴重とした貴族らしい金縁の衣装を身にまとっているが、貴族らしくないほどに表情を顕に男を睨みつけている。この庭に男がいることが許せないとでも言いたげな雰囲気だが、それでも何も言い出さないのは、一重に男が決まりをすべて守った上に彼女の前へ馳せ参じたからだ。
 だから、頬を撫でた手にすり寄って、彼女は艶やかな笑みを浮かべる。赤の瞳が緩く細められ、頬を紅潮させて。他の誰も出せない、男に対してだけ与える極上のもの。

「迎えに来てくれたのねぇーーア」


*****


「ノ……」

 口ずさもうとした名は、それでも、最後まで夢に浸ることは許さなかった。伸ばした手のひらをぐっと握り、ぽすりとまぶたに落とす。そうすることで不意に起きるやるせなさを心の奥に押し込めた。
 幸せな夢だった。そう憚ることなく言えるほどに。けれども、その時に戻ることは許されず、幸せな時間はあっという間に過ぎてしまったのだから。お互いに死を分かつその時まで。
 ぐっと痛いほどに握りしめた拳をゆっくりと開き、同時に息を吐き出す。上半身を起こしたことではらりと落ちた毛布を畳んでソファから起き上がった。

ーー今日はこのまま泊まると良い。

 アグノスの申し出によって、昨夜は契約を結んだあとに応接間でそのまま泊まらせてもらうことになった。応接間へ泊めることをオーラムは盛大に非難したが、男所帯というローウェンパーティにまともな部屋を深夜に頼むつもりはなかった。雨風凌げただけでも儲けものだ。その上毛布まで貸してもらえたのだから言うことはない。
 時間にして3時間ほどしか眠っていないにもかかわらず、頭はひどく冴えていた。夢のせいとも言えるが、自嘲気味に嗤って、彼女は応接間の続きにある手洗い室へと歩を進める。
 窓から見える空は直に白み始め、町は活動を開始するだろう。その前に起きれたのは幸運とも言うべきか。

 簡単に身支度を整えると、持ち物を確認してみることにした。本日換金出来るものはしてしまった方がいい。異界のものだからといっていつまでも持っていられるものではなく。これから生きるための糧として扱ったほうが良いと割り切った。そこに郷愁を覚えないのかと問われれば、切り捨てるとは言え、なにも思わないわけではない。
 それは決別と言えば良いのか。もう、手元には戻さないつもりだった。例えこれから大金を稼いでも、異界にいた証明はこれから生きるのに良くないものを引き寄せる原因にしかならない。
 鞄から中身を取り出す。眼鏡にハンカチ。化粧品、筆記用具に財布。それから、折りたたみ傘と次の会議に必要だった書類。書類はいくら異界とは言え会社情報も載っているので燃やしたほうが良い。
 自分の中にある魔力を確認し、昨夜よりも少しだけこの世界に馴染んでいる分を使って手に持った書類を燃やした。まだ制御が上手く行かず、一気に塵すら残さず消えてしまったのはご愛嬌というものだ。
 それを見て、せめてあと一週間は極力魔法を使わない方向に決めた。

「取り敢えず傘以外は全部売ればいいかなぁ。鞄も素材として価値があれば売ればいいし」

 市場を先に回って大体の貨幣価値を調べてから、換金して、お昼から服屋と宿屋に行く。
 市場がどこにあるかわからないのでお昼からの予定は実質一つだけ。換金の額次第で宿屋を案内してもらえればいいだろうと思い、鞄に荷物をしまっていく。
 ポケットに入っていた携帯は中身に入っているデータを、なんの躊躇もなしに消去する。これこそ、自分が異界人だと証明する手段として有効な写真が入っているものだ。ついでにパスワードをかけて電源を落とし、念入りに誰も開けられないようにする。パスワードさえかけてしまえば、電源が入れられたとしても中身を見ることは出来ない。
 これでほぼ大丈夫か。オーラムに適当な外套を貸してもらう予定なので、昨夜寝る前に脱いだ上着も鞄にしまっておくことにした。皺になっていようが気にしない。

 身辺整理も終わったところで、彼女はソファに座って瞼を閉じた。
 寝るわけではなく、意識して己の体内にある魔力を感じ取り、循環させる。そうすることで体の異変にすぐ気づくことが出来るし、自分がどれほどの魔力保有量を感じられるのだ。一瞬で分かるわけではなく、心臓から幾重にも伸びる魔力の流れを感じていくので、少しだけ時間がかかる。傍から見れば瞑想している、という表現が一番合うだろう。
 感じる限りでは、記憶を取り戻すまで起こったことがない作業に僅かながら揺らぎが生じている。先程の制御不足もこれが原因だったようだ。幼い頃からコントロールするはずの作業を生まれてから今まで一度も行っていないのだから当然とも言える。けれど、記憶と言う名の感覚を頼りにすれば、この世界の魔力と馴染むほどにその違和感は拭い去るだろう。それには一日に何度も魔力の循環を行う必要があるが。
 現在保有している魔力量は、風前の灯火とも言えるほど少ないものだった。それはこの世界に馴染んだ魔力量であって、異界で馴染んでしまっている魔力がまだ大部分を占めている。前回考えたように、このペースでは魔力が完全にこの世界へ馴染むのは一ヶ月はかかるだろう。護衛を依頼して正解だ。
 その魔力量が多いのか少ないのか。まだ比較できる対象と出会えてない為にそれは量りかねた。けれど、前世のような化物じみた魔力はないことは明らかなので、よくある転生チートやら移転特典なんてものは存在しなさそうだ。

「でも、まあ。やりようは、ある。かなぁ」
「なにがだ?」

 呟いた独り言に誰かが言葉を返すなどとは思ってもみなかったため、ぴくりと肩が動く。
 動揺を悟られないようにゆるりと背後を見やれば、ソファの背もたれに手をついて見下ろすアグノスの姿があった。いつの間にいたのかなどと聞くのは嫌だった。全くその気配に気づけないほど、自然にその場にいたのだから驚きだ。

「いいえ~。こちらの話」

 魔力量の正確な数値はまだ確定ではない。予測でしかないため、小まめに魔力の循環を行う旨を伝えると、アグノスはそういうものかとひとつ頷いた。

「朝食が出来てる。ここへ持ってこようか」
「あら。随分早いのねぇ」

 外はまだ空が白み始めて少しと言ったところか。隣室からいい匂いが漂ってきているので、恐らくはカルディアが起きた頃くらいに食事を作り始めていたのだろう。パーティメンバーが作るのか聞くと、代々ローウェンに仕える一族が用意しているとのことなので、冒険者が用意しているわけではないらしい。

「迷惑でなければ、パーティの人達が終わった後に、ゆっくりいただくとするわぁ」

 余所者がいては流石に事情を知らない他のパーティメンバーは気分が悪いだろうという配慮に、アグノスは頷いて続き扉から出ていく。そちらが台所なのか、扉が閉まる前に漏れ聞こえた言葉から察するに使用人と話をしているようだ。

「(仕える一族ねぇ。律儀なものだわ)」

 ふうっと息を吐いてまた魔力循環の作業へと戻る。

「(ここは変わらない。今も、昔も)」

 ところで、アグノスはもし、カルディアが着替え中ならどうするつもりだったのだろうか。
 そんな取り留めもないことを考えてくすりと笑った。
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