魔法使い、猫になる

暁月りあ

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プロローグ

1-2 猫になった日

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『ん???』

 寝ぼけているのかと思って、手を見る。
 ぷにぷにとしたピンク色の肉球をもう片方の肉球で触った。
 感触があった。

『は???』

 若干目が冷めてきた。
 見渡すと、たしかに自分の部屋である。
 いつの間にというべきか、着ていた服は脱ぎ散らかしてあった。

『へ???』

 目をこすっても、夢からは醒めない。
 ゆっくりゆっくり突然大きくなってしまったように見える寝台をおりて、久々に姿見を眺める。
 そこには、一般の猫よりもやや小さい、二足歩行をする若干薄汚い薄紫色の毛並みに朱い瞳の猫が居た。

『っっっっっっっっっ!?!?』

 人……と呼んでいいのかはわからないが、想像以上に驚くと声がでなくなるというのは本当らしい。
 脱ぎ散らかしてあった服に絡まりながら、再び寝台にあがって毛布に潜り込む。
 ちらりと姿見をもう一度確認しても、そこには瞳孔が太くなった朱い瞳の大きな猫が毛布から姿見を見ているだけだ。

『すてぃすてぃ。落ち着くんだ、私』

 大きく息を吸い込んで、とりあえずいざという時のために寝台に隠している魔法用紙に要件を書き込んで、緊急連絡用の魔法を発動する。
 宛先は課長。内容はよれた時で「猫になってしまったんですが、おやすみしていいですか?」とお伺いをたててみる。猫の手なのだ。両手でペンを持って書くため、多少よれているのは許してほしい。
 すぐに返信がきた。こんな夜明けにも関わらず、起きているなんてさすが課長、とぼんやり考えつつ手紙をひらけば。

──ふざけてないで仕事しろ。

 その返信を見て、思わず魂が口から抜けるところだった。

『ふざけてないよ! 冗談じゃないよ! たすけてえええええ!!』 

 こんな格好で王宮を歩くなんて無理。魔物として討伐されちゃう。
 みっともなく震える私は、叫び声を上げたために、運悪く外の人に聞かれてしまったらしい。
 コンコンコンっとノックの音。
 思わず寝台でびくっとなったのは致し方ない。

「大丈夫? 猫の声がしたけど、まさか野良猫拾ってきたの?」

 運が悪いのか、運が良いのか。アカデミーからの友人が通りかかっていたようだ。
 友人の言葉で、自分の発している言葉が人の言葉ではないことに気づく。
 それもそうだ。猫の声帯では人語を話すことは出来ない。
 猫は人間の言葉を理解するというが、元人間だからだろうか。友人の声であることもわかったし、友人の言葉も理解できる。

「エネア?」

 ノックの音がひたすらする。しかし、私にはそれに応える術はなかった。
 どうしようどうしようと尻尾を足の間に挟んで布団にもぐり、縮こまる。
 すると、ずぼらな私のいざという時のために合鍵を渡していたからか、鍵を開けて友人が入ってきてしまった。
 茶色の長髪を頭頂部分から三編みで編み込みしており、器用な彼女らしくおくれ毛一本もなくまとめている。翠の瞳は北部出身者特有の目の色で、愛嬌のあるおおきくぱっちりとした瞳だ。
 騎士として細く締まった体。一般女性よりも背が高く、少し肩と二の腕が筋肉質になってきていることが長年の悩みだ。騎士なので諦めてくれとしか言いようがない。胸も大きいし、雑誌のモデルにもスカウトされるくらいの美女だ。アカデミーでもモテていた。

「エネ……」

 寝台に寄り付こうとした友人──シルフィ・ディリカは布団の隙間から見える私の顔を見て、驚きの色に染まる。
 彼女はすぐに抜刀し、剣を私へ向けた。

「魔物!?」

 彼女がそう思うのも無理はない。
 紫の毛並みという猫はこの世界には存在せず、どちらかというと魔物であれば様々な色合いの猫のようなものがいる。
 人の大きさほどのある化け猫、妖精猫とも呼ばれるケットシー。森に入った人を惑わせたり、怪我をさせたりするいたずら好きな魔物だ。滅多にはしないが、雑食なので時として人を食べることもある。
 それが友人である私の部屋にいたのだ。シルフィの取った行動は当然といえば当然。
 私はびくりとしてシルフィからずるずると後退った。
 ここで慌てたりするのはただの逆効果だ。既にシルフィはいつでも斬り伏せられるように抜刀している。
 後退ったところで距離なんてたかがしれている。狭い1人用の寝台だ。すぐに壁へ背がついた。

「うにゃ、にゃあ。うにゃ~(シルフィ、私だよ。エネアだよ……)」

 私は震えて縮こまる。
 声をかけても、それはただの鳴き声でしかない。
 そんな私を見て剣を下ろさずに、シルフィは怪訝な顔をした。

「まさか、その色合い……エネアなの?」
「にゃあ(そうだよ)」

 うんうんと頷くと、いつでも斬り伏せられるように抜刀したまま、シルフィは私に近付いた。
 そして剣を下ろすと、ゆっくりと私の頭に手を乗せて魔力が流される。
 同調、と呼ばれる体の魔力を調べたり整えたりする時にする方法だ。魔力というものはその魂である限り変わらないとされているので、私かどうかを調べるなら1番の方法だろう。
 思わず喉が鳴った。喉が鳴るのは多少抑えられるけど、自分でどうこうできるものではない本能だ。

「本当だ。エネアの魔力だわ」

 そして、シルフィは漸く剣を仕舞った。

「どうしてそんな姿に?」
「うにゃっ、にゃっ、にゃ!(そんなのわかんない、こっちが知りたいよ!)」
「あ~、泣かない泣かない。ごめんて」

 私を抱き上げて頭を撫でてくれる。
 あ、ごめん、猫の毛凄いついた。

「取り敢えず、誰かに連絡した?」
「うにゃ!」

 ピッと課長の返信を見せれば、シルフィは引き攣った笑みを浮かべる。

「あんたこれ、休むって連絡したでしょ。真面目過ぎる……」
「うな~?」

 今日やるべきことが出来なくなったから連絡を入れるのは当然だと思っていたけど。
 どうやらシルフィの求める答えではなかったようだ。
 シルフィがそれから自分の所属である魔法戦闘部1課に連絡を入れて、呪術解析部と再度私の所属部署にも連絡を入れる。
 こう言った姿変えは禁術として指定されており、今では失われた技術と言われている。大昔では人から魔物に変える呪術が流行ったようだが、当時の王が禁術として指定し、片っ端から処罰を行ったそうで。その関係資料も燃やされ、数百年経っている現在では禁術を研究することもできない。
 女子の独身寮に男を入れることは本来無いわけだが、呪術ならば特に痕跡が残っているはずなので現場検証が行われることになった。

「人来る前にしまっておくわね」
「にゃ! にゃご~~!!(うん! ありがとう~~!!)」

 床に脱ぎ散らかしてある昨日の服や下着はシルフィが丁寧に畳んで綺麗にしてくれた。
 ランチボックスを持ってきてもらってそこへ入ると、シルフィが指定された一室に運んでくれる。
 早朝だった為、人と会うことは殆どなかったものの、猫になって耳がとてもよくなっていた。
 あちらこちらから聞こえる話し声や足音に耳を塞ぎながらじっとするしかない。

 指定された部屋で検査が行われた。
 簡易的なセルフチェックは自身で行なっている。これでも魔法解析部所属なので、昨日行った解析の中に該当する魔法はなかったかとか聞かれることも含めて確認をしていた。

「身体的以上はない。至って健康体ですね。猫であること以外」
「私も同意見です。あ、一応猫用の予防接種します?」

 王宮医官と動物医に様々な検査を行われつつ、下された診断結果は特に憂慮するものではなかった。
 あと、嫌がる私を置いて、課長とシルフィが今後の解析結果を元に予防接種を動物医にお願いしていた。

「部屋にはたしかに痕跡がありましたが、解呪に繋がるようなものではありませんでした。今後、解析を進めていきます」

 呪術解析部からの返答はこうであった。
 すぐに解呪といかないのは致し方ない。人体に影響を及ぼす禁術だ。
 簡単に解けるものではないし、無理やり解けばどんな副作用があるかわかったものではない。

「服にも微かに呪術の印が残っていたため、こちらで回収させていただきました。あ、下着は回収していないのでご安心ください。検分も女性が行っています」

 報告したのは男性だがとても事務的な報告だったので、若干私以外の女性達から多少顰蹙を買いながらも報告をしてくれる。彼も言いたくなかっただろうに、服を回収するのなら女性として気になる下着のこともきちんと報告するのは当然のことと、真面目に取り組んでくれたのだ。私からは感謝しかない。
 健康体で特に周囲に及ぼす懸念もないことを丸一日を費やしたことで発覚した。
 本当なら王宮から追い出されるかと冷や冷やしたんだ。
 こんな姿になって実家に帰されたら、それこそどう生きて良いのか途方にくれる。
 そんなことになるくらいならば、仕事をしていた方がどれほど幸せか。
 希少な例として傾向を見ていきたいという申し出が呪術解析部と医療部から申請があり、加えて現在所属している部署からやめられたら困ると嘆願書が王太子殿下にまで伝わり。
 晴れて私は猫のまま、王宮仕えをすることになったのだ。
 
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