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黒鬼一族 ~夏色の弾丸~
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『世界には二つの種類の人間がいる。善人と悪人だ。自分勝手な感情に任せて他人を罵り、物を盗み、命さえも奪ってしまう悪人。悪人がいればそれだけで妬みや恨み、怒りや悲しみが生まれ、それらは善人へも伝染して連鎖する。誰かがこの連鎖を止めなくてはならない。悪人を消し、善人だけの世界のために誰かが行動を起こさなければいけない。』
最近噂で聞いた話。ある裏サイトに殺したい人の名前と殺意に至った経緯を明確に記し、報酬を支払えば本当にその人を殺してくれるという。誰もがばかばかしくて相手にしないはずなのに、不思議とそのサイトの信憑性は高く、少人数だがサイトを利用したという人もいる。この手のサイトは違法なやり取りも多いために時間が経つと消されてしまうことがほとんどなのだが、不思議と存続しているという。そのサイトはネットの裏社会で『黒鬼一族』と呼ばれているらしい。
大きな水槽の掃除には全く骨が折れる、特にこの六番水槽の掃除には一日中手間がかかる。うちの店でも客引きのために置いてはいるが、正直コスパは悪い。大きな水槽の中を四匹のアロワナが悠然と泳ぐ姿は確かに見ものではあるが、一般の人がこのアロワナを買ってくれるかはまた別問題だ。
「本当だったら観覧料とりたいぐらいだ…。」
とりあえず側面の苔は落とし終えた、あとは砂利を洗う作業だがこれは昼を食べてからにしよう。
俺は榊原(さかきばら)仁(じん)、この街でアクアリウムショップを経営している。アクアリウムショップというのはいわゆる金魚や熱帯魚なんかを取り扱っている店のことで、よくホームセンターなんかにあるペットショップの類と同じだ。一階は店舗になっていて、二階と三階は自宅になっている。父親の榊原大悟(だいご)と母親の美(み)華(か)、妻の奈(な)南(な)、それから長男の護(まもる)と長女の理(り)華(か)の六人家族で暮らしている。日中はこうして店の経営に尽力する一方で、夜にはまた違う仕事をしている。仕事と言っても他人に話せる仕事ではない。ここではっきりとは言えないが、いわゆる裏の仕事と言っておくことにしよう。
数年前からネットの裏社会に存在している殺人代行サイト『黒鬼一族』の美華と奈南の母親である玲子(れいこ)が行っている。俺たち家族は子どもたちを除く全員がこのサイトの依頼を受けて実際に殺しを代行している。
サイトにまともな依頼が来るのは月に2~3件程度で他はこのサイトに興味本位で投稿してくる輩(やから)ばかりだ。サイトの管理者である母親の美華と義理の母親である玲子は皆に〝?〟、〝R〟とそれぞれ呼ばれている。いわゆるコードネームというものだ。ちなみに俺のコードネームは〝J〟皆自分の名前の頭文字をとって付けられた単純なものだ。今月の仕事は今のところ一件、今晩はその件である建物の下見に行かなければならない。
店の客は品のある淡い緑色のワンピースを着て麦わら帽子を被った爽やかな女性だった。女性はカウンターの前にあるネオンテトラの水槽に興味津々のようだ。昼飯はこの客が行ってしまってからにしよう。俺はしぶしぶ六番水槽の掃除を再開することにした。
店の閉店は午後十八時、本日の売り上げは結局昼間に来た女性の買ったネオンテトラ十匹とエンゼルフィッシュ四匹だけだった。夏場は一年の中でも特に売り上げが良いはずなのだが、最近の店内は客の声よりも水槽のエアポンプの音の方が大きいような気がする。
店の施錠を確認し、本町通り沿いにある保険会社の建物まで車を走らせた。真夏の夜の空気が行く手を阻むように重苦しくのしかかってくる。
建物は二十四階建てでそこから南東に見える広場を狙う。決行の日の天気は晴れ、風向きは北から南、この建物からなら十八階の第5フロアの窓がベストだろうか。当日の天気をスマホで再度確認する。
俺の殺り(や)方は基本的には狙撃だ。標的はここから約600ヤード(約550m)ぐらいだからそれほど難しい射撃でもない。天候次第で狙撃の難易度は大きく左右されるが予報通りなら問題ないだろう。
俺は高校を卒業してからアメリカに渡り、狙撃の訓練をしてきた。向こうには〝?〟の家族が住んでいて、そこでお世話になった。普通の高校生なら大学に進学して四年間勉学に励むはずだが、俺はその四年間を狙撃の訓練に費やした。今では最大1000ヤード(約914m)ぐらいなら標的を確実に仕留めることができるようになった。個人的には眠くなる大学の講義に時間を奪われるよりよっぽど有意義な時間を過ごしたと思っている。
狙撃に使う窓に水性ペンで小さく印をつけ、当日のシミュレーションをしてから建物を後にした。ちなみにこの時間帯の建物の防犯コンピュータは〝?〟がハッキングして偽の画像を流していたから監視カメラに俺の姿はいっさい映っていない。自分の母親ながら恐ろしい技術だ。
決行は三日後の午後三時、的は人民党の横手秀夫議員。久々の仕事だがどうも気分が乗らない。建物から出た俺の肩にまた真夏の夜の空気がのしかかる。
決行の前日。今日も店の中は閑散としていて、開店して二時間経つがまだ一人の客も来ない。店のレジの前に腰かけ、今日の朝刊に目を通す。
『横手氏当選確実か?! 』大きな黄色い字がすぐに目に留まった。大きな字の下には笑顔で手を振る横手議員の写真が掲載してある。
「この男がねぇ…人は見かけによらないってか…。」
そもそも横手氏の暗殺は半年前から計画されていたことだった。サイトに投稿されたのは今年の一月で、送り主は横手議員の元秘書の妻からだった。俺はその人に実際に会ってはいないが妹の涼佳(すずか)(S)が直接会って話を聴いている。
Sの話によると横手議員は相当の賄賂を受け取っているらしい。また、公約の一つに掲げているリゾート地の建設は地域住民の反対を押し切り強引に進め、これまでに数々の会社や経営団体を倒産に追い込んできたという。そのために何人の人々が犠牲になったことか。
そんな議員がなぜここまで野放しにされてきたのかは詳しくは知らないが、人民党の幹部と太いパイプでつながっているらしく、全てもみ消してきたという噂がある。そんな横手の強引なやり方を間近で見ていた秘書はついに横手の元を離れ、転職した。しかし横手との関係はそれで終わらなかった。秘書が今までのことを全て世間に暴露することを危惧した横手が転職先にも手を回し、秘書は身に覚えもない借金を背負わされ、転職先を解雇させられた。その借金を返せなくなった秘書はついに自分の生命保険で返済することを考え、ビルの屋上から身を投げ自殺した。秘書の奥さんはその生命保険金と借金を負いながらも切り詰めて貯めていた百万円を今回の依頼料として払った。まともな人間なら殺人代行サイトなんて利用はしない。横手が秘書の家族を狂わせたのだ。
横手に恨みがあるのはこの秘書に限ったことではない。横手の強引なやり方に反対した他の議員、倒産に追いやられた会社の家族、強引に土地の明け渡しを迫られた企業など横手に恨みを持つものはたくさんいる。今回依頼してきた元秘書はその犠牲者のひとりに過ぎないのだ。ちなみにこれらの情報は全て〝S〟によるもので、彼女は情報収集を主にしている。
この議員に直接的な恨みはない。ただ、社会がこの男を不必要だと叫ぶ声は確かに聞こえてくる。『誰かが行動を起こさなければならない、悪人を消すために誰かが殺らなくてはならない。』俺はいつもそう自分に言いきかせている。
的の横手のことを考えていたら、いつの間にか昼休憩の時間になっていた。腰を上げ、大きく背伸びをすると店内に一人客がいることに気がついた。それとなく水槽の点検のふりをしてその客に近づく。よく見ると二日ほど前にも来ていたあの品の良さそうな婦人だった。今度は魚の方ではなく、水草の植えてある水槽を間近で眺めている。
「この水草は植えると勝手に育つものなのですか?」
透き通るような綺麗な声で突然の質問に拍子抜けしたが、動揺を隠しながら答えた。
「それはアマゾンソードといって初心者の方は割と育てるのに苦労するかと思います。草を植え替えると外側の葉と根が茶色くなって枯れてきます。枯れた根は切り取ってしまわないと、他の元気な根も枯らしてしまうので手入れが必要になります。」
婦人は
「そうなんですか。」
と少し俯いてまた他の水草に目を移した。
さぞ広い居宅をお持ちなのだろう、俺は直感的にそう思った。上品な言葉遣いやこの見た目に合致した服のコーディネート。彼女の恰好から家柄が垣間見えている。どうせならあの六番水槽にいるアロワナを一匹でもいいから購入して頂きたいものだ。一匹二万円の利益は確かに大きい。向こうの六番水槽からアロワナは俺を小ばかにしたような丸い目をむき出し悠々と泳いでいる。
「腹立つわぁ…。」
婦人には聞こえないぐらい小声でつぶやく。だが、客商売で大切なのは印象だ、利益はその後からついてくる。婦人の意図をくみ取り、すかさず他の商品を控えめに勧める。
「こちらのミクロソリウムなんてどうでしょうか。アマゾンソードと似ていて葉も垂直に伸びますし、比較的丈夫ですよ。」
少しだけ値の高いものを勧めてみたが、婦人は値札を見ていないようだ。
「ではそれを三束下さい。」
即答だった。俺は礼を言ってぬるい水槽に手を突っ込み根元から優しく水草を掘り起こした。ついでに隣に置いてある流木も勧めてみようか…いやここが引き際だ。水草をビニル袋に入れ、酸素を注入する。婦人は他の水槽を眺めながら、時折指で側面をなぞり魚と戯れている。いつもの俺なら
『魚のストレスになりますから止めてください。』
と注意するところだが、彼女の指のタッチがあまりに優しく滑らかで、その行動に癒しさえ感じてしまい、言う気もうせてしまった。彼女の魚を見る横顔は少女のようで、しかしその瞳は魚ではなくどこか遠くを見つめていた。
婦人は商品を受け取ってから十分ほど店内の水槽をまんべんなく眺め、静かに店を出ていった。足取りはそよ風が吹き抜けるように軽やかで、蒸し暑い店内が婦人の力で少し涼しくなったような気がした。婦人が出ていった店内はまたジメジメした空気とエアポンプの機械音に包まれた。
執行当日。店を奈南に任せ、議員の演説の会場である本町中央広場へと向かった。到着は二時三十分、予定通りだ。広場には既に何十人かの人だかりができていて、その真ん中に選挙カーが停めてある。ついでに言うと体格の良い警備員とSPも車の四方に立っている。
計画通り保険会社の十八階まで上がり、印をつけた窓の前にしっかりと陣取った。双眼鏡で的の位置を確認すると先ほどよりも人が増えているのが分かる。すぐに持ってきた鞄の中からライフルを組み立て、射程距離を合わせる。専門家やマニアからすればどんなライフルか気になるところだろうが、俺の使っているのはいろいろと手を加えているから原型が最早分からないと思う。俺も元の名前は忘れた。
ライフルの設置も完了し、あとは時間を待つだけとなった。ほんの数分の作業で額から汗が流れた。腕時計の時刻は二時五十分を二十秒ほど過ぎていた。この階には誰もいない、保険会社が入っているのは三階下のフロアだ。建物内の監視カメラは現在も?が全て管理している…どうせならクーラーも入れて欲しいくらいだ。群衆の中には〝S〟と弟の〝K〟も控えているから心配はしていないが…。毎度のことながら任務の前にはいつも不安と脅迫観念に襲われる。深く息を吸い込み気持ちを落ち着かせる。窓から刺す真夏の日差しがジリジリと痛い。
午後三時。群衆の拍手とともに横手議員は選挙カーの上に満面の笑みで現れた。これから自分の身の上にどんなことが起こるのかその表情からは誰も読み取ることはできないだろう。俺はスコープから横手の頭に照準を合わせ、引き金に人差し指を添える。不思議とライフルを握ると先ほどまでの不安や脅迫観念はどこかへ消えてしまった。
午後三時二十五秒。ワインのコルク栓を抜くような音とともに銃口から放たれた弾丸は600ヤード離れた的の頭を貫いた。薬莢(やっきょう)が音を立てて落ちる。
横手議員はしばらく立ったまま静止し、そのままゆっくりと前のめりに倒れ、選挙カーの上から落下した。周りのSPはすぐに陣形を作り、周りにそびえるビルの群れに目を光らせている。講演に来ていた他の議員は頭を抱えながら中腰で車の陰に身を寄せている。その場の惨状に群衆はパニックを起こし、我先にと広場から退散していく。逃げ惑う民衆の中、一人だけ流れに逆らって横手の動かなくなった体に近づく女性が見えた。彼女は警官の静止を振り切り、無言の骸(むくろ)に寄り添っている。
水色のワンピースに麦わら帽子、手にはハンドバックを下げている。サラッとした色白の肌にその服装が夏の日差しを背景に似合いすぎる。彼女は横手の体を何度もゆすりながら必死で何かを叫んでいる。俺はスコープ越しに見えるその女性に見覚えがあった。修羅場と化した広場に吹き抜ける夏風がコンクリートの地面を撫でる。その時、麦わら帽子が女性の頭を離れ、空中に舞った。
女性は店に来たあの婦人だった。彼女は飛んで行った帽子などには気にも留めず、ひたすら目の前に横たわる横手の体をゆすっている。俺は彼女が横手の何なのかを理解した。火薬の臭いが漂う暑い十八階の第5フロアに俺の深い溜息が漏れた。
『日時:2016/8/3 15:00
依頼者:斎藤(さいとう)由(よし)恵(え)
対象者:横手(よこて)秀夫(ひでお)
執行者:榊原(さかきばら)仁(じん)
方法:射殺
報酬:1000000円 任務完了』
最近噂で聞いた話。ある裏サイトに殺したい人の名前と殺意に至った経緯を明確に記し、報酬を支払えば本当にその人を殺してくれるという。誰もがばかばかしくて相手にしないはずなのに、不思議とそのサイトの信憑性は高く、少人数だがサイトを利用したという人もいる。この手のサイトは違法なやり取りも多いために時間が経つと消されてしまうことがほとんどなのだが、不思議と存続しているという。そのサイトはネットの裏社会で『黒鬼一族』と呼ばれているらしい。
大きな水槽の掃除には全く骨が折れる、特にこの六番水槽の掃除には一日中手間がかかる。うちの店でも客引きのために置いてはいるが、正直コスパは悪い。大きな水槽の中を四匹のアロワナが悠然と泳ぐ姿は確かに見ものではあるが、一般の人がこのアロワナを買ってくれるかはまた別問題だ。
「本当だったら観覧料とりたいぐらいだ…。」
とりあえず側面の苔は落とし終えた、あとは砂利を洗う作業だがこれは昼を食べてからにしよう。
俺は榊原(さかきばら)仁(じん)、この街でアクアリウムショップを経営している。アクアリウムショップというのはいわゆる金魚や熱帯魚なんかを取り扱っている店のことで、よくホームセンターなんかにあるペットショップの類と同じだ。一階は店舗になっていて、二階と三階は自宅になっている。父親の榊原大悟(だいご)と母親の美(み)華(か)、妻の奈(な)南(な)、それから長男の護(まもる)と長女の理(り)華(か)の六人家族で暮らしている。日中はこうして店の経営に尽力する一方で、夜にはまた違う仕事をしている。仕事と言っても他人に話せる仕事ではない。ここではっきりとは言えないが、いわゆる裏の仕事と言っておくことにしよう。
数年前からネットの裏社会に存在している殺人代行サイト『黒鬼一族』の美華と奈南の母親である玲子(れいこ)が行っている。俺たち家族は子どもたちを除く全員がこのサイトの依頼を受けて実際に殺しを代行している。
サイトにまともな依頼が来るのは月に2~3件程度で他はこのサイトに興味本位で投稿してくる輩(やから)ばかりだ。サイトの管理者である母親の美華と義理の母親である玲子は皆に〝?〟、〝R〟とそれぞれ呼ばれている。いわゆるコードネームというものだ。ちなみに俺のコードネームは〝J〟皆自分の名前の頭文字をとって付けられた単純なものだ。今月の仕事は今のところ一件、今晩はその件である建物の下見に行かなければならない。
店の客は品のある淡い緑色のワンピースを着て麦わら帽子を被った爽やかな女性だった。女性はカウンターの前にあるネオンテトラの水槽に興味津々のようだ。昼飯はこの客が行ってしまってからにしよう。俺はしぶしぶ六番水槽の掃除を再開することにした。
店の閉店は午後十八時、本日の売り上げは結局昼間に来た女性の買ったネオンテトラ十匹とエンゼルフィッシュ四匹だけだった。夏場は一年の中でも特に売り上げが良いはずなのだが、最近の店内は客の声よりも水槽のエアポンプの音の方が大きいような気がする。
店の施錠を確認し、本町通り沿いにある保険会社の建物まで車を走らせた。真夏の夜の空気が行く手を阻むように重苦しくのしかかってくる。
建物は二十四階建てでそこから南東に見える広場を狙う。決行の日の天気は晴れ、風向きは北から南、この建物からなら十八階の第5フロアの窓がベストだろうか。当日の天気をスマホで再度確認する。
俺の殺り(や)方は基本的には狙撃だ。標的はここから約600ヤード(約550m)ぐらいだからそれほど難しい射撃でもない。天候次第で狙撃の難易度は大きく左右されるが予報通りなら問題ないだろう。
俺は高校を卒業してからアメリカに渡り、狙撃の訓練をしてきた。向こうには〝?〟の家族が住んでいて、そこでお世話になった。普通の高校生なら大学に進学して四年間勉学に励むはずだが、俺はその四年間を狙撃の訓練に費やした。今では最大1000ヤード(約914m)ぐらいなら標的を確実に仕留めることができるようになった。個人的には眠くなる大学の講義に時間を奪われるよりよっぽど有意義な時間を過ごしたと思っている。
狙撃に使う窓に水性ペンで小さく印をつけ、当日のシミュレーションをしてから建物を後にした。ちなみにこの時間帯の建物の防犯コンピュータは〝?〟がハッキングして偽の画像を流していたから監視カメラに俺の姿はいっさい映っていない。自分の母親ながら恐ろしい技術だ。
決行は三日後の午後三時、的は人民党の横手秀夫議員。久々の仕事だがどうも気分が乗らない。建物から出た俺の肩にまた真夏の夜の空気がのしかかる。
決行の前日。今日も店の中は閑散としていて、開店して二時間経つがまだ一人の客も来ない。店のレジの前に腰かけ、今日の朝刊に目を通す。
『横手氏当選確実か?! 』大きな黄色い字がすぐに目に留まった。大きな字の下には笑顔で手を振る横手議員の写真が掲載してある。
「この男がねぇ…人は見かけによらないってか…。」
そもそも横手氏の暗殺は半年前から計画されていたことだった。サイトに投稿されたのは今年の一月で、送り主は横手議員の元秘書の妻からだった。俺はその人に実際に会ってはいないが妹の涼佳(すずか)(S)が直接会って話を聴いている。
Sの話によると横手議員は相当の賄賂を受け取っているらしい。また、公約の一つに掲げているリゾート地の建設は地域住民の反対を押し切り強引に進め、これまでに数々の会社や経営団体を倒産に追い込んできたという。そのために何人の人々が犠牲になったことか。
そんな議員がなぜここまで野放しにされてきたのかは詳しくは知らないが、人民党の幹部と太いパイプでつながっているらしく、全てもみ消してきたという噂がある。そんな横手の強引なやり方を間近で見ていた秘書はついに横手の元を離れ、転職した。しかし横手との関係はそれで終わらなかった。秘書が今までのことを全て世間に暴露することを危惧した横手が転職先にも手を回し、秘書は身に覚えもない借金を背負わされ、転職先を解雇させられた。その借金を返せなくなった秘書はついに自分の生命保険で返済することを考え、ビルの屋上から身を投げ自殺した。秘書の奥さんはその生命保険金と借金を負いながらも切り詰めて貯めていた百万円を今回の依頼料として払った。まともな人間なら殺人代行サイトなんて利用はしない。横手が秘書の家族を狂わせたのだ。
横手に恨みがあるのはこの秘書に限ったことではない。横手の強引なやり方に反対した他の議員、倒産に追いやられた会社の家族、強引に土地の明け渡しを迫られた企業など横手に恨みを持つものはたくさんいる。今回依頼してきた元秘書はその犠牲者のひとりに過ぎないのだ。ちなみにこれらの情報は全て〝S〟によるもので、彼女は情報収集を主にしている。
この議員に直接的な恨みはない。ただ、社会がこの男を不必要だと叫ぶ声は確かに聞こえてくる。『誰かが行動を起こさなければならない、悪人を消すために誰かが殺らなくてはならない。』俺はいつもそう自分に言いきかせている。
的の横手のことを考えていたら、いつの間にか昼休憩の時間になっていた。腰を上げ、大きく背伸びをすると店内に一人客がいることに気がついた。それとなく水槽の点検のふりをしてその客に近づく。よく見ると二日ほど前にも来ていたあの品の良さそうな婦人だった。今度は魚の方ではなく、水草の植えてある水槽を間近で眺めている。
「この水草は植えると勝手に育つものなのですか?」
透き通るような綺麗な声で突然の質問に拍子抜けしたが、動揺を隠しながら答えた。
「それはアマゾンソードといって初心者の方は割と育てるのに苦労するかと思います。草を植え替えると外側の葉と根が茶色くなって枯れてきます。枯れた根は切り取ってしまわないと、他の元気な根も枯らしてしまうので手入れが必要になります。」
婦人は
「そうなんですか。」
と少し俯いてまた他の水草に目を移した。
さぞ広い居宅をお持ちなのだろう、俺は直感的にそう思った。上品な言葉遣いやこの見た目に合致した服のコーディネート。彼女の恰好から家柄が垣間見えている。どうせならあの六番水槽にいるアロワナを一匹でもいいから購入して頂きたいものだ。一匹二万円の利益は確かに大きい。向こうの六番水槽からアロワナは俺を小ばかにしたような丸い目をむき出し悠々と泳いでいる。
「腹立つわぁ…。」
婦人には聞こえないぐらい小声でつぶやく。だが、客商売で大切なのは印象だ、利益はその後からついてくる。婦人の意図をくみ取り、すかさず他の商品を控えめに勧める。
「こちらのミクロソリウムなんてどうでしょうか。アマゾンソードと似ていて葉も垂直に伸びますし、比較的丈夫ですよ。」
少しだけ値の高いものを勧めてみたが、婦人は値札を見ていないようだ。
「ではそれを三束下さい。」
即答だった。俺は礼を言ってぬるい水槽に手を突っ込み根元から優しく水草を掘り起こした。ついでに隣に置いてある流木も勧めてみようか…いやここが引き際だ。水草をビニル袋に入れ、酸素を注入する。婦人は他の水槽を眺めながら、時折指で側面をなぞり魚と戯れている。いつもの俺なら
『魚のストレスになりますから止めてください。』
と注意するところだが、彼女の指のタッチがあまりに優しく滑らかで、その行動に癒しさえ感じてしまい、言う気もうせてしまった。彼女の魚を見る横顔は少女のようで、しかしその瞳は魚ではなくどこか遠くを見つめていた。
婦人は商品を受け取ってから十分ほど店内の水槽をまんべんなく眺め、静かに店を出ていった。足取りはそよ風が吹き抜けるように軽やかで、蒸し暑い店内が婦人の力で少し涼しくなったような気がした。婦人が出ていった店内はまたジメジメした空気とエアポンプの機械音に包まれた。
執行当日。店を奈南に任せ、議員の演説の会場である本町中央広場へと向かった。到着は二時三十分、予定通りだ。広場には既に何十人かの人だかりができていて、その真ん中に選挙カーが停めてある。ついでに言うと体格の良い警備員とSPも車の四方に立っている。
計画通り保険会社の十八階まで上がり、印をつけた窓の前にしっかりと陣取った。双眼鏡で的の位置を確認すると先ほどよりも人が増えているのが分かる。すぐに持ってきた鞄の中からライフルを組み立て、射程距離を合わせる。専門家やマニアからすればどんなライフルか気になるところだろうが、俺の使っているのはいろいろと手を加えているから原型が最早分からないと思う。俺も元の名前は忘れた。
ライフルの設置も完了し、あとは時間を待つだけとなった。ほんの数分の作業で額から汗が流れた。腕時計の時刻は二時五十分を二十秒ほど過ぎていた。この階には誰もいない、保険会社が入っているのは三階下のフロアだ。建物内の監視カメラは現在も?が全て管理している…どうせならクーラーも入れて欲しいくらいだ。群衆の中には〝S〟と弟の〝K〟も控えているから心配はしていないが…。毎度のことながら任務の前にはいつも不安と脅迫観念に襲われる。深く息を吸い込み気持ちを落ち着かせる。窓から刺す真夏の日差しがジリジリと痛い。
午後三時。群衆の拍手とともに横手議員は選挙カーの上に満面の笑みで現れた。これから自分の身の上にどんなことが起こるのかその表情からは誰も読み取ることはできないだろう。俺はスコープから横手の頭に照準を合わせ、引き金に人差し指を添える。不思議とライフルを握ると先ほどまでの不安や脅迫観念はどこかへ消えてしまった。
午後三時二十五秒。ワインのコルク栓を抜くような音とともに銃口から放たれた弾丸は600ヤード離れた的の頭を貫いた。薬莢(やっきょう)が音を立てて落ちる。
横手議員はしばらく立ったまま静止し、そのままゆっくりと前のめりに倒れ、選挙カーの上から落下した。周りのSPはすぐに陣形を作り、周りにそびえるビルの群れに目を光らせている。講演に来ていた他の議員は頭を抱えながら中腰で車の陰に身を寄せている。その場の惨状に群衆はパニックを起こし、我先にと広場から退散していく。逃げ惑う民衆の中、一人だけ流れに逆らって横手の動かなくなった体に近づく女性が見えた。彼女は警官の静止を振り切り、無言の骸(むくろ)に寄り添っている。
水色のワンピースに麦わら帽子、手にはハンドバックを下げている。サラッとした色白の肌にその服装が夏の日差しを背景に似合いすぎる。彼女は横手の体を何度もゆすりながら必死で何かを叫んでいる。俺はスコープ越しに見えるその女性に見覚えがあった。修羅場と化した広場に吹き抜ける夏風がコンクリートの地面を撫でる。その時、麦わら帽子が女性の頭を離れ、空中に舞った。
女性は店に来たあの婦人だった。彼女は飛んで行った帽子などには気にも留めず、ひたすら目の前に横たわる横手の体をゆすっている。俺は彼女が横手の何なのかを理解した。火薬の臭いが漂う暑い十八階の第5フロアに俺の深い溜息が漏れた。
『日時:2016/8/3 15:00
依頼者:斎藤(さいとう)由(よし)恵(え)
対象者:横手(よこて)秀夫(ひでお)
執行者:榊原(さかきばら)仁(じん)
方法:射殺
報酬:1000000円 任務完了』
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