不器用な人の生き方

紅羽 もみじ

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11話 導く者の役目

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 年が明け、後期の後半戦が始まった。
 明里も正月気分の抜けきらない体を叩き起こし、翌日の講義の準備に奮闘していた。講義の準備もひと段落つこうとしていた時、スマートフォンの通知がなった。

「先生、あけましておめでとうございます。」

 晴海からのショートメッセージだった。明里は即座にメッセージに対して返事を打つ。

「あけましておめでとう。今年もよろしくね。」
「先生、明日の講義終わり、研究室に行ってもいいですか?」

 突然の晴海からのアポイント。明里は海と聖に言われたことが頭をもたげ、どうすべきかと考えを巡らせた。

「私は来てもらっても構わないけど、大丈夫なの?その、色々と。」

 晴海の相談は受けたいが、明里がそれを受け入れることで晴海を追い詰めることにならないか、と懸念があった。海と聖には、晴海が助けを求めに来た時には、それを跳ね除けることはできない、と宣言したところではあるが、晴海の環境を悪化させることも明里の本意ではない。

「大丈夫です。先生のご迷惑でなければ……」
「迷惑なんてことはないよ。わかった、明日の講義後、研究室で待ってるから、いつでもおいで。」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」

 晴海とのやりとりの後、明里は軽くため息をつく。相談内容を晴海は明かさなかったが、両親とうまくいっていないことからの相談なのであれば、明里は再び、海と聖に真っ向から立ち向かう覚悟を決めなければならない。

(何にしても、ちゃんと話を聞いてからよね。もしかしたら、ご両親との関係が修復できてきた、って報告かもしれないし…)

 明里は講義の準備を終わらせると、翌日の講義のために英気を養おうと早々に研究室を後にした。

 新年が明けて初講義。正月休みをしっかり堪能した者から、堪能しすぎて未だ休み気分が抜けきっていない者まで、さまざまな顔ぶれが教室に入ってくる。その中には、翠と他数人の友人たちの話しにくすくす笑いながら聞いている晴海の姿もあった。明里はその姿に一先ず安堵し、講義の開始を告げた。

 明里は1日の講義が終わると、研究室に戻り、久々の講義疲れを癒すために紅茶を淹れて一息ついていた。そこに、ドアノックの音がした。

「はい、どうぞー」

 ドアと部屋の間から顔を出したのは晴海だった。ショートメッセージで連絡した通り、明里に会うためにやってきたのだ。

「晴海さん、待ってたよ。久々だね。」
「すみません、いきなり…」
「いいよいいよ、座って。」

 お茶請けと紅茶を準備しながら、こんな風に晴海を迎えるのはいつぶりだろうかと明里は思いを馳せた。明里にとっても、聞きたいことは山ほどあった。その後の両親との関係、自傷行為からの依存状況、晴海の気持ち…、気を抜くと問い詰める様な形になってしまいそうで、明里は気持ちをぐっと押し殺した。
 湯気が漂う紅茶とお菓子を振る舞うと、明里も晴海の対面に腰を落ち着けた。

「体調の方はどう?」
「あ、はい、もうそれは大丈夫です。あの時は、本当にご心配をおかけしました…」
「気にしないで。救急搬送されたって聞いた時はびっくりしたけど、やっぱり普通に診療を受けるだけでは足りなかったってことなのかな。」
「それもあるかもしれないですけど…、」

 晴海の歯切れの悪い返答に、明里は優しく笑いかけて話を促す。

過剰摂取オーバードーズのことを聞いた時は、確かにもうしないで、って泣きながら言っちゃったけど、怒ったりはしてなかったのよ。ただ、晴海さんの体のことが心配だったの。今は、こうして元気な姿を見せてくれてる。何を話されても、怒ったり追い詰めたりはしないよ。だから、話したいことを話して。」

 明里の言葉に、晴海は少し戸惑った様な表情を見せたが、今日話そうと決めてきたことがあるのか、意を決したように口を開いた。

「……実は、先生に話してからも、時々やってしまってたんです。その、過剰摂取オーバードーズを。それで、体が動かなくなって、倒れちゃって…」
「……そっか。それほど、晴海さんも辛かったってことだよね。気づいてあげられなくて、ごめんね。」
「そんな、先生は何も…。それから、倒れて先生が親に全部話すって言ってくれた後、お母さんとお父さんが病室に飛び込んできて…」

 晴海はその時のことを思い出すだけでストレスを感じるのか、小さくため息をついて、続きを話し始める。

「お母さんは…、先生が全部悪いって言って、もう先生には近づくなって言いました。あと、切りたくなったり薬を飲みたくなったら、自分達に言えって…。お父さんは、先生のことについては何も言ってませんでした。けど、これからはお父さんやお母さんに言うようにって言ってて。でも…」
「……まだ、干渉気味でストレスがかかってる?」
「干渉気味、どころか、前よりひどくなりました…。リストカットについても、切り続けた人が最終的にどうなったかとか、過剰摂取オーバードーズを続けた人がどうなるかとか、そんな話ばかりで、私の思ってることについては、何も聞いてこないですし…。私も、頑張って話そうとしたんですけど、受け止めてはくれません」

 明里はあの時両親に話したことは間違っていたのか、と頭が重くなり思わずため息が出た。想像するに、特に海が何とかしようと空回り、より一層事態を悪循環にしているのだろう。聖の方はまだ冷静であったが、家族のことは家族で、という考えを持っていた。
 晴海は結局袋小路に閉じ込められたままだ。そして、その事態を引き起こしたのは、自分のあの時の決断…、と頭を抱えて思ったその時。

「でも、先生、私は先生がいてくれるから、いてくれたから、助かってるんです。」

 晴海の言葉に、明里ははっと顔をあげて晴海を見た。晴海には明里を責める様な様子はなく、真剣な眼差しで明里を見据えていた。

「お父さんやお母さんは、もう先生に頼るなと言いました。でも、私の思ってることとか、気持ちをちゃんと受け止めてくれるのは、先生だけなんです。私が安心して相談できる人は、先生しかいないんです。」

 明里は、晴海の悲痛なまでの言葉に、心の臓をぎゅっと掴まれる様な心持ちになる。そして同時に、晴海の気持ちを真正面から受け止める人間は、明里だけだと話す晴海に、まだしてやれることがある、晴海を支えるという役目を続けることができる、と気持ちを新たにした。

「先生に迷惑をかけてしまうことは、わかってます。先生に相談に行っていると知ったら、お父さんがお母さんが先生にまた怒りにくるかもしれません。でも、私の本当の気持ちをわかってくれるのは、先生だけなんです。ですから…助けて、ください…。」

 これで全て話してしまった、と、晴海は俯いてしまった。助けを求めることは、明里を巻き込むことと同義。そして、それは明里にとって迷惑でしかない、でも、縋るしかない、という、複雑な思いの中での叫びの様な相談だった。明里の返事は、とうの昔に決まっていた。

「晴海さん、顔をあげて。目の前で、助けてって言ってる学生を見て、手を差し伸べない先生なんていない。晴海さんは、苦しいんでしょう。だから、私のところに来てくれたんでしょう。」

 晴海は明里の言葉に顔をあげ、力なく頷いた。

「それなら、私のやることは決まってる。晴海さんの力になることよ。お父さんやお母さんとも、またぶつかることがあるかもしれないけど、その時は真正面から受け止める。また、前みたいにいつでも研究室においで。土日だって、図書館は開いてる。大学生の本分は学業、それを理由に出てきたらいい。だから、一人で抱え込まないで。」

 明里の言葉に、晴海は緊張の糸が切れた様に泣き出した。明里は宥める様に背中を摩り、もう一度、晴海と、晴海の両親と向かい合うことを決心した。

(もう、迷わない。晴海さんの力になりたいから…)
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