詩まとめ

谷岡藤不三也

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思慮

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思慮



よくなった今だから言えるけど
結果的に鬱っぽくなってよかったのかもな
描く作品の幅増えたし
人にも優しくなれた気がするから
ちゃんと感謝できるようにもなった
これは一人暮らしの時にも感じたし
鬱っぽくなってた時期に、何も言わずにいてくれた時、より一層感じた
言葉には出さないけどね、恥ずかしいから

鬱っぽいって言い方に関しては
自分なんかよりももっともっと辛い症状の人たちがいるはずで
自分なんかが鬱だとかって軽々しく言っていいものではないと当時思ってたから
そうやって他人と比べるものじゃないんだけどね、心の病気って
なんか言いにくいしね
そんなことで?みたいな
だからついつい抱え込んじゃうんだよね
爆発するまで、ずっとさ



結局はルックなんだよな
ルックがあって、その次に面白さがある
まず見た目がなってないと、そもそも面白さとかの勝負にならないんだよなー
読んだら面白いの、読んだらへ持って行くのが最難関



結局物語はパターンでしかなくて
締めが見てる時も描いてる時も一番つまらん
収めるべきところに収めるだけの作業
整地みたいなもんさ
裏切る衝撃的な結末にしたって、数はもう出尽くしてるさ
だから大事なのは道中
セリフ、やりとき、キャラ、ルック(人も物も)
これだろ面白いって感じるのは
自分が溢れ出す一番濃いところはここだろう



好きだから見て、読んでいるのであって
それが強制されたものであってはいけないと思う
つかほぼ効果ないでしょ
イヤイヤはほんと時間の無駄だから、やるかやらないかはっきりした方がいいよ



上手い話より面白い話を読みたい



既視感があるってそんな悪いことなのかね
読み手の態度に依る気がするけどね
批評家気取りは作品を楽しむことよりも
そういう「欠点」を探すために読んでるのだろうし



漫画は絵のメディアなのはそうだけど
それだけじゃないでしょ面白さって
多少セリフが多くても、絵やコマが邪魔せず、リズムよく読めるなら
それは「面白い」「いい漫画」になるんじゃないの?
漫画は絵を楽しむものって言っても、
ストーリーがないと、気の利いたセリフがないと、物足りないでしょう
セリフが多いのを悪と決めつけすぎるのは
一旦疑ってみるべきかと思う

リズムを生むために、間は使うんだし、
セリフに覆い尽くされてるわけでもないんだから
そこまで咎めなくなっていいような気はするけどね
退屈なのはもちろんダメダメだけど
テンポがよけりゃいいんじゃないの?
とは思います



意外性に呪われてる哀れな人々

描きたいものが王道であるのに
王道だからというだけで、何か小手先で捻ることを要求される
そうやって付け足したところは異物ですから
すぐわかるよ
そんでそういう下卑た下心は鼻につく
そんなもの読みたくないよ別に
嫌悪が先に来る、つまんなってなっちゃうよ
そこには何もないから
ウケるだろって的外れなしたり顔が透けて見えるから



文字が多い文字が多いというが
文字がでかいの間違いでは?



紙をバサバサさせるの好き
音も好き
なんか仕事してる感がするから

日常的な音っていいよね
なんか自分結構音好きだなあと思った最近



生きるために生きてる
必死こいて生きてる



カード箱買いして友達と開けてたら
すすっとなんか知らない人話しかけてして
適当に相手してたら、僕もパック開けたいなーとかもじもじしだしたの唐突に思い出した
いやいや名前も知らないし突然絡んできてパック開けたいなあは不審者ムーブすぎるだろ
もしレアカード引いたら盗みそうまである



笑うのはいーから話広げる質問してくれよ
記者だろ?



偽善って悪なの?
結果が全て、受け取り方が全てなわけで
動機とかきっかけとかどうでもよくね
それによって質が変わるならあれだけど
本物の善の方が偽善よりも質高いなんてのはないわけで
偽物だからこそ、ある一つに固執せず、客観的に求めているものを察することができたりするかもしれん
まあ欺かれてるとか、裏ではみたいなのは気持ち悪いっちゃ悪いか
あと、真剣にやってないとかは論外ね
偽善イコール手を抜くことだとは思ってないので



ニートのいいところって「暇」になることだよね
やろうと思えばなんでもできる
何にでもなれる無限の可能性が秘められてる
かもね



才能のない奴にやれることって言ったら
勿論物量でしょ!
数打ちゃ当たる
かどうかはわからないけど
数にこだわらないとダメって気がする



地の文が絵になってる小説を書いてるような感覚
やりたいことは、明らかにセリフ、会話やり取りで
俺の中じゃ絵が主役ってわけじゃない
セリフのディティールを説明するための補助的な役割のイメージ
それが俺の作る漫画の形なのだと思う
だから、字が多すぎたらそりゃダメだけど
他と比べて少し多い程度ならいいと思うというか
そんなに気にしすぎることないよ
俺が何をやりたいのかが明確にあればいい
そこがブレたらそもそも作る意味ない
誰のために作ってんの状態はワケワカメだから
ずらしてまで誰か、たった一人の無責任な誰かさんのために自分の人生削って作ることはないと思うよ
面白くするという方へは行くけど、
あなたの好み、一意見のために自分を殺すなんてそんな愚かな選択はもうしない
油断するとすぐ誰かに阿って謙ってペコペコ機嫌取るからさ
そこは待ったをかけなきゃいけない、敏感になって
そうじゃないように意識して過ごしていかないと
破綻するよいつか、誰かにはめられて
どんな理由があろうとも、失敗の責任は自分が取らなきゃいけない
普段からほんと些細なところから気を付けて自分を持っておこう
自分と向き合って自分という意識をちゃんと持っておこう
人の意見も受け止めて
でも一旦待って、
自分はどうしたいかを見つめて対話して導き出さなきゃダメだ
悪い奴は沢山いる
騙され、操られ、台無しにされる
今まで出会ってきたのは中途半端な奴らだったから、まだ三年くらい潰されるだけで済んだけど
人生まるまる、知り合い、友達、家族まで巻き込んで潰されるなんてことにはならぬよう
心して自分を持って生きねば
主体性を持てと、担任の先生に言われたっけ



よく、ぼーっとしてる時間とか、何もしてない時間を時間の無駄だからと言って
なにやらせかせか詰めてる人たちいるけど
そういう何かに追われて、ただやるだけの時間
特に考えもなく、考えようともせず、ただ何か適当な固定観念、偏見に追従して
意味のあること(笑)をひたすらやってる時間、コンテンツをひたすら浴びるだけの時間
ほんとはそれが無駄な時間なんじゃないの

ぼーっとしてる時は、少なくとも無意識で思考の整理とか、リラックスとかしてるわけで
何も意識で考えて、言語でこねくり回してる時間だけが意味ある時間じゃないし
この論理は、受験勉強は睡眠時間削ってする方が効率いいって言ってるやつくらい滑稽だと個人的には思う
必要だからやってんだよ、君らの浅い知識で、意味あるないを断定するなよと
ほとんど現代病だと思います



高校の体育教師に、受験生なのに十時に寝てるなんて初めて聞いたとか馬鹿にされたけど
朝型夜型あるし、問題は勉強量なのだから、一日の時間どう使おうが勝手だろって若干イラっとした
ちなみにその体育教師は、水泳部の顧問で、長い時は深夜二時まで練習させるらしい
怪我したら根性が足りないとか言うんですかね



面白くないことでも一度始めたなら完走しようの哲学を貫徹するよりも
その哲学一旦捨てて
他のちゃんと面白いと思えるもの探して
そっちへ走る方がいい



目的とか目標とかないんだよなあ
突発的に思いついたのとか
触発されてやりたくなったことを
ただ単にやりたいってだけで
思ったらやるっていう
そこがダイレクトなだけで
何か目標に向かってどうこうとかないんだよなあ

何かしたい人、何かを伝えたい人、テーマのある人とか、そういうんじゃないんだよな
だからそういう高尚な人に憧れるけど、演じたら絶対ボロ出るからやらぬ

フッ軽でいたいというか、面白いと直感したものに対して素直に素早く反応できる人でありたいと思う
素直な気持ちに、あれこれ理由つけて、やらないって蓋するような生き方はしたくないなあ
そこに対しては強烈な拒否反応があるね
あとは特にない
何かしたいよりも、無数のしたくないが道を成形しているような感じ
消去法的な発想な気がする、根本が



自分が楽しめなかったからと言って
自分と同じような批判的意見を求めて色んなのを漁って
同意見見つけてそうだよねってなって気持ちよくなって溜飲下げる
っていう悪癖、ついついやってしまう
賛が多い作品だと特にそう
俺はあんまハマんなかったんだけどなあって
間違ってんのかなとか不安になるんだよねー
むしろ反発して余計自分の中の否が大きくなることもしばしば
純粋な感想がポジショントークで歪んでいってしまうのは嫌なんだけどね



沢山インプットしろってのは、いろんなところからパクリまくって
モザイクアート(オリジナル)を作ろうってことか
出所が沢山ありすぎればパクリだと言われないよね
確かに言う通りかもー
流石売れっ子有能編集者さん



ルーティンワークに耐えられない
一日、二日とかならまだ平気だけど
漠然と毎日とか言われると
途端に耐えられなくなる



これは、半分自分が出来なかったときの言い訳としての役割もあるのだけれど
かねてから、歌に上手いも下手もない
あるのは、好みとか声質、声の情報量とかであって
明確に上手い下手はないと思っていたけど
そうでもないかもしれないと感じる出来事があった
いや、下手、と断じるにはいささか好みの色が強いかもしれない

ピッチが取れる取れないとか、リズムが合ってる合ってないとか、声がひっくり返るとか、そんなことはどうでもよくて
こなれた風に、こんなもんでしょって、俺上手いっしょって態度で歌ってる歌ほど、気持ち悪いものないなって思ったんです
気持ちも、熱量も何にもない
ただ、仕事だから歌ってますよ、かっこつけて歌ってますよっていう全然響かない歌
これが本当の下手なんじゃないだろうか
空虚というか、なんなら耳障りというか
そんな歌唱がテレビから聞こえて来て
俺の中で長年議論されてきたテーマの一つが解決したなって思ったんだよね

声張れよ
音外すより、よっぽど恥ずかしいことだと思うんすけどね
情熱がないということが歌に乗って観客に届いちゃってますよっていう



あえて毒を摂取して、これよりはマシと思うの大事かもね
学校始まりたてで、友達できなくて一人でいた時
過度ないじめの描写のある小説読んで胃を痛めながらも
これよりはマシだな、友達いないけど、幸いいじめられてるわけじゃないし
ってマインドだったから学校行けてたのはあったなあ



こうなりたくないから頑張るは
こうなりたいと同じくらい大切だと思う
というか、ほとんどの人生において反面教師の方が多いような気がする
本当に心の底から感銘を受けたりとか、ああなりたいとか思える人と出会えるのって、ごく稀で
ほとんどの人は、ああなりたくないから、こうなりたくないからっていうような
無数の「いや」によって道を選んでいるような気がする
だから、これがお前の選んだやりたいことなんだろ!だったらちゃんと責任持て!ちゃんとしろとか
そういうものの言い方されると困っちゃう
確かに選んだのは事実ですけど、選ばされてるっていう側面も多少なりともあるわけで
他人から見たら同じ選択でも、内心千差万別ですから、全ての人がやりたくて選んだと決めてかかってほしくない
何かを選ぶって、思ってるほど能動的じゃないしね
そこんところ考えずに、全てはお前の決めたことだ、責任はお前にある、選んだ場所のルールは絶対、選んだのだから無責任に辞めるなど言語道断みたいな
そういう威圧するような態度でこられるとなんだかなあって
対話、理解する気ゼロじゃんっていう気持ちになる
まあ実際、洗脳までは行かなくとも、管理しやすいように、管理者側にとって都合の悪い思考の枝葉を切り落として整えるっていう意味合いが強いんだろうけどね
だからこういう人と出会ってしまった時の、唯一の有効な手段は、無言で切る以外ない



思った通りに話しかけてきて
思った通りに近づいてきて
笑っちゃったよ
クソうざったくて、マジでやめて欲しいんだけど
そこで笑っちゃうから、
相手からするとその笑いだけ切り取られて
好意的に受け取られてこういう距離感でいいんだって認知される
ほんとクソめんどくせえうぜえ

これと同じことで、笑いながらキレると、怒られてるってどうも感じないらしいね
マジでむかついてんだけど、それ伝わらないらしいね
あははってなんか流される
怒りが込み上げすぎると、無表情でいうか、口角が上がるかのどっちかになるから
怒りが伝わらないことに、また新たな怒りがこみ上げるみたいなことがざらにある



話長い人、興味ないよーって暗に示してるのに、ずっと話し続ける人ってなんなのかね
本当の意味で「話す」気ないよね
話って相手がいないと成立しないじゃん
誰もいないところで喋るならいいけど
少なくとも一人以上を巻き込んで、ただべらべらと自分が喋るだけって
相手の人生削って迷惑かけたいのか、洗脳したいのかどっちなんでしょ



嫌がられてるって態度でわかるよね?
それでも仲良くしたいってんならアプローチ変えるよね?
ずっと変えないままずっと同じ調子で近づいてくるのは
嫌がらせしたいってことでいいんだよね?
何かしらの意思表示をしたいのだとしても、それを押し付けてきてる時点でアウトでしょ
受け取って貰いたいなら、まず汲み取らなきゃ



距離取ろうとしてんのに
バカみたいに近づいてくるのマジでやめてほしい
鬱陶しい、邪魔



恩があったとしても人間的に嫌いな人は嫌いですよ
そこは区別してます
恩はあるし、感謝もしてますが、
あなたのことは嫌いです、
頻繁に会いたくはありません、
お引き取りください



鬱っぽくなって良かったことの一つに
気遣いが以前よりもできるようになったことがある
合ってるか間違っているかは別として、相手の気持ちを考える習慣が身についた
だから、少なくとも一度鬱っぽくなった人はみんな、人に対して以前よりも優しく、気遣えるようになるもんだと思ってた
けどなんか違う人もいるんだね
なんというか、鬱を、何かを諦める、何かをやらない言い訳や、他人に対して傍若無人に振る舞う盾に使ってる人もいるんだね
自分が弱いということを前面に出して、自分の命を人質にとって、自分勝手に振る舞ってるというか
そういう態度を相手が嫌がってるのにおそらく気づいているのに、それをやめないっていう
実際やめてくれって言いにくいし、その気持ち下に見てやりたい放題してる
ちっとも人のことを考えてない
どういう形であれ助けて貰ったはずなのに、そこでなんで利用できるなって思っちゃうんだろう
ありがとう、とは思わないのかな

自分の中だけで完結させちゃったのかな
ただ否定するだけで、変えていこうとか思わなかったのかな
周り見て、自分の行動、過去も今も未来も、思い馳せて、
違ったなって、変えてかなきゃダメだなって思わなかったのかな
どの立場だってのは重々承知はしてるけど、残念だなと思います
学べる機会があるのに、やれば成長できるってわかってるのに
ちっぽけなプライドやこだわり、先入観でそれをしない人を見ると
この人とは仲良くなれないなと思ってしまいますね

かくいう私の中にも、こういう自分はいます
だからこそ、こういう否定するだけで何も学ぼうとしない自分は都度都度潰していく
人としてちゃんとしたいので
一人の人なんで、もちろん、できないこともあるけれど、
「できる限り」はちゃんとしたいなと思います



頼むから邪魔しないでくれ
大きな音立てないで
話しかけてこないで
こちらに興味持たないで
近づいてこないで
静かに、集中させてください
あなたにそのつもりがなくとも
非常に迷惑です、やめてください



家族や親戚じゃなかったら
絶対に縁なかっただろうなって人いるよね
絶対に合わない人
でもそういう人とも付き合っていかなきゃいけないんだよね
血のつながりの妙というか面白味でもある



定期テストの点数がちょっといいだけで頭いいイメージつけられるの嫌だった
こっちはただ暗記でゴリ押してるだけだし、しかもその暗記だって、大したもんじゃないから、受験の膨大な範囲は全然カバーできないわけで
でも、そういうレッテル貼られてるから、案の定受験問題とかで微妙な点数取ると、
あれ?みたいな反応されるっていう
嫌だったねー、俺からしたら妥当だなって思うのに、なんかちょっと見下される感じが本当に嫌でした
暗記がちょっとできるだけなんだよーって仲良いやつならわかってくれるけど
ただ同じ部活とかクラスってだけで、特別親しくないやつだとレッテルでしか人見ないから、話しても理解しようとしないし、
壊れたおもちゃみたいに、あれ?あれ?あれ?とか言って絡んでくる
ほとんど嘲りでしたね



幼き頃は、親の言いなりになるしかないので
親が行くぞと言ったらついていくしかない
そうやって連れ回される時、いつもキレてた
行きたくもない場所に連れて行かれ、嫌々時間を消費するという
いつもめちゃめちゃ機嫌悪かった
フラットな時はあっても、機嫌がいいなんてことはなかったです
車の臭いも電車の臭いもバスの臭いも、あったま痛くなるし気分悪くなるしでとにかく嫌だった
別に他にやりたいことがあったわけじゃなかったけどさ、かといって連れ回されるのもねえ

年取って、ある程度行動力ついてからは、その場からしれっといなくなって、その辺勝手に練り歩いてた
一人で歩くのは好きだったから、キレながらもどこか楽しんでいたというか
見知らぬ景色を眺めながら歩いて、困ってるだろーなーとか内心笑ってね
楽しかったな
まあ毎度怒られて、その楽しさ一瞬でどっか行っちゃうんだけどね



やりたいけどできない
ねじれ
このねじれをいかにアイデアで解消していくかをいつも考えてる



大体いつもいろんなことに対してキレてる
キレてるからアイデアが生まれる
だからキレることができてるうちは、
何かしらのアイデアは出てくるし、枯渇しないだろうと思う



俺の手を離れてる、俺の手が届かない
操作できないものについて
思い通りにいかないからってあれこれ文句言ったり悩んだりしても
やっぱり手の届かないところだから関与できないのね
どうしたってうまくいかない、思い通りにはいかないから
俺にできることは、コントロール可能な範囲をやるだけで
あとはもう時の運に任せる他ない
関与できる部分とできない部分はちゃんと区別して諦めて、
思い通りにならないことに心すり減らすよりも
できることだけをコツコツ積み重ねるのがいい



朝気分が落ち込んでて何にもできなくて
徐々に回復してきて気分が上向いてきて
やっと調子が出てきたというところで眠くなって寝て
そして次の朝またぐぐっと落ち込んだところからのスタート
やりたいこと山ほどあるのに体が動かない不協和
どうすればよいのでしょう



メッセージ性のある、社会批判性のある作品が好きというか、とりわけ刺さるんだなあーと思った
そういう骨太というか中身の詰まった作品をたくさん見たいなーと思った
憧れ
おれみたいな素人がそういうの作ろうと思っても薄っぺらいのしかできないから、すごいなーって思いながら見てる
まあ憧れと思いつく物語のタイプはまた別物だし、得意とするものもね
それを憧れに任せて捻じ曲げようとすると、
ようわからん聞いたことのある文言の羅列で、
薄っぺらすぎて社会批判性なんて微塵も感じられないものになっちゃうんだよね
思ってもないことは、語れない
見た目骨太、中身スカスカ
だから身の丈にあった、ちゃんと自分の中で消化できる範囲の、描き切れるものをちゃんとコツコツ作っていきますよ
でもいつかそういうものも作れたらいいなあ
まずそういうアイデアが思いつくのかってところからスタートだけどね
思いつくためには、雑食且つ貪欲に色んなものを吸収していかなきゃですね

ちなみに社会批判性と、お仕事紹介、知識紹介は全く別ですよ
こんなことがありますよーのお勉強会は何ら批判性を持ってないからね
そういうのをたくさん詰め込んだところで、中身の充実には繋がらないと個人的には思う
シンプルに面白くないもん、説明されてもだから何っていう
この説明のための物語ですかって白ける
つまらん
見たいのはそういうことじゃない
思想や作家の魂、塊、濃血を味わいたい
いや、ぶん殴られたい



実はこれってこうだったんですよー
ってだーれも気にしてない種明かしされても
へ、へーって感じですよね



漫画を描きたいが絵が描けない
小説を書きたいが細かい描写ができない
曲を作りたいが楽器は弾けないしコードもアレンジも何もかもわからない
ゲームを作りたいがパソコンのスペックが足りなくてそもそも動かない



鼻が悪いからバイトもできない
鼻が悪いからデートもできない
鼻が悪いから試合にずっと出てられない



取り繕ってもメッキは剥がれる
あまりロマンチックを持ち込まないことだ
多少カッコつけるくらいはいいとしても
普段通りを好いてくれる人と一緒に歩こう



小説的な物語を書きたいが、
描きたいものは、情景として思い浮かぶ
そのどちらも、翻訳せずイメージそのままを描けるのは漫画だ
だから俺は小説的な漫画を作るのだ
小説を漫画形式で作っている
地の文が絵として表現されている小説を書いているのだ

と思うと少し楽になった
やりたいことの方向性がまた少し明らかになったのと
比較的文字数が多いことへの体のいい言い訳が手に入ったからだ



いっちばん情けない格好で
真面目な顔しながら選別してる



本を買う時、心のどこかで買ったらパラメーターアップみたいなゲーム感覚でいることが多い
買った後、その本を読む自分のことを想像できてないから、
ついついキャパオーバーの量を一気に買ったりしちゃうんだよね
買うだけじゃなくて、そこからちゃんと自ら学ばないとパラメーターはアップしないよって忘れがち



やるぞやるぞと思いすぎてると
思うことにばっかりエネルギー使って
実際の行動のための準備全くできないから
結局できないで終わる



自分に対する皮肉も
自分がするのであれば、まあ面白い
胃は少し痛くなるが
でも事実だよねで何も反論できなくなる

自分で自分の一番痛いところを突いていれば、他人の的を射た批判も、まあまあ受け止められる
勿論受け止めきれないこともあるし、
受け止めたところで、それを消化するのに延々考え込んだりもする
何十回も反芻する



それ言いたいだけでしょ
自分に酔ってるだけでしょ



自分の意見だけは的を射ているので聞き入れてくれると思ってるんだろね
うける
おめでたいやつ



なーんか頭が足りてないなーと思うので図書館行く



明日はこれやるぞーこれ見るぞーってワクワクしてたのに
いざ始まったら、その期待値を下回るつまらなさで途中切り
あーあ今日やることなくなっちゃったよ
どーやって過ごそうか困ったなー



制作者自身が自作を面白いって言う時って信用できないよね、なんか
物作りってどうしても内に内に入っていくものだから
集団幻覚というか、段々視野が狭まって行って
思考にバイアスがかかることが多いように思う
だから、自分は面白いと思っているけど、それは認識が歪んでるだけかもしれないし、
周りの人は多分違う感想を持つだろうという
至極当たり前に思えることを、都度都度声に出して確認しなければならない



ゲームってさ、
これはアートだからとか、
自分が楽しむためだけに自分に向けて作ってるからオッケー、とかに逃げられないから大変だよね
より生理に直結するメディアだから、
ちょいっと言葉巧みに頭誤魔化せばいいってことにはならない



一人で書くなら、自分の欠点知らないことをカバーするのは自分しかいないから、
知らないことを学び、常に新しいことを蓄え、考え、変化成長していかなきゃ成立しないんだよな、はなから
どれだけかかるかも、ちゃんと修められるかもわからない道
だから人とやるのがいいっていってんの
険しすぎるってば



会社の心理は面白くない
巨大になればなるほど足取りが重く、身体も安定しない
だから、往々にして安定志向に「陥る」
そしてそれは正しい
だからこそ質が悪い
俺たちみたいな個人にとっては都合が悪いのだ
企業の頭と、手足の俺たちじゃそりが合わない
じゃあどうすればいいのか
切り離して、自らがヘッドになるしかないのだ
そうやって増殖していくのだ
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