男心と冬の空

せーら

文字の大きさ
4 / 8

木の上の変人

しおりを挟む

『どーだった?念願の医学部初日!』
「どうもこうもないって。まだオリエンテーションだっての。」

 新品の鍋に水を汲みながら返せば、光はゲラゲラと笑う。

『だよなぁー。ま、忙しくなるのはこれからだろうし、お互い頑張ろうぜ!』
「お前元気いいな、ホントに。なんなの、そのテンションうっざ。」
『いつもこんなもんだろ?』
「うっざ。」
『辛辣すぎね?』

 今村光は洋介の幼なじみだ。小学校からの付き合いで、洋介と同じ医学部に通っている。ただし、洋介と違って彼は二浪の果てにこの大学に進学した。光は洋介よりも一学年上の二年生になる。

『な、な、洋介?』
「なんだよ。」
『なんかガチャガチャ聞こえんだけど、もしかしてこれから飯?』
「そうだけど…それが何?」
『んじゃ一緒に食おう!俺、そっち行くから!』
「はぁ!?来んなよ!てか俺のアパート知らないだろ?」

 袋からラーメンを取り出す手を止めて、電話口に怒鳴ると、光はフフンと笑った。

『ざーんねん。けーちゃんが教えてくれてるんだなぁ、これが!』
「圭介…あの野郎…余計なことして…!」
『おいおい可愛い弟の事を悪く言うなよー。』

 圭介とは洋介の2つ年下の弟で、首都圏の大学に通っている。洋介よりもしっかりもので、洋介とは違って医学の道を進んでいない高木家の次男だ。ちなみに国立大学にストレートで合格している。
 圭介は少し心配性な部分がある。圭介に比べて洋介があまりしっかりしていないせいもあるが、兄としてのプライドが許せないこともあるのだ。今のように、光という面倒な人物に勝手に自宅を教えたり。

「ってか来るなよ。明日もオリエンテーションあるんだから絶対飲まないからな!」
『えぇー?飲まねぇの?っつーか…。』

 不意に光の台詞が途切れた。そしてすぐさま、ピンポーンという心底腹立たしい音が洋介だけの城に響き渡った。

「…え…。」
『もう着いちゃったし?』
「……。」

 なんとも形容しがたい脱力感に襲われつつ、洋介は失礼な訪問者を受け入れるべく玄関の扉を開けた。

 ◇ ◇ ◇

「鈴橋?何、会ったの?」
「知ってたの!?」

 それぞれ二つ目の缶ビールに口をつけた頃。今日、未果と偶然にも再会した事を光に告げた。驚くとばかり思っていた光の反応は先の通りだ。テーブル越しに光に食いつく。光は全く動じずにイカを口にくわえて頷く。

「知ってたけど。ま、有名人だしな、アイツ。」

 自身の茶髪をポリポリと掻きながら、当たり前のように返される答えに洋介はムッとした。

「…知ってたんなら、なんで教えてくんなかったわけ?」

 洋介と光は小学校からの幼なじみだ。未果も同じ小学校だった。当然、光も未果同級生ということになる。しかも、光は洋介が未果に会いたがっている事を知る数少ない人物だ。大学に未果が居ると知っていたにも関わらず、光は洋介に未果の居場所を教えていなかった。それは洋介にとって面白くない話だ。

「いやー…だってさ、アイツまるっきり別人じゃん。」

 光は悪びれもせずにイカを飲み込み、缶ビールを口にした。そのまま右手で缶を弄びながら続ける。

「あの鈴橋だよ?大人しくて、優等生で、真面目な鈴橋が、だよ?あんな変人になってたなんてさぁ…俺、よーちゃんに言えないって。」
「…そりゃ…確かに…雰囲気は全然…違ったけど…。」

 再会したばかりの未果の姿を思い出す。銀色のショートヘアーに、無数のピアス。上下共に黒一色。ラフなヨレヨレのパーカーと、スウェットパンツ、樹脂製のサンダル。猫のような目つきと、グレーの瞳。小学校の頃のイメージとは真逆の、別人のような鈴橋未果。

 光の言うとおり、洋介の記憶の中の彼女は、大人しくて優等生で、真面目な子だった。長い黒髪とカチューシャに、いつも可愛らしい格好をしていた。決められたルールをちゃんと守り、間違ったことは注意しようとする。それでも大人しい性格が災いして、クラスのいじめっ子達に泣かされることも多々あった。そんな時、未果を泣かせた相手に食ってかかるのが洋介と光。光はケンカがしたいだけだったが、洋介は未果を泣かせたことが許せないから。そんなケンカを見て、未果は余計に泣く事が多かったが。

 外で遊ぶのはあまり得意じゃなかった未果。それでも洋介の後を着いてくる事は何度もあった。洋介がサッカーをしていれば、近くで見ていたり、他の女友達と地面に絵を描いて遊んでいたり。

 当時の彼女を思い出せば思い出すほど、今の未果が別人に思えてくる。未果が木に登った所など見たことがない。ましてや、真面目で大人しかったのに、髪を銀色に染めて、ピアスまで空けて、カラーコンタクトレンズまで。同じ人物に思えない。思春期を経て変わってしまったのだろうか。ならば、彼女をそこまで変えてしまった出来事は、どんなものなのだろうか。

「…木の上の変人って、何?」

 未果の言葉を思い出して、ポツリと光に訊ねる。光は缶ビールを飲み干して3本目に手を出していた。

「あぁ、それな。鈴橋さ、いっつも木に登ってんの。」
「いつも?」
「そ。ま、真面目に授業も受けてるみたいなんだけど、暇さえありゃいつも木の上。カメラぶら下げて何してんだかよく分かんないんだけどさ。」
「…それで有名になったってこと?」

 光はコクリと頷く。

「特別に誰かと一緒に居るわけでもねぇし、サークルに入ってるわけでもないらしい。木の上登って、突然降りて、その繰り返し。これは俺も先輩から聞いたんだけど、前に屋上に勝手に入って、学生課にすげー絞られたらしい。」
「…そうなんだ。」

 木の上、屋上。彼女はそんなところで何をしているんだろう。再会したあのときも、彼女は桜の木に登っていた。その行動の理由。洋介にはまだ予想がつかない。

「とにかくさ、洋介。」

 光が急に真面目な顔をしてみせた。洋介は一瞬ギクリとしてしまう。光がその顔を見せるのは、いつだって洋介に釘を刺すときだからだ。言われる台詞の内容は、予想がつく。

「あんまり鈴橋に関わんねぇ方がいいんじゃねぇの。」
「……でも…やっと、俺…。」

 握りしめた缶ビールがベコッと音をたててへこむ。光は真剣な瞳を反らさない。

「俺らの知ってる鈴橋未果と、今の鈴橋未果は別人なの。絶対いいことないって。」
「……。」
「洋介さぁ、そろそろ鈴橋に夢見るのヤメロって。マジで。今まで色々あったし、気持ちは分かるけどさ…でも」
「無理言うなよ…。」

 洋介はついに項垂れてしまう。頭を抱えて、肘をついて。声が弱々しくて、情けない。それでも、光の言葉に首を振る。

「…確かに…俺達の知ってるみーちゃんと、違うかもしんねぇけどさ…でも、みーちゃんだ。あの子は、鈴橋未果は鈴橋未果だろ…。大人しくなくても、真面目じゃなくても、優等生じゃなくても…。」
「…洋介。」
「嫌だ。」

 垂れ下がった前髪の隙間から親友を見つめる。今度は反らさないように。光も真剣な目で洋介の視線を受け止める。

「俺のこと、よーちゃんって呼んでくれたんだ。昔と同じように。だったら、俺は諦めない。光になんて言われても。」

 13年の時間を埋めたい。
 一緒に過ごせなかった時間を過ごしたい。

  洋介の譲れない、『どうしても』。

 6畳ワンルームに沈黙が訪れる。互いに真剣な瞳が交差する。そして…先に折れたのは、光だった。

「…はぁー…分かった。分かったよ。」

 諦めたようにため息をついてから、光は微笑む。頬杖をついてニッコリと、人懐っこい笑顔。

「じゃ、俺は応援するし、協力もしてやるよ。できる範囲でだけどな。」
「…!…光…!」
「親友の初恋だもんなぁー…あ、止めるところは止めるからな?止まれよ、そんときは!」
「分かった!」

 ホッとしつつ頷き、洋介も漸く笑顔を返せた。こういうとき、光は頼りになる。普段は面倒な人物であることに変わらないし、鬱陶しく感じることもある。それでも洋介が光を本当に邪険にしない理由が、今のような彼の一面なのだ。

「えーと、連絡先は渡したんだっけ?」
「一応な。まだ連絡はないけど…。」
「まぁ、今日の今日には来ないでしょ。んじゃ、もう少し様子見てそんで…。」

 大学生活初日。洋介は、父親の呪縛から逃れることが容易でないことを知った。親友のありがたみを再度知った。そして…念願だった鈴橋未果と再会を果たした。記憶の中の彼女が別人のようになっていた事を知った。

 だが、洋介は鈴橋未果の変貌の理由をまだ知らない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

幼馴染の許嫁

山見月 あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。 彼は、私の許嫁だ。 ___あの日までは その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった 連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった 連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった 女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース 誰が見ても、愛らしいと思う子だった。 それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡 どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服 どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう 「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」 可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる 「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」 例のってことは、前から私のことを話していたのか。 それだけでも、ショックだった。 その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした 「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」 頭を殴られた感覚だった。 いや、それ以上だったかもしれない。 「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」 受け入れたくない。 けど、これが連の本心なんだ。 受け入れるしかない 一つだけ、わかったことがある 私は、連に 「許嫁、やめますっ」 選ばれなかったんだ… 八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。

【完結】小さなマリーは僕の物

miniko
恋愛
マリーは小柄で胸元も寂しい自分の容姿にコンプレックスを抱いていた。 彼女の子供の頃からの婚約者は、容姿端麗、性格も良く、とても大事にしてくれる完璧な人。 しかし、周囲からの圧力もあり、自分は彼に不釣り合いだと感じて、婚約解消を目指す。 ※マリー視点とアラン視点、同じ内容を交互に書く予定です。(最終話はマリー視点のみ)

わんこ系婚約者の大誤算

甘寧
恋愛
女にだらしないワンコ系婚約者と、そんな婚約者を傍で優しく見守る主人公のディアナ。 そんなある日… 「婚約破棄して他の男と婚約!?」 そんな噂が飛び交い、優男の婚約者が豹変。冷たい眼差しで愛する人を見つめ、嫉妬し執着する。 その姿にディアナはゾクゾクしながら頬を染める。 小型犬から猛犬へ矯正完了!?

婚約者が番を見つけました

梨花
恋愛
 婚約者とのピクニックに出かけた主人公。でも、そこで婚約者が番を見つけて…………  2019年07月24日恋愛で38位になりました(*´▽`*)

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

偽りのの誓い

柴田はつみ
恋愛
会社社長の御曹司である高見沢翔は、女性に言い寄られるのが面倒で仕方なく、幼馴染の令嬢三島カレンに一年間の偽装結婚を依頼する 人前で完璧な夫婦を演じるよう翔にうるさく言われ、騒がしい日々が始まる

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

処理中です...