頭にきたから異世界潰す

ネルノスキー

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第3章

第37話ーー遭遇と追跡ーー

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「んぐ、んぐ……プハァ~ッ、やっぱうめぇな」

 大地が隆起した中心で一人の青年が胡座をかいて食事をしていた。

 よく晴れた心地の良い風が吹く中での食事は絶好のピクニック日和といえるが、生憎と青年が食べているのはパンに挟まれた新鮮な野菜や肉・チーズ類で作られたサンドウィッチではなく獲れたての生肉。
それも人間のものだった。
 ドリンクは当然ブレイクダウン用のコーヒーではなくまだ生温かい血液。
 肉に喰らいつく度に血が滴り落ちているが、顔中に着いたそれらを綺麗に舌で舐めとる光景は獣の食事とは違い何処か人間らしさが残っている。

 それは当然と言えば当然の事で、既に数十体の死体を食い尽くすもまだ足りないとばかりに次の死体に手を出しているのは一年ほど前まではただの人間であった男なのだから人間らしさが残っているのも仕方のない事だった。

 けれど、いくら人間らしい仕草を残していたとしても今の青年。葉山 弓弦を見たら全人類が等しく確信を持って言えるだろう。

『お前はもう化物だ』と。

 残念ながらそれを言えるものは誰もいないが。
 何せこの場にいるのは死体を貪り食う弓弦と何とか被害を免れた軍馬くらいのものなのだから。

 唯一生き残っている……正確には生かされているのは騎士団の副隊長である騎士一人だけだったが、そんな彼も今は気を失って眠っている。
 目覚めた後、その騎士がどうなるかは今のところ弓弦しか知らない。が、少なからず良い事ではないのは間違いない事だろう。

「ふぅ……さて、腹ごなしもできた事だしそろそろ行くとすっかね」

 そう言って弓弦は立ち上がると副隊長の騎士と残りの死体。約三十体を騎士達が牽引していた荷馬車に詰め込み、生き残っていた軍馬数頭を繋げて目的の森へと進路をとった。

 残りの死体はその場に放置した。
 そのうち血の匂いに釣られて獣が処理するだろうと思ったからだ。
 勿論死体を残した事で通りがかった人間が何処かへ報告するのは弓弦も分かりきっていたが、それでも何もせずに放置したのはどの道手遅れだからだ。

 この場には既に騎士団が通過することが知れ渡っているだろうし、隆起した大地や攻撃魔法によって焼け焦げた大地があっては隠蔽しようにもどうにもならない。
 魔法が使えればあるいはなんとか隠せるだろうが、生憎と弓弦は魔法が使えない。
 なのでどうせバレてしまうのなら無駄な事後処理などせず獣に任せてしまえば良いと思ったからだ。

 余計な戦闘に加えて、ちょっと長めの食事タイム。おまけに他の馬よりも馬力のある軍馬を数頭使って牽引しているとは言え、三十体もの死体を運んでいると、結局目的の森に到着したのは日もすっかり落ちた夕暮れ時となった。

 当然そこまで時間が経ってしまえば折角気絶させていた副隊長も目が覚めてしまうわけで、部下の死体を……それも惨たらしい惨殺死体の上で目が覚めるというのは想像を絶する程にショッキングな出来事だったようで半狂乱しながら騒ぎ立てるので再び沈黙させるのに一苦労だったりと些細なトラブルがあったが、無事に到着した。

 森の入り口付近で荷馬車から軍馬を外すと、馬は適当な木に繋ぎ止めて弓弦は荷車だけを引っ張って森の奥へ踏み込んで行く。

 一切の光のない森の中でも多彩視界のお陰で昼間のように明るく、その上熱源感知も併用しているため魔獣からの奇襲も気にせずに奥へ奥へと進んでいった。

 そうして三時間ほど進んでいったあたりで、ようやく弓弦はそれまで休めなかった足を止めて正面の一点だけを見つめた。

 視界には熱源感知を使っていても熱源となる生物は一切いない。不自然な痕跡も何もない。
 けれど、弓弦は何かを感じ取ったらしく足を止めて視線の先の一点だけを見つめている。

 まるでそこに何かがいると確信しているかのように視線の先にある樹木を見つめていた。

「……コレが欲しかったさっさと出てこいっ」

 何もない、誰もいないようにに見える中で弓弦は声を張り上げてついでとばかりに死体の一つを視線の先にあった樹木に向かって放り投げる。

 放物線を描いて樹木の足元まで飛んでいくと、ピタッと放り投げられた死体が地面に転がる事なくそのすんでのところで中に浮いた。

 そして次の瞬間にはギュルルルッと何かを巻き込むように死体が中空で回転したかと思えばゆっくりと樹木の上へと引っ張り上げられていく。

 しばらくの間死体が釣り上げられていった先を熱源感知を使いながら見てみるが、生憎とそこには辛いばかりで何の反応も見えない。

 しかし、葉音や枝が軋む音。それ以外にもギチギチと何かを擦り合わせるような音が聴こえてくる。
 明らかに誰かがいるのは明白だった。

 それを確認しようと思えば弓弦はすぐさま木々の間を飛んでみに行くことが出来たが、そうしなかったのには理由があった。

 目に見えるかどうか分からないレベルで弓弦の左の足首に極細の糸が絡みついていたからだ。
 それは弓弦の多彩視界であっても捉えるのが困難なほどに細く。気がついたのは何かが絡んみ着いたような僅かな違和感があったからだ。

 恐らく今弓弦が動き出したら糸が絡んでいる足が千切られるか、殺しにかかってくるだろう事が容易に想像できた。
 無論今の弓弦であれば足が千切れるくらいでは戦闘に殆ど支障はない。くっつけるにしろ生やすにしろ腹一杯に食った栄養源(死体)のお陰で数秒ほどで再生出来てしまうからだ。

 ただそうしなかったのは糸が絡みついているだけで、向こうから何もしてこなかったからだ。
 糸が絡んでる程度では下準備といえど、攻撃と呼べる攻撃ではないため話し合いで解決しようと思いとどまったからに他ならない。

 だが、死体をくれてやったから五分ほど経っても何もないので、やはり動こうかと思案し始めた頃になってようやく木々の間から弓弦の真正面に向かって何かが落ちてきた。

 それは死人のように真っ白な肌と自分と同じ白髪の少年とも少女とも取れる子供だった。
 ただ手足は枯れ枝よりも細く、髪はボサボサの伸び放題。
 爪も人のものよりも長く、鋭利なナイフのようになっている。
 何よりもその子供が人間ではないと確信付けられるのはその瞳だった。
 焦点だけは深い海のように蒼く、本来白い筈の部分は真っ黒な異質なものに変化している。

 その特徴がかつて立ち寄った冒険者ギルドの長。ジーンパークが話した『悪魔の子』の特徴と完全に一致した。

「…….ダ、レ?」

 掠れるようか細い声音で、その子供が少女であると分かった。

「誰でも良いだろ。それより、飯は美味かったか?」
「……ウン」
「そうか、他に仲間はいるか?」
「イ、ル」
「んじゃ案内してくれ。死体はまだあるから他の奴らにも分けてやらねぇとな」
「…………ダ、メ」
「独り占めか?」
「チ、ガウ……アナ、タ。ダ、レ?」

 どうやら少女は仲間の元へ案内する前に弓弦の素性を知りたいらしい。
 その質問に弓弦は感心半分呆れ半分といった様子で答えた。

「いい質問だが、それなら何で最初に攻撃してこなかった?まさか飯を寄越したから安心でもしたのか?」

 そう、警戒しているのなら姿を現わす前に拘束するなり仲間を呼び寄せてくるなりすればよかった。
 だが、少女はアッサリと姿を現し、仲間がいることも話してしまってる。
 俺に敵意があったら真っ先に殲滅・蹂躙されてもおかしくない事を少女はしてしまっているのである。だから警戒している事には感心するが、それ以外には呆れてしまったのである。

「……チ、ガウ。アナ、タ。他ト違ウ、ニオイ。ワ、タシタチ共、ケ、モノ共、チ、ガウ。デ、モ、ワ、タシタチト、二、テル」
「……あぁ。そういう事か。悪かった」
「……?」

 少女は警戒していた。けれど、自分たちとは違うまでも似通った匂いをしている為に、自分たちの敵である人間とも魔獣や魔物とも違うから混乱してしまったのだろう。
 その事に気がつくと、一言謝罪してから質問に答える事にした。

「俺は弓弦。葉山 弓弦。お前たちとは少し違うが、同じもんだと思ってくれ」
「チガ、ウ?ケド、オナ、ジ……?」
「ハハッ少し難しかったか。まぁでも同じもんだよ」
「ソウ……同ジ、ナラ、案内、スル」

 そう言って少女は踵を返すと森の奥へと進んでいった。

 しばらく進んで行くと、時折視界の中にいくつかの熱源を捉え、それが人型である事から予想よりも多くの子供がいる事が分かった。

 彼らは木々の上から興味深そうに弓弦の方を見てくるが、感じる視線の数よりも荷車へと向けられてる視線の数の方が多い気がするのは気のせいではないだろう。

 一時間ほど歩いてようやく到着した場所は巨大な洞穴だった。
 山の斜面になっているところに自然に出来たものなのか、それとも人為的なものかは分からないが、十数人の子供がいた。

 全員が青白い真っ白な肌に黒と蒼い瞳をしている。
 案内してきた少女はここで待つよう告げると、洞穴の奥へと向かい、すぐに一人の女性を連れてきた。

「へぇ……」

 現れた女性、といっても外見年齢は弓弦と大差ないのだが、これまで数々の娼婦を相手にしてきた弓弦の肥た眼から見ても中々の美人が出てきて思わず感嘆の声が漏れ出る。

 彼女も他の子達と同様に瞳の色や死人のような青白い真っ白な肌をしているも、身綺麗にしているからか清潔感が漂っており、これがどこかの国の王城から出てきたら疑う余地がないほどにその国のお姫様なのだろうと思ってしまうくらいの気迫があった。

 彼女は弓弦を視線で見てとると一瞬眉を寄せたが、すぐに鉄仮面のような無表情に戻り、視線を外す事なく弓弦の前までやってくる。

「この地に何用でしょう、冒険者様?」

 彼女は案内してくれた少女とは裏腹に流暢な言葉で問いかけてきた。
 それだけでも他の子供とは違い、それなりの教養があるのが伺える。

「まず、最初に間違いを正してこう。俺は人間じゃない」
「はい。ですが、我々とも違いますね?限りなく近くはありますが、我々よりも色濃い匂いを感じます」
「匂い、か。俺にはよくわからんが、確かにその通りだ。俺は……いや、俺たちは自分たちの事を『魔人』といってる。あんたらは?」
「悪魔の……」
「違う」

 言いかけた彼女の言葉を弓弦は遮って、僅かながらの怒気を含んで問いただす。

「それは人間が勝手に付けた蔑称だ。名称じゃない。そんなもんを名称にするな」
「……失礼しました。我々は『魔獣人』と呼称してます」
「魔獣人ね。それで名前は?俺は葉山 弓弦ってんだ」
「……ユヅル様でよろしいですか?」
「あぁ、そうか。俺の国じゃ性を先に呼ぶんだが、そのままで良い。苗字呼びは慣れてねぇんだ」
「分かりました、ユヅル様。私はスロウ。性はありません。ここでこの子達をまとめてる者です」
「よろしくな。早速だが、移住する気はないか?」
「……移住、ですか?我々にこの地を捨てろと?」

 いきなりの提案にスロウは隠す気もないようで怪訝そうな表情を表に出す。

「そうだ。俺の知り合いがお前たちを保護したいそうでな。連れてくるよう言われてんだ」
「保護、ですか……フフ」

 その言葉にスロウは怪訝そうな顔つきから少しだけ愉快そうに表情を綻ばせたが、すぐに凍てつくような表情に切り替わった。

「お断りします」
「まぁ、そうなるわな。でも理由は?」
「理由?決まってます。我々がこれまでどのような目にあってきたかっ言葉にせずとも分かるはずですっ!にも関わらず保護などと……我々はただ普通に生きていたい、ただそれだけなのです!
 それなのにようやく腰を据えられたこの地すらも奪う気ですか?!」

 言葉を発する度に彼女から濃密な殺気と魔力が溢れ出てくる。
 その魔力は漏れ出ているものだけでも優に弓弦のものを超えているのが分かる。同時に彼女の背中からはバキバキと音を立てて翼のようなものまで出てきた。

 それは鳥類のような翼ではなく昆虫類。所謂“蛾”のような翼で、不気味なマダラ模様がもう一つの眼のように見えた。
 それだけでも相手を威圧するには十分な効果があり、新人冒険者などでは気圧される事間違いなしだった。が。

「へぇ。綺麗な羽だな」
「……はい?」

 弓弦からの言葉に頭の中が怒りで満たされてかけていたにも関わらず、スロウは思わずといった様子で聞き返してしまう。

「あ?だから綺麗な羽だって言ったんだよ。自然界……というか俺のいたとこじゃまず見れないくらい毒々しいのに鮮やかな色合いだからよ」 
「な、何を言っているのですか?」
「何だよ。これでも虫系統は結構好きなんだぜ?流石に何でもかんでもとはいえねぇけどよ。あ、こんな見てくれでも割と好きなんだよ。悪いか?」
「…………」

 今まさに殺し合おうとしていた相手にまるでそんな事を意に介さず説き伏せられたスロウはそれまで威嚇するように広げていた羽を閉じてしまう。

 興が削がれたといえば、聞こえは良いが実際の所スロウは混乱していた。
 これまで数多もの人間達を返り討ちにした時に自分に向けられたのはその全てが畏怖の篭った眼差しで、不気味がり、気味悪がられるのが常だったのに対して弓弦からの反応はその真逆だったのだ。

 何をどういえばいいのか分からないくらいに混乱してしまうのも無理はなかった。その証拠にパクパクと先程から口を開いては閉じてを繰り返してしまっている。
 おまけに。

「あ、何だよ。もう閉じんのか?なら後でもうちょっと見せろよな」
「ッ?!」

 などと言われては敵意を剥き出しにしていたの何故か言葉が詰まり、顔が熱くなってきてしまうのは本人曰く仕方がなかった。

「まぁいきなりの話だしな。疑うのも無理はねぇが……ここにいたら確実に死ぬぞ」

 そう言って弓弦は荷車を降ろして積荷をスロウへと見せる。
 そこには当然積み上げられた死体が満載しており、常人が見れば悲鳴の一つも上げようという光景だが、弓弦にとっても、彼女たちにとってもそれは食料でしかない。
故にあげられた声は悲鳴ではなく「おぉっ……」という歓声に近い声だった。

「こいつらは別の目的で動いてた連中だが、こいつらの本隊はお前たちが攫った人間を救出する為にこの森に入ってきてる」
「攫った……?何の話でしょう?」
「は?」

 スロウからの言葉に一瞬とぼけられてるのかと思案する弓弦だったが彼女の表情からは本当に何を言われているのか分からないといったようにしどろもどろしている。

「……何日か前に森に入ってきた冒険者に魔物をけしかけた覚えはあるか?」
「え、えぇ。それならあります。中々に強かったので魔物を巣から追い立てて森の外へ向かわせました。
 案の定追い立てられた魔物を討伐しようと躍起になっていましたが、予想よりも強かったので魔物もすぐに引き返して来たのですが……なぜかその一行も去って行きましたね」
「魔物を使役してるわけじゃねぇのか」
「はい。確かに我々は総じて魔のモノに近い性質をしていますが、意思疎通ができる訳ではありません。
 だから我々よりも弱い、けれど人間にとってはそこそこ脅威となる魔物をけしかけたのです」
「ふむ……けしかけた魔物が人間を攫うことはあるか?」
「流石にそこまでは……ですが、仮に攫ったとしても保存食として巣穴に持ち帰ったかもしれません。ただあれから何日もたっているので、生きている可能性はまずないかと」
「……だよなぁ。あぁ、そうだ。まだ説明の途中だったな。とりあえず、その魔物の襲撃を受けた時に戦ってた冒険者の一人が勇者一行だったせいで、人間達は血眼になって捜索に来たんだ」
「勇者……?」

 スロウはよく分からないといったように小首を傾げて聞き返す。
 そこでようやく弓弦はスロウの言葉が流暢過ぎて失念していた事実を思い出した。
 それは彼女たち『悪魔の子』は魔物の因子を持って生まれた時から命を狙われる存在であったという事だ。それはつまり一般的常識が身につく前には殺されるか何処かへ捨てられる為幼少時に自然と身につく情報が欠如して生きてきた事を意味する。

 そう考えるとスロウの喋り方などが些か礼儀正し過ぎる気がしないでもないが、十歳になる前には死ぬ運命だった『悪魔の子』の中でも弓弦と同じくらいまで生きてきた事を考えると素直に凄いので、他の子達と比べるとその分知識が多いのだろう。

「今は人間たちにとっての重要人物とでも思っておけばいい」
「はぁ……つまりユヅル様は私たちがその重要人物の一人を攫ったと思い込んでいる人間たちがこの森に入り込んで来ていると、そう言いたいのですね?」
「まぁそんな所だ。んで、俺の目的はさっきも言った通り、お前たちの保護とついでに生きてたら行方不明の一人を連れてこうと思ってたんだが……」
「魔物に攫われたのであれば、まず生きてはいませんよ。一応巣穴には案内しますが」
「助かる。それで、保護の件はどうする?」
「……皆と話させて下さい」
「あぁ。勿論だ。先に言っとくと悪いとこじゃねぇぞ。周りにはちと強力な魔物がいるが、それも結界で防いでるから安全だ」

 そう言い残して弓弦は荷車から死体を放り出して「これは土産だから食っていいぞ」と宣言すると子供を中心に魔獣人達が一気に群がり、食事を始めた。

 グロ耐性がないものが見れば恐怖で青ざめること間違いなしの光景だったが、弓弦の見る視線はどこか愛くるしいものでもみるような慈愛に満ちたものだった。

 スロウの方も最初こそ戸惑いを見せていたが、やはり食欲には勝てなかったらしく死体の一つを手に取ると洞窟の中へと運んでいった。
 心行きの知れた仲間内だけならともかく流石に異性の、それもついさっき会ったばかりの者に食事の風景を見られるのが嫌だったのだろう。

 
 




 数時間後。あれだけ大量にあった死体の殆どを食い尽くした子供達は満足そうに満たされた腹を撫でながら安らかに眠りについていた。
 そんな仲で動くのは弓弦とスロウの二人だけで、冒険者にけしかけたという魔物の巣穴までやってきていた。

「ここが魔物の巣穴?」
「はい。エル・スパイダーという蜘蛛型の魔物の巣です。少し待っていて下さい」

 案内された先は高さ二メートル。幅一メートルほどの縦長の洞穴。というより、自然に出来た亀裂に魔物が住み着いた事で徐々に格調されていった感じの洞窟だった。

 そこにスロウは先程はあまり見ることの出来なかった羽を広げて洞窟の中へと風を送り込むように羽ばたかせる。
 よく見ると、風を送りながら何かの鱗粉を巻いているように見え、弓弦は持っていた布で鼻と口を塞いだ。

「安心して下さい。麻痺性の鱗粉を巻いているだけです。もう少ししたら中へ入れます」
「魔物に効くのか?」
「えぇ。私の鱗粉は少し特殊で、ある程度相手の特性に合わせた鱗粉を生成できるのです」
「へぇ。そりゃ便利だな」
「ただ効果が発揮されるまでは少し時間がかかります」
「まぁ、でも状態異常が使えるのは中々のアドバンテージだと思うぞ」
「あど……何です?」
「アドバンテージ。有利ってこった」
「なるほど」

 そんな会話を続けること十分。
 ようやく中へと入っていった二人だったが。

「うわぁ…….これ、やり過ぎじゃね?」
「エル・スパイダーは繁殖力が強くて一度に数百匹産みます。多少減ったところで問題ありません」

 そう言って進む先には麻痺が強すぎてそのまま絶命していった蜘蛛の死骸が散乱していた。
 大きさは誰もバスケットボールくらいの大きさで、地球にいたらそれだけで大惨事間違いなしなのだが、この世界では魔物の中でもかなり小型に位置する。

 出入り口付近にいた蜘蛛ほど麻痺の効果が強かったせいで殆どが死骸になってるが、奥に行けばピクピクと足を痙攣させている蜘蛛がいたので絶滅は免れた事だろう。たぶん、おそらく。

 弓弦はというとそんな蜘蛛の死骸を踏みながら適当に拾い上げてはスナック感覚で食べているのだが。

「んー……不味いな。ダイラス迷宮にいた奴より不味い気がする」
「……私たち以外に魔物を平然と食べる人は初めて見ました」
「何だ、信じてなかったのか?」
「全く信じてなかったわけではありません……が、正直驚きです」

 弓弦はある程度スロウに自分がどういう経緯で魔人となったかは話していたのだが、その全てを信じてはいなかったようでまじまじと蜘蛛を食べる弓弦を見続けている。

「まぁ口だけじゃなんともでも、お?」
「どうしました?」

 先頭を歩いていた弓弦が倒れている蜘蛛に紛れて布らしき物を見つけて引っ張り上げると、そこから出てきたのは赤い外套のようなもので、一緒に骨だけとなった骸骨が出てきた。

「旅人のようですね。ザックもありますよ」
「マジか。なんか金目のもんはねぇか?」
「自分で見てください。汚いので」
「汚いって……まぁ確かに汚ねぇけどよ」

 骸骨の近くに落ちていたザックには泥やら蜘蛛の糞やらがこびりついていて確かに汚かった。
 流石の弓弦も直接触りたいとは思わなかったようで食べかけていた蜘蛛の脚を器用に使ってザックを開くと中に入っていたものを地面にばら撒いていく。

「んー、ゴミばっかだな。金は……お、これか。他には~……は?」

 路銀のような小袋を拾い、それ以外にも目ぼしいものがないかと物色しているとそこには見慣れたものが転がっており弓弦は動きを止めてしまった。

「? どうしました?」
「何で、コイツがあんだよ……」
「銀の箱?にしては異様に小さいですね。何かの飾りですか?」

 そこにあったのは日本人なら誰もが知ってる。いや、地球人であれば誰もが一度は必ず見て、多くのものが使い慣れているもの。オイルライターだった。

 普通ならそこまで驚くべきものではないが、この世界にはまず存在しない物であり、手にとってみると底面には『Y・H』と刻印がされている。
 弓弦が愛用し続けていたもので間違いない。
 間違いないのだが、これはあの日。デル・グリズリーと谷底に落ちて、仕留めたグリズリーの肉を貪った身体が持っていたものだ。

 つまりは今の弓弦が羽化する前の本体が持っていたもので、それはダイラス迷宮の何処か。奥深くにあるとだけしか分かっていないものだった。

「どういう事だ?誰かがあの迷宮の奥にまで行ったのか?いや、だとしても何でそんなことを……?」

 ぶつぶつと思考を巡らせるが、依然として答えが見つからない。
 強いて上げるなら妄想に近い憶測として“ダイラス迷宮に生息する膨大な数の魔物や魔獣を食い続けた事で、冒険者が調査を行いその途中でオイルライターが発見された”という推測だけだったが、弓弦自身は「だからといってこんな小さな物が見つかる筈ないか」と直ぐに切り捨ててしまったのだが……。

 実際は大当たりだったりする。
 弓弦は知らないことだが、スルグベルトから西のアグニスタまで通じる複雑な道のりのダイラス迷宮で弓弦は『グラトニー』と呼称された大型の魔物として捜索依頼が出されていた。
 その過程で発見された冒険者の遺品として見つかったのがこのオイルライターだったりする。

 単純な構造にも関わらず火を簡単に付ける事が出来る魔道具として高値で取引されていたのだが、途中で火をつけるのに必要なオイルが切れてしまった為にジャンク品として流れに流れて行き着いたのが現在である。

「まぁ、ここで考えても仕方ねぇか」

 それ以上の物色はせずに弓弦とスロウは奥へと進んでいった。
 とはいえ、元々は亀裂から拡張されていった洞窟だったので十数メートル進んだだけで行き止まりとなってしまい、結局オイルライターと数体の亡骸を見つけただけで目ぼしいものはそれ以外に見つけることが出来なかった。

 洞窟を出た二人はその足で最初にいた住処ではなく、勇者一行が戦ったと思しき場所へと向かっていった。
 襲撃から何日も経っているので痕跡が見つかるとは思えないが、それでもここまで来たのだから何らかの手がかりくらいは見つかるかもしれないと思ったからだ。

 着いた場所は木々が少なくややひらけた場所だった。
 そこそこ強力なスキルや技能を多用したのか、所々地面がえぐれて焼け焦げてた跡が見つかった。

 魔物の死骸もあったが、殆どは他の魔物に食い荒らされたのか蜘蛛の足先が少しだけ散乱しているだけになっていた。

「ここがユヅル様のいう勇者とやらが戦っていた場所になります。もう少し先に進めば森を抜け、街道へと繋がります」
「みたいだな。ただこれ以上進むのはやめるか。微かにだが、肉の焼ける匂いがしてるし、たぶんそう遠くない場所で騎士団の連中が野営してる筈だ」
「……凄い嗅覚ですね。私には分かりませんが、そうしましょう」

 意識を鼻に集中させた弓弦がそう告げるとスロウは疑いもせずに了承した。
 別にスロウが弓弦の事を信頼したからではない。彼女たちにとっても人間は食料でもあるが、自分達を狩に来る共通の敵だからだ。
 攻め滅ぼすのは吝かではではないが、進んで戦闘をしようとはしないのが彼女の流儀でもあった。

「それにしても、森の中で火を使ったのか……あいつらバカなのか?」
「全くです。酷い破裂音が響いたかと思えばエル・スパイダー達の多くがそれだけで死に絶えていましたね……今思い出しても恐ろしい」
「破裂?ってことは連中爆発物でも使ったのか、そういう魔法でも習得しやがったのか。めんどくせぇ」

 周囲を散策しながら分析を続けていく弓弦だったが、その分析能力は大したもので、数メートルに渡って一直線にえぐれた地面をみては剣又は斧による攻撃スキルではないかと当たりをつけ、僅かに沈んだ地面と凹み方から大楯持ちがいると推測した。
 他にも切り倒された木々や、不自然に空いた穴をみては魔法か、弓の攻撃をしていたのだろうともあたりをつけていきながら凡そのパーティ構成を把握していった。

「剣士が三……いや、一個はやたら刃渡りが小さいから斥候系か?それと盾持ちと魔法か弓使いが一人……ってなるとバランスを考えると回復系が一人はいるはずだな」
「そ、そこまで分かるのですか?」
「予想だけどな。ただ弓使いがいるのは確実だと思うんだが、どうにも変なんだよな」
「というと?」
「使われた矢がどこにもねぇんだ。見てみろ」

 そう言って指差した先には倒れた木にいくつかの小さな穴が穿たれていたものだった。

「穴の広さや、刺さった深さを考えると弓矢以外に考えられねぇんだが、鏃がどこにもねぇ。それどころか折れた矢すらもねぇから魔法による攻撃跡かとも思ったんだが、どうにも数が多い。
 群がってくる蜘蛛にめがけて攻撃するならもっと効率のいい魔法があるはずだ」
「確かに……我々も戦闘を随時見ていたわけではありませんから分かりませんね」
「だよなぁ。まぁでもパーティ構成が大体分かっただけでも良しとするか」
「はい。では戻りますか?」
「あぁ。ここにはもう用はないしな……ちょっと待て」

 踵を返して戻ろうとした時、茂みの向こう側に不自然に折れた枝が目に付いた。
 近寄って折れた枝木を見てみると、どうやら人が通ったらしい。余程強く地面を踏みしめたのか僅かに地面もえぐれていた。
 
「ふむ、ちょいと寄り道するぞ」
「え、えぇ」

 僅かな痕跡を辿りながら進んだ先に、薄茶色をした布の切れ端が枝木に引っかかっていたのを見つけた。
 
「間違いないな。パーティの一人が自分から抜け出したみてぇだ」
「どうしてそう思うのですか?」
「あれから何日も経ってるってのに足跡がまだ残ってる。にも関わらず、魔物の痕跡は見当たらない。仲間から逸れたというより、逃げ出したって考えるのが妥当だろうよ……さて。匂いが残ってればいいんだが」

 そう言って弓弦は手に取った布を鼻に近づけて匂いを嗅ぎ始める。
 今の弓弦のならば嗅覚に優れたことで有名な熊の数倍から数十倍まで匂いを嗅ぎ分けられる事ができる。
 時間が経っていようとも僅かながらに匂いが残っていればそれを頼りに追跡ないしはある程度の特定が出来る筈だ。

「ッ!……まじかよ」
「何かわかったのですか?」
「あぁ。たぶん、顔馴染みだ」

 その結果。
 微かに残っていた匂いが弓弦の知る人物である事が分かってしまった。

 
「間宮 結奈……何でお前がここにいる?」


 

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